断絶状態2010/01/16 21:12:52

『ハイチ 目覚めたカリブの黒人共和国』
佐藤文則著
凱風社(1999年)


RFI(ラジオフランスアンテルナショナル)によるとハイチはまったく世界から断絶された状態にあるらしい。昨今流行りのTwitterとかFacebookとかもまったく役立たずだそうだ。阪神淡路大震災の時は携帯電話と携帯ラジオが役立ったという話をけっこう耳にしたが、そういうものの基幹部分が壊滅しているようだから電波も飛ばないのだろう。ポール・オ・プランスの90%の建物が倒壊したという。なんといっても、最貧だろうが何だろうがポール・オ・プランスは首都だ。日本でいうと皇居や東京タワー、霞ヶ関や新宿の都庁、六本木ヒルズとか代名詞的ないろんなもんが瓦礫と化し、成田や羽田の滑走路が飛べない機体であふれ、港には損壊した船舶がなす術なく溜まっている、というところだ。

阪神淡路大震災のとき、嬉々としてやってきた多くの報道アナウンサーの中には高価で暖かでおっしゃれーなレザーやダウン、果ては毛皮のコートまで着ていたヤツがいたし(報道合戦でもあったからここぞとばかりめかし込みたい気持ちもわかるし、実際寒かったしなあ。毛皮着てきたんなら被災者の毛布代わりに置いてってくれたらよかったのに)、スタジオでしゃべっている女子アナには映像を観ながら「東京だと思うとぞっとしますね」と映画観賞後のコメントみたくほざいたヤツまでいた(「東京でなくて、神戸でよかったね」って言っているに等しい発言を報道を担うヤツから聴いたときから、私は本気で東京大地震が起こればいいと思うようになったよ)。テレビ局のヘリが火事場の上空を飛び、燃えさかる炎をあおるだけあおって「燃えてますー」と興奮しまくっていた(火を見て喜ぶのは類人猿までだと思っていたけどね)。
よかったな君たち、なかなか見られないもん見られてさ。
当時マスメディアだけでなく、私のごく身近にすら、被災地へおもしろ半分に見物に行くヤツがいた。
あれから15年。神戸の街は美しく復興したけれど、震災はまだ人々の心に爪痕を残したままだ。
私自身は何一つ被害はなかったけれど、地震を面白がっていたヤツらのことは一生許さないと心に決めているのである。

あの朝、地鳴りがしたかと思うと、家ごと上下に揺さぶられた。私の布団のそばには本棚があって、本だけでなく人形やがらくた置き場になっていた。大きく揺さぶられたひとつめの揺れで、そんなものが布団の上にどさどさと落ちてきた。
私は布団の中で丸くなり、掛け布団にくるまったまま本棚からできるだけ離れた。
揺れが続いた。それはすごく長く感じられたが、最初の揺れほど強くならないまま、収まった。
いろいろ落ちてきたけど、何も壊れなかったし、ぼろ家のわりには、というか最初からぼろすぎて壊れるところがもうなかったというのか、家には地震で壊れた箇所などはいっさいなかった。が、それまでに覚えのないほど大きな揺れだったことには違いない。
私は階下へ降りて両親の無事を確かめ(大きな箪笥のそばで寝ていたからね)、ラジオやテレビで震源などを伝える報道を探した……

神戸には大学時代の同窓生、仕事の関係者など、多くの友人・知人がいた。家を失った子、避難所生活が続いた子など辛い思いをした友人は多かったが、幸い犠牲者も怪我人もなかった。彼らの家族もほぼ無事であった。

地震から15時間くらい経過した頃からだろうか、国内外あちこちから電話をもらった。無事か、大丈夫かと尋ねてくれる電話だった。ニュースで見てすぐかけたのに全然つながらなかったと。
私は私で、神戸の友人知人に片っ端からかけていたので、つながらなかったのはそのせいかもしれなかったが。

あれからいろいろなものがいろいろな形に発展し、世界中コミュニケーションできないところなどなくなったかのようにいわれているけれど、地球が脇腹をちょっとかゆがった程度で、とたんに断絶されてしまう。人間のつくるものなど自然の力の前にはひとたまりもない。

佐藤さんのこの本は、ハイチの成り立ちや地理、歴史にも詳しいが、主にポール・オ・プランスのスラム街に通い詰めて撮った写真を軸にして書かれたものだ。1999年刊だが滞在はそれ以前だ。豊かな日本は大震災を経験し、官も民も何かしら学んだ(と思いたい)が、当時のハイチは無法状態で、毎日のように誰かが誰かに殺されていた。民主的に選ばれたというと聞こえはいいがあまり誰も声高にいわなかったことをわーわー叫んで人民の気持ちを高揚させただけで大統領になったアリスティドの頃である。
本書を読むと屈託ない子どもたちの黒い肌がきらきら美しいことに感動するいっぽう、いまにも崩れそうながたがたの家で頬寄せ合って暮らす子だくさん家族や、夫や親を何者かに殺されてしまい途方に暮れる家庭が密集するスラムのひどさに目を覆う。
神戸はひどい目に遭ったけれど、地球上にはとうてい回復不可能なほどに痛めつけられた生活が存在していた。痛みは慣れると無感覚になる。ハイチでは誰もが無法状態に慣れっこになっていた。

そんな街にも市は立ち、野菜や果物が並び、人は手を動かして暮らしの道具をつくる。なけなしのお金でなんとか子どもに文房具を揃えてやるのである。佐藤さんが惹かれたのは、ほんとうはけっして失われずに潜在するハイチ人の底抜けの明るさとパワー、またそれが顕著に見える音楽や信仰といった文化の底力であろう。それがある限りハイチは生き続けると。

本書は2007年に改訂新版が発行されている。その後の10年分のルポが追加されているのだろう。残念ながらハイチは何もよくなっていなかった。そして地震。佐藤さんが愛したシテソレイユ(スラム街)は跡かたもないほどに壊れてしまったのではないか。
佐藤さんは現地の誰かとの交信に成功しただろうか。

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