あのひともこのひとも ― 2008/11/03 12:20:59
かつて駆け出し時代に在籍した勤務先でかつて上司だった人がこれまたかつて上司だった人の奥さんとお嬢さんが経営するギャラリーで作品展をするというので鑑賞に出かけたらかつて人事課長だった人やかつて階下で事務やってた人とかかつての後輩とかにわんさかと会えた。
私は美大を出てすぐとあるメーカーの開発部署に入り、来る日も来る日もスケッチをし設計図を描き試作をした。社内プレゼンテーションに向けてひたすら、描く絵や図は日々違うけど、ある意味ルーティンワークだった。形の目処が立つと自分でモデリングし、それを素材にモデリングの職人さんにきれいに仕上げてもらうための詳細な設計図を描く。いっぽうで金型メーカーや樹脂ボトル成型屋や紙材印刷会社に見積もりを依頼する。プレゼン通過しても高くつく企画はボツられるし、高くついても生産難しくても社長のお気に召したら製品化へ一気に進む。開発の波は天気みたいなもので、晴れ時々曇り一時雨、それすら順繰りに巡っているようだった。
どなたかがおっしゃったように、なにものにも、なにごとにも、頓着しないたちなので、「私の渾身のこのデザイン」なんてものにこだわる気概はなく、自分の作品が採用されたらラッキー、程度にしか考えていなかった。同じ部署の同僚たちは、自分の表現したい形状や色に製品化されるぎりぎりまでこだわり続けた。そういう人たちは、会社を辞めてからも、働きざまは異なれどものづくりの現場にいる。
私の一年下に、とても頼りなくて何を創りたいのか傍目にはさっぱりわからないのに、いつも何か絶対譲れん一線というものを持って仕事をしていた子がいた。私などから見れば、君、そこはこだわるところじゃないだろ、てなもんだった。5年足らずで私が辞めたあと、遠からず彼女も辞めるだろうと諸先輩方は見ていたらしいが、彼女はみるみるとしっかりしていき、結婚・出産後も勤務を続け、勤続10年を超えたのだった。
その彼女と約20年ぶりに、件のギャラリーで会った。
昔話に花が咲き、お互いトンデモネエ若手社員だったことを述懐した。その場には元上司や元先輩が来ていたので、「今だから話せるホニャララ」みたいなこともさんざんいわれた。
当時世話になった、社内はもちろん取引先のオジサマ方やイケスカナイ営業マンたちはどうしているのかいろいろ訊ねると、ある人は辞めて起業した、ある人はどこどこに引き抜かれた、またある人はホニャララ社の最高顧問に座ってる、と華々しいお話を聴くいっぽうで、あの先輩は人が変わったように出世の鬼になって今勝ち誇ったような顔で役員の座にいる、またあの方は退職後孤独死していたのが見つかった、また別の人は○○なんてやくざな仕事について勤務中に発作を起こして死んだ、とかやりきれない話も出てくる出てくる。
ひとそれぞれに、容易でない時間をいくつも過ごしている。彼も彼女も、私もそうだ。夢中で歳月を生きてきたが、こんなとき必死で夢中なのは自分だけだと人は思いがちだが、あのひともこのひとも、そのありさまはちがっても、崖っぷちをいくつも通過してきているのだ。そうしたひとりひとりの過ぎた時間の積もった山がいとおしく感じられてならなかった。
とはいえ、とりあえずその場所に来ていた人たちはみな、少なくとも私よりは裕福であることがヒシヒシと伝わってきて、くっそー悔しいぞ私、という気分でもあった。暮らしが豊かかどうかは着ている物や持ち物でわかるし、会話の中身でもわかる。さりげなく入っているブランドロゴや、手土産の品物のヴァリュー、車が何台あるとか庭に別棟をひとつ建てたとかの話、などなど。
またあるいは、元上司や元先輩の多くが何度も過労でぶっ倒れたり幾度もの手術を経たりしている。が、私の場合、自分の入院代は出ないので簡単に病院にお世話になるわけにいかない。どんな仕事の仕方をしたら、あるいはどんな食生活を続けたらそんな大ごとになってしまうのか、私は根掘り葉掘り聞いた。するとやはり煙草と酒が害毒になっていることがわかる。そして極端な、若い頃から続く偏食。好きなものを吸って飲んで食べていたら幸せだろうけれど、それで死んでも本望だろうけれど、当面死ぬわけにはいかない私はやはり、たとえボンビーでも健康第一に生きていかなくてはとあらためて思ったのだった。
と、なんだか説教くさいフィニッシュになろうとしているが、最近市民健診で胃がん肺がん大腸がんの検査を受けたこともあったりして、思考回路が健康系なのである。結果はまだだけど、異常なしといわれることにはかなり自信がある。
私は今、使い捨ての売文屋である以外にとりえはないし、月々の家賃や光熱費の支払いでキューキューゆっているが、健康で働いていればとりあえず次世代の育成はできる、てことを証明しなくてはならない。世のボンビーサラリーマン、ともに前を向いて歩こうぜ。
と、今日も休日出勤で原稿書きの合間にぐだぐだと綴ってみたのである。
コメント
_ コマンタ ― 2008/11/03 20:58:15
_ midi ― 2008/11/04 11:45:35
自転車ばかりに頼って歩いてないから、ヤバイんです。
中也は河原町にいた頃、長谷川泰子とつきあってたんじゃなかったでしたっけ。
_ コマンタ ― 2008/11/04 12:35:42
_ midi ― 2008/11/04 18:42:26
_ 儚い預言者 ― 2008/11/04 18:43:06
そう思えば選択は一瞬の連続ではないか。不連続の連続に何を架けるのか。
時間が独立して見えるのは、選択不可であるという幻想の続きを、肉体は信じているのだろうか。
心は遺伝子の、ミトコンドリアの夢だろうか。
ときとめて
ながれるゆめの
だきしめて
あなたのいきの
はだあたたかさ
_ midi ― 2008/11/05 17:47:30
小さくても大きくても、現実って想像に余りありますね。
人間に想像できる範囲なんて、幻想でしかないのかも。
もちろん、蝶子さんは酒もたばこもなさらない。暴飲暴食も夜更かしもなさらない。健康にわるいのは仕事のストレスくらいでしょうか。できれば運動も。あ、これは大丈夫かもしれません。自転車はなるべく空気のいいところを走ってください。先日テレビで中原中也の番組を見ていましたら、二十歳前に河原町に下宿していたといいますね。