『悪戯の愉しみ』
アルフォンス・アレー著 山田稔訳
福武文庫(1987年)
アンドレ・ブルトンはアルフォンス・アレーの作風を「エスプリのテロリズム」と形容したそうだ。世が世なら、いや、というより日本だったら不謹慎だとかなんとかいってマスゴミ/バカメディアが言葉狩りに余念のないところだろうが、フランスではこれ、最大級の賛辞である。
帯には「笑いのあとに戦慄が走る恐怖のブラック・コント集」とある。さぞかしオソロシオモシロイ短編満載なんだろうと読み進んだが、うー……ごめんなさい。怖くないし、笑えないよ、山田先生(笑)。アレーは間違いなく、19世紀末には文学界における風刺小説の寵児だったのだろう。思うに、洋の東西を問わず、19世紀の終わりって、人々は文化的に寛容だった。どの国にも人権なんて言葉はなかっただろうけど、お上の締めつけはきつかったかもしれないけど、庶民はずっとおおらかに生きて、富める者も病める者も身の丈を知っていて、それぞれがそれなりの居場所を保持していたのだ。ゆがんだ名ばかりの「平等」など、存在しなかった。
階級や身分は人々に分別をもたせ、ふさわしい立居振舞を覚えさせた。
私は階級社会なんてまっぴらごめんだし、身分制度なんかあってはならないと思っているが、「自由」や「民主主義」や「男女平等」や「人権擁護」なんつう重厚な熟語がいまだかつてないほど空虚でスカスカな今の日本なんかより、歓びも悲しみも罵りも好きなように表現できたんじゃないかと想像する。
この『悪戯の愉しみ』が今読んでもちっとも面白くないのは、山田稔の翻訳がアレーとその時代に忠実すぎることも理由のひとつではないかと思う。20世紀初頭なら、人々は大いに笑ったのではないか。不道徳だと物議をかもしただろうか。いずれにしろ社会にまんべんなく話題になったと思う。山田先生がこれを訳してまず発表したのは1960年代のことだったそうだ。その頃日本の文学界はフランス文学の影響を多大に受け始めていただろうから、いわゆる「仏文系」の人々には、アレーはおおいに受けたであろう。ブルトンのことばを借りるまでもなく、フランス語でいう「エスプリ」ってのは、こういうもんを指すからで、こういