新年度町内会役員に当たっちゃったよと愚痴るだけのつもりだったがふと職場の書架で愛するウチダを見つけましたの巻2009/03/26 20:54:23

勝利投手の表紙。ぷぷぷっ。なかなか、派手でしょ。


文藝春秋社『日本の論点2009』(2009年1月刊)470ページ所収
『家族から個人にシフトした消費のかたちが、親族の再生産を放棄させた』
内田 樹 著


町内会の役員に選出されてしまった。
選出されたというよりも、各戸回り持ちなのでとうとう順番が来た、だけの話なんだが。これまでも小さな役員、たとえば何とか委員、何とか係は毎年のように引き受け、大した仕事もなく適当に捌いていたけど、今回は副会長兼会計(なんで兼ねるんだろう)という大役なのである。これまで回避されていたのは、ひとえに、ウチの父亡き後、母は高齢、私はまだ青二才であるというだけのことであった。

ある晩、帰宅すると母が言う。
「川崎さんが引継ぎしたいし時間決めまひょ、って電話してきゃはったえ」
川崎さん(仮名)は前任の方である。
「ほんで?」
「まだ仕事から帰ってまへんて言うたら、へ、そない働いたはりまんのんか、やて」
私がどんな日常を送っているかなど、町内会のお歴々がご存じのはずがない。私は笑ったが、母は憤懣やるかたない。「あんたのことをそこらのヒマそうな奥さんやらとおんなじように思たはる」
いいよ、一度こういう忙しい人間に役員させてみるのも。滞りなく済めば今後多忙を理由に断ってきた人たちも引き受けざるを得ないだろうし、逆に全然お務め果たせなければ二度とあたしには頼みに来ないだろうし。そういう意味のことをいってはみたが、母はほとんど聞いてはいない。町内役員会といえば飲み会と同義語だったので、のんべの父は毎年何かしら役員を引き受け役員会と称しては出かけて朝まで帰らなかった。父の行状は凄まじく(いや、上には上がきっとあるだろうし、いずれにしろ今となっては単に笑い話なので内容は書かないが)、母にはそれが、今の言葉でいえばトラウマになっている。でもさ、あたしが同じ行動するわけないでしょうが。

もうひとつは、私が日中ほとんど留守にしているということはけっきょく自分が全部代理で応対しないといけないではないかという不満が母にはあるのである。ま、そりゃたしかにそうだから、申し訳ないんだけど。

「チョーちゃん、会計やで」
「お金預かるだけ?」
「だけ、やないけど、まあ、そんなもんや」
「ならいいけど。あたし、朝から晩まで家にいいひんよ」
「お母ちゃん、おるがな。まだボケたはらへんやろ」

総会での役員決定に際しての会話である(笑)。
私の母がまだボケていないということが決め手となったのである。
町内会の面々の中には町内会費をジャラジャラと小銭でひと月ごとに持参する人もあれば、一年分をまとめて封筒に収めて納入される方もいる。いちおう、「町」の下部組織として「隣組」というのがあって、組ごとに取りまとめるのが決まりだが、日中全然いない独身さんなどから徴収する手だてがないときなど、会計役がじきじきに「はよはろてや」と言いに行かなくてはならないとか、挙げだすと小雑用がやたらあるのである。
「チョーちゃんのお母ちゃん、そんなん全部やってくれはるやろ」というのが長老方の一致した意見で、だったらあたしじゃなくて母ちゃんを任命すりゃよさそうなものだが(笑)。

一緒に役員を務める面々は、一度は町内会長をもう務めた、というおっちゃんたちである。直近の会合では、「わしが会長してたとき」のエピソード披露会であった。結城さん(仮名)のおっちゃんが会長のとき、前代未聞というほどお葬式が多かった。
「あの年、ぎょうさん見送ったけど、それでも敬老会員減らへんなあ」
と誰かがいったが、他界された方々の多くはすごく高齢の、お迎えが来るべきしてきた人たちだったが、私の父もその年に亡くなった。なので、この手の話が出ると必ず「チョーちゃんのお父ちゃんが一番若うで死なはった」と誰かが言い、早すぎたと別の誰かが言い、涙ぐむおっちゃんもいたりする(笑)。オヤジは幸せなヤツだといちいち思わざるを得ない。やんちゃの限りを尽した親父の若い頃を知る人が、まだ町内に多く残っておられる。

