どしゃ降りの入学式だったので2008/04/08 18:45:26

式の後、各教室に入った生徒たちの机の上には、一年間で使用する教科書・副読本が約30cmの高さになって積み上げられていた。

小学校で遠足用に使っていたリュックサックを持っていったウチの子は、「入らない!」と私に目でサインを送る。私は防水加工をしてある大きなマチ付きお買い物手提げバッグと風呂敷をひらひらと掲げて「心配すんな!」とサインを返す。

親も子も解散となり、しつこく写真を撮ったり撮られたり、を終えてどしゃ降りの雨の中、それでも新しいクラスの雰囲気や担任の先生の話を口々にしながら、同じ方向の者どうし帰路につく。

30cmの高さにもなっていた本どもを、私と娘は半分こして持った。大きな合宿用みたいなリュックに全部詰めて背負うたくましい女の子も、もちろん男の子も、いた。
本来子どもにひとりで持ち帰らせるべきだろうが、ほうっておくとウチの子なんぞはいつまで経っても机の中につっこんだままにしかねない。配布される教科書の容量はあらかじめ〈保護者あてに〉連絡があったので〈入学式の日に持ち帰れよって話なのだろうと思って〉、二人で持ち帰ろうね、と約束してしまった。

しかし、あまりのどしゃ降りに、娘が背負ったリュックはかなりびしょ濡れになっている。私は手提げに入れる前に風呂敷で包み、その上に私物を載せ、かばんの口を閉じてしっかり抱えていたので心配なかったが、娘は風呂敷で適当にくるんでつっこんでいたからちょっとやばいなあ……と思っていたら案の定、リュックのほうの本のいくつかが濡れてしまって、一頁ごとに紙を挟んだり、ドライヤーで乾かしたりと、帰宅してからけっこうな騒動であった。それでも騒動は数分で済んだ。いちばん濡れたページが多かった英語の教科書は、一枚ずつ紙を挟んでおいたのが奏功して、翌朝きれいに乾いていた。

何人かの子どもたちが、大きなリュックでなく、私学の中高生が制鞄以外に持つサブバッグに似た紺色ナイロンの手提げかばんのようなものを持ってきて、そこに30cm分全部入れて、ひいひいいいながら持ち帰ろうとしていた。はっきり言うが大人でも一人で抱えて20分や30分歩くのは無理な重さである。
当然ながらどしゃ降りの中、ひきずるように持つそれらのかばんはとっくにびしょ濡れである。私は、帰路の途中で少し前を歩いていたゆうかちゃん(仮名)に追いつき、その荷物を一緒に持ってやったが、すでにナイロンバッグは“水も滴るいいカバン”になってしまっていて、中の教科書は悲惨なことになっているだろうと、悲しい気持ちになった。

新学期行事予定を見ると、翌日からすぐに授業が始まるわけでもない。
授業が始まっても、すぐにすべてを使用するわけでもあるまい。
たとえば初日に学校で記名を済ませ、数冊ずつ持ち帰る、ということにしたって今週末までには持ち帰れる。何も指導しなければウチの子のように何もかも机の中に入れっぱなしだったりするかもしれないが、声をかければいいのである。記名さえ済ませていれば、その教科書はどこにあってもいいのだし。
そのくらいの融通、利かせてもいいのになー。
「今日はこんな雨だから、教科書持ち帰るの明日でいいよ」と先生がひと言いってくれてもいいよなあ、と思った。
「今日はこんな雨だし、重いので、少しずつ持って帰らせてもいいですか」という親がいてもいいよなあ、と思った。

びしょびしょグシュグシュになって、いくら乾いたとしても、まっさらのぴかぴかの教科書には戻らない。
たぶん、親たちの中には「こんな雨の日に教科書持って帰らせるなんて言語道断だ、びしょ濡れになった教科書全部取り替えろー」という者が続出するであろう。
取り替えろ、くらいなら可愛い。本の破損具合にもよるが、使用に耐えないほどぐしょぐしょになったものは取り替えざるを得ないだろうし。
しかし、イマドキ、「びしょ濡れの教科書を乾かすのに何時間もドライヤーを使ったぞ、思わぬところで電気を消費したんだぞ、子どもは変わり果てた教科書にひどく傷ついたぞ、どうしてくれる、損害賠償せい」と怒鳴り込むツワモノクレイマーもいるはずだ。
いないかな?

私は教科書の中身には関心はないが、昨今こき下ろされている教科書だって、本である。本には必ずつくり手がいて、つくり手はその本の本としての姿をこよなく愛するものである。そのつくり手が真に本のつくり手であるならば、であるが。
私は、手縫いを覚えた頃から、母や祖母にもらったはぎれで教科書用のブックカバーをつくった。ブックカバーに守られていつまでも新品のよう……であるはずの教科書たちは、それでもぼろぼろになり、いつのまにかブックカバーもどこかにいってしまったりするのであるが、本とはそのように大変いとおしいものなのである、私にとって。

昨日の雨は、まったく罪作りである。