5 years2010/12/02 22:18:09

もう昨日のことになってしまったけれど、12月1日はウチのねこさまの誕生日である。
5歳におなりになった。
光陰矢の如し。
月日は百代の過客にしてなんとやら。
年明けて2月には父の七回忌をとりおこなうので、そりゃ5年経つのも至極当然なのである。
めっきり少なくなったが、我が家にはネズミさんたちが棲みついており、調子に乗って居間やダイドコまで出てくること頻繁であった。天井裏を駆け回るくらいはご愛嬌だが、籠に盛った果物や、三角コーナーに捨てたままになっていた生ゴミを食べ散らかされるのは困る。いつぞやは娘がつくったハロウィンかぼちゃが無惨な姿で発見された。「ネズミがいたずらしてるとこ見てみたいなー」なんて、いわむらかずおの「14ひきシリーズ」の世界を思い描いて余裕のあるところを見せていた娘も、ぼろぼろになったミニかぼちゃを見てさすがに青ざめた。
「ネズミ、許さへん」(わなわな)
私は笑いをこらえるのに苦労したが、この出来事は猫を飼う大きなきっかけの一つであった。
もう一つは、やはり喪失感である。欠乏感である。父が2月に亡くなって悲しみに浸る間もなく、葬儀や七夜であっという間に月日が過ぎ、父の不在に慣れたようでいながら、ふと狭い家の中にできた空隙の思わぬ大きさに唖然とする。それでも、毎日捌ききれないほどの私用公用雑事茶飯事を抱えてばたばたしている私や娘はそもそもなにがしかの思いにふける時間がなかった。が、母はやはりぼうっとしていることが極端に多くなった。ぼうっとして何もせず座っているだけの父を見てはしょっちゅう話しかけたりおやつを差し出したりちょっとした手遊びをしてみたりと何かと構っていたが、相手がいなくなり今度は自分がぼうっとするばかりになった。無趣味な人なので時間つぶしの方法を知らない。ぼうっとしているからといって四六時中そばで話しかけてやるわけにはいかない。母がどれだけ空虚感を自覚していたかは知らないが、このままではこの人は遠からずぼけてしまうであろう。その危機感から私はそれ以前にもまして彼女に家事を頼むようにした。世話を焼く相手がひとりいなくなったので、おのずと孫がターゲットになり、以前にもましてさなぎにかまうようになったのだが、さなぎはさなぎで日々成長する小学生女子だったので、だんだんとばあちゃんの干渉を鬱陶しがるようになっていた。
「さなぎのことはいいから、自分の部屋とかダイドコの掃除とかさ、乾いたタオルきれいに畳んで仕舞うとかしてくれへん?」
実は母は料理も掃除も得意ではない。衣類等を畳んで引き出しなどに片付けるのも不得手である。彼女が畳んだものは私に言わせれば丸めて突っ込んだに等しい。寝室はいろいろなものが山積みになって、とても当人以外にはものを探し出せない(それは、ま、アタシも同じだが)。なのにさなぎには宿題はあるのか、宿題しなさい、宿題すんだのか、時間割したのか、忘れ物ないか点検しなさい、と彼女が家にいる間に各10回くらい言うのである。
要は、自分のことは棚に上げて人の世話を焼きたい、構いたいタイプなのである。
父は、母がかまって何もかもするので、自分の服や下着、靴下がどこにしまわれているのか何も知らなかった。
度が過ぎた世話焼きは迷惑である。
「ばあちゃん、今日一日はさなぎに宿題したか、って言わないこと。ゆうたらおやつのおまんじゅうはなし」
とかそんなことで釣って、あなたの世話焼きは人をダメにするのよということを伝えようと何度も試みたが、現在に至るまでまったく矯正はされていない(笑)
ともあれ、世話を焼く対象がさなぎひとりでは危険だと考えたことが、猫を飼うことのさらに大きなきっかけとなった。
母は動物嫌いである。
しかも猫だけはこの世に存在することが許せないというほど嫌っていた。さなぎが赤子の頃、よく公園に連れていってくれたが、公園の野良猫がどうしたこうしたと、帰宅した私に憎々しげに語ったものだ。ほっといたらええやん。手出ししいひんかったら何もしいひんやろ、猫なんか。しかし母は、視界に入ってくるだけで悪寒を感じるらしい。一方、犬に対しては、自分が嫁にきた頃から近隣に飼っている家庭が多かったせいもあってか、まったく抵抗感がない。だから犬を飼うという発想をしないでもなかったが、犬は散歩に連れて出なければならない。犬好きの父がまだ健在だった時から、我が家では、犬は飼いたいと思えども散歩の担い手がいなかった。誰もが三日坊主に終わると確信していたのである。
そんなわけで、ほとんどムリヤリ猫に決定した。
猫を飼おう!
わーいわーい。
ええええっ。嫌や嫌や絶対嫌や。
ある日、地域紙の三行広告「あげます」欄に「猫もらってください。アメショーMIX6匹います」という告知を見つけた。これだ。
速攻で電話する。あからさまに嫌な顔をする母に、これ、もらいに行くからねと宣言。土曜の朝だった。広告主によれば、すでにもう何人かから引き合いがあるとのこと。「今日の午後、いきますから」と念を押して当時まだ持っていた軽を駆り、午前中の用事を済ますやいなや広告主の住む団地へすっ飛んでいった。
子猫はもう2匹になっていた。
「雄と雌、一匹ずつです」
籠に入った小さな猫は、互いに寄り添いくっつき合って、にゃーにゃー啼いている。少し毛の色が違う。私も娘も直感で、よりブラウンがかった毛色の雌を選んだ。雄よりおとなしそうに見えた。あとから思えば雄のほうがアメリカンショートヘアっぽい毛並みをしていたのだったが、猫の種類などにはとんと興味も知識もなかったので、この子が好き♪と感じたほうにしたのだった。
持参した籠に入れてもらって、まず、いったん帰った。
「おばあちゃん、おばあちゃん、見て見てーねこちゃんー」
あまりに嬉しそうな孫娘の様子に、見てやらんわけにはイカンと思ってかどうか知らないが、籠から出した猫をまじまじと見た母。
「ひゃあ、可愛らしいなあ!」(※「かえらしい」、と読みます)
さなぎが子猫をばあちゃんの膝に乗せる。ちっちゃいわあ。よう来たなあ。
よっしゃクリアしたぞ。瞬時に確信し、さ、ペットショップ行くぞと娘と養女(笑)を連れてトイレとトイレ砂と当面の餌を買いに行った。5年前の2月4日。

