しばし立ち止まれ14歳!2007/10/13 17:39:23

先月の陸上予選会。出場した6年生女子一同である。賞状を持っているのがさなぎ。


『いじめ 14歳のMessage』
林 慧樹 著
小学館(1999年)


本書は、著者の林さんが本当に14歳のときに書いたもので、「第18回パレットノベル大賞審査員特別賞受賞作品」だそうである。林さんは小学校6年生のときと中学生のときにいじめを受けたが、そのときの辛い経験をもとに書いたのがこの小説だ。自分の経験をもとにしているけど、物語は一人称ではなく「彗佳(すいか)」という名の主人公をたてている。
中学生の彗佳。クラスでは、町の実力者の娘である陽子らが、理由もなくふざけておとなしい千夏をいじめていた。陽子と自分は仲良しだと思っていた彗佳は、あまりの様子にもうやめたらと言うが、その翌日から彗佳が陽子らのターゲットになる。いじめはあっという間にエスカレートするが、気づいているはずの教員らは見て見ぬ振りをする。ほかのクラスメートも知らんぷりだ。彗佳にとって辛かったのは、千夏が陽子らの仲間になっていじめる側に回ったことだった。彗佳は身も心もぼろぼろになっていくが――。

14歳の小説であるからして、「勢いにまかせて書いた」感あり、描写がだらだらとしつこい箇所ありで、たしかに幼さや未熟さは否めないけれど、いじめられる側の心情を吐露した素直な文章である。といって、被害者感情むき出しの「訴え」「叫び」ばかりでなく、客観的に状況を語るところもあって、著者が小説としての形態を整えるのに苦心した跡も見受けられる。
文学作品というよりは、中学生の長い手紙といっていい。この年頃の子どもの気持ちに寄り添いたいと思う人なら、読み甲斐があると思う。

この本、たしか1000円もしなかった。まだウチの子は保育園児で、「いじめ」も「14歳」もまだまだ遠い遠い彼方にあった頃、たぶん世間で何か起こっていたのだろう、私は書店で発売されているのを見たとたん衝動買いしている。
素直な文章はストレートに語りかけるけれども、先に述べたようにだからといって何度も読んだり、熟読して味わうような類のものではないので、私は一度読んで、娘の書架にねじこんだままほうっておいた。

やがて娘が小学生になり、少しはニュースを理解できるようになると、この本のタイトルの「いじめ」が目についたようだ。だが残念ながら小学校低学年に中学生の語彙は難しすぎた(苦笑)。
やがて進級し、自分も学校でろくでもない被害に遭うようになり、また「金八先生」なんて類のドラマを見るなどして再び本書を手に取るが、読書癖がついていなかったため冒頭の2、3ページで即眠くなり断念(泣)。
だいたい、ワクワクするような文体ではないので無理もない。読み聞かせを試したが、ほんの数行で寝るのでやめた。

しかしである。
昨日、とうとうウチの子は本書を読み終えたのである。
しかも読み始めてから4日ほどである。早いではないか。
おまけに「これ、途中ちょっとだらだらするよな」などと生意気をほざくのである。

陸上の練習に明け暮れた夏休み。休みが明けて、これは推測だが、娘のクラスメートたちはたぶん「読書ノート」にぎっしりと「成果」を書き込んで登校したに違いない。
2年に一度配布される読書ノートに、「読んだ本」として書き込まれるタイトル数が二ケタに達したことは、娘の場合、自慢ではないが、いまだかつてなかった。しかしクラスメートの中には読書ノートが「1冊では足りない」子がいくらもいる!
というわけで、あたしも読むぞ!という気になってくれたのである。
喜ばしいことである。
かくして、5年生のときにもらったそのノート、6年生の8月の終わりまで2、3冊しか記入がなかったのに、10月初めで30冊に達しようとしている。天変地異の前触れかもしれないので皆さん要注意である!

本書の前には、前回紹介した『12歳たちの伝説』を読んでいた。(全巻読破はまだだが)
どちらかというと、軽い探偵ものやミステリー、ファンタジー系を好んで選んでいたが、この『12歳―』を読んで、リアリティへの関心も向いたようである。よしよし。

「先生たちが、ひどいよな」
というのが、読後感想の第一声であった。本書で描かれる学校は、まったくただの器でしかなく、教員は機械人形でしかない。いじめの被害者からはそのようにしか見えないということであろう。

「自分が何やってるか、って途中で考えないのかな」
というのは、陽子たちの暴言、嫌がらせ、暴力行為に関する感想である。

途中で、止まれないのかもしれない。
12歳なら、まだ怖気づいたり、躊躇したりして立ち止まれるところで、14歳はもう止まれないのだ。暴走してしまうのである。いじめられる側すらも。
でも、止まってくれ。
その一歩、踏み出す前に。
もう一度、前を見て。周りを見て。
振り返って後ろを見て。視線を落として自分の足元を見て。

立ち止まったからって成長は止まりやしない。だから安心して、立ち止まってみてくれ、14歳!

