ナイスショット【上】 ― 2007/05/16 20:31:15
あ、正利。なんだろ、はりきっちゃって。
「見ろよ、これ」
近所のプリントショップの名前の入ったアルバム。
開くとそこには……。
うわ。
栗山先輩。
栗山先輩の、シュート。ドリブル。ガッツポーズ。
「ナイスショットだろ? へへへ」
得意げな正利。でも、どうして?
「美由紀さ、こないだ応援に行ったんだろ、バスケ部の試合? せっかくカメラ持ってったのに、全然撮れなかったって知子と喋ってるのが聞こえちゃってさ」
そうだ。栗山先輩を応援しに行った。あわよくば、生徒手帳に入れとく写真を撮りたいと思ってカメラも持っていったけど、バスケットっていきなり動きが速くなるから、撮りたい瞬間に間に合わない。ナイスパース、ナイスショーット、ドンマイ、ディフェーンス。けっきょく、声を張り上げてひたすら応援するばかりだった。
試合の勝ち負けは、栗山先輩には悪いけど、どっちでもよかった。だっていつだって、栗山先輩は一生懸命だもの。先輩の真剣な目を見られるだけで、いい。
それにしても。
正利ったら、こんなに写真の腕が、いいんだ。
「能ある鷹は爪隠すってな。親父が趣味で写真やってんだけど、ちょっくら教わったりしてるわけだよ」
正利がとらえた栗山先輩の姿。まるで美由紀の瞳に映った像を盗み撮りしたかのように、いつも美由紀が見ている栗山先輩そのまま。
「美由紀さ、栗山さんにコクる気ないのか?」
いきなり、なんだよっ。髪の毛が逆立つ。頬が、かっかとほてる。
「俺、女の友情に水差す気はないけどよ」
女の友情って。
「知子がさ、栗山さんに接近中だぜ、知ってるのか。いいのか、黙ってて」
知子が? なんだってえええええーーーーー???
美由紀と知子は文芸部の仲間だ。
美由紀はいつか、一学年上の、バスケットボール部の栗山先輩のことを、もちろん名前は出さずに、詩に書いた。けれども知子には見破られてしまった。
「わかる、わかる。カッコいいもんね、栗山先輩」
応援するよ、美由紀。そう言ってたのになあ。
美由紀は、正利の言葉には驚いたけれど、だからって知子を責めようという気にはならなかった。美由紀にとって知子は大切な友達だ。入学したばかりの1年生の4月、机が隣り合わせになった。少し言葉を交わすだけだったのが、ある日、ノートを差し出して、
「ね、美由紀ちゃん、これ、読んでくれる?」
そこに書かれていたのは、幾編もの詩だった。ひとつひとつはなんでもない言葉なのに、連なると輝いて、金の鎖のようだった。そういうものを読むのは初めてだった。金子みすずや谷川俊太郎の詩は小学校で習ったけど、こんなに感動はしなかった。
「小学校からの友達には恥ずかしくて見せられなかったの。よかった、美由紀ちゃんが気に入ってくれて」
文芸部に入ろうよ。知子の誘いを断る理由は、美由紀には、なかった。
もしあれば入りたい、と思っていた写真部は、この中学にはなかったからだ。
入ってみると文芸部は結構面白かった。先輩たちはそれぞれ、ホラーや探偵もの、中途半端なミステリーやありえないサイエンスフィクションなど、小説の出来損ないみたいなものを次々に書いては、部員に読ませた。読むだけで、美由紀には十分刺激的で楽しい部活動だったけど、知子は私たちも書かなくちゃね、と張り切って、詩や短文を次々に書いた。先輩たちも、顧問の小坂(おさか)先生も、知子の作品を褒めた。けれど、知子の書くものは、みんなが褒めるのとはまた違った印象で、美由紀の心に余韻を残した。
うまくいえないけど、知子の書くものって、大好きだよ。美由紀は知子に、そういったことがある。
ナイスショット【中】 ― 2007/05/16 20:34:44
知子も例外じゃない。
「これなんかさ、決定的瞬間って感じだろ」
得意げに、写真一枚一枚を解説する正利が最後に指し示したのは、ホイッスルが鳴った瞬間の、天を仰ぐ栗山先輩の横顔。予選での敗退が決まった瞬間。
美由紀と知子が応援に行った2回戦、チームは危なげなく勝利を収めたが、正利が撮影に行ったのは強豪とぶつかった3回戦だった。その日、美由紀は用事で行けなかったが、
「知子は、来てたぜ」
知子は見ていたんだ、悔し涙の栗山先輩。
「しかも、体育館の外でも待ってたぞ」
