Soyez poli! ― 2011/07/12 23:29:19

『「よそさん」にも教えたい 京都のお作法』
市田ひろみ著
NHK出版(生活人新書051)2002年
『よそさんは京都のことを勘違いしたはる』
山中恵美子著
学習研究社(2003年)
両方ともつまらない本である。なんでそんなこと、活字にするのかと思う。こういうことは言わへんほうが、書かへんほうが奥ゆかしいのに。でもきっとそう思うのは私が京都の人間だからなのだろう。「よそさん」にしたら物珍しい内容なのかも。「よそさん」にとってはじゅうぶん面白いのかも。「よそさん」にしたら非常識な話なのかも。
まずは「京都のお作法」のほうから。
《作法というのは、人に迷惑をかけない、人に不快感を与えないという無言のルールだ。》(2ページ)
《三方が山に囲まれた狭い京都盆地。代々京都で暮らしてきた人達とのつきあい。
そこには人間関係のバランスをこわさないという不文律がある。》(3ページ)
《お客が帰ろうとする時に、
「ゆっくりしていかはったらよろしいやないの。ぶぶ漬け(茶漬け)でもどうどす?」
「へえおおきに、いや、また、今度」
このやりとりは、言葉のアヤ。つまりほんの、おあいそなのだ。》(26ページ)
《京の会話は、重い意味を持たずに、あたりさわりなく運ぶ。「お茶漬けでも」とすすめられたら「おおきに、また、今度」と返すことで、お互い、貸し借りなしなのだ。
実際、掃除もできていないかもしれないし、ごはんもないかもしれない。
そこんとこは「へえ、今度また」でかわすのがおしゃれなのだ。》(27ページ)
《さて、京都の人は角の立つ物言いをしない。
「あの人嫌い」などとは絶対に言わない。
「あの人好きでない」と言うのだ。
同じことでも角が立たず、嫌いさ加減が薄くなる。それでいて、自分の考えははっきりと主張している。》(52-53ページ)
《だから、ほんまもんを見る目はきびしい。
さて、ほめ言葉にもいろいろあるが、京都人は微妙に使い分けている。
見終わったあと、「御立派どすなあ」「きれいどすなあ」は、満足というところ。
「何とも言えまへんなあ」「さすがですなあ」は、何と言っていいのかわからないくらいよかったということだろうか。
「よろしおすなあ」は感嘆。
京の人は、感動した時は多くを語らない。ただひと言「お見事」が最高のほめ言葉だろうか。
「まあまあですなあ」というと東京の人は平均点と思うらしいけど、実は大したことはないということだ。
「もうひとつですなあ」と言われたら、ひとつもよくないということだ。》(55-56ページ)
《言葉遣いひとつにしても、AもよろしおすけどBもよろしおすなあと言われると、聞いているほうはどっちが本音かよめない。だからよく、京都の人のお腹の中がよめないと言われる。
しかし、実はAもよろしおすけどBもよろしおすなあと言いながら、「ほんまもん」であるかどうかを見きわめているのだ。》(141-142ページ)
《「いちびったらあかん」
子供の頃、母からいちびったらあかんとよくたしなめられた。
これは「調子に乗ったらだめ」とか「まわりのこと考えんとひとり面白がる」ということだろうか。
いずれにしても、それ以上はしたらだめという、たしなめの言葉だ。軽々しくはしゃぐものではありませんよと、京都の親は我が子にブレーキをかけることを教えるのだ。》(145ページ)
続いて「勘違いしたはる」のほうから。
《今となっては言葉だけがひとり歩きしているような感さえある「お茶漬けでもどうどす」という言い回しは、祖母の口から何度か聞いたことがあります。
玄関先で話し込んだあとに食事の時間が近づいてきて、お客様に「お茶漬けでも……」というのは、「あんまり長居をしてもらったら、うちもそろそろ食事のしたくをせんとあきませんし」と言いたいところを、失礼にならないよう、間接的に暗示しているのです。