コメント

_ おさか ― 2007/10/13 20:23:43

14歳のころを思い出してみた。
イジメはあった、確かに。男子の間で体操服を隠す、水に濡らす、というのは聞いたことある。女子では主に「シカト」。特に意味もなく、リーダー格の女子を中心に誰かをシカトする(ちょっとムカつく、とかその程度の理由)上級生が生意気な下級生を呼び出す、というのもあった。翌日あごの辺りにバンソウコ貼ってた子もいた。

けど、やっぱ服をズタズタに切るとかいうのは、なかったなあ。

あの、盗撮ってあるじゃないですか。知り合いの子どもの中学で、女子トイレや更衣室にカメラ仕掛けた先生が捕まったんだけど、ああいう犯罪こそ
>「自分が何やってるか、って途中で考えないのかな」
ですよね。カメラを買って、テープ入れて、ケーブルつないで・・・・ってやってる間に我に返らないのかと。

大人も子どもも「誰も見ていない状態ならOK」になっちゃってる。「お天道様」がいなくなっちゃってるんですよね。そういうことしてる自分だけが自分じゃないんだ、止められる自分もいるはずなのに。

教師たちは、思うに、純粋培養すぎるんですよね。人の悪意というものがどういうものでどんな影響を及ぼすかって、わかってる人少ない。たいしたことじゃないと思っている。それほどひどいことはないだろうと。
子どもの世界を全部見ることは不可能だけど、現場でちょっと「知ってるぞ」とプレッシャーかける、カマかける、だけでも全然状況は違ってくるのに、そういう「腹芸」ができない。あきまへんなあ。子どもは確かに単純でかわいいものだけど、逆に歯止めをどっかでかけないと暴走して大人の想像もつかないところにまで行ってしまうもんです。はー。頑張ろうあと十年(くらくら、ばたり)。

_ ろくこ ― 2007/10/13 21:17:24

なーーんとなく気が狂いそうになっちゃう話題

グループにわけて作業するのも
コミュニケーションがとれないので難しい状態
教師も孤立しているのでは?と思います
みんなばらばらなのかなぁ

_ 儚い預言者 ― 2007/10/14 05:48:41

 個と全の関係とは。
 孤独、不足を補うとは、どういう意味か。
 意識の領域に遮断しているものは何か。

 すべてはひとつである。あなたはわたしである。わたしはあなたである。

 どうしても個々の夢を見て、「私」の感覚、意識、目的を発見したいのだろうか。そうしてどうしてこの「私」を嫌悪しているのだろうか。

 分かち合うことの喜びを忘れて、奪う制限の夢をどこまで拡大したら気が済むのだろうか。

 時間軸は夢であり、空間枠は遊び場だ。もう苦しみと楽しみを大いなる喜びから反映させることを求めなければいけないのだろうか。

_ midi ― 2007/10/14 07:34:02

おはようございます。
疲れがたまって、しんどいです。

おさかさん
この本に書かれてる「陽子」たちのいじめ方、なかなかすごいです。真っ向正面からの暴力と陰湿な嫌がらせの両方あるの。こんなこと本当にあるのかと思ったら、こないだウチに来た若い友人の新しい彼女(18歳)が自分の経験として同じような話をしてた。あるんですよね。
私が14歳のときは、学校は別の問題が山積中でしたね(笑)。

ろくこさん
で、今は今で、この本とは別の状況でしょうね、学校は。
今月あった陸上競技の記録会は市内の小学校の教員が記録員として大量動員されたんだけど、子どもたちいわく「絶対ストップウォッチ押すの、下手!」。お気の毒です、今権威も尊敬も何もないからね。何も。

預言者さま
いじめは「全」が「個」を支配しようとして生じた歪みという産物でしょうね。今、「全」は「個」を支配できなくなっていますから、「個」と「個」が衝突するしかない。しかし衝突は不快なものだから避けるようになり、「個」は互いに関わることを止めるんですよね。制御の効かなくなった各「個」が跋扈するというわけです。

_ ヴァッキーノ ― 2007/10/14 08:24:23

ボクの小学校には、実際スイカって女の子がいて、スイカ割りとか言って叩かれてました。
ひでぇなぁと思ったものの、下級生だし、まぁ、その程度。
しかし、14歳って昔でいったら何がありますかね。
舞鼓さんとかだとお客の前に出る歳ですかね。
女郎宿だとお客を取る歳かもしれないし、結婚する人もいたでしょうね。
だから、大人なんですよ。もう。
大人なのに子供としての地位に甘んじてるからおかしなことになるんじゃないですか?
小学を卒業したら、大人として扱う方がいいですね。
ボクはどちらかといえば、イジメにあう方でしたから、何かあると自分が悪いんじゃないかって思う癖がついてしまってダメなんですが、それでもなんとか結婚して子供もいて、親から自立して生きているわけで、当時ボクをイジメたヤツは、車に撥ねられて死にましたから、それはそれでいいんです。
でも、たまに夢を見ますね(笑)

_ midi ― 2007/10/14 16:14:24

ひところ、アダルトチルドレンという言葉がよくいわれましたが、あれはどういう人たちを指すのでしたっけ? 幼少時の虐待による傷が癒えないまま大人になった人、でしたっけ?

「大人として扱う」には、扱い手が大人であることが求められますよね。国民総ティーンエイジャー化しているような気がしなくもない昨今。子どもを大人として扱うべき大人がいつまでも子どものままだから、大人として扱われるはずの子どもは大人の何たるかを学べるはずもなく、ただいつまでも子どものような大人のエラそばる態度ばかりを真似するしかしかたなくて、結局子どもは大人ぶりっこの子どものままで、大人はしつこく子どもっぽいままの大人であるという、ことですな。

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