私には配偶者がなく、したがって、新しい親族というものを生産しなかった。しかし子どもは産んだので、その子どもから「親族の再生産」がまた形成されるかもしれない。
たしかに私は親族なんてどうでもいいと思って成長した世代である。内田さんは、消費行動の活性化という「国策」のために家族の構成員は親族の再生産を放棄し、結果家族は解体し社会も解体されようとしている、ということを書いている。だからみんな結婚しろそして産めよ増やせよということを主張しているわけではない。
私のように、積極的に親族というものを無視した人間が大きな顔をして社会に胡坐をかいていられるのは、《圧倒的多数が親族制度を存続させているからである。》(471ページ)
一部の人間が、親族なんて要らないわ、という生き方ができるのは、親族という集団をモデルにしたあらゆる社会集団によって世の中が成り立っており、その制度の内部で生きているからである。親族なんて要らないといいながら、それでも人は人を愛する。大切に思う人と長い時間を共有したいと思うようになる。あるいは教え子の出来・不出来に責任を感じたり、ダメな部下を一人前にしなきゃと思ったり。訃報を聞けば葬儀に出られなくても通夜には行かなきゃとか弔電の文面はとか、思いをめぐらす。
《私たちは「扶養する」ことの有責感や「弔う」ことの重さを親族関係を通じて学ぶ。「傷つく」ことも「癒される」こともそこで学ぶ。》(473ページ)

私は身籠ったとき、家族の次には近しい親戚に打ち明けた。まず親族を味方につけなければという本能が働いたのである。盆と正月に会うか会わないかの人たちだったが、とにかく知ってもらわなければと考えた。そしてついでに使い古しのベビー用品などもゲットした(笑)。出産して退院して、腕に赤子を抱え帰宅した私に最初に遭遇したのは町内の面々であった。みんな、文字どおり開いた口がふさがらず仰天していたが、その次の瞬間には口々におめでとうを言ってくれた。私が仕事をしている間に子守りをする両親に、誰もが声をかけ、赤ん坊を一緒にあやしてくれた。

《「成熟」や「共生」(中略)といった概念はすべて親族制度の内部で発生し、経験された心の動きやふるまいを親族関係以外の関係にも比喩的に拡大したものである。(中略)「愛」や「嫉妬」といった情緒が単体で存立しているわけではない。親族制度の内部で、私たちはそのような人間的感情を学習し、それをそれ以外の場所に「応用」するのである。》(同)

とても当たり前のことなんだけれども、当たり前のことをこうして議論しなければならないところに、この国の危うさがあるのだろうと思う。私だって、子どもを通してしか、実感もできなかったし、今こうして「当たり前」だともいえなかったであろう。同様に結婚して初めてこういうことの意味がわかった人もたくさんいるはず。危ういところまできているけれど、立て直すことができるかどうかは、「結婚や子育てを通じてようやく理解した」私たちの世代が、「親族を形成すること」を次世代にいかに継承するかにかかっている。

《親族を形成することと成熟することが同義だからである。》(同)

コメント

_ 儚い預言者 ― 2009/03/26 21:45:13

 囲いの中?でしか培われないこと。でもそんなに成熟が重要だとは思わない。というか社会という構造上に家族・親族がどのように機能するかと問うのは、私には違和感がある。
 人類の歴史において、社会とはいつも都合合わせである。元来は男女・親子が原型であり、その生活において社会が形成された。そしてその機能が複雑に絡まって、社会が家族ということを規定する逆転現象になったのではないか。
 そう当たり前のことが当たり前でない社会とはオカシイと言わなければいけない。

 私の成熟とは人間性のことではなく、またアナーキーになれでもなく、愛という普遍性をどこまで私という個別で発揮できるかということです。だから愛とは嫉妬する愛ではなく、除外のない慈しみをどのように顕すかということです。本当に真実とはまったくばかばかしいですけれど、またこの社会での偏見の厚い層には辟易しますけれど、どのように隠そうとも光がいつも輝いていると信じます。

_ よっぱ ― 2009/03/27 01:20:22

ぼく、町内会とか大嫌い。面倒なんだもん…
近所付き合いしないし…

成熟してないの
見た目はおっさんだけど、中身は子供(笑)

_ midi ― 2009/03/27 05:55:23

みなさん毎度ありがとうございます。

預言者さま
預言者さまのおっしゃる「愛」は森羅万象すべてを包む神の愛のような、天の声のような大きさを感じます。
内田さんはこの原稿を、「なぜ結婚しない人が増えたか」ということをテーマに書いてと依頼されたようなので、人類愛みたいな大きな話にはなっていないんです。もう少し俗っぽい惚れたはれた泣いた笑った、ってところの話。

>社会という構造上に家族・親族がどのように機能するかと問うのは、私には違和感がある。
私も違和感あります、それ。「社会」というのは後からできたんですもん、家族や親族よりも。

よっぱさん
>ぼく、町内会とか大嫌い。
これっよっぱ! 大人になんなさい!(笑)

正直ですねえ。あたしも見た目はおばはんですが、全然だめよ。もう娘に叱られますもん、「お母さんは子どもみたいやなあ、ほんまに!」って。

_ きのめ ― 2009/03/28 09:52:09

きょうはひさびさの休みです。
奥さんを勤め先に送り、息子3を児童館に送り、わたしは化膿してしまった指の治療で病院にいき、夜は町内会の役員(わたしは会計監査)の会議です。
ちなみにお酒は出ません。
あすは身内同様に育ったむすめごの結婚式です。
社会とか共同体・家族の在りようはこれがいいってモデル、どこかにあるんでしょうけど、自分にとっては目の前にある現実しかなく、ひとさまにご迷惑をかけず、ひとさまにご迷惑をかけまいとやせ我慢しながら生きている人を応援しながら生きていきたいと思っておりますです。
ふう。

