オサムのメグミ(4) ― 2008/04/10 20:38:47
巻頭
『あなたたちの恋愛は瀕死』川上未映子
まだしつこく「オサムのメグミ」とのたまうのですか、などとおっしゃらないでくださいまし。
わたくし、『文学界』という雑誌を生まれて初めて手にいたしましたの。
ほんとうに、触れたこともなかったんですの。
けれど、どこかで、広告かしら、
特集 小林秀雄 没後四半世紀
対談 「小林秀雄」とはなにものだったのか
橋本治
茂木健一郎
という文言を目にしまして、これは読まなくてはいけないわと、所用で足を運んだ図書館で、さっそく予約を入れましたわ。
まあ、そんな顔をなさらないでくださいまし。わたくし、雑誌だって図書館で借りることにしていますの。なぜって、わたくし、雑誌を捨てられないたちですから、でも雑誌は書架での座りが悪いので、つい平積みにしておきますもので、我が家の床という床の空いてる場所には古雑誌が積み上がってますの。ちょっと恥ずかしくて、よそさまに見せられませんわ。
ですから、もう買うまい、と決めたんですのよ、よほどお気に入りのものを除いては。
『文学界』にしても、同じような考えの方がいらっしゃるのか、けっこう順番待ちが長かったんですけど、ようやく借りてみて、あらためて思いましたけど、わたくしなどにはほんとうに読むところのない雑誌でしたわ、ほほほ。
橋本さんと茂木さんのお話は、『小林秀雄の恵み』を読んだ者にはべつに何も得るところのないお喋りで、読もうかどうか迷ってるかたには、はてさて、どう映ったのでしょうね、面白かったのでしょうか。わかりません。
ただ、ぷっと笑ってしまった箇所がありました。
それは、橋本さんがご自分の『窯変源氏物語』について話しているくだり。どなたかが『窯変―』を評して「(源氏物語って)ハーレクインだったのか、などと思った」というようなことを書いたそうなのです。
その書評を読んだ橋本さん、「じゃあ、アンタは今まで『源氏物語』がハーレクインじゃないとでも思っていたのか?」と思ったとか、そんなお話でした。
ごめんなさい、もう借りた本は返していますので、手許にないので正確な引用ができないのですけど。
奇しくも今、同志某おさっちブログで平成おばギャル版イケメン源氏とでも申し上げればよいかしら、面白い読み解きが展開していますけれど、実をいうと、なかなか、わたくしはついていけないんですの(笑)。
昔ハーレクインロマンスというシリーズが出たときに、流行に乗って何冊か読みましたけど、ナニをどう読めば面白く感じられるのかわからなくて、本を大切にいつまでも手許に置くわたくしですら、とっとと処分してしまったような記憶が。
『窯変―』よりも、本来は、原典のほうがよりハーレクインっぽいのですよね。それを気取りなくストレートに現代語に置き換えるために、橋本さんの施した工夫のおかげで、高尚な王朝絵巻にまつりあげられ手の届かない平安文学と化してしまった『源氏物語』は実はハーレクインだった、と気づいたかたが少しでもいらしてよかったわ、というふうに受け留めることにいたしましょう。
でも、このたび、「メグミ」はそれではありませんの。
巻頭に、芥川賞を受賞なさった川上さんの短編が掲載されておりました。
これが、くくくけけけと喉で笑っちゃう面白さ、なんですの。
初めて手にした『文学界』に、たぶんそこになければこれまた一生読むことのなかったであろう作家の珠玉の一編を読むことができました。これをメグミと呼ばずして何といいましょう。
文体は過去の自分を暴かれるようでなんだか好きになれないのですが、お話の展開のさせかたが、気に入りましたわ。
なんというか、とてもとても、イマの世の中、なんですわ、描かれているのが。
感心しましたの。
そうはいっても、だからって川上さんの本をこの先読むかと問われれば、まるで中学生のように「べつにい、どっちでもいいぃぃ」と、わたくしは答えるのです。
コメント
_ 儚い預言者 ― 2008/04/10 21:41:16
_ おさっち ― 2008/04/10 21:49:13
(爆
これカテゴリ名にすりゃよかった
そう、ハーレクイン・・・・って私ほっとんど読んだことないんだけど
どっちかというと
女の下世話な噂話と、親父の薀蓄話の宝庫ですね
紫式部はだいぶ年くってから書き始めたといいますが
うなずけます
酸いも甘いもかみ分けた親父の視点と
若いギャルの視点
人妻の視点
古参OLの視点
いろいろ混ざってます
原文と、直訳に近い現代語訳を見ながら書いてるんですが
おちょーさんのついていけない若者言葉が可笑しいくらいバッチシはまるんですよ、マジで
ついていけなーいって言わずときどき寄ってってくださいねー♪
そもそも私がこういうのに再びハマったのはおちょーさんのメグミなんですから(笑
_ コマンタ ― 2008/04/11 00:48:56
これはあくまで「文体」にかんしてですよね(笑)。
ぼくは同じ雑誌を
橋本さんたちとは別の対談が目当てで買ったのでした。
高橋源一郎がホムラさんのこと書いていましたね。
最近蝶子さんは、どんな著述家がご贔屓なんです?
