野良猫あきらめた ― 2008/04/21 19:41:52

中庭でじゃれながら遊ぶ子猫たち。可愛いなあ、を連発していると、一匹も二匹も同じよ、連れて帰りなさい、といい終わらないうちに上司がひょいひょいと、母猫が留守にしている隙に、いちばん可愛い三毛を捕まえてくれた。まだ掌に載るくらいの大きさの子猫は、持って生まれた野良の習性でしゃーっしゃーっと牙をむき、足指をいっぱいに広げて爪を立てようとする。けれど喉元をするすると撫でてやると気持ちいいのかおとなしくなり、胸元で抱えて背中をさするとふにゃふにゃと居眠りモードに入る。私には猫の匂いがついているのか、警戒心が薄いようだ。
と、そんなことをいっている場合ではなく、子猫を胸元に置いたままでは仕事にならないので、故紙回収に出す予定だった段ボール箱を再び組み、子猫を入れた。
入れ替わり立ち代わり覗き込む社員たちに向かって大きな口を開けて威嚇してみせる子猫。こんなに小さいのに、敵の存在がわかっているんだなあ。兄弟たちと引き離されて、誘拐された拉致されたと不安でしょうがないに違いない。罪なことをしているよな、あたし。
さて、家に電話をする。こないだから話してた野良猫の赤ちゃん、捕まえてもらったんだけど、持って帰っていい? すると私の母は冗談じゃないと何が何でも反対の構えを崩さない。この反応には、いささか驚いた。動物嫌いの母だが、中でも猫が大嫌いだった母だが、二年前我が家に猫が来てからは、もうその猫なしでは人生ないのも同じよというくらい溺愛していたのだから。帰宅していた娘が代わって、(もう一匹欲しい欲しいを連発していたのは自分だが)本気で言ってたわけじゃないよ、おばあちゃんが嫌がってるんだし、そんなの連れて帰らないで、という。
そう、だったら母猫のもとへ返してやるね、と電話を切った私。
ふだん朝9時から夜9時まで家を空ける娘(私)と、朝7時半に出てから夜6時頃いったん帰ってもすぐお稽古に行って夜9時過ぎないと帰らない孫娘(さなぎ)の二人がいくら「世話は私たちがするから」といっても、母にとっては(つーか、誰にとっても)まったく説得力がないであろう。
今我が家にいる愛猫を飼い始めたとき、私は昼休みに一度帰宅し、山積みの仕事を持ち帰ってでも夕刻早く帰宅した。娘は遊ぶ約束を全部断って飛んで帰ってきた。しかし数日のうちに母は子猫の扱いに慣れて、餌もトイレも進んで世話をしてくれるようになった。猫自身も家に慣れ、どの人間よりも真っ先におばあちゃんの存在を認めた。金魚やクワガタと違って声を出し走り跳ね回る猫は、夫を亡くした彼女にとって格好の話し相手であり、心の空隙を埋める存在となりえたのである。
だから、今いる猫だけで十分なのである。
これ以上数が増えても、鬱陶しいだけなのだ。
彼女は猫嫌いや動物嫌いを返上したわけではない。
あのときの、心があの状態の、母のもとにやってきたということが重要だったのである。やってきたのがもし牛や鯨やナマケモノでも、きっと彼女は溺愛したであろう。
我が家の愛猫が来たのはあらゆる意味においてグッドタイミングだったのだ。
今はタイミングが悪いのである。
帰宅して娘と二人になったとき、娘は口をとんがらせて、三毛、欲しかったなあといった。
祖母を思って電話で強がりを言ってみせたことぐらい、わかってるさ。
子猫たちの無事な成長を祈ろうな。
電話を切ったあと、段ボール箱の中の子猫をつかんで、私は中庭に出た。寄り添って遊んでいたほかの子猫たちが警戒して庭の隅へ逃げる。三毛は私の手から胸元、肩へ移ってなかなか離れようとしない。慣れたとかなついたからではなく、どう脱出していいかわからないのである。
私は子猫を引き剥がし、兄弟たちの近くへ下ろしてやった。跳びはねて駆け寄り合う子猫たち。
えーん、こわかったよー、とかいってるのかな?
日が暮れて、暗くなってきた。もうすぐ母猫が戻ってくる。私はその場を離れた。
後ろ髪を引かれる思いだったが心のどこかでほっとしながら、中庭へ出るドアを閉め、錠を下ろした。