Qu'est-ce que tu en penses ?2011/03/23 01:16:53


ガイガーカウンター、送ってあげようか?
そんなことを言われたけど、要らないと言った。だって、そんなこといちいちしてるほど日常に余裕ないもん。だけど、いずれ、自分で携帯するほどではないにせよ、放射線計測器がぐっと身近なものになるのだろう。今火災報知器の取り付けが義務づけられているが(ウチはまだ付けてないけど)、そのうちガイガーカウンターの取り付けとか携帯とかが義務づけられるようになるんじゃないだろうか。なんてこった。

チェルノブイリの子どもたちが描いた自画像を集めた絵本を、何年か前に娘と読んだ。自画像にはのど元に必ず甲状腺がん治療痕とわかる傷が描き込まれていた。その意味がわからない娘に原発事故のとおりいっぺんの説明をし、絵本をめくりながら、ほんとうにこの子たち可哀想ね、なんて言っていた私に、いったい何の意味がわかっていたというのか。原発は自分の国にもあって、同じことが起こる可能性はもちろんある、などと理屈では言いながら実質事故の可能性はゼロだとどこかで過信していた自分たちの浅はかさ。


新聞に、ハンナリーズ(地元のプロバスケチーム)の外国人選手が契約を解除して帰国したと書いてあった。原発事故の影響を恐れる彼を誰も責められない。誰もが、文字どおり潮が引くようにいなくなる外国人たちのことを、ちぇ、なんだよ、と心の中で舌打ちし口をとんがらして、苦渋に満ちて見送っているだろう。だけど、外国人たちの気持ちは、わかる。自分がその立場だったらきっと日本へ飛んで帰ってきたに違いない。

現在の報道は東京中心なので、現実の東北各地の被害をレポートする以外には、今回の地震によって「東京が受けた被害、影響」について語っている。だからそれをまるごと私たちの街に当てはめるには無理があり、無理があると思っている自分の頭が、「ここにいる限り大丈夫」という根拠のない安心を信じ込もうとしている。そしてカラダのどこかで、「いやいやいや、危ねえぞ」と声がする。



今、地震の被害に関連した動きに対しては過剰自粛だという声と不謹慎だ神妙にせいという声との両方がある。実際デリケートなところだが、はしゃぎ過ぎてしまいそうなイベントは抑えて、ある程度の集客が見込めるイベントはぜひ実施して募金につなげるべきだろう。寄付できる裕福なかたは騒がずひけらかさず黙って巨額の寄付をしていただきたい。持たない者はチリも積もればなんとやら式で、少額ずつを大量にかき集める方法を考えたい。
過日発行したばかりのある定期刊行物で、この私が一生懸命特集記事をつくった4月の花見イベントが、しゅっと中止になった。いささかショックだった。その中止に意味があるのか。「この時期、桜見て浮かれてる場合とちゃうんちゃう、人も来いひんやろし、ていう感じで決まった」だそうだ。そうか? 毎年あんなに、ただ桜が咲いているというだけで人は集まる。ならば露店ごとに募金箱を置くなどして、この機会に、しっかりがっつりお金をあつめればいいではないか、と思うのだが。行政主導のイベントなので、お上はさらにお上の顔色を窺うから、末端の担当者が何を思おうと、簡単にはいかないようである。
しかしいったいいつまで自粛すべしなんだろう?

プロ野球ではセリーグがいつ開幕するかで揉めている。
パリーグは楽天の球場が被災しているし、とっとと延期を決めたのは賢明な振る舞いだったと思う。セリーグは当初予定どおり開幕するといっていた。
「しのごの言わんとやれ、ってセリーグの偉いさんたちが選手に言うたらしいよ」
「うん、ニュース見たよ。やったらええやん。野球選手って野球が仕事やん。お母さんも仕事してるやん。嫌なお客さんのいうこと聞いて、書きたくもない記事書いてるやん。社長の言うこと聞いてるやん。ウチ、それとおんなじやと思うで。野球やってナンボ、の人らやろ、プロ野球選手って」
と、ときに超正論を吐くわが娘(笑)。
正直、3月25日に予定どおりナイター開幕するという報道に、そりゃ反感買うぞと私は思った。とにかく未曾有の大災害、原発もぼろぼろで電力供給もあやしいというのに……多方面からダメ出しを食らうだろうと。その一方、センバツも開催決定したことだし、日本全国イベント自粛ムードの中、体の動くヤツが本来の仕事をするのはよいことだ、とも思った。一連の報道に、選手会長か、選手か忘れたけど、その談話に「こんなときに野球やってていいのか」というのがあったが、このひと言に非常に引っ掛かったのである。やんなさいよ、野球、仕事でしょうが。野球で被災者を救えるとは思わないが、まずは野球をする、それを大前提としてとるべき行動、工夫すべき点を考えなくてはいかんでしょ。野球選手なんだし。大事な仕事を「やってていいのか」なんて、言っちゃダメ。