「この子、生まれてどのくらいなんですか?」
「いやあ、それが正確には……11月の終わりか12月の初めかなあ。いつの間にか生まれてたし、ちょっと僕も記憶がはっきりしなくて」

わからないものをいくら考え巡らしても結論は出ない。
したがって、12月1日という、ウチのねこさまの誕生日は、実は私たちが当人(当猫?)の意思も希望も事実も脇へ置いて決めた記念日であった。

ねこさまはすくすくとお育ちになり、膀胱炎になったりもしたが、ここ2年ほどはその症状もすっかり影をひそめて、すっかり健康で元気である。猫嫌いだった母は、いまでは愛猫なしでは一日も生きていけないくらい、麗しのねこさまと一心同体化している。5歳といえばいったいいくつなんだろう。けっこうエエ歳のはずである。相変わらず猫に赤ちゃん言葉を使う私たちだが、あんまり悪さをして、叱ってもいうこときかずにいたずらを繰り返す時など私はつい、
「こらっオバハン! ええかげんにせーよっ」
などという(笑)。
「にゃー!」
あんたにオバハンていわれとないわっ。とゆっているように聞こえる(笑)。
今年の誕生日プレゼントは和柄の首輪。ちりめん風プリント地でつくったカラーに梅の花をかたどった鈴がついている。
「品が良うて、よろしおす。よう似合うたはりますえ」
などといってみる(笑)。
「にゃにゃんにゃー」(へえ、おおきに。うれしおす)
というふうに聞こえて喜ぶのは飼い主ばかりである。

ハッピーバースデー。
Bon anniversaire!
5歳の誕生日おめでとう、りーちゃん。