昭和の王子さま2008/08/19 17:24:47

『楢山節考』
深沢七郎 著
新潮文庫(2007年)


長いこと読書の話をしていないような気がする。全然本を読んでいないのかというとまったくそんなことはなくて、もはや読書だけが寸暇の愉しみ、心の癒しなのであるので、職場の机の上にも鞄の中にも家のマック横にも食卓の端っこにもテレビの前にも枕元にも、図書館から借りた本常時約20冊が散乱しており、何かしらいつも読んでいるという状態である。これは面白いぞ、あの人に勧めたいな、などと頻繁に思うものの無情にも貸し出し期間が過ぎ私の手許を離れ「今度ブログに書く本リスト」にその名が1冊加えられ……ということを繰り返してその「リスト」は何十冊にもなっていて、たぶん、死ぬまでに、読んだ本について全部ブログに書くなんてありえねーと思うのであった。
ありえねー。けど、忙しい目が回る死にソーダなんてぶーすか文句いうのをやめて、読んだ本、読む本、読みたい本ときちんと向き合おうと、悲壮な(?)決意をしているのである。

中学生になって陸上部命!のランニング少女と化した我が娘は、同じ小学校からともに進学し、同じように陸上部命!のランニング少女と化した友達の面々とほとんど毎日一緒にいる。夏休みの部活、皆勤はウチの娘だけなので、5人の少女がいつも全員揃うわけではなかったが、朝や昼の練習、そのあと誰かの家に集合して宿題、そのあと場合によってはなりゆきで晩御飯一緒……。何の話をしているのかしらないが、いくら一緒にいても話は尽きないみたいで、ころころしゃべりけらけら笑っている。その面々に2、3の保護者が加わって、先日、近所のお好み焼屋で晩御飯した。さんざん飲み食いしたあと「しりとりしよう」ということになった。「しりとり」なんかで遊ぶところがまだまだ小学生モードだが、言い出しっぺはご想像どおりウチの子である。3文字の言葉に限定して始めたら、これがけっこう難しい。おまけに親連中が言葉をつなぐたびにこのコギャル予備軍どもは「うわー昭和ワードぉー」「すいませーん意味ふめー」「平成語でよろしくー」などといいよって違うところで盛り上げてくれるのである。親たちは呆れて苦笑いしつつ、いつまでこうして一緒に遊んでくれるんだろうと思うのである。
一方で、昭和ワードっていうのはたしかにあるよな、たとえば何だろう、と、頭の中でいろんな言葉を浮かべては消し浮かべては消していた私であった。

娘が6年生になったとき、初めて「市販の問題集」のようなものを買い求めたのだが、とある本屋でそれが700円くらいだった。もったいないなと思いつつ、しょうがないから財布を開けるとその700円分の小銭がない。げ。しょうがないからクレジットカードを使おうと思うのだが、スーパーの食品レジじゃあるまいし書店で数百円の買い物にクレジットカードってのは……と、約1年半前の私は妙に見栄を張り、あと300円ぶん何か買い足して支払い額を4桁にしようと考え、本を探した。で、見つかったのが本書。362円(税別)。
『楢山節考』は大好きな小説だったが、ウチにはない。しかも、これ以外に深沢七郎を読んだことがなかった。深沢七郎か。ナイスアイデアじゃん、とこれと合わせて1000円プラスアルファでクレジットでお会計。やれやれ、だったのである。
(蛇足だが、この「約1年半前」以上に財布に現金のない状態となっている現在、たとえ30円でもクレジット決済に躊躇しない私である)

自分は、昭和人としての人生よりも、平成人としての人生のほうが、終わってみればきっと長いであろう。それでも、深沢のような昭和の作家の昭和の小説のほうが、自分の身の丈に合うというか気持ちのありように添ってくれるというか、読んでいて落ち着くのである。

《その巡査は私を怒るような口調で言うのだ。
 「しょうがねえなあ、あんな気狂いを、脳病院でも一番重患の部屋に入れたそうだぞ」》(『月のアペニン山』本書26ページ)

《向うでは田中が女生徒と話していた。
 「忘れたら、お尻がアザになる程ツネってやるから」》(『東京のプリンスたち』本書101ページ)

《「熱を入れてるヒトがあるんでショ?」
 とカボチャ頭が言った。
 「スペシャルはいないよ」
 と洋介は言った。》(同106ページ)

ははは。スペシャルって(笑)
とりわけ『東京のプリンスたち』のほうは「プレスリー」とか「レコード」とか「マンボ」などの外来語てんこもりのほか「音楽を聴く」「金がない」と書けばいいところを「ミュージックを聴く」「マネーがない」と英単語を使い、はては「コーモリ」(傘のこと)「ハタチ」(二十歳)など、必要ないのに片仮名で書く箇所がやたら多いなど、昭和モード満開で楽しい。古さを楽しむというよりも、登場人物たちが出入りするジャズ喫茶や、高校での教師とのやりとり、街の書店や駅の風景などを、自分のものとして記憶を辿り物語を追えることが快いのである。

パソコンも携帯もない。自宅の固定電話すら、未成年のうちには自由に使うことがためらわれた時代があった。そんなとき、お目当ての女の子とデートを実現するには信頼できる友人に伝言を頼んだり、手紙を渡してもらうしかなかった。ノスタルジーにかられて昔はよかったなんていうつもりはない。でも、端末の発達のせいばかりではないにしても、そんな道具の台頭とともに、失ったものはたしかにあるだろ? 

『東京のプリンスたち』の主人公のひとり「洋介」は、我慢できなくなって担任と教頭を殴ってしまうが、その拳の出る前には言葉にならなかった幾つもの迷いや悩み、打ち明けたいわだかまりが渦巻いて洋介の脳裏を駆けめぐる。教師は別に頭ごなしに洋介を責めたてるわけでなく、手もとの仕事を片づけながら、ぽつりぽつりと質問を繰り返すだけだ。洋介の言葉を待つのだ。だから洋介は教師の罵詈雑言に「キレた」わけではない。鬱積した思いの発露が言葉でなく拳で出てしまったのだが、こういう若い学生は昔は普通にいたのである。小生意気で、勉強もできないのに肩をいからせて強がって、妙に理想は高いが諦めも早い。中途半端な王子さまたちが、昭和には量産された。他人や社会をこれっぽっちも怖がってはいなかった。だが、悲しいほど口下手だった。
現代なら、流行りの「コミュニケーション能力」という「スキル」を身につけましょう、ということで小学校なら「グループ発表」の時間、中学校なら「スピーチ」の時間、高校なら「ディベート」の時間が、その対策として嬉々として設けられるところであろう。しかしだからといって(……と続けたいところだが本題から外れるのでもう止める)

《おりんは手を延ばして辰平の手を握った。そして辰平の身体を今来た方に向かせた。(……)
 おりんの手は辰平の手を堅く握りしめた。それから辰平の背をどーんと押した。
 辰平は歩み出したのである。》(『楢山節考』本書87ページ)

話をいきなり『楢山節考』に戻すが、私は絶対におりんのような母親にはなれないのである。往生際の悪さには自信がある。私は命を賭けて生にしがみつくであろう(変な日本語!)。