_ midi ― 2009/03/29 07:46:28

きのめさん
お休みでもこなす用事はてんこもりってとこですね。みんないっしょ(笑)

これがいいってモデルはほんとうにありませんね。
ものすごく前だけど、中国の辺境の少数民族の母系社会をレポートした記事を読んで、「あ、これいい、理想型!」と思った記憶があるんですけどね、平安時代の貴族社会にそっくりなの(笑)

_ おさか ― 2009/03/29 09:56:23

あ、ごめんなさい去年度は何もやってませんでしたー(汗
なのに全然ヒマじゃなかったわ・・・ていうか子どもが生まれてからこのかた、ヒマ、と感じたことがない

「忙しいからできません」て即答する人って、ほとんどは忙しくない人ですよー
だって本当に忙しい人というのは、いろんなことを時間をやりくりしてこなしてる人
そもそも「本当にできないライン」が超高いところに設定されているから、何か言われたらまずできるかどうか検討する
即答はしない、もしくはちょーこさんのように違う視点で考えてOKする(確かにそのとおりだと思います、笑)

「忙しくてできない」と簡単に言う人は、常にそれで切り抜けてきてるから案外手持ちの仕事は多くない(笑

カンにさわるお話を一つ♪
(私の話じゃないですよ)

近所に、未就学児対象の英会話教室がありました
おやつも出て一時間五百円というお安さ
当然公共の場所を借りているので
教室のテーブルセッティング、後片づけは母親たちのお仕事
ところがそこでいつも、ぎりぎりにやってきて
帰りはさーっと帰ってしまう母親がおりました
一人っ子で家も一番近く、後に何か予定が入っているというわけでもありません
先生の手前もあるので、一番古参の母が電話をして
ちゃんと手伝いをして帰るようやんわりと諭しました
すると数日後、突然のファックス
「専業主婦なので忙しく、とてもお手伝いはできそうにないので、教室はやめさせていただきます」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もちろんほとんど専業主婦だった母親たち、全員ぶっ飛びましたとさ♪
ちゃんちゃん
友人の名言「文法的には合ってるけど、文脈が間違ってる」(笑)

_ midi ― 2009/03/30 10:17:21

おさかさん、いらっしゃいませ。
>子どもが生まれてからこのかた、ヒマ、と感じたことがない
あたしもよー。
空きそうな時間が見えると片っ端からその時間を使うことばっかし考えちゃうよね。
なのに青春を謳歌していた頃には役員の話なんかこなくて、子持ちになったとたんあれをやれこれをやれって、来るんだよね(笑)。

ところでその、「教室はやめさせていただきます」のお母さん。
そっくりなケースが最近私の周囲でもあったので、おさっちどこで見てたんだよーと思うくらい、びっくりしました(笑)。
詳らかに語りますわね、そのうち。

入園式、入学式、晴れるといいですね。
去年はどしゃ降りだったなあ(愚痴りまくったなあ、笑)。

_ おさか ― 2009/03/30 15:19:51

えへへ、また来ちゃいました
うちは両方入学式ですよ、小学校と中学校の♪
晴れるといいなあ

>詳らかに語りますわね
是非是非♪
しかし似たような話はきっと、日本全国津々浦々で起きているんでしょうねえ
こういう話を聞くたびに「専業主婦」という呼称をなんとかできんもんかと思います
いつからこの言葉ができたんでしょ?
昔、主婦は完全に一個の仕事(職業?)であったから逆にこんな言葉はなかったのでは

この彼女だって
「私はこの子の世話と家の仕事だけで精いっぱいなんです、ごめんなさい」
という言い方ならまだマシだったかも
そういう人もいますからね
ひとくくりにしちゃったのが間違いだったんですね

_ midi ― 2009/03/30 19:39:27

>うちは両方入学式ですよ、小学校と中学校の♪
あっそうだそうだった{{(>_<)}} 失礼!

主婦も「一個の職業」であるからこそ「専業主婦」というのではないか、そもそも。と思っていました。それがいつのまにか、きっと家電の発展で「ラク」な仕事というふうに世の中(の主に男ども)から思われるようになったんじゃないのかなー。

ちなみにウチの身内には専業主婦って2名しかいないんです。あとはみんな勤めや自営を持ってます。一人は叔母で、一人は弟の嫁。叔母は私が小さい頃から「暇だから来ちゃった~」といってしょっちゅう遊びに来てました。今でもカルチャースクール通いでスケジュールびっしり(笑)。だってひまだもーんって。

弟の嫁は、「あたし暇ですから~」といって面倒なことを何でも引き受けてくれます。そのノリでPTAも引き受けまくりのようです。暇だから息子の勉強はしっかり見てやって、つまりあたしの甥っ子は母という強い教師を家に持ち、難関中学に合格した(笑)。

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