窓の外は雨2007/10/23 19:13:47

 押すとカランカランと音の鳴る古いタイプの扉。開けると黒いチョッキに蝶ネクタイを締めた店員がいらっしゃいませと礼儀正しく挨拶をした。入り口近くの喫煙エリアを通過して奥の禁煙エリアのさらにいちばん奥まったテーブルに着く。挽きたてのコーヒーの香り。携帯していた本を開いて物語を目で追っていると懐かしい歌が耳に飛び込んできた。

 誰もが物語 その一ページには
 胸弾ませて 入ってゆく

 イルカという名の女性フォークシンガーが歌って大ヒットした『雨の物語』。彼女のコンサートには何度も足を運んだものだ。初めて行ったコンサート会場は町にある公営ホールの中でも最も小規模だったが空席がちらほら見えていた。チケット発売日からずいぶん日が経っていたのに入手できたことを覚えている。しかし二年もしないうちに再びこの町でコンサートがあるという広告を見たときは発売日前日の午後から徹夜で並んでようやくチケットを手に入れた。彼女の人気はうなぎのぼりだったのだ。
 最後のいっとうお気に入りの箇所「幾筋もの雨が君の心の曇りガラスに」を聴き届けるとなぜだか次々と懐かしい歌が脳裏に浮かぶ。

 ロートレックのおなじみのポスター
 常連達の吐息と煙草の海
 喘ぐように泳ぐレコード

 さだまさしの『たずねびと』だ。一番の歌詞には「アメリカン」が出てきて二番の歌詞には「水割り」が出てくる。昼間は喫茶で夜はバー。昔はそこらじゅうにあった店のタイプだ。「煙草の海」も「泳ぐレコード」も今はない。

 遠くで暮らすことが
 ふたりによくないのはわかっていました

 十三の誕生日に買ってもらったフォークギター。なんとしても歌いたくて懸命に練習したのが井上陽水の『心もよう』だった。愛さえあれば離れていたって平気なはずと歌の中身に反発しながら。初めてコーヒーをブラックで飲んだのもこの頃だ。

 ふと聞き耳をたてると店のBGMが最近のJポップに変わっている。

家庭教師2007/10/23 19:42:22

 中学二年の二学期の終わり、私の母は学校に呼び出され、担任にこう宣告されたそうである。「お嬢さんの今の学習態度では公立高校は無理です」。当時公立高校は軒並みレベルが下がっていて、「普通に」勉強していれば「誰でも」合格できると評判だったから、とても子どもを私立にはやれない家庭の親は皆ほくそえんでいたはずである。なのにそんなことを言われて、母は「ほんとにびっくりしたわ」と言った。私は内心そりゃそうだよなと思った。小学校のときから五段階評価で「五」しか取ったことがなかった通知票は、中二になって「三」が多数派を占めるようになっていた。中一までは勉強しなくても授業を聞いていれば「五」だったが中二になってから授業を聞いてもわからなくなり始めていた。私の中でやばいかもというシグナルは点滅していたけれど、定期試験前にがががっと勉強すれば及第点はとれたので気にしないことに決めていた。塾に行くかと母は尋ねたが、私はレベルの低い公立に滑り込むためにどんな塾へ行けというのだと思って返事ができなかった。母はすでに二人の子どもを大学に送り出していた実兄を訪ね、対策を相談したらしい。やがて、中二の二月頃から我が家に家庭教師が来るようになった。
 佳子さんというその大学生のお姉さんは、私が言うのは大変生意気だが、容姿も話し振りも可もなく不可もなくといった感じであった。しかし教え方は非常に上手であったのだろう。中学一、二年の復習を終えて三年の範囲を学習したあと、夏休み頃には難関私立高受験用の問題集にとりかかるほどであった。佳子先生は母に自分の出身校でもある女子高を勧めます、と言ったそうである。女の園と制服のある学校は私にとっては論外だったので、ある日、「これ以上難しい問題はしなくていいでしょ」と言い募った。すると佳子先生は少し悲しそうな顔をして、それもそうねと自身に言い聞かせるようにつぶやいた。
 佳子先生が来る日には、少し上等のコーヒーとケーキを用意してもらえた。将来何になりたいの? 画家よ、サラリーマンは嫌。あら、サラリーマンも悪くないわよ。そんな会話をした。珈琲の香りを嗅ぎながら、先生の彼氏がサラリーマンなんだろうなと少し大人びた想像をした。
 レベルの低い公立高に楽勝で合格した私に、佳子さんは私が以前欲しいといった高村光太郎の詩集をお祝いに持ってきてくれた。「悔いのない高校生活を過ごしてね」。佳子さんは私の手を握ったあと母に深々とお辞儀をして、さして上等でもない我が家の玄関の扉を丁寧に両手で閉めて、帰っていった。

ツダとダン2007/10/23 20:02:12

 繁華街から少し外れたところに「ブラックコーヒーのうまい店」という枕詞のついた喫茶店がある。紅茶もジュースもメニューにはあるが、いちおうコーヒー専門店だ。店名はシンプルにマスターの苗字で「ツダ」。「ツダ」の狭いカウンターには、いつも常連がひしめいていた。扉を開けると煙草とコーヒーの混じった空気がむあっと吐き出される。それをくぐって「ちは」といい終わらないうちに「ブレンド」というのが私の慣わしだった。そうしてたびたび店に足を運んでいるにもかかわらず、マスターもマダムも私を覚えてくれなかった。ブレンドコーヒーが運ばれてくると必ず「お客さん、お砂糖もミルクもお好みで入れてくださっていいっすが、最初のひとくちだけでもブラックで味わってくださいな」とおっしゃるのである。初めての客に必ずいう台詞なのだが、私は行くたびにそういわれて、そんなに印象薄いのかなとしょんぼりしたものだった。そういえばあの頃毎月髪型と髪の色を変えていたから無理もない、かもしれなかった。カウンターは常連が占拠していたとはいえ、わずかな数のテーブル席では物見遊山の客の出入りがひっきりなしであった。よほど毎日通わないと常連と認知してはもらえなかったのだろう。
 もうひとつ行きつけの店があったが、頻度は「ツダ」と変わらないけどそこのマスターは私の顔を見ると「お、いらっしゃい。今日もモカ?」と訊いてくれるハンサムダンディであった。私が入り浸っていた頃は「DAN」といったが、あるとき改装して「暖」になっていた。ああ、ダンはこのダンの意味だったのか、マスターが「団さん」てわけじゃなかったのね。でも、小さな変化だったけどどうも「暖」は違うような気がして、改装後のその店の扉を一度も開けたことがないのである。