Il a fait une averse, ensuite une autre, le temps se refroidit de plus en plus...Brrr!!!2012/11/14 18:32:21

ひと雨ごとに寒くなる。夏は冷房器具なしでやり過ごせた我が家も、冬は暖房器具を使わずして過ごせない。さわやかで心地よかった秋の空気とその匂いはあっという間に冬将軍の足音にとって代わられる。昨夜、入浴後に再び椅子に腰かけ、針と糸を手にして縫い物を始めると、テーブル下のホットカーペットに寝そべっていた猫が湯気の香りを嗅ぎつけて私の膝に乗ってくる。そのまま熟睡モード。カーペットよりも私の膝のほうが温いだろうし、私も猫が膝にいてくれたほうが、重いけど暖かい。

『現場に生きる 子ども支援・家族支援――ケースアプローチの実際と活用』
小木曽 宏著
生活書院(2007年)


児童虐待の現実や対策を取材したり、また児童、若者を受け入れる養護施設や援助ホームを訪ねたりといった仕事が、ある。多くはないが、一度経験するとそのインパクトは大きい。これこれこういう施設を訪ねます、虐待問題に詳しいホニャララ先生に話を聞きに行きます、援助ホームで社会復帰に向けて頑張る若者を取材します……というような要請が来るたび、問題の所在まで遠回りせずにたどり着くため類似文献や事例報告を下調べする。取材対象者の著作にあたる。虐待ってなんなのか、その境界線ってあるのか、あるいは境界線を引くことに意味はあるのか。疑問がいくらでも湧いてくるのだが、自分の疑問の解決に割く時間はあまりない。とにかく文献をあさって「理論武装」して、「わかったふり」をするために、にわか仕込みで「日本の児童虐待問題を追いかけてン年の凄腕ルポライター」を装う(笑)。いつまで続くかな、こんなこと。
子どもを育ててみれば、虐待してしまう親の気持ちはわからなくもない、という気がするときもある。子どもという生き物は、まぎれもなく進行形で発展途上中、急成長中である。生き物としてもうとっくに退化段階に入った大人たちみんながみんな、その成長ぶりに目を細め笑みを湛え心からの喜びに歓喜の声を上げるかと問えば、んなもん、そんな大人ばっかりじゃねえべ、って答えが返ってくるだろう。小さくても自分の意志で泣く。わめく。むずがる。悪態をつく。ったくこげな可愛げのねえもん誰がよこしたんだべえ、ここへっ。あ、あたしが産んだんや。みたいな。
しかし、「ここまでやるには相当な覚悟がいるよな、ここまで苛め抜くにはとんでもなく膨らんだ憎悪があるんだろうな」と思わずにいられないさまざまな事例のオンパレードを読むうちに、やはりとうてい理解に至れない複雑な感情が親の心に絡み、もつれていることが想像され、単純に生きてきた私は「虐待する親の気持ちがわからない」ほうへ結論がいってしまう。
だが、子ども支援、家族支援の現場は非常に理論的かつ科学的に、観察および記録、事例研究およびワークショップが重ねられ、たいへん合理的に、多くの子ども、その親、配偶者、祖父母、ひいては家族全員を、救うに至るケースがとても多いのである。ワーカーたちは誰もが「虐待する親の気持ちがわかる」わけではない。むしろ「わからない」から始まる人たちのはずなのだが、学習と実務を経てプロフェッショナルになっていく。小さな子どもの虐待死などがあると、報道はこぞって児童相談所や養護施設、福祉事務所や学校や幼稚園の側を責め立てる論調で記事を書き、読むほうは「またか」との思いを抱くのだがそれは誤りである。事なきを得て、綱渡りながらなんとか親子、家族関係の再生を果たす途上にある子どもと親のほうが圧倒的に多いのである。だが、「家族仲良く」「絆大切に」の大合唱かまびすしいこの国の社会では、うまくいって当たり前。破たんした家族の再生がどんな困難な道のりであろうと、成功事例はニュースにはならない。
本書に収められているのは成功事例ばかりではないし、出版時には成功したかに見えても後年破たんした家族もある。だが、凄まじく荒れていた生活と精神が奇跡のように落ち着きを取り戻す瞬間が見えるとき、読者は安堵を覚える。どん底へ落ちても這い上がる力があれば、引き上げる力を持つ者に出会えば救われ、道は拓かれる。

章題をいくつか並べてみる。結構エキサイティングである。
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家族援助の方法と実際
事例「誘拐されたリカちゃんのママ」――階段のない2世帯住宅のナゾ
ステップファミリー研究――「離婚」「再婚」ケースの支援と施設職員の役割
「被虐待」と「非行」問題の世代間連鎖
「放火」事例から考える
母子の「怒り」と「表出」
問題行動の「言語化過程」
児童相談所と母親支援
「不登校・引きこもり事例」と世代間連鎖
不登校の事例──摂食障害の母親と長期不登校のR子
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事例は、上記のほかにも、夫による妻へのDVとそれが引き起こす子ども虐待、また虐待の事実はないのに子どもが非行に走るケースなど、多岐にわたる。気が萎えるが、家庭ひとつひとつに対し、また家族構成員ひとりひとりに対し、きめ細かく向かい合っている様子も窺い知れる。



『施設でくらす子どもたち』
平湯 真人著
子どもの人権双書編集委員会編
明石書店(2000年)

こちらは、養護施設を舞台に子どもの側の視点で著されたもの。生まれてきたからには必ずあるはずの「家族」という器、あるいは柱、あるいは手すりなしに、独りで生きることを強いられる子どもたち。その生活の場である養護施設がどう機能しているかをレポートする。
この国ではけっこうたやすく誰もが「人権」を口にする。人権教育などと銘うって、思いやりの心大切に、なーんて、授業で教師が話す。人権って、私、思いやりとか優しさとは関係ないもんだと思うんだけど、どう?


『施設で育った子どもたちの語り』
施設で育った子どもたちの語り編集委員会編
明石書店(2012年)

壮絶なバトルの末、養護施設や里親に引き取られて成長した子どもたちの語り。彼らの多くが福祉や援助の現場で働いている。社会復帰のプロセスはさまざまだが、共通してあるのは「自分のようにあんな辛い思いを他の誰にもさせたくない」という気持ちだ。よく、大きくなってくれたね。おばちゃんは、お礼を言うよ。

下記は目次の一部、順不同。
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居場所をなくす不安と闘いながら(小林大)
夢はあきらめるものではなく、つかみ取るもの(瀬川舞佳)
俺の「ろくでもない人生」からの逆転(松本明祐)
面白くかっこええ大人を目指して(あらいちえ)
生きるために必要なことは施設で学んだ(松井啓介)
「いい経験ができた26年間」と言えるようになって(成田雄也)
世界は、愛で満ちていてほしい(鎌田成美)
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愛で満ちていてほしい。
本当にそうだね。
シャガールも言ってたさ。
すべては愛なのです。真の芸術は愛にある。愛を描かずに何を描くというのでしょう。
これも愛。たぶん愛。それも愛。きっと愛。
生きとし生けるものの在るところ、多寡はあれど愛に満ち満ちているはず。
愛を糧に、生きていくわよ。
愛のかけらもないところ、それは、言わずもがなだけど原子炉。
こんちきしょーめ。負けないわっ

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