Voici le sapin de Noël de chez nous...2011/12/04 22:17:03

むさくるしい部屋に今年もまたクリスマスツリーを出したのである。ウチではいったんツリーを出すと片づけるのがおっくうなので、クリスマス、お正月、あたしの誕生日、娘の誕生日、を祝ってから仕舞うことにしている。約3か月間、電飾がツリーを美しく照らしてくれる。節電? 聞いてません(笑)。
底冷えのするまちの古いすきま風だらけの借家で、高齢者を抱えながら、それでも我が家は毎年どこより節約して冬を生き延びているという自負がある。いったい何枚重ね着してると思う? 3人ともなかなかのタマネギぶりなんだぜ、ふっふっふ。暖房もガスストーヴメインですもん、電飾にくらい電気使わせてくれ。

寒くなったねえ、なんだかんだいって。ぶるっ。

今日、昼間は取材だったんだが、なんと美しい空の色、紅と黄の葉がそれに映えて、なんでこんな美しい日にあたしは見たくも会いたくもないそんなこんなを追いかけているんだろう? と一瞬かなり自暴自棄になったが気を取り直し、笑顔で取材を終えたのだった。いや、やはり笑顔で仕事を終えるということは大切だ。つくり笑顔でも偽笑顔でもいい。相手や周囲に「あなたとの時間は幸せでした」と伝えることが肝要なのだ。それは相手や周囲やクライアントや会社のためではなく、もちろん仕事や業績のためでもなく、自分が過ごす残りの人生のためなのである。あたしは帰宅したら娘とクリスマスツリーを飾る約束をしていたから、その時間のために幸せを装い笑顔を振りまいてきたのである。
すると気分は上々で次なる時間を過ごすことができるのさ。


つっても……なあ……。

いろいろなことが一気に押し寄せて、どうにも不器用な私は捌くのに手間取ってどんくさいとしかいいようがない。
何も前に進まない虚しさ。パキッと綺麗に線引いて、新しい歳迎えたいもんだけどなー……なんだかなー……


 
『文章のみがき方』
辰濃和男著
(岩波新書新赤版1095/2007年)


世の中、今は日本語について何が語られているんだろうかと、例の小論文塾をつらつら考えながら、ちょっとのあいだ手当り次第に「日本語もん」をざっと読みしてみた。おもしろいモノためになるモノ読みやすいモノ、といろいろな本に巡り会ったが、塾のこととか、日本語の乱れとか論文書きのテクニックとかそういったことはまったくヨコへおいといて、この本が気に入った。「みがき方」とあるが、いわゆるハウツーもんとは言いがたい。どちらかというと著者のエッセイと言った感じだ。著者の、日本語、文章、書くことへの愛情にあふれている本である。冒頭と終わりの数行を紹介するが、著者の書くことへの愛が凝縮されていて、なおかつ本書の執筆意図を示したものである。

《いい文章のいちばんの条件は、これをこそ書きたい、これをこそ伝えたいという書き手の心の、静かな炎のようなものだということです。大切なのは、書きたいこと、伝えたいことをはっきりと心でつかむことです。そのとき、静かな炎は、必要な言葉を次々にあなたに贈ってくれるでしょう。》《自分の心に向き合うことが難しいように、自分の文章に向き合い、自分の文章ににじみでている邪心を見つめるのも難しい。いい文章を書くための道には、果てがありません。自分の文章の拙さ、思いの浅さにのたうちまわってくやむこともあるでしょう。しかし、幸いにも、「いい文章」を書くための道は、果てしないが、つづいているのです。そして、その道を地道に歩きつづけるものだけが、それなりの果実を手にすることができるのではないでしょうか。》(まえがきより)
《渾身の気合いで書く。
 そして、肩の力を抜いて書く。
 この二つをどう融合させるか。矛盾するようで、これは決して矛盾するものではありません。》(239ページ)

なんとなく、娘の高校の校長ブログを読んでいる気分だ。文章の雰囲気がよく似てる(笑)。

小論文、というと、高校入試、大学入試対策の印象が強い。ウチのさなぎも、高校入試に備えて学校で小論文特訓を受けていたが、こういう際の指導で最も欠落しているのが上記でいわれているような書き手としての心構えである。時間配分も、文字数をクリアするためのテクも大事だが、なにより書きたい、伝えたいという情熱をもって臨まなければ、小論文だろうと大論文だろうと書き手の意思の見えない薄っぺらなものになってしまうのである。
静かな炎だの渾身の気合いだの、そんなもん磨いたって点取れないよ。そんなことを言う人に私は用はないが、できればそう言わずに「書く」ことに立ち向かっていってほしいなと思うのである。私たちが日本人であり、日本語の文章をちゃんと書きたいと思うとしたらそれは気持ちや望みではなく「血」がそう思わせているのだ。点数云々ではなくて、君が日本人であり自分の言葉でいい文章を書きたいなと思うとき、それは本能なのである。

本書の具体的な紹介はこちらで。


さてさて。
先月最後の日曜日には手づくり市へ行った。



可愛いものがいっぱい売ってあったけど、それらをふんふんなるほどこういうふうに作るのね、と、さんざん観察して、私たちは挽きたてのコーヒーとシフォンケーキをいただき、ジモティーのとれたて野菜を買って帰ったのだった。手づくり市参加の近隣の農家さんのつくるお米や野菜は本当においしい。ここ何年も、手づくり市はほとんど欠かさず足を運んでいるが、目的はほとんど食材なのであった。

さあ、寝よ。

コメント

_ 儚い預言者 ― 2011/12/06 23:11:38

人生の不可思議は、その顛末ではなく、想いの流れ、或いは炎である。時空の事象は、一つの絵として煌めく象徴として、客観視されるが、それは主観の働きに揺れるのだ。
如何にも、一本の糸のように引き継がれていると思われるが、真実は想いの流れ、炎が、可能性の糸を一本の糸のように顕在化させているのかもしれない。
となると、それほど現実は堅くなくなる。殆ど事象は、象徴なのだ。今の現実は、いつかの選択なのだ。それは過去からだけでなく、未来からのことかもしれない。いやもっと別の世界からの反映であるかもしれない。
基本的に、自由なのだ。ここしかないにしても、別の生もあるかもしれない。ただ焦点の具合が、「私」としているのだ。
あなたは唯一の宇宙と同じ大きさなのだ。
別個に物事は動かない。一蓮托生、天上天下唯我独尊である。そして宇宙は愛なのであるから、あなたは愛そのものであり、何一つ瑕疵のない光である。
ありがとう。

_ midi ― 2011/12/08 00:45:35

預言者さま〜
こんばんはーほげー疲れたよー
いつもありがとうございます〜〜もおダメだあ

あしたあさって、らいしゅう、さらいしゅう。
生き延びてみせるからねえー

_ 儚い預言者 ― 2011/12/09 07:52:47

はーい、姫。とりあえずは肩揉みで。始めは優しくゆったりともみもみ。そして、凝りの中心へぎゅーっと押し込み、血流の、神経の詰まりを飛び散らす。んーーー、ふーーー。
どうでしょうか。
だいじょうぶ、だいじょうぶ。いつも愛と光があなたを包んでいるから。

_ 儚い預言者 ― 2011/12/09 20:00:02

全てがある
あなたに
わたしに
自由に

真実はひとつ
あなたに
わたしに
愛に

光の舞
あなたに
わたしに
宇宙に

_ midi ― 2011/12/10 00:23:04

預言者さま
ありがとう。ほぐれましたわ。
あしたもあさっても、がんばるわ。

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