娘の母の、ものがたり ― 2007/12/26 18:56:00
岩村暢子 著
勁草書房(2005年)
本書を「有意義に」読める人は限られる。
常連さんなら、おさかさん、ぎんなんさん、ろくこさん限定。
あるいは1960年以降生まれ(で、厳密には1968年生まれまで。私見だが)の女性のみなさん限定。(先のお三方でこの生まれ年にあてはまらない方がいらしたら、ごめんなさい)
なぜ上記の人々なら「有意義に」読めるかというと、本書は、1960年以降生まれの女たちの《母親》たちについてつぶさに書かれた本だからだ。
あなたのお母さんが、どのような時代にどのようなものを食べて生き、どのように結婚生活を送り子育てをして、あなたが成長したあとどのようにあなたとかかわっているか、が書かれている本だからだ。
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たとえば私の母。
母は、自分では気づいていないが、「新しいもの信奉者」である。とにかく「新しいもの」は他の何にも勝る、という考えが無意識に彼女の行動を規定する。古いものや手づくりのものは「もっさい」(今の全国区ワードでいう「ダサい」)。木箱や和綴じ本、職人が手彫りした人形、などは「古くさい昔のもの」としてどんどん彼女の周囲から消えていく。彼女にとってはスーパーで売っているプラスチックの事務用小引き出しや百円均一ショップのノートのほうが「新しくて便利で価値がある」。薄汚れてみすぼらしくなリ、実用価値がなくなったら速攻で捨てる。そのこと自体けっして悪いことだとは思わない。しかし、それはしばしば家族のほかの者にとってはかけがえのない品だったり、もうそれと同じものを作れる人間はこの世に存在しないといっていいほど稀少な品だったりするのである。
(……といったが、では母の部屋とか母の暮らしぶりがすっきりしていて無駄なものの何もないシンプルライフかというとけっしてそうではなく、百貨店などでもらった紙袋、包装紙、レジ袋など絶対に捨てることなくとっておくのである。←この癖は私にもある。娘にもある。我が家に伝わるDNA。)
たとえば私。
私は、古いもの、薄汚れたもの、見知らぬ人がその手で使い込んだもの(古本)あるいは手づくりしたもの(手芸・工芸品)などに惹かれるほうである。布や木の製品はプラスチック製品より気軽さや簡便さに劣る。古いものは、モノによっては使い途がない(レコード)。けれどそうしたものほど愛着が増す。というわけで私の好きなものは更新も廃棄もされずたまる運命にありがちだ。私は、昔愛読した本や雑誌のバックナンバーを読み、今は聴く術のないレコードのジャケットを眺めて、時代の空気の匂いを思い出すのが好きである。また、旧仮名遣いで書かれた童話の本などを古書店で見つけたら買わずにいられない。さらに、ウチには曽祖父の代に使用していたと思われる(今となっては用途不明の)道具などなどが残っているが、そんなの、ゴミに出すなんて論外!なんて思っちゃうほうである。
これらは我が家における私たち母と娘の例だと思っていたが、どうやらそうでもないらしいのである。
戦前または戦中に生まれ、戦中と敗戦直後を幼少期に過ごし、戦後民主主義の洗礼を受け、パンと脱脂粉乳の学校給食で育ち、サラリーマンの妻となり、「団地」に引っ越し、1960年代に娘を産み、卓袱台を捨て、「三種の神器」続いて「3C」を購入し、娘にはピアノやバレエなど「洋物」のお稽古事をさせ、その娘を少なくとも短大以上に進学させた。
私たちの母親世代は、個別に細かな差異はあるものの、おおよそ ↑ このような人生を歩んできた。農家に生まれて染め屋に嫁いだ私の母親の場合、上の【サラリーマンの妻となり、「団地」に引っ越し】と【娘にはピアノやバレエなど「洋物」のお稽古事をさせ】のところが違うだけである。
180度価値観の変わった世の中に生き、怒涛のように押し寄せる新情報新製品新生活様式を全身に浴びた。母親たちは先を争うように新しいものを試し、気に入り、取り入れた。その一方で彼女らは、生家の親から受け継いだはずのさまざまな事どもを、きっぱりさっぱりすっきり、捨て去ってきた。古いものに固執しないというのは、彼女らの世代に大なり小なり見られる傾向であり、その頭には、「みんながやっているからウチもそうした」「みなと同じほうがいい」という考え方と、「ウチはウチ、よそはよそ」「それぞれの考え方があるからそれぞれが好きな方法を採ればいい」という考え方が同居する。
このような母親に育てられた私たち60年代以降生まれの女は、強い自己主張をもち、そのときどきで行きたいほうへ進み好きなものを選び、バブルに乗じて金と時間と精神を浪費した。親にいっさい文句を言わせなかった。そして自立した(はずの)、家庭をもった(はずの)今も、親を頼りにしている。
