それでも地球は回っている♪ ― 2007/06/15 06:48:58

(意外と愛想のないテンプレなので写真を置いてみた)
『天動説の絵本——てんがうごいていたころのはなし——』
安野光雅 著
福音館書店(1979年)
私がまだ小さかった頃、家の物干しから眺める空はとても広くて、星もたくさん見えた。視界をさえぎるビルやマンションや、牛乳パックみたいな3階建ての家もなく、甍の波のそのまた向こうに、町を取り囲む山並みが見えた。山の端(は)に金星が光ったり、赤い月が重そうにそのからだを浮かべたり、毎夜異なる表情を見せる遠くの低い空が好きだった。
もちろん、北の空にひしゃくの形なんかを確認したときは、思わずよっしゃと声を上げたものだ。私は、北極星を確認した記憶はないけど、北の高い空は、東西の低い空よりも神聖な場所のようになんとなく感じられ、簡単に星はその姿を誇示などしないのだろうなどと、自分で自分を納得させていた。
そんなこんなで星が好きになり、星のことを研究した科学者に興味を持ち、ガリレオの伝記を読んだりした。ガリレオ・ガリレイだなんてそんな名前つける親いるんだな、などと思いつつ。
(これについては、のちにあるイタリア映画の中で主人公が生まれた子どもが「ボナンノ・ボナンニ」と名づけていたのを見て、イタリアでは普通なのだということがわかった。)
小学校2年生のときに転校してきたじゅんちゃんと、私は大の仲良しになった。じゅんちゃんはたまたま私の後ろの席に座って、転校早々気分が悪くなったりして、何かと会話をする機会が多かったからだ。
じゅんちゃんはフォークグループの「グレープ」のファンだったが、さださんよりよしださんが好きだといっていた。でも、グレープが解散して、ソロ活動を派手に始めたのはさださんのほうだった。じゅんちゃんはさださんのLPは必ず買って、私に聴かせてくれた。
さだまさしのどのアルバムかもう覚えていないが、「天文学者になればよかった」という曲がある。彼にしては数少ないアップテンポの曲で、私は大いに気に入って、しょっちゅう口ずさんだものだ。特にいちばん最後のフレーズ。「君ーぃ、それでも、地球は回っているー♪」
ガリレオの台詞だ(といわれている)。
『天動説の絵本』は、天がまわっていると信じていた人々が科学によってその「常識」を覆されるまでの長いとしつきを、平易な文章でたどっていく。最初のページでまっすぐ平らに引かれた大地の線は、ページを繰るごとになだらかな曲線となり、やがて円弧になる。
星が好きで、何とか星雲は太陽系の何倍の大きさがあって、とか、銀河の中に太陽系のような恒星を中心にした環(わ)はいくつあるとか、そんな本を読みかじって知ったことを当たり前のように受けとめていた、私。
眼に映るとおりに空が動いていると信じていた人々が、自分が足を下ろしているこの大地のほうが動いているなどということを受け容れられるはずはなかった。それは、日本が第二次大戦後に浴びたイデオロギー180度転換の洗礼などとは比べものにならないほど、重大で恐ろしいことだったに違いない。
それこそ文字どおり、天と地がひっくり返るほど。
ということを、私は『天動説の絵本』で教わった。
自分たちで発明し開発した道具や機械でひとつ、またひとつと明らかになるにつれ、調べれば調べるほど信じていたものごとの根拠のなさが明らかになるにつれ、研究の喜びとは裏腹に争いや裏切りに疲弊した人々。
また、そのように命がけで闘った人々以前には、何も知らずにいてそれでも幸せだった人々もいた。
そういうことを、しみじみと改めて考えさせてくれた本である。
この本を手にしたときから、私は安野光雅大先生さまを敬愛し崇拝している次第である。