年の始めから食べまくってる私たち その2。ハイチが心配ですね2010/01/15 12:26:51

『フランケチエンヌ ――クレオールの挑戦――』
恒川邦夫著
現代企画室(1999年)


今朝は小豆粥をいただきました。毎年のことながら美味しい~~~(^0^)v
人につくってもらうからよけいに美味しいんだね。……というようなことはつい一週間ほど前にも書いたような気がするが(笑)そういうわけで、小豆粥を祝いました。昔は今日は祝日だったですけどねえ。だから正月飾りの片づけなどもできたんですけどねえ。ったく日本政府のスカポンタン。
なんで小豆のことを大納言ていうの、中納言とか少納言とかいわへんなそういえば、とか、小豆粥の小豆は甘うないね、塩で加減するさかいな、とか、円町の伯母ちゃんはメイボできてんていうたらメイボできたんか、ほな小豆食べんならんなあってゆわはった、なんで? メイボが小豆に似てるしやろな、食べたら治るねんて、食べた? メイボできたからゆーて食べたことないなあけっきょく、ははは。……というような話をしながらたらふくいただいて、平和と安寧に感謝いたしました。

日本は寒いが平和である。けれども新年早々惨事が起きてしまった。
ハイチがえらいことになっている。ハイチに知り合いはひとりもいないけれど、フランス語をやってフランス史なんかを少しかじったり、あるいはカリブ海のクレオール文化に触れるとどうしても避けては通れない国だから基本必須事項は学んだし、多少学ぶとすごく面白い国だということがわかったので、以来、ずっと気に留めていた。まだ行ったことのない国でいちばん行きたい国はマダガスカル、二番めがブータン、三番めがハイチなのである。(※一定期間住んでみたい国はほかにある。何箇所もある。何年生きねばならないだろう)

ハイチは地球史上最初の黒人共和国である。カリブ海一帯はその昔コロンブスが「発見」したのをきっかけに西欧列強が取り合って、最終的にイスパニョーラ島の西半分、三分の一くらいかな、をフランスが植民地「フランス領サン・ドマング」として支配した。フランス本国で自由と平等を謳う大革命が起きたので、それに触発されるように、奴隷たちが蜂起してハイチ革命が勃発。このとき指揮を執ったトゥサン・ルヴェルテュールという人はなかなかオトコマエな肖像画が残っていて、私の密かなアイドルである(笑)。

ハイチはそんなわけで(って何も説明していませんね、すみません。ウイキとか見てね)1804年に独立を勝ち取り、人類史上初めて黒人が自ら樹立した共和国国家として名乗りを上げたのである。が、世界は冷淡で、どの国も「そんなの認めないよ~ん」て感じ。認めたら奴隷として黒人を使えなくなるからだ。ハイチ国内でも内乱は続くし、そのうえ、意地悪なフランスが「せっかく植民地経営がうまくいってたのにあんたたちのせいでそれを台無しにされたじゃないのどうしてくれるのよ」(なぜか女言葉になったが「La France」と書くように、フランスという名詞は女性名詞なのである)とハイチ共和国に対し賠償金を請求したのだ。国際社会から独立共和国として承認をもらえないハイチは、フランスからの「借金返せたら対等と認めてあげるわ」という無体な申し出を受けざるをえなかった。その金額はいくらか知らないけど膨大で、ハイチは世界最貧国の誉れ高いが、けっしてそのせいだけではないにしても、最貧の原因の大きなひとつはフランスの「いけず」にあるのだ。

