この草の本名は2007/07/05 15:56:25

よくそこいらで見かける、螺旋状に花をつける小さな雑草。名前知ってる人、いる?


『チェルノブイリの森――事故後20年の自然誌――』
メアリー・マイシオ著
中尾ゆかり訳
NHK出版(2007年)


この本、今日が二度目の返却期限だと気がついて、慌てている。
図書館へ行っては大量に借りてきて、読了できないで返す本の多いこと、多いこと(あ、でもこの本は読んだよ!)。読書家ぶってみようと思ったけど、早くも挫折気味。何に対する挫折かって? このブログ。

「またチェルノブイリ?」
「うん」
「きょう山田さんがさ」
「うん」
「タケシに変なこといわれて」
「うん」
「やめてっていってもタケシが続けたから」
「うん」
「筆箱からカッター出して刃をタケシに向けたんだって」
「いーっ」
「ちょっと、こわいよな、山田さん」
「うん」
「ね、それでどうなったの、チェルノブイリ?」
「うーん……」

ごくたまに早く帰宅して少し時間があると本を読む。だがごくたまに早く帰宅した私を娘はほうっておかずに、報告攻めにする。学校では実にいろんなことが起こっているようだ。だから漏らさず、聞く。そのせいで、目で追った活字は頭に入らない。書物の内容にもよるんだけど、本書のような、カタカナで書かれたなじみのない物の名前と放射性物質の用語が、普通の、たとえば「朝起きて、パンを食べた」みたいな文章に織り込まれた内容だと、よけいに頭に入らない。
娘は、自分がけっして母の読書の邪魔をしているわけではないということを確認するかのように、必ず、自分の話のあいまに本の内容について聞く。でも、頭に入ってない母はナマ返事をしたりする。

小児性甲状腺癌患者の子どもたちが描いた絵を集めた、子ども向けの画集があって、それを見ながらチェルノブイリ原発の事故について話をしたことがあった。だから、人がいなくなったこの地域に野生動物の森が展開しているという、本書のおおざっぱな内容を話すと大変びっくりしていた。
「それで、そこにいる鳥や動物は大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないのもいるみたいだけど、だいたいは大丈夫みたいよ。ただ放射能汚染はされてるから、つかまえて食べたりしないほうがいいみたい」
「ふーん」

チェルノブイリとは、ウクライナ語のチョルノブイリをロシア語ふうに変えた言葉だという。原発が建てられ、事故が起きたのはソ連時代だったので、「ロシア語チェルノブイリ」の名が全世界に広まったが、そこが当時から独立したウクライナ共和国だったらチョルノブイリと呼ばれていたのだろう。
そして、なぜ、ウクライナのこの地域にチョルノブイリという名前がついているかというと、チョルノブイリと呼ばれるたくさんの草が自生している土地だからだ。
《ポレーシェ地区にあるチョルノブイリという十二世紀の町はこの植物にちなんで命名され、この町名がやがて、およそ一二キロ離れた二十世紀の原子力発電所の名前になった。》(28ページ)
チョルノブイリはニガヨモギに大変よく似ているが、違う植物だという。

学名アルテミシア・ウルガリス=チョルノブイリ
学名アルテミシア・アブシンチウム=ポリン(ウクライナ語)=ニガヨモギ

両方とも苦く強烈な匂いの薬草で、天然の防虫剤である。とりわけポリン(本物のニガヨモギ)のほうが苦みも毒性も強いという。動物はけっしてかじらない。葉に含まれる物質が土にしみこむと、もう他の植物はけっして生えない。
だから聖書ではニガヨモギが終末の象徴の名前に使われたといい、事故当時、世界の人々はチェルノブイリ原発の名とニガヨモギをセットにして終末を迎える前兆だと騒ぎたてたそうである。知らなかったけど。
確かにソ連は終末を迎えた、と著者は記している。

さらに、黙示録に出てくる「苦よもぎ」はまた別のヨモギ属の植物を指している可能性が高いというから、話はややこしい。聖書オタクや終末論オタクに任せよう。

くだらないことに行を割いたが、本書の価値はチョルノブイリとニガヨモギの違いを解説してくれたことにあるのではなく、事故後の土地がどのように変化してきたのかを、とりわけそこに棲む野生動物やうっそうと繁る植物の姿を通して語ろうとしていることだ。

放射性核種とは放射能を持つ原子核のことだが、その種類はまたたくさんあるそうで、本書ではとりわけセシウムとストロンチウムについて詳述されている。セシウムはカリウムに、ストロンチウムはカルシウムにそれぞれなりすまして植物の体内に難なく入り込むという。そのせいで植物が奇形化するかというとそんなことはあまりなく、果実や葉に高い放射線量が確認されるだけだ。このような放射性核種はどんどん移動してあちこちの植物に、土壌に存在しているという。

放射能で汚染された土地に現れた野生の森は、けっして、安物のSFで描かれるような奇怪な生物の跋扈する世界ではなく、確かに身体は高濃度の放射線量を示すけれどいたって元気な普通の在来種が繁栄しているのである。それどころか絶滅危惧種に指定されていた鳥類や哺乳動物が半端じゃない個体数で確認されている。
科学者は、絶滅から救おうとして保護していたある種の動物をこの森に放し、数を増やそうとしている。本書では、ウクライナのあるセンターで保護してきたモウコノウマ(蒙古野馬)というウマ科の希少種をこの森に放して観察している科学者の話も出てくる。

哺乳動物と同様に、魚の変異体や奇形も見つかっていない。野生で生まれたとしても生き長らえることができずに死ぬということらしい。
《湖は放射能で汚染されている。(……)水中でくらす植物や動物はぴんぴんして生きているし、人間の邪魔が入らないぶんだけ事故が発生していなかった場合よりも数が多いかもしれない。私はベラルーシで復活した――そして放射能にたっぷり汚染された――ピート湿地を思い出した。あそこは水鳥にとって美しい、魅力的な土地になっていた。》

ソ連の当局は1986年4月26日未明の事故発生を、翌27日スウェーデンに指摘されてもしらばっくれて、ようやく28日になって公表した。現地では、全住民が一時避難といわれて退去したが、けっきょく戻ることはなかった。原発従事者のベッドタウンだったプリピヤチの町はゴーストタウンと化し、この町で結婚しあるいは離婚した夫婦の記録や生まれた子どもたちの出生届などの書類は、廃墟となった役所に今も、誰も手をつけないまま放置されている。

思い上がった人間が地球につけた取り返しのつかない深い傷。
その自惚れた人間に、自然は底知れない力を見せつける。
それが地球の大自然がもつ、本物の自浄能力だといいのにな、と思った。
人間が、傷めつけて傷めつけて、ぼろぼろにしても、おのれの力で再生する。チェルノブイリの例が、地球のそんな自己主張だといいのにと、ものを知らない少女のような考え方をしてみた。
だってむずかしかったんだもんさ。