やっぱ小説はこうでなきゃ2010/09/28 22:59:34


『ムッシュ・クラタ』
山崎豊子著
新潮文庫(2009年)


去年買った新潮文庫。だからこれは借りたのでももらったのでもないれっきとした私の本である。えっへん。
私は山崎豊子を読んだことがなかった。といって、山崎豊子を読みたくなったからこの本を買い求めたというわけではない。山崎豊子といえば『白い巨塔』とか『沈まぬ太陽』とか『大地の子』とか超・長編作家しかも社会派であるという印象が強くて、私など、読者に名を連ねるべきではないというかお呼びでなかろうというかカンケーねえだろっみたいなところにいる、偉大な作家であった。
『ムッシュ・クラタ』は分厚くない。しかもこの表題作の他にもう3編が所収されており、短編集の体をなしている。総ページ数210余の本に4編が所収されているのであるからどれもコンパクトな小説である。どれも短いのに、味は濃厚である。

例によって、新潮文庫の100冊シリーズに応募したくて新潮文庫の書架を書店で眺めていて、目についたのだった。ムッシュというくらいであるからきっとフランス人がなんらかのかたちででてくるんだろうな。そう思ったけれども、じっさいフランス人は全然登場しなかった。

倉田という名のフランスかぶれが亡くなるが、彼の生前を知る人々によって語られるムッシュ・クラタ像はさまざま。いくつものかけらをつぎはぎしていきながらひとりの人物の人生をたどる、短いくせに中身の濃い一編なのである。

いちばん好きなビールと同じ名前の駅


『ムッシュ・クラタ』は昭和40年にすでに文芸誌上に発表されている。この時期に書かれた作品に登場する人物の常として、倉田も戦争を経験する。兵隊ではなく従軍記者として。同様に従軍記者としてマニラに派遣されていた他社記者の、残した日記が倉田の一面を語る。何人もの紳士が倉田を語るがこの日記は結構重要よ、という設定である。
他社記者は当初倉田が目障りでしかたがない。しかし苛酷な状況におかれながらも自身のスタイルを崩さなかった倉田を、最後には尊敬の対象として書いている。

短い作品だが、こういうのを読むと「小説だっ」という思いが強くなる。出張の際、『ハチ公』と一緒にこれももってったのだが、「帰りの車中」という貴重な時間を顧客に奪われてしまったので忸怩たる思いだった。土日で読んでしまえたが、やはりよしもとばななと比較——なんてするもんじゃないけど――すると、本書のほうが考え込まないと前へ進まないようにできていて、その分、頭の体操になり、どちらかというと神経や感性を試されているようなよしもと作品よりは体育的に読後感がよい。というより、重い。