ひたすらお日さまがスキ!2007/06/27 15:21:51

お日さまをいっぱい浴びて赤く実ったいちご。


『ノアの子』
エリック=エマニュエル・シュミット著
高木雅人訳
NHK出版(2005年)


私は反米イデオロギーに凝り固まっているので、米国が全面支援しているイスラエルという国がこの世からなくなってしまえばいいと思っている(が、イランの、あの難しい名前の大統領を支持しているわけではない)。イスラエルという60年ほど前にできた国家の正式な国民とされている民は、かつて徹底的に迫害された民であった。しかし今は愚かにも迫害する側に回っている。が、それは、かつて自分たちを迫害した相手に対してやり返しているわけではない。この国が強引に作られる前からここにはパレスチナの民が生活を営んでいた。イスラエル国家はその民への迫害、殺戮を繰り返している。
イスラエルという国の存在を保ったまま、もし仮に米国が支援をやめれば、武器を補給できなくなるイスラエルはあっという間に窮地に追い込まれる。それをそのままほうっておけば周囲のイスラム国家がいっせいに攻撃を始めるだろう。
だから、まず「国家イスラエル」を解体する。なくす。代案は? ない(断言)。イスラエル建国以前の状態に戻す? それはそれで恐ろしいことになりそうだ(推測)。だが、なくす。「国家イスラエル」がなくならないと、あの土地に住む民は誰も、救われない。ユダヤ人も、パレスチナ人も、だ。もう誰にも、理不尽な死に方をしてほしくないのだ(真剣な希望)。


ベルギーに住むユダヤ人のジョゼフ、7歳。1942年、ナチスに追われて両親と引き離される。キリスト教神父、ポンス神父のもとにかくまわれ、神父を父のように慕って育つ。《多感な少年時代を過ごした教会は、まさしく洪水に見舞われたユダヤ教を救うために神父が作ったノアの箱舟だった。》(カバー見返しより)

数年後、両親と再会したジョゼフは神父のもとを離れてブリュッセルに帰る。バル・ミツバ(ユダヤの成人式)に出ろという父に、ジョゼフは嫌だという。カトリックに改宗したいからだ。ジョゼフは父から強烈な平手打ちを食らう。ポンス神父のもとで、カトリックの教会で過ごした日々、ジョゼフは純粋な信仰の気持ちを持っていた。神の姿すら、見た。心に素直に従えば、それはユダヤではなくてカトリックなのだ。しかし、けっきょくジョゼフは両親に逆らわず、改宗もせず、成人式にも出た。父の事業を継ぎ、家を繁栄させた。

最終章は、50年後のジョゼフが語っている。あの教会でともにかくまわれ、子ども時代を一緒に過ごしたリュディがいう。「(……)ジョゼフ。おまえ、子どもが何人いる? 四人だろ。孫は? 五人だ。おまえひとり助けることで、神父は九人助けたわけだ。おれんとこなんか十二人だよ。(……)何百年もしたらな、神父は何百万人も救ったことになるんだよ」(181ページ)
だがリュディはイスラエルに住み、パレスチナへの攻撃を正当だと信じて疑わない。
「平和を勝ち取る一番いい方法が戦争だってこともよくあるのに」(183ページ)
ベルギーに住むジョゼフには、そんなリュディの考えは受け容れられない。だが、どうすればいいのか。その答えは出ない。だが、ポンス神父がしたように、傷つけられる者たちに寄り添い、彼らの存在の記憶を後世へ遺したい、と思っている。

【ここで自慢】
訳者の高木さんはお友達だもんねー♪ 一緒に仕事したことあるもんねー♪ 高木さんの奥さんと大学で一緒だったもんねー♪ へへーん♪♪♪

というわけなので、本書は、訳者の高木さんからいただいた大切な大切な一冊である。だが、宗教アレルギーで、冒頭に述べたような考えを持つ私は、『ノアの子』と題された本書の中身が恐ろしくて素直にページがめくれなかった。
しかし、物語はユダヤ教やキリスト教礼賛の話では、もちろんない。高木さんは「訳者あとがき」で「シンプルな真理にふれる喜び」と表現されているが、まさにそのとおりなのである。何を信仰の対象とするか、問題はそのことではなく、人間として行動をとるときに道しるべになるものは、つきつめれば誰もが行き着くはずの真理のはずだ。シュミットはそういうことを伝えたかったのだろうと思う。

ジョゼフが7歳のところから始まり、ジョゼフの一人称で物語が進む本書は、子ども時代に多くのページを割いていることもあって、言葉も平易なので、小学校高学年でも読めるかもしれないが、歴史的な背景があるので、中学生以上のほうがより理解して読めるだろう。読んでほしい。関心を持ってほしい。歴史にも、あの地域にも、現状にも。


娘はお寺の保育園に行っていたので、けっこうお釈迦様に信心している。もちろん、我が家には仏壇も神棚もある。私はそれを排除する気はまったくないし、娘が仏教徒であっても構わない。でも葬式にはお坊さんを呼ばないでくれといってある(笑)。私は千の風にはならないけれど、雲ひとつない紺碧の空のもと、太陽の照りつける海面に向かって骨を投げてくれ、そうしてくれたら永遠に君を見守るよといってある。娘はひと言、めんどっちいからヤダ、とぬかしおったが。
私はお日さまと海が好きなのだ。