そう言われたら、相手の方も「いや、もうそんな時間になってました? もう失礼します」と言うのがふつうだと思います。これをふつうだと思うところが京都的なのかもしれませんが……。》(139ページ)
《ちなみに、京都では「お茶漬け」「何もあらしまへん」と言っても本当にお茶漬けだけをお出しすることはありません。あくまでも言葉の綾なのです。》(140ページ)
《「京都の人は、言っていることと、思っていることが違う」ということをよくいわれますが、京都の言葉は、言っていることと思っていることとが違う、というより、もっと複雑な使い分けをしているのです。
どうおもわはってもかまへん(どう思われようとかまわない)と思いながら、押しつけがましくなく、通すべき意思は通す。特に京都人同士では、感情的になる一歩手前まで、言葉巧みなせめぎ合いが続くことがありますが、泥沼にめり込んでしまう前に、茶化したり、曖昧なことを言って、逃げるが勝ちと引いてしまいます。
一方、よそさんに対しては、そこまで行くまでの前の段階で、なんぼいうてもわからへん(いくら言ってもどうせわからない)とあきらめてしまうか、または、もうしょうがないなあ(仕方がないな)と寛大になってしまいます。》(143ページ)
《ほめられたり、ものをいただいたときにうれしい気持ちを表現する「おおきに」は、京都でもよそでも同じですが、誘われたときの「おおきに」はちょっとニュアンスと響きが違います。
つまり誘ったときに「おおきに」と言っても、相手は決して了解はしていないということです。誘ってくれたことに対する「おおきに」ではあっても、いつに行くとか、お断りするとかは言っていないのです。》(146ページ)
***
京都の「おおきに」は状況によって、発音の仕方(というか力の入れ具合というか)で、「こんにちは」(毎度おおきに)「さようなら」(ほな、おおきに)「そりゃどうも」(そら、おおきに)「そうかしら」(へえ、おおきに)などの意味を含ませることができる。というより、「ありがとうございます」といった謝意はほとんどない(笑)といっていい。謝意を伝えるときは手を着いて畳すれすれにまで頭を下げて「ほんまに、ほんまにおおきに」といったりするのだろう。でも、そんなことをする京都人を見たことがない(笑)。
私は言葉遣いも荒いし、およそお行儀のいい人、には程遠い。生まれてこのかた世の中は自分を中心に回っているし回っていくと思っているし、世の人間はみな自分より賢くない人ばかりだと思っている。いつからこんなもの言いが流行り始めたか知らないが、嫌いな言葉に「上から目線」がある。なぜ嫌いかと言えば、それはまさしく私の普段の振る舞いを見事に言い当てているからに他ならない。「上から目線」で何が悪いのよ。ふん。私の仕事は制作の最下流に位置しているので、上流を見上げれば直のクライアントのそのまた顧客のそのまたお客さまのそのまた神様の……とえんえんとスポンサーのピラミッドである。私は直のクライアントにだけこびへつらっていればいいわけで、たいそう気楽だが、つかう言葉が「おおきに」だろうが「ありがとうございます」だろうがそこに謝意を込めたことなんかないのである(笑)。あたしが食えるのはクライアントの支払いがあるからだけど、クライアントはあたしが書かなかったらおまんまの食い上げなのである。いつもお世話になりましてありがとうございます、といいながら、よかったな今日もアタシが元気でアンタのために仕事できてさ、と思っているのである。それって、みんな、どこの人でも、そうじゃないの?(笑)
