800?2010/02/04 19:27:58

『800』
川島誠著
角川文庫(2002年)


対照的な二人の高校生が陸上競技の800mという種目で競う青春小説。

……とかなんとか、たぶんそのような紹介のされ方をしていたのをどこかで見たのであろう。陸上競技の800m走の選手で来年度は中3になるので全国大会出場目指して勝負に出る(笑)我が家のお嬢さんがこの『800』という小説を読みたい読みたいとずっとうるさかったのである。

「読んだらええやん」
「学校の図書館にないねん」
「ふうん」
「ふうん、じゃなくて。今度お母さんいつ図書館行くの」
「行かない」
「行ってよ」
「リクエストしてる本が来たよって電話があったら行くけど。お母さん忙しいもん。自分で行きなさいよ」
「むう~。さなぎも時間ないもん」

彼女に時間がないというのは本当で、土日朝から晩まで走るか踊るかしていて食べる時間と寝る時間の確保だけでひいひいゆっている。

私がリクエストしてる本というのは、例のダリ本(笑)だったり、3000円も4000円もするみすず書房の本だったりするので、おそらく新規購入の手続きになるので時間がかかると思われた。ま、可愛い娘の頼みだから用事がなくても図書館に行って『800』とやらを探そうか、と一度は思ったのだが、そうするうちに「ご予約の本が届きました」という図書館からの電話が入ったのであった。念のため『800』が行きつけの図書館の書架にあるかどうかを検索したら、ない。市内の、ウチからいちばん遠い公立図書館にある。なんだ、また取り寄せリクエストをしなくちゃならない。でも、あることがわかっているからすぐに到着するだろう、しかもこんなの誰も読んでいないに違いないから貸し出し中でもないはずだと思って、先に予約した本(ダリ本でした~♪)を取りにいくついでに予約した。

すると3日後だったか4日後だったかに「ご予約の本が届きました」と電話。たぶん『800』だろうと思って取りにいくと、はたして『800』だった。カウンターにダリ本を返し(だって読む必要ないし、あたし。市立図書館さんゴメンね)、取り替えるようにして借りた『800』をその場でぱらぱらと開いてみる。

書き出しの数行は、まあええ感じである。
しかし、2ページ目、3ページ目と進むにしたがって、んーこれはさなぎが期待している内容とはたぶん違うぞ、ということが早くも判明してしまう。

佐藤さんの『一瞬の風になれ』、あれも私はあまり好きではないのだが(言葉遣いが好みでない)、何というか、陸上競技に関する記述、スポーツを直接描いたシーンというものがもっともっと多かったと記憶している。練習メニューのこと、記録会のこと、合宿のこと、重要な試合のこと。
『800』にもそれらは出てくるが、はっきり申し上げて圧倒的に少なくて、800m走という競技の魅力が伝わってこない。800mはトラック2周、だから「Two lap runners」という副題がついている。トラックを何周も走る1500や3000とは違い、また直線部分のみや半周だけする100や200でもない、800という競技の面白さを描きたい……とは思えないのだ。走るシーンが少なすぎる。「800」は単なるネタ、100や長距離だとありきたりだから800を採用しただけなのかと思えて仕方がない。
そんなふうに思えたのは、たぶん私が800に打ち込む中学生の親だからだろう。

あらためてこの作品についての評価をオンライン書店の書き込みや個人ブログなどを検索してみると、すべからく好意的で、絶賛されていたりする。だが、面白いという読者はたいていが800mという競技を知らない。面白くないという評価する読者は陸上競技の経験者だったり、愛好者だったり、実際800mに取り組んだことのある人だったり。
たしかに知らない世界については想像が膨らむし、その一方、事実関係については無頓着でいられるものね。

本書を借りたのは1月最後の土曜日で、この日は早朝から、ウチのお嬢さんは選抜合宿に出かけてしまった。翌日夕方まで帰ってこないので、鬼の居ぬ間の大掃除をしようと思っていた(だって去年は全然掃除できなかったのよ)のだが、決意をすぐ翻意する私は(笑)掃除は適当に手抜きすることにして合間に本書を読みきってしまった。

帰宅した娘はさっそく『800』を手にする。

「それ、もうお母さん全部読んだよ」
「面白かった?」
「ううん」
「やっぱり。そういうと思った。お母さんが面白ないっていうてもさなぎには面白いかもしれんで」
「うん、面白いかも。でもなー」
「でも、何?」
「〈親指探し〉みたいにわかりやすいことないで」
「全然ジャンルが違うやんか」
「それに、あんまり陸上のこと書いてへん」
「ええーっそれ意味ないやん」
「高校生の青春小説模擬恋愛付き、という感じ」
「なーんや」

かなりがっかりした様子ながら、それでもすすすすっと読み進む娘。

「ハイペースで読んでますね」
「うん。だって、陸上に関係ないと思ったら飛ばしてるし」

ははは(苦笑)。そうですか。
たしかに、中高生の性体験シーンばっかり出てくるから、まだまだそっちには関心が向かないさなぎにはリアリティがなさ過ぎるであろう。

この小説には主人公が二人いて、この二人の一人称によって物語は語られる。その語りかたが非常に対照的であるなどなかなか巧妙なつくりである。読み手に目の前で話しかけるような文体なのだが、二人の性格をよくにじませたものになっている。冒頭はその二人が出場する中学陸上の市大会のシーンだ。第1章で語り始めた、ちょっとチンピラな感じの少年は決勝で2位に入る。第2章で語り始めるまじめな陸上少年が1位。まずこのようにそれぞれが1位、2位を走って800mという競技を紹介したあと、第3章で、2着の少年が「オレの名前は中沢」と名乗り、第4章で「僕は広瀬」と1着の少年が名乗る。というふうに、彼ら二人は交互にナレーターとして登場する。それぞれの語りを通して、人物の性格、生活ぶり、環境などを読者は徐々に知ることになる。

江國香織の『きらきらひかる』が、たしか、こういう構成だったが、はからずも、文庫版には江國センセイの「絶賛解説」が巻末についている。先にそれを読んでしまうと本編を読む気しなくなるに決まっているので我慢し(笑)、小説を読んでから読みました。ハイ、これにはかなりげんなりしました。以上、蛇足。

中沢はテキ屋系ヤクザの次男で、家は殺風景な工業地域、中学卒業前から同級生と寝ていて、やがてその姉とも寝るようになるというような、ヤリまくりたいタイプの女好き。体が大きくて中学時代はバスケットボール選手。かたや広瀬は海が見えるハイソな(たぶん)街に住む。中高一貫校で正しく陸上競技に打ち込み、800mという競技以外には何も興味を持とうとせず、その語り口から頭脳明晰で冷静な理論派であることが窺える。

その二人が高校生になり、強化合宿で出会う。もしも競技を描くことに主眼を置いた小説なら、彼らにもっとライバル意識をもたせて、練習に励みしのぎを削るシーンを増やすのが王道なのだろう。しかし著者はそうせずに、それぞれのガールフレンドとの性行為の描写だとか、強化合宿で出会ったなかなかイカス女子ハードル選手との絡みや嫉妬の感情などに行を割く。おませな広瀬の妹に重要な位置を占めさせたり、さらには、「女の子に興味なし」然とした広瀬の意外な恋愛経験が明かされて、なかなかに手が込んでいて、それはそれで展開のしかたとしてはダメなわけではない。

単行本として発行されたのは1992年だそうで、その時期に日本でどの程度陸上競技がメジャーだったかもう思い出せないけど、いずれにしても、国内大会の中継や報道は、同じ陸上でも駅伝やマラソンとは扱いに雲泥の差があるのは今も昔も同じだ。これを原作に映画まで製作された(1994年)らしいが、私はまったく記憶にない。ごめんなさい。本書や映画をきっかけに800mという競技に少しは光が当たったかどうか、それが云々されたかどうかということすらも、ぜんぜん聞かなかった。

《ぼくは八〇〇メートルという距離を走ることが気に入っている。
 それは、不思議な長さだ。
 (中略)五〇〇〇メートルなら、ともかく持久力。中高生にとって、やっぱり五キロを速く走るっていうのは、スタミナが勝負。
 その点、八〇〇メートルは違う。短距離並みのスピードで、四〇〇メートル・トラックを二周(TWO LAPS)する。しかも、コースはひとりひとり分かれてなくてオープンだから、駆け引きがある。勝とうと思ったら、かなりの速さで走りながら、緩急をつけなきゃならない。
 八〇〇っていう長さを決めた人は天才だって、時々ぼくは感じる。》

《中距離っていったけど、アメリカでは八〇〇までをDASHと呼んで、それ以上をRUNと区別している。つまり、八〇〇までは短距離の扱い。八〇〇メートルを走ることが、どんなに楽しくて苦しくて特別なことなのか、少しはわかってもらえるかな?》

――という、広瀬の語るくだりがある。このほかにも、いくつかの箇所で、800特有のレース展開の仕方などが書かれないわけではないが、「この競技への理解が進んで関心の高まることを期待する」という観点に立ったときに、あまりにも物足りなく、情報不足である。ま、たぶん、著者の目的はそれではなかったのだ。彼はただ、800を題材のひとつにしただけなのだ。

陸上部でなかったら、あるいは中途半端な期待や予備知識なしに読めば、中高生には面白いのであろう。おそらく思春期御用達のワクドキストーリーとしてこれからも支持され続けるであろう。

で、ウチのお嬢さんだが、ときどき「へえ、ふうん」とつぶやきながら読んでいた。それは広瀬が練習メニューに取り入れている呼吸法だとか、800mではスタートが他の距離走とちょっと異なる点だとかを説明している箇所だったようである。女の子と「バコバコやってたわけよ」としか語らない中沢の章はほとんど飛ばしていたようだ(笑)。
期待はずれだったね。
800mという種目で活躍する日本人ランナーの登場を待つしかないさ。そんなことがあれば、上手な作家センセイたちが素晴しい青春800m走小説を書いてくれる。きっと。

んなわけで、とっとと『800』を手から離してしまったさなぎは、『ぎぶそん』という中学生バンドを主人公にした小説の単行本を新たに学校で借りてきた。これはまたこれで、遠そうな話である……。

※800字のお話だと思った方がいらしたら、失礼しました♪

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