フランケチエンヌは1936年生まれのハイチの画家、小説家である。首都ポール・オ・プランス(Port-au-Prince)在住なので、今回の地震で自宅兼アトリエには大きな被害が出ているのではないだろうか。小説は一度も読んだことがないし、絵画も本書に掲載されている写真で見ただけで、フランケチエンヌというアーチストの芸術作品に対して、私はあまり関心はもたなかった。ただフランケチエンヌその人の存在性に、ハイチという国の、終わりのなさそうな不完全さが象徴されているように思えるので興味深かったのである。
フランケチエンヌのお母さんは黒人と白人の混血だった。彼女を、米国で大金持ちになってハイチにやってきたドイツ人の富豪が気に入って囲った。彼女が妊娠すると追い払った。彼女は出産後ポール・オ・プランスで地元の男性と結婚し、たくさん子どもを産んだ。フランケチエンヌは白い肌に青い眼で生まれ、また実の父は不在であったので「ててなしご」と周囲からいじめられたが、「私が今日あるのはポール・オ・プランスの両親のおかげである」と述べている。見た目がまるで白人であることは、フランケチエンヌが自覚している以上に彼の性格形成に影響したであろう。彼の本名はフランク・エチエンヌで、それを一語にしてフランケチエンヌと名乗っている。これは彼自身による彼のアイデンティティ確立の手段であったという。その彼自身の理路は本書を読んでもよくわからないが、おそらく著作のひとつ『私を産んだ私』(Je suis mon propre pere/塚本昌則訳/国書刊行会発行『月光浴―ハイチ短篇集』所収、2003年)ならば少しはわかるかもしれない。
フランス語で教育を受けたが、彼は主な小説をハイチ語で書いている。ハイチ語はフランス語から派生したクレオール語で、マルティニークやグアドループ(ともにカリブ海に浮かぶ元フランス植民地で現フランス海外県)で話されているクレオール語と同系である。
しかしハイチ語で書いても、ハイチの庶民の識字率は著しく低く、ハイチの上層は本を読むという文化的な営みに縁がない。フランケチエンヌの著作に限らずハイチでは出版活動はきわめて鈍く、図書出版は外資系または海外に居住するハイチ人のコミュニティに頼っている。フランケチエンヌはこうした状況を憂い、自分で学校を開いて教えていたが、周囲の治安悪化にともなって学費の払える富裕層が来なくなり、貧困で学費は払えないけどそれでも学びたいという家庭の子女はごく少数なため、けっきょくほとんど生徒がいなくなって閉鎖したらしい。ハイチには学校という場所に敬意を持つとか尊重するとかそういう精神文化がない。
国は公用語としてハイチ語とフランス語を掲げてはいるものの、書き言葉が成立していないに等しいハイチ語で書いても読まれず、識字率が低いため、また読書文化が育っていないためいかなる言語で表現したところで、ハイチでは意味がないといっていい。フランケチエンヌはハイチ語をハイチ共和国民の母国語として誇れる言語にしたいと考えているに違いないのだが。彼もこれを母語として育ったのだから。

本書が刊行されて約10年、フランケチエンヌは見聞する限り健在だったが……今度の地震による被害が気になる。死亡者数すらはっきりしないから個々の消息が明らかになるのはいつのことやら。
ハイチの独立・建国から200年余り。世界中が彼らを無視し、あるものはちょっかいを出しあるものはいたぶってきたが、今こそ世界一致で彼らを救済してほしい。

ハイチについては研究者・浜忠雄さんや、フォトジャーナリスト・佐藤文則さんの著作を読まれたし。あなたもハイチを「行きたい国」のひとつに挙げたくなるでしょう。

コメント

_ さくらら ― 2010/01/27 20:54:11

ハイチの情報を探してたどりつきました。
識字率が半分以下(これもどうやって調べたものやら…)では情報もないはず。
世界初の黒人共和国が失敗国ランキング上位では後の国も続かない。
植民地支配とアメリカはほんと罪深いですね。

_ midi ― 2010/01/28 08:50:26

今日は、さくららさん。初めまして。
こんなむさ苦しい(笑)ところへようこそおいでくださいました。

私も、ハイチについて夢中になって調べたりいつか行くぞと夢膨らませていたのはかなり前のことなので、持っていた知識はたいへん古いんです。とはいえ、アリスティドが逃げてからは状況は悪化の一途のはず。ハイチにも社会的上層部というか、裕福な人たちがいないわけじゃないので、その人たちは高等教育も受けてるし、今回の大地震で(一命を取り留めていたら)国の惨状ほったらかして自分だけ隣近所のリッチフレンズ(米国とかね)に頼んでとっとと避難(脱出)したと思います。
誇りを持って国を語れる人が上層部にいないことが、ハイチはキツいです。

ブログ、拝見しました。この冬は私もゆずジャムたくさんつくりましたよ♪ 自分でつくると格別(笑)おいしいですよね。

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