いくら、「こいつ腹立たしい」「好かんタコ」「めっさむかつく」と思っても、ストレートな言葉に表さないだけでなく(そんなの当たり前じゃん)、むしろ慇懃に、超礼儀正しいもの言いで、相手に「あ、嫌われた」と気づかせるほうを選ぶ。たとえば、事務所にコピー機屋の営業マンが来て、試してくれだのパンフレットだけでも置かせてだの責任者の方に会わせてだのしつこく粘って帰らないときも、「ええ加減にせえよ、間に合うとるんじゃ、さっさと帰れっ」と心では思っていても決して言わない。「お引き取りください」すら言わない。「社長さんを」と頼んでも、「すぐ帰る、言うて出ましたけどまだ戻りませんので、これは間違いなくお客さんにつかまってしもて長引いてるんや思います」と、こんな手の込んだ嘘を言われた時点で引き下がらんとアホである。そやから待っても無駄でっせ、と言っているのである。アホは「せめておたくさまのお名刺を頂戴してもよろしいですか」と変な敬語で言ったりするが、「残念ですけど、今ちょうど名刺を切らしておりまして」と言われたら完全に脈なしと判断して帰ってほしい。まさかほんとに名刺切らしてるなんて思わなくていいから。しかし、名刺切らしてたらしくてもらえませんでした、なんて上司に報告して怒鳴られているに違いないけど(笑)。
気づかない鈍感な人はしかたない。あるいは、気づかないのが、ある社会ではふつうなのかもしれないが、少なくとも京都人同士の場合、そうしたうわべだけを軽く引っ掻き合うだけのような会話で、とりあえず、機嫌を損ねたか損ねずにすんだかはわかるし、場合によっては真意を測れることもある。
だが、たしかに、育った環境が違えば表現方法は異なる。コテコテキョウトで暮らしているけど、もちろん非コテコテキョウト民ももはやたくさんいる。会話のキャッチボールがしにくくて困ること多々あるが、なんの、態度は慇懃、心は「上から目線」で乗り切るのである。
ビジネスなら、誠意なんか無理に滲ませなくてもいい。気の利いた返事、洒脱な言い回し、過不足ない丁寧な振る舞い。つまり大人であれば大丈夫なのよ。
ファイトよ!
コメント
_ 気づかない能天気な目玉おやじ ― 2011/07/13 08:30:20
_ midi ― 2011/07/13 09:48:02
おはよっ
読んでくれたんね!
再戦、勝てるぞぉ~ 急がば回れ、為せば成る!
_ よっぱ ― 2011/07/13 19:57:14
見事に京都を迂回しているんです。
でも、母方のお墓は出町柳の駅の近く(だったと思う)の萩の綺麗なお寺にあります(笑)
_ 儚い預言者 ― 2011/07/13 20:17:48
憧れるのは、ウィットとユーモアがあって、笑える処もしっかりある会話。そして余韻に、癒しがあるそれ。
自由と一体感が微妙にバランスされた、知恵のあるそれ。
フランスの恋人同士の愛の語らう語感が醸し出す、気持ちよさのそれ。
_ midi ― 2011/07/13 21:05:04
ええっ、あの「萩の寺」にお墓が? なんと。
去年、隠れた名所としてとある冊子に紹介したよ。
萩は、きれいですねえ……京都にはけっこうな数の萩の名所がありますが、出町のそのお寺はソヴァージュな感じが見事なのです。
お墓参りに来ゃはったら、声かけとおくりゃっしゃ♪
預言者さま
フランス語で愛を語るのは得意なんですが(笑)、京ことばでは絶対できない(笑)。私の恋愛全敗記録は言葉に遠因あり、なんですぜ。
京ことばで恋愛するんやったら、やっぱし歌詠まなあかん(笑)
好きやねん、アンタしかないねん、今夜はウチのこと帰さんといてやっ
……って言うてもこれはしょせん浪花文化やねん。
同じ意味のことをキョートベンで……は絶対無理(笑)
京都に行く前に勇み足と肩すかしで仕切りなおし。
まずは近日中にあずまえびすと再戦。
道は少し遠回りになりましたが、全ての道は都に通ず。
本を読む時間ができたと前向きにいきます。