私たちは60年代後半から70年代にかけて少年時代、青春時代を送った。そのノスタルジーは強烈で、急速なテクノロジーの発達のためにもう同じ方法では再現不可能になった数々の「文化」を、「デジタル」で残していこうと躍起になっている。三丁目の夕日だとかなんとかっていう映画をつくったり、仮面ライダーやその他もろもろかつてのヒーローを復刻させたり、懐メロコンピアルバムをつくったりしているのは私たちである。
本書には、こうした世代の娘をもつ母親たちの物語が浮き彫りになっている。調査結果をまとめたものなので、誰もが対象読者であるし、誰にでもわかりやすい。だが。
私は思った。「男にはわからない。わかってたまるか」
母たちの生き様は、娘の人生のありように光も影も与えるが、その与え方は、けっして「父と娘」または「父と息子」「母と息子」には起こり得ない、与えられ方になる。そのことはおそらく、「母と娘」にしか自明でない。母と娘の関わりは、ほかの誰にもわからないのである。
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この著者の名は最愛の内田樹のブログで見知った。アサツー・ディ・ケイ社の「200X年ファミリーデザイン室」という部署の室長さんらしい。本書以前に『変わる家族 変わる食卓』という本を2003年に出しており、本書はその続編という位置づけである。
『変わる家族 変わる食卓』は、アサツーが始めた1998年からの調査をまとめたものである。調査対象は、1960年以降生まれの主婦が作る家庭の食卓。
《1998年から始まったこの調査は、2005年6月現在で、総計151世帯、3171の食卓日記と五千数百枚の食卓写真、そして151人の現代主婦たちへの詳細な個別面接データを収集し分析》(1ページ)した結果をまとめたものである。
その「食の崩壊」の実態への反響は大きかったが、誰もが一様に示したのが「この本の主婦たちは特殊な成育環境にあったのではないか」という反応であったという。そして「この主婦たちの母親世代はきちんとした昔ながらの食事を作っていた人たちなのに」、なぜその娘たちはこんな食卓しか作れないのかという疑問。
著者はその疑問を解明せんと母親世代への調査を行ったのである。
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著者の「食」に関する調査は、とにかく食生活が危ないという危機感に立ったものであった。自分の娘の食事を同居の母に任せっきりの私など何も言う権利はないが、朝全然起きない、食事を作らないお母さんがいるということは、別の教育関係の本などで知っている。いちおう私は「朝食担当」なので、大人は後回し or 抜きでも、娘にだけは何でもいいから食っていけとばかりに、とにかく食べさせている。以前は朝に「ご飯」を食べたがったが、最近学校給食がご飯メインなので朝はパンを好むようになった。ワンパターンだが食パンやバゲットに卵やハムなどのおかずを組み合わせるローテーションで凌いでいる。むかしむかし、女優の秋吉久美子が出ていたCMに、赤ん坊にカップ麺を食べさせるシーンがあった。大好きな女優だが、そのシーンには激しい拒絶と嫌悪を感じたものだ。
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《幼稚園に行く娘(6歳)の朝食はカップ麺とプチトマト。「朝は起きられないし忙しいから食事の支度にかけられる時間は1~2分」》、7歳と6歳の子どもの昼食は《手作りカステラとカップ麺(……)「料理は手を抜こうと思えば抜けるから、できるだけ手をかけないのがポリシー。私がちゃんと手作りするのはケーキだけ」》(本書8、9ページ)
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古いものを捨て去ってきた母と、古いものの郷愁にいつまでも浸る娘。
それぞれが、程度は異なれど激動の時代を生きた。母と娘が対照的であること自体は罪がない。だが、本書で問題視されているのは、この二つの世代の間に、「食」の継承がいっさいなされなかったことなのである。
なぜ、そんなことになったのか。
本書を読めば、それがわかる。
母ちゃん、そうだったんだね、と、涙するもよし、そーだよ母ちゃんのせいなんだよ、と責任転嫁の上塗りをするもよし。
とくに、おせち料理に関する考察が面白い。あなたの母は、どんなおせちを作りましたか? そしてあなたは、どんなおせちを用意しますか? あなたは、どんなおせちが「伝統的」だと思っている?
崩壊した、と思っているモノの実体は、最初から幻想だったのである。
男にわかってたまるか。男たちよ、「食の崩壊」を嘆きたきゃ、嘆くがいいさ。私たちは「食の崩壊」の原因を「フロメシネルしかいわない夫」や「子どもの寝顔しか見ないお父さん」に求めようとは思っていないさ。
とりあえず今のところ、これは女に特有の物語だ。いつか同じネタで、男たちが「女にわかってたまるか」という日が来るかもしれないが(意外と早いかも)。