ぐぐ。でも、正利はなんでそれを言うんだろう。女の友情に水差す気はないっていうけど、十分差してるってば。
「俺は男の友情を貫きたいんだよ」
今度は男ヴァージョンかよっ。
「知子のことが好きでしょうがないのに、いつでもコクれる場所にいるのに、なんにもいえないバカが親友なもんでね」
あ。
それは孝司(たかし)のことだ。孝司は知子と同じ小学校出身で、入学以来同じクラスの正利と仲がいい。正利は科学部だけど、孝司は、文芸部に入った。そうだ、今思えば、まるで知子を追いかけるように。
孝司も、勢いよくたくさんの物語を書く。よく思いつくなあと感心する。知子の書くものとは違う意味で、面白い。小坂先生が知子と孝司の小学校では特別な作文授業があったのか、なんて目を丸くしていた。孝司は、文芸部では知子へのライバル意識むき出しにして、今度の部誌に投稿するもの書いたか、次のテーマは何にした、とかさかんに話しかけてくる。
はっきり言って、知子は嫌がっている。
正利が撮った栗山先輩の写真を眺めて、美由紀は大きなため息をついた。
ほんとにカッコいいなあ……素敵だなあ。
「だからさ、友情に篤い俺としちゃ、知子の気持ちをこれ以上栗山さんに向けないために、ここは美由紀さまに猛アタックかけてもらって、見事栗山さんのハートを射止めてもらいたいんだな。この写真は、なんつーか、お守りだな。お札代わり。または、戦う兵士への精神的差し入れ」
え、くれるの? う……嬉しいけど……そんなに煽られても、困るなあ。
美由紀と正利は、西校舎の廊下の窓から、校庭を挟んだ向こう側にある体育館を眺めていた。部活の終わる時刻になると、部員がぞろぞろと出てきて、少し離れたプレハブの部室まで歩いていく。練習後の、力の抜けた様子で、長い腕の先に大きなバッシュをぶら下げて歩いていく。美由紀は、そのわずかな時間にみせる部員たちの表情がお気に入りだった。それぞれが、今日も頑張りましたあーって、すっきりさわやかな顔をしている。こういうときの彼らの表情をうまく書けないもんだろうか。知子なら、どう書くんだろう。
ナイスショット【下】 ― 2007/05/16 20:39:57
噂をすれば知子だ。正利のせいでどきどきするじゃんかよっ。
「あれ、これなあに? わ、栗山先輩じゃーん。もしかして正利が撮ったの?」
知子はへーえ、ふーんと頷きながら楽しそうに写真を一枚一枚見ている。
美由紀は少し、気持ちがざわつくのを感じた。あの……と口元を動かしかけたとき、正利の声がした。
「じゃ、俺帰るわ。写真、他のやつには見せるなよ」
「美由紀ちゃん、正利、なんて言ってこの写真くれたの?」
美由紀は、正利との会話を手短に話した。ただし、孝司のことは除いて。
「うん、このあいだ、バスケの3回戦見に行ったんだ。黙ってて、ごめんね。そのとき正利が三脚立てて写真撮ってるから、びっくりしたよ」
たしかに、それはびっくりだ。
「あたし、栗山先輩のこと待っててさ、もし、負けたショックが大きそうで、すごく打ちひしがれた感じだったら何も言わないで帰ろうと思ったんだけど」
聞きたくないなあ、その先。
「なんだか、すごく晴れ晴れしてて、笑顔が素敵だったよ」
いつだって栗山先輩の笑顔は素敵だよっ。
「あたし、呼び止めて、思い切って聞いたんだ。先輩、好きな人いますか。つき合ってる人、いますか。そしたらさ、うんいるよ、だって。あっさり」
ええええええーーーーーっ。美由紀はほとんどその場に突っ伏してしまいそうだった。
「いないよって答えてくれたら、美由紀と一度会ってくださいって言おうと思って、何度も頭の中で予行演習していたのにぃ」
知子は心底残念そうな様子で、大きくため息をひとつついた。ホントか、それ、真実か? ほんの少しだけ、美由紀の脳裏を疑念がよぎったが、どのみち、栗山先輩には彼女がいるのだ。あああ。
「それがさ、北中のキャプテンだって。猫のように素早く人のあいだをくぐり抜けてシュートする、人呼んでモモキャットのユウコだって。これは横にいた本田先輩が教えてくれたんだけど」
北中はピンクのユニフォームがいささか派手な、女子バスケの強豪だ。そこのキャプテンかあ……悔しいけど、お似合いかもしれないなあ。
「ふふふ」