経営陣は経営陣で、ちょびっと延長して見せて逆に仕分け姐さんの怒りを買って。もう。あほ。

少し温くなったのに、また冷えてきた。
避難所の寒さはいったい。



知らされていないこともあるだろうが、知らされたとしてもわからないことだらけなのである。不安だが、不安を消し去ってはいけないと思う。村松さん心が大事ブログで言っている。原発事故に過剰反応する人々を嘲笑する前に、とりあえずいま喫緊の状況にはない、余裕のある者がすべきは、よく考えることじゃないのか。なぜチェルノブイリでは子どもたちばかりが甲状腺がんで死んでいったのか。それは彼らが乳児や胎児であったときに汚染食物を体内に取り込んでしまったからだ。何も知らず、わかっていなかった大人たちが、とりあえず子どもには食べさせなくちゃととった行動が数年後の悲劇を呼んだ。いま、大人がすべきは「疑わしき」をすべて子どもから遠ざけることだ。

農作物の出荷が止められたが、ちょっと放射線被っただけの食材は洗えば大人には大丈夫だ(子どもはダメ)。放射能汚染は伝染病ではないから、現場にいた人から放射線が「うつる」こともない(だから差別はナンセンス)。危ないのは土と水である。土に、汚染物質が染みていき、汚染物質を蓄えた大地から湧く水も汚染される。そこに負けじと生える植物もまた、体内に汚染物質を孕む。チェルノブイリがそうであるように、現場はゴーストタウンジャングルと化す。
福島第一原発の周囲はこの先何十年も立ち入りできない、もはやそういう場所になってしまった。そういう場所を抱えて、日本という国は、この地球上で生きていくのである。
そのことを考えていかなくてはならないのだ。



7h41: Trois ouvriers de Fukushima irradiés2011/03/24 19:30:32

よく「安全神話が崩れた」という表現が使われるが、「神話」なわけだから安全なんて嘘っぱちだと承知だったわけじゃないのか。東電に対する「絶対安全だって言ったじゃないか」という抗議は、実際に東電の人から「この原発は絶対安全ですからね大丈夫」といわれながら被災した人のみが使える言葉であって、遠くから眺めていただけの人間にはそんなこと言い募る資格はない。原発が安全ではないことは「理屈だけ」であろうと「漠然と」であろうと知っていたはずであり、もし事故が起こったら大変なことになるということもある程度予測していたが、その事故によって自分に厄災が降りかかるとは考えていなかった、なぜならそれは地方の沿岸部にあるもので、都会の私たちには直接関係ないから、真剣に検討する対象ではなかったのである。
今、東京の水道水が安全でなくなり、現実に被曝した人たちが出るに及んで、ようやく都会人が覚醒しつつある。もう、原発は止めよう。本気でそう決めなくてはならない。原発をやめてしまうことに躊躇していた国々が、福島第一原発のありさまを見て、再建や再稼動を中止したり、廃炉を決めたりし始めている。
福島第一原発がおとなしくなるまで手当は欠かせないかもしれないが、国も東電もまだ「修理して使いたいんだよね」という気持ちを持っているように見えてしかたない。結論がどう転ぶにしろ、危険な作業が続くことには違いないのだろう。今必死で働いている人たちの無事を祈るしかないが、それでも、「原子力発電の恐ろしさがよくわかりました、だから今後順番に廃炉していきます」という姿勢を見せるのと見せないのとではずいぶん違うと思うんだけど。