_ midi ― 2008/04/11 14:04:32
「窯変」っていい言葉ですよね。かまへんと読んでしまった過去を持つ私が偉そうにはいえませんが(笑)。
おさっちさん
全部読んでますよ♪
更新お知らせメール受け取ってるし(^^)v
ちゃんと勉強した人の手にかかるとすごいなあ、たいしたもんだと感心しているの。
「ついていけない」は「コメントできない」と同義で、その原因はおさっちのブログではなく『源氏物語』そのものにあります。
早い話が、「この手の小説」から遠いところにいるもんですからね、感想の書きようがないんだ。だからどうした、としか思えなくて(笑)。
そういう私が『窯変―』を(全巻ではないが)読み進められたのは、橋本治が光源氏の一人語りの形式によるミステリー仕立てにしてくれたからだと思っています。
それはともかく、「ひかるのきみ」カテゴリ、応援してるのでどんどんいってくださいな! 「かおるのきみ」までいってくださいよ!
コマンタさん
>別の対談
あ、永井さんと川上さんのですね? 永井さんが最初のほうで「ぼく小説読まない」とおっしゃっているのを読んで「なんていい人だ」と思い、感動のあまりそれ以上読めませんでした(笑)。
>高橋源一郎がホムラさんのこと書いていましたね
はい。大変ムカつきました(笑)。あたしのヒロシの、あ失礼、穂村弘の文章を汚さないでよって思いましたよ。褒めてくれてるとわかっていても嫌でした(笑)。
私は高橋源一郎の小説は読んだことがありませんが、ああいうふうなエッセイや新聞コラムなどはたくさん読んでいます。で、いつも胸の裏側にざらつきを覚えるというか、不快感が残って終わります。なぜなんでしょうね。でもきっと、彼の小説はすごく面白いのだろうなと思います。私がいいなあと思う小説を書いた人って、エッセイはたいていダメ、というか下手、というか、そういうケースが多いので、高橋源一郎も小説を読むとエッセイの不快感に目をつぶる気になれるかも。
>どんな著述家がご贔屓
井上荒野ですね。新聞に連載しているエッセイは秀逸です。ということは、彼女の小説、私にとってはつまらないかもしれませんね。
_ おさか ― 2008/04/11 21:30:05
てっきりちょーこさんに見捨てられたかと(笑
「かおるのきみ」かあ、あいつ嫌いなのよね。優柔不断のくせに自己チューだしやたらプライドだけは高いし、結局関わった女全員不幸にしちゃってるし。・・・・・と書いたら無性に書きたくなったりして。でもまだまだ先っ
私以前、山崎ナオコーラさんのエッセイすごく好きだったんですが
小説は読んだことなくて
その説を確かめるために読んでみようかしらん
確かに両方うまい人ってなかなかいないかも、ですね
高橋源一郎さんはいっこだけ読んだことありますが
ぜーんぜん内容覚えてない(笑
_ ろくこ ― 2008/04/11 21:54:57
文学界、なんだか垢抜けたデザインの表紙になっていて
びっくりしたんですよ
川上未映子さんがのっておったのかーー
川上さんといえば
烏丸COCONにきはるみたいで
トークイベントみたいなんですよ
shinbiで
おもしろそうやな、と思ったら満員でした
あと、おさちんの書いている山崎ナオコーラですが
私の中で彼女は空前の大ブーム
(こういうのよくある)
エッセイも小説もいいですよ
でもやっぱり「人のセックスを笑うな」がいいです