な、なんだよ今度はっ。
知子は、アルバムを何度も、品定めをするように見ている。
「愛だねえ、正利ったら」
愛だねって、もしや、正利には倒錯の傾向が? そんなばかな。
「正利は、美由紀のことになると一生懸命だよ。ほら、文芸部の部誌の春号、あれ見て正利、美由紀の作品のことばかり」
美由紀は、知子のいう意味がわからないまま、曖昧に相槌を打っていた。
「わかったんだよ、あたし。3回戦の会場で正利の真剣な顔見て。美由紀ちゃんの視線のつもりになろうとしていた。栗山先輩を見る美由紀ちゃんの気持ちになって、撮ろうとしていた、美由紀ちゃんが見たいと思う栗山先輩のプレー……想像だけど。たぶん、そうだよ、正利」
体育館から、バスケ部の部員がぞろぞろ出てきた。へとへとになっているのは1、2年生だ。先日の試合で引退した3年生は、あまり汗はかいていないようだ。
さばさばした表情の栗山先輩たちを眺めながら、美由紀と知子はしばらく沈黙していた。
本人はともかく、この写真の腕には、たしかに惚れこんでしまいそうだ。美由紀は自分の考えに心の中で苦笑しながら、正利の出方を待つよ、と知子にいった。この写真を返すときに先輩には失恋したからって言っとく。
「そっか」
知子は肩の荷を降ろしたように、ほっとした温かい笑顔を見せた。
やっぱり、知子は今、いちばんの友達。
孝司のことをほのめかそうかな、と思ったけれど、
「ねえねえ、美由紀ちゃんの失恋、次のお話のネタにしてもいい?」
えーっ、やめてよぉー。知子の意地悪!
こうなったら絶対、孝司とくっつけてやるからねっ。無理やりにでもっ。
(おわり)
放課後の教室で ― 2007/05/16 20:46:13
夏季大会の予選が終わって、体育系クラブの練習風景はどことなくのんびりムードだ。どの部も、県大会にも進めなかった。でも、弱小チームにもストーリーはあるんだからね。ミチは胸中で独り言をこぼしながら、敗れた試合で憧れの先輩が見せた涙を思い浮かべた。思い浮かべて、また泣きそうになった。校庭から、ファイトォー、ダァーッシュ、と掛け声が響く。放課後の誰もいない教室で、ミチはぼーっと時間を過ごしていた。
「おい、ミチ!」
クラスメートのトシだ。これ、見ろよと、同時プリントサービスでもらえるアルバムが、どさっとミチの前に置かれた。トシは鞄も置いて、一度廊下のほうをうかがいに行って、また戻ってきて言った。
「なかなかの出来映えなんだぜ」
トシに促されてアルバムを開くと、そこにはミチの憧れの先輩の雄姿がいくつも挟んであった。
「すごいじゃない。よく撮れたね。プロ並みじゃん、もしかして」
ミチは素直に感心して写真を褒めた。先輩はバスケ部のエースだった。写真は一回戦の試合を撮ったらしい。シュートの瞬間がいくつもある。ドリブルで走る姿にも、スピード感があふれている。楽に勝った試合だった。先輩にも余裕の表情が見える。
それにしても、いい写真だ。被写体が先輩だからではない。バスケの試合の臨場感がすごく伝わってくる。プロ並みというのは、お世辞ではない。
「その写真、やるよ」
「どうして」
「どうしてって……そいつのこと、好きなんだろ。まさか誰も知らないって思ってないだろうな。いつ告白するんでしょうねミチさんはって、みな噂してるぜ」
「うそ」
ミチは顔が真っ赤になるのを感じた。屈辱、というほどではないけど、恥ずかしかったし、なんだか少し悔しかった。
「勇気出して、告白しろよ。それ、お守り代わり。見てるとさ、勇気百倍って感じになるだろ?」
お守りだなんて。ミチはぷっと吹き出した。三年生の最後の試合から三日後、ミチは先輩に思い切って気持ちを打ち明けたのだった。けれど、玉砕。先輩には他校に彼女がいた。
「だから、もう、いいんだよ」
「そうなのか」
トシは、我がことのようにがっくりして、じゃ、こんな写真もう要らないんだな、とぽつっと言った。
「そんなこと、ないよ。そうだ、展示しなよ、廊下とかさ。もう少し引き伸ばすと迫力出るかもよ。あたし、写真部の先生に相談したげる」
いや、そんな、そこまでは、と遠慮するトシを真っ直ぐ見て、ミチは、トシの写真のおかげでふっきれたよと言った。
「ありがとね」
「……うん」
校庭から、練習の終わる気配がしていた。