あっちこっちで、公の発表には現れない議論がなされている。
偉そうなことを言う私も、まるで判断能力はないけれど、一読に値すると思われるページを貼っておく。
http://takedanet.com/
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html


こっちは、「フランスではガイガーカウンターがいまだかつてないほどの売れ行き」というリベラシオンの記事。原発大国だからな。
http://www.liberation.fr/terre/01012327272-en-france-les-compteurs-geiger-s-arrachent


テレビは見ないがインターネットのニュース配信は見る。
http://www.ustream.tv/channel/nhk-world-tv?lang=ja_JP

(関係ないが、最近娘が「何でもネット上にあるねんな」ということを知ってしまい、見逃した《くだらない》ドラマや友達の間で評判の《どうでもいい》映像を、暇なのをいいことにずっと見ている。これまでせいぜいミュージシャンのPVやバレエの舞台映像程度だったのに……。だがこれでテレビがなくなっても大して不自由はないことに気づいたであろう。我が家ではニッポン全国地デジ化の機会にテレビの視聴を止めるつもりだから)


だが、何よりも、せっかく命拾いしながら避難所や仮設診療所で死んでいく人が後を絶たないことが悲しくやるせなく、何をさておいても被災地避難民の救援救護にすべての力を注ぎたい。水も食糧も物資もまず被災地に送られなくてはならない。今日命ある人が明日も朝を迎えられますように!
http://www.boston.com/bigpicture/2011/03/japan_-_new_fears_as_the_trage.html
http://www.boston.com/bigpicture/2011/03/japan_hopes_fade_for_finding_m.html
http://www.boston.com/bigpicture/2011/03/japan_one_week_later.html


だが飲む水のない都会の子どもたちの状況も深刻だ。
海外からはまず水をもらおう。水ください。エヴィアンでなくていいの。水道水でいいから。

私はといえば、少しだけ「お岩状態」を脱している。目薬が効いているのか、ちょろちょろ降った雨のせいか。今日はよい天気で花粉も飛び放題だった。久々にしんどいが、まず今シーズンの山のひとつ目を越えたのかなという気がしている。アイメイク再開の日でしたの巻。

Deux forts séismes frappent la Birmanie et la Thaïlande2011/03/25 00:59:09

午後8時25分、ビルマ、ラオス、タイのあたりでM6.9の地震があったそうだ。

http://www.20minutes.fr/article/693530/monde-deux-forts-seismes-frappent-birmanie-thailande

大きな被害が出ていませんように。

Il faisait chaud comme le printemps...2011/03/30 01:37:12

昨日訪ねた取材先の観光地では、ソフトクリームを片手に歩く人をたくさん見かけた。春みたいに暖かかった。というより、3月ももう終わるのだから暖かくて当たり前なんだ。なのにおとといまでダウンコートを離せなかった。陽気はいいけど、時折吹きつける風が冷たくて、朝晩の冷え込みはキツいし、いくら照っても日光の差し込まない我が家は一日中氷のように冷たいので相変わらず暖房がんがんである。

「今年度」がもうすぐ終わる。たしか去年も、年度替わりのときに疲労困憊して弱音を吐いたような記憶がある。暑いのをこらえて、冷房とも戦って、必死で体調維持して過ごした夏。いろいろな行事に思うように参加できない悔しさから来るストレスと物理的な過剰労働でどうにかこうにか立っていた秋。豪雪極寒きわまれり、って感じで、手持ちの冬物衣料では太刀打ちできないので思わぬ出費を強いられた冬。花粉症の春。
と、自分のことだけでも捌ききれないほどしんどいのに、娘のバレエと受験に思いのほか手を取られ時間を費やした。建て替え中の隣家に南側の採光口を遮られてしまい植木が半分ほど枯れてしまったし。金魚は2匹しか残らないし、冬眠から醒めたミドリはせっかく起きたのにちっとも暖かくねえ、なんて憎まれ口をたたいているかもと思うほど、うごかず、ひどく痩せている。