まずそれからおさえてください
名前がいいですよね
言語センスがものすごく高い人だと思うんですね
川上さんはどうなんだろう
乳と卵は読んだのですが
きちんと計算して書ける頭のよい人でプロっぽいと感心したんです
でもちょうこさんの感想だと
なんだかおもしろいなーとおもいつつ読めそうな新作ですね
読んでみます
_ コマンタ ― 2008/04/12 01:52:09
コホン。……失礼しました。
穂村さんのエッセイは抜きんでていますよね。
いずれ小説を書くでしょうけど、どんなものになるのか、
ぼくには想像がつきません。
高橋源一郎については
>胸の裏側にざらつきを覚えるというか、不快感が残って終わり
>ます。
というのはたしかにありますね。
あくまでぼくの印象ですが、
彼は言いたいことをストレートに書きたくないんだと思います。
小説をもし読めば、
エッセイ以上にざらつきをおぼえるのではないでしょうか。
それはべつにして、
「博士の愛した数式」に使われたのとおなじ素数ネタを使って、
高橋源一郎が書いているんですよね。「博士」よりまえに。
(ぼくは高橋の方が好みでしたが、これは好みの問題です。)
小川洋子はたぶんそのことを知らなかったと思う。
それからこれも脇道にそれますが、小川洋子といえば、
ぼくが読んだ高橋源一郎の小説のなかで、
一番すきなのが「ヨウコ」というタイトルなのです。
でも、まちがっても読まないでください。
そういう内容なんです(笑)。
井上荒野のエッセイって、日経でしたか。
なにか文学的にものを見ているのがわかって、
あまり感じるところがなかったけれど、
今度見つけたら注意して読んでみたい気がしています。
井上光晴の娘さんですよね。
井上光晴のことを埴谷雄高が天才といっていたらしいですけど、
ぼくは学校時代に「明日」というのを読まされただけです。
たしかに、エッセイと小説との読み比べはおもしろい。
エッセイは小説のように、小説はエッセイのように(書け)、
ってむかしは通り言葉のようにいわれてたようですけど。
志賀直哉の小説なんてみんなエッセイとして読まれそうです。
現代の作家でも、古井由吉のなんて小説に思えないし(笑)。
小林秀雄の「蛸の自殺」とか「女とポンキン」とか
むかし読みましたが、これが小説? てな感じです。
フランスなどでは、物語の復権がいわれていると、
先日ニュースで流れていました。
_ midi ― 2008/04/12 12:59:48
私の周囲にも薫は嫌いって人多いです。「宇治十帖」の部分は別の作家じゃないかという説もあるそうで、だとしたら、もう書くの嫌になっちゃって止めちゃったのかなあ、光源氏編にあるような輝きや人物への深い思い入れが感じられないし、と素人にすら思わせる終わりかたですよね。
ナオコーラちゃん、ですか。最近初めて彼女が書いた短エッセイを目にしました。次のエントリで触れますね。
小説とエッセイの関係は、あくまで私の好みだけで申し上げていますのでごくごく狭範囲にしか適用されませんですよ。
両方上手な人だって、きっといますよ。
ろくこさん
>きちんと計算して書ける頭のよい人でプロっぽいと
小説家とは、皆そうでなくてはいけないのではないですか? そうではない人は、消えていく運命か、あるいは、なーんにも計算せずだだだっと書いてもすごいもんを書けてしまう天才か。たとえば誰なんだろう?