このごろ普通に歩いても息切れするようになり、ひどい運動不足を感じている。現状は打破しないといけないから、どんなに息が切れても歩くべき時は歩くが、そんなの、歩かなくてはいけない距離からすると雀、というよりミミズの涙であろう。と言って、ウォーキングしたり、スポーツジムに通ったりなんて芸当はとうてい不可能だ。通勤を徒歩に変えるのがまずはいちばんいいのだが、けっこう日中得意先回りをする私にとって自転車は必須アイテムなのである。チャリ通勤は止められない。

けっこう打ちひしがれているのに全然食欲は減退しない。どころか、毎日食べ過ぎを自覚している。このままでは天災があっても人災があったとゆっても逃げられない。
ヤバい。

Nicolas Sarkozy doit s'entretenir avec le Premier ministre nippon Naoto Kan...2011/03/30 18:37:44

何しに来んのさ、大統領殿が……って感じよね。菅さんが東電に視察に行ったから初動が遅れただのなんだのと叩かれてたけど、その能力と存在感の大小は別にしてとりあえずトップにある人が動くと大層だよね。受け入れるほうは邪険にできんしお茶も出さないといけないし。
ニコラったら、麗しのカーラさんじゃなくて原発作業ロボ連れてくるんかな。米製より仏製が性能は上よって?

すみません。ふざけたいわけじゃない。
フランスは原発大国であり先進国だ。核保有国でもある。
だからってその国民が核について正しく理解しているわけではない。ま、もちろん、いったい誰が核について「正しく」理解しているだろうかと問われれば、誰ひとりいないと答えるしかないけどね。
福島第一原発が事故ったとの報に最も敏感にそして迅速に動いたのはフランス人だった。それは放射能がどんなに危険なものかをよく知っているからといえば聞こえはいいが、実際には、政府が退去命令を出したこともあるけど、故郷の実家の親とか友人たちが過剰反応し日本列島が速攻で汚染されているかのようにパニクって帰れコールを起こしたからだ。公式発表は曖昧ではっきりしないし(したところで日本語だし)、いきおいネットで仏サイトでニュースをゲットするとやはり大騒ぎしてるし、関東圏の日本人も買占めしたりして右往左往しているし、よくわからんけど実家を安心させるためにもここはとにかく帰るべ、という人が多かったんじゃないかな。もちろん、誰よりも本人がパニクっていた可能性もあるけど。

仕事や学業で来日し、そこで日本人と出会い結婚し、家庭を築いたフランス人を少なからず知っている。カップルのありようはさまざまで、どの家庭もが皆サンパな(=感じがいい、好感の持てる)訳じゃないんだけど、それぞれなりに今日までのプロセスがあることを思うと、こういうときの配偶者の態度、原発推進派なのか反対派なのか、みたいなことも含めて、平時には現れないはずの潜在意識や隠し持っていた哲学、平たくいえば生活する上での不具合の申し立て、もっとあっさり言うと配偶者への不平不満、なんかが一気に噴出したりはしないのかな、といい気味だ、じゃなくて(笑)憂える事態じゃないのだろうか。いやこれは日仏カップルだけに限ったことではないんだけど。いや、わかってる。余計なお世話だ。

なにがいいたかったんだろう。
そう、余計なお世話だ。
助けたげよう、手伝ったげよう、そう申し出てくれていたフランスやアメリカに最初から素直に頼ってればいいのに。そう考える日本人は多いだろう。私もだ。非常時なんだし。でも何をどうしてもらったらいいのかすらわかんなかったんだから、それぐらいお子ちゃまレベルだったんだから、もう何をいってもしかたない。今ようやく何をすべきかわかりましたから助けてください、そうお願いしたということだからそれはそれでいい。
でも大統領が来んでもええやん。

阪神淡路大震災が起こったとき、私はフランス人スタッフの中で働く、という環境にいた。知的でいいやつばかりだったが、ものごとすべて、あるいは日本すべてを見下す傾向のある人たちで、それは悪意からではなくて、彼らの国民性に中華思想がどうしようもないほど染みついているからなのでしかたないのだが、それでも日本人の私にとってはかなり鼻につく発言が多かったことは事実だ。
震災のせいで、私たちの職場と関わりのある、ある紳士(日本人)が亡くなった。その死を私たちは大変悼んだが、でもけっきょく、ウチのフランス人スタッフらは、少し交通が落ち着いた頃を見計らい、めいめいカメラを持って、グループをつくって出かけた。街の姿が一変しているから、神戸に行ったことのある人もはぐれちゃうといけないし、みんなで行けば心配ないよね、という感じで。
何をしにいったかというと、物見遊山である。
炊き出しするでなく、物資を持っていくでもなく、また、亡くなった例の紳士宅は崩壊してしまっているし家族は避難していたしでお見舞いに行くでもない。行って眺めて写真に収めてくるだけならそれは物見遊山だ。
翌日出社したスタッフが得意げに写真を披露してくれたとき、その写真の数々は文句なしに衝撃的だったが、写されているもの云々とは別の次元で、私は静かな怒りと彼らへの殺意を抱いた。いや、それはすぐに消えたんだけどね。仕事もあったし。

ニコラはナオトに何を言うのだろう。
未曾有の大震災に遭われてお見舞い申し上げます。
国際社会に対する日本の貢献度を引き合いに出すまでもなく、われわれフランスはこの日本の苦難を少しでも軽減するための援助を惜しみません。必要なものは何でもリクエストしてくださいスィルヴプレ。原発処理作業スタッフはいくらでもいますからとっかえひっかえ提供します。ムッシュナオトカン、くじけちゃいけません。大丈夫、原発はもっと頑丈に作ればいいんですから、福島のは無理にしてもね。ご所望ならヒントはいくらでも差し上げましょう。
……言わないかな。
言うかも、でしょ?
余計なお世話だ。

ムッシュナオトカン、今回の大災害を教訓に、将来的には原発を全廃する方向で行かなくてはなりません。フランスも脱原発を模索しているのです。クリーンエネルギー創出のため、日仏の叡智を結集しましょう。
……言わないよね。

On avait déjà prévenu!2011/03/30 22:32:16

(すべて引用)
発信箱:すべて想定されていた=福岡賢正(西部報道部)

 原発事故の報道に強烈な居心地の悪さを感じている。その理由を突き詰めていくと、メディアが安易に使う「想定を超えた」という言葉のせいだと思い至る。眼前で今起きている事態は本当に想定外だったのか。
 《最大の水位上昇がおこっても敷地の地盤高(海抜6m以上)を越えることはないというが、1605年東海・南海巨大津波地震のような断層運動が併発すれば、それを越える大津波もありうる》
 《外部電源が止まり、ディーゼル発電機が動かず、バッテリーも機能しないというような事態がおこりかねない》
 《炉心溶融が生ずる恐れは強い。そうなると、さらに水蒸気爆発や水素爆発がおこって格納容器や原子炉建屋が破壊される》
 《4基すべてが同時に事故をおこすこともありうるし(中略)、爆発事故が使用済み燃料貯蔵プールに波及すれば、ジルコニウム火災などを通じて放出放射能がいっそう莫大(ばくだい)になるという推測もある》
 すべて岩波書店の雑誌「科学」の97年10月号に載った論文「原発震災~破滅を避けるために」から引いた。筆者は地震学の権威、神戸大の石橋克彦氏。つまり今回起きたことは、碩学(せきがく)によって14年も前に恐ろしいほどの正確さで想定されていたのだ。
 石橋氏はその後も警鐘を鳴らし続け、05年には衆院の公聴会でも同様の警告を発している。電力会社や原子力の専門家たちの「ありえない」という言葉を疑いもせず、「地震大国日本は原子力からの脱却に向けて努力を」との彼の訴えに、私たちメディアや政治家がくみしなかっただけなのだ。
 05年の公聴会で石橋氏はこうも警告している。日本列島のほぼ全域が大地震の静穏期を終えて活動期に入りつつあり、西日本でも今世紀半ばまでに大津波を伴う巨大地震がほぼ確実に起こる、と。

毎日新聞 2011年3月29日 0時01分

Pourquoi ça marche toujours?2011/03/30 22:37:10

数日前にもリンクを張った、中部大学の武田先生のHP、特設スタジオから今日の分を引用。
http://takedanet.com/
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なぜ、今日も原発が運転されているのか?