コマンタさんに突っ込まれたけど、川上さんの『あなたたちの―』は、ほんとに、「ミエコさんアンタあたしの古いノート盗み見たわねっ」といいたくなるような文体でした。そんなはずはないのにね。他の作品はわからないけど、もう近寄らんとこ、という気にさせました。川上さん、ごめんなさい。
コマンタさん
>想像がつきません
同感です。でも、書いてほしくないなあ、小説なんか。歌がすごくいいもん。
高橋源一郎については、たぶんデビュー間もない頃の作品か、または何年かのちに彼が亡くなったときの遺作を、私自身が死ぬ前に読んでもいいかなという気でいます。エッセイは好きじゃないとはいえ、私にとっては無視できない存在ではあるので。
井上さんは、光晴さんの娘さんなんですか。もちろん、お父様の作品も読んでない私。エッセイと一口に言っても、掲載場所によってずいぶん読者も変わるので文体にしろ、文章の中身にしろ、コントロールできないといけないと思うのです。日経は書き手が誰であれかなり編集者が加筆するらしいので(どこでもそうかもしれないけど)。
荒野さんは、平日夕刊の読者を意識した書き方をしているように思えます。前に書いていた三浦しをんも鵜飼耳(でしたっけ)もそうでしたが、手っ取り早く読める、あまり考えさせられない(重要なネタじゃない)、でもきちんとオチつけてくれている、というような要素を押さえている。
こうした技術に長けているということが、時には本業の小説で勝負するときにあだになったりするのかも、などと思わなくもないですが、いずれにしろ私の勝手な妄想です。
_ コマンタ(とりいそぎ) ― 2008/04/12 13:20:26
>鵜飼耳(でしたっけ)
これ、ボク的にはすごくウケました(笑)。
京都人ならではの、ミヤビなまちがい。
正解はハチです、空飛ぶ。
ぼくのライバルです。
_ midi ― 2008/04/12 16:01:39
え、高橋揆一郎ってだれ? 初耳です、そのお名前。小説家知らずでごめんなさい。私は源一郎さんのことしか話しておりませんですよ、はい。高橋源一郎は最愛の内田さんと仲良しで、しょっちゅう彼の書いたものにも登場するので、ご健在だということも知っていますよ。
>ぼくのライバルです
えっ(笑)。なんで? 詩人の鵜飼じゃなくて蜂飼(私も自分でウケました)さんが? コマンタさん、ライバル多いんじゃない?
_ コマンタ ― 2008/04/12 23:59:15
すみません、ここをぼくは読み間違えて、
蝶子さん、勘違いしてる? って思っちゃったのでした。
蜂飼耳さんは小説も書くのです。
でも
ぼくは詩人としての彼女をライバル視しています(笑)。
というのは、
ぼくはいま詩の方に重心を移動しつつあります(笑)。
穂村さんの短歌。
ぼくは穂村さんのエッセイにはおどろきますけど、
短歌にはおどろきません。
礼儀ただしくいうと、どこがいいのかわからないのです。
でもエッセイにはおどろきます。
>なーんにも計算せずだだだっと書いても
>すごいもんを書けてしまう天才
ぼくがひとり思い浮かんだ候補は小島信夫です。
小島信夫を天才と思っているひとは、
日本に何人かいるはずです。ぼくもそのひとりです。
_ midi ― 2008/04/13 15:08:00
私も、穂村さんのエッセイから入ったので、短歌よりエッセイのほうが好きです。でも、彼の短歌は彼のエッセイと同質であるという意味で、同じように好ましいんです。出来映えに驚くほど私は短歌を知りませんから、誰と比べてどうこう言えませんのですが、穂村さんという人は私にとってはほとんど分身のように「勝手に近しく感じている存在」です。彼の思考は私の思考、というくらいに。でももし彼が小説という非日常あるいは虚構に手を染めたら、分身でなくなってしまう、そういう寂しさを覚えずにいられないので、嫌なんです。でもそれはいつかやってくることなのかもしれません。
たとえば『サラダ記念日』の俵さんの短歌に、私は何も揺さぶられることがなかったのです。「うまいこと字数合わせてるよね」以上のことは感じなかった。文章も然りです。彼女は、よその、別の人。
穂村さんは鏡のようなのです。分身といったのはけっして私が彼のように短歌やエッセイを書けるという意味ではありません。
ではコマンタさん、詩作にお励みください。詩集が上梓されたら、買います。楽しみです。
_ コマンタ ― 2008/04/14 23:54:11
穂村さんは、一時期木村敏にはまっていたとどこかに書いていました。
ぼくは意外な感じがしました。
もっとおしゃれなひとにはまっているイメージがありました。
俵万智さんは、未婚の母となりました。そこだけが歌人らしい(笑)。
思い出のひとつのようでそのままにしておく麦藁帽子のへこみ
(俵万智)
_ midi ― 2008/04/16 06:45:14
参加している翻訳勉強会のメールマガジンに、穂村さんのインタビューがのっていましたが、彼にとっては「翻訳と創作の感覚は同じ」なのだそうです(彼自身が発した言葉かどうかはわかりませんが)。私が彼に「分身」などという思い入れを持ってしまうのは、彼が翻訳という仕事を知っている人だからかもしれません。
えっひ、心ですか。心はあなたのように美しく、かつあなたを包むほど大きいです。嘘です、本当です。嘘です。いえ本当です。真実はこれ異化に、いえ如何に・・・・・・・。窯変、陶土が炎の熱で、透明になり、熱が下がるとまるで違った風になる姿であり、それは恋の炎で美しき変化をすることの夢です。