今日も日本の原発が運転されている。すでに地震で柏崎刈葉、それに福島が破壊したのに。
地震はいつでも来る. そして柏崎刈葉も、福島も「震度6」で破壊したのだ。福島は津波というけれど、地震に津波はつきものだし、最初の地震で配管系は破壊している。
・・・・・・・・・
福島付近で被曝した人には申し訳ないが、それでも「西風」だったから日本は九死に一生を得た。もしこれが日本海側だったらとゾッとする。
原発は地震で壊れる。今回の破壊は、設計が悪ければ保安院、施工が悪ければ建設会社や電気会社、運転が悪ければ東電に責任がある。
おそらく設計だ。それでも保安院院長は謝らない。国民にかわって原発の安全を守ると言ってきたのに、それでも反省の色はない。
今、自治体が全国の原発の安全性を見直すという。でもそれは官房長官(政府)の役割・・・むしろ原子力安全委員会の役割だ。
自治体は「原発は爆発するものとして、住民の安全を守る」方法を早急に検討しなければならない。
福島原発付近で避難対象地域になっていた人が次のように言っていた。
「・・・町の防災放送で「原発から放射線が来るから自動車で逃げろ」と指示があったが、自分は車は持っていないので、家にいた。食糧が尽きたので徒歩できた」
いったい、この国には住民を守る役所はないのだろうか? 考えられないが、町役場の人は防災無線を流して、自分は自動車で逃げたのではないか?
原発が爆発すれば放射線が漏れるだけではない.水道が汚染されるのは当然だ。それなのに自治体は「水が使えなくなったらどうするか」も検討していない。
何もしていないのだ。
それなら、日本の原発は運転を続けてもよいのか。電力会社は自治体から要求されてからではなく、原発が爆発する心配があるのだから、行動をとってもらいたい。
「もんじゅ」に異常があるという。国は積極的に自らトラブルを発表して、国民側(奇妙な表現だが)に立って欲しい.私たちが政府を「雇用」しているのは、私たちの命を守ってくれるからなのだ。
また2度と「想定外」とか「地震に津波があるとはしらなかった」等と言って欲しくない。今の日本は、「電力会社やお役所の失敗を、庶民の被曝という形で贖う」という奇妙な国なのだ。
名古屋は検討を開始する.浜岡、敦賀の発電所が破壊しても名古屋市民を守るため、水道の取水口、市民の避難、全てを準備する計画をスタートする。できれば緊急時の計画ができるまで原発は止めて欲しいものだ。
・・・・・・・・・
東京には今、アメリカ人もヨーロッパ人もいない。ホテルはがらがらで外人専用のホテルは一部、閉鎖になっている。
外資系の会社は大阪に仕事を移している。外国人の命が高く、日本人は安いという現状は到底、我慢できない。
そして、日本人だから日本の国土を愛している。だから国も自治体も、電力会社もそれが判って欲しい。電力会社が自ら原発を止めて、市民の安全を守って欲しい。あなたも私たちの同胞なのだ。
(平成23年3月30日午後4時執筆)
武田邦彦

原発 緊急情報(41) 驚くべき千葉県

3月30日、驚くべきニュースが流れた。
「千葉県八千代市の睦浄水場の入り口手前で22日に採取した飲用水から、大人の飲用基準(1キログラム当たり300ベクレル)を超える放射性ヨウ素131、370ベクレルが検出されていたことが30日、分かった。北千葉浄水場でも336ベクレル。
28日に採取した水から放射性ヨウ素は検出されておらず、県は現在、飲用を控える呼び掛けはしていない。」
えっ!と驚くニュースである。28日の水が大丈夫なのが30日に発表されている。つまり、1日後に汚染が判るのだから、22日の汚染が判ったのは23日なのだ。
その発表を抑えていた。そして28日に汚染がなくなったのを見て、30日に発表している。発表を遅らせたのは、東電でも政府でもない。私たちの味方、自治体なのだ。私たちの最後の頼りは自治体が命を守ってくれることだ。
でも、現実はその間に、水道水を飲んだ市民葉被曝した。千葉県民は県税は払わなくても良いだろう。
千葉県!! しっかりしてください。自治体が住民を守らなければ誰が守るのですか! 千葉県の人は、発表された時にはすでに飲んでいる。
おそらくは東京の浄水所のことで、政府から圧力がかかったのだろう.その場合は、千葉県は「政府からの圧力の内容」を公表すべきであり、県民に汚染水道を隠す方向に行ってはいけない。何のための自治体なのだ。
このことで各地の水道の発表はまったく信用できなくなった。自治体は福島原発の責任を持っているわけではない。せめて、正しい情報を早めに報道して欲しい。
「水道は大丈夫だ」と言っているが、大丈夫ならなぜすぐ発表しないのか。私たち住民は飲んだものをはき出すことはできない。大丈夫なら隠す必要がない。大丈夫でないから隠す。
私たちは自分たちで警戒しよう。それは将来のある子供ための親の責任だ。負けるか!
(平成23年3月30日午後5時執筆)
武田邦彦

Et oui, on le savait! Ils sont partout, les c*ns!2011/03/31 14:47:36

ときどき覗いている写真家・藤原新也氏のブログから。
まるまる引用ばかり続いてごめんなさい。
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php

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Shinya talk
2011/03/30(Wed)
■原発汚染に関する興味深いレポート■

今回の原発汚染報道、テレビに出演する学者の話にじっくり耳を傾けると、どうも東大系の学者の話が安全を強調する傾向が強いので不思議に思っていたところ、下記のようなレポートが3月27日 03:54にアップされていることに気づいた。
もしレポートにも示しているように金によって今回の汚染の実態が捻じ曲げられて報道されているとしたら、国民の生命財産の保全が黒い金によって左右されていることになる。
一説によると「原発汚染」を報道した雑誌「アエラ」批判のツイッター炎上もなんらかの情報操作が関与したという説もある。
金の流れの実態レポート、以下に転載する。
あくまで本稿は私個人の意見ではなく、素材提供としての転載である。
このレポートを読んでの取捨判断は読者にお任せする。


大阪芸術大学 芸術学部哲学教授 純丘曜彰 教授博士/健康・医療
4.1157,668 2011年3月27日 03:54

寄付講座だけで、東電は東大に5億円も流し込んでいる。
一方、長崎大学は、その買収的な本性に気づき、全額を東電に突き返した。
水俣病のときも、業界団体は、東大の学者を利用して世論操作を行い、その被害を拡大させてしまっている。いま、同じ愚を繰り返してはならない。

なんと5億円! 寄付講座だけでも、これほどの大金が、東京電力から東京大学大学院の工学研究科にジャブジャブと流し込まれている。
これは、東大の全86寄付講座の中でも、単独企業としてあまりに突出した金額だ。(詳細データ http://www.u-tokyo.ac.jp/res01/pdf/20110301kifu.pdf 本記事のコメントも参照せよ)
東大だけではない。東工大や慶応義塾大学など、全国のあちこちの大学の大学院に、東京電力は現ナマをばらまいている。
これらの東京電力のカネの黒い本性は、2002年の長崎大学大学院で暴露された。そもそも東京電力が、自分の管区とはほど遠い長崎大学に手を伸ばしたことからも、手口の異様さがわかるだろう。
長崎大学医学部は、戦前の官立六医大の一つという伝統を誇り、その大学院医学研究科を2002年4月から医歯薬学総合研究科へと発展させることになった。
ここに突然、東京電力が、9000万円で講座を寄付したい、と言い出した。テーマは、低線量放射線の人体影響。そのうえ、その趣意書からして、原発推進とも受け取れる表現が踊っていた。
これに対し、当時の学長、池田高良(まさに被曝腫瘍が専門)は、趣意書の書き直しのみで、カネの受け入れを強行しようとした。
このため、学内外から猛烈な反対論が沸き起こり、夏には混乱の学長選となった。
おりしも、東京電力は、福島第一原発三号機で、炉心隔壁のひび割れの事実を伏せたまま、97年にむりに交換し、二千人近い作業員にかなりの被曝をさせ、その後もこの事実を隠蔽し続けていたことが、ようやく発覚した。
もはや、なぜ東電が被曝後遺症を扱う池田学長に唐突に大金の話を申し出たのかは明白だ。かくして、代わって斎藤寛(公害問題が専門)が学長に当選。
長崎大学は、9月に臨時教授会を開き、東京電力の寄付講座受け入れを取りやめ、すでに大学側に振り込まれていたカネ全額を東京電力に突き返した。
1956年に水俣病が発見された際、地元の熊本大学は、ただちに現地調査を行い、有機水銀が原因であることを特定し、チッソに排水停止を求めた。
ところが、日本化学工業協会は、東大教授たちに水俣病研究懇談会、通称「田宮委員会」を作らせ、連中が腐った魚を喰ったせいだ、などという腐敗アミン説をでっち上げ、当時のマスコミも、この東大教授たちの権威を悪用した世論操作に乗せられて、その後も被害を拡大し続けてしまった。
いままた、同じ愚を繰り返すのか。
「核燃料70%の損傷」を、燃料棒292本の7割、204本のそれぞれにほんの微細な傷があるだけ、などという、アホな詭弁解説をまともに信じるほど、いまの国民はバカではない。
なんにしても、テレビで口を開くなら、まず、東京電力から受け取った黒いカネを、全額、返してからにしろ。
テレビもテレビだ。公正、中立、客観を旨とする以上、解説を学者に頼むなら、原発賛否両方の学者を公平に呼べ。調べるプロなら、連中のウラ事情ぐらい調べておけ。

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引用終わり。と思ったけど、もうひとつ、追加。
怒れる武田先生。日に何度も更新してらっしゃるのでついつい何度も見る私。
http://takedanet.com/2011/03/42_20e0.html
(部分引用ですみません)

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福島原発が事故を起こした後、テレビでは東大教授が「このぐらいの放射線なら安全だ」と繰り返していました。
当時の福島市と東京では放射線の強さは、約200倍でした。
ところが、事故直後、東大の中では文書が回り、「換気を止めること、ドラフト(化学実験などで使う空気が漏れない装置で、これを使うと外気が研究室に入る)」を停止するよう命令があったことを昨日、確認しました。
テレビでは「レントゲンが600マイクロシーベルトだから、福島市の20マイクロシーベルト(毎時)は30分の1だから心配ない」と発言した、当の東大教授が、その200分の1のところで生活をしている自分の大学では「換気扇を止めろ」と指示したのです。

私は教育者ですが、教育しても人間の品性が高まらないことにがっかりしていますが、またそれを感じる今日この頃です。
(平成23年3月31日 午後2時 執筆)
武田邦彦

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茨城県出身の知人が、こんなことを言っていた。
「東海村原発事故のときは《茨城の田舎のハナシ》程度の(メディアの)扱いだったのに……いまさら放射能漏れで騒ぎなさんなよ、って気持ちですよ」
まったく、世の中というものは気まぐれだ。
これまで日本の原発は幾度となく不具合を起こしてきたが、そのたびに闇文書が回ったり、見事なまでの「産官学連携」プレーで隠蔽し、当たり障りのない公式発表をしてきたということなのだろうが、そういうことって、先の大芸大の教授のように前からわかってた人もいる。儲けまくりの企業が大学に寄附講座、なんて東電だけでなく私の仕事の関係クライアントもごりごりやっていた。そもそもキフコーザなんて、胡散臭くてキモチワルイが、「寄附」って美しい行為だもんね。それにしても平時には告発どころか、まるで漏れ聞こえてくる様子もなくて、この非常時に噴出するってどうよ、とも思う。そしてメディアはあちこちから吹く風にてんでになびいて、主体性なく受け売り報道をするだけ。ぱっと見にはそれが根拠や裏づけのある確かな議論であったり主張であったりするところがさらに難儀だ。国民は昔ほどアホではないかもしれないが、相変わらずバカかもねと自嘲する。

《おおづかみに言うと、「貧しい環境」において、日本人は知性的で、合理的になる。「豊かな環境」において、感情的で、幼児的になる。(……)「中庸」ということがどうも柄に合わない国民性のようである。(……)私はこれは近代史で三度目の、「日本人が賢くふるまうようになる機会」ではないかと思っている。》(内田樹の研究室より)

日本全体が痛めつけられたわけではないからなあ……。東日本にも、西日本にも、感情的で幼稚な富裕層は健在なのよ。つーか、富裕層に限って生き残ってはびこってるといいますか。はー……
とりあえず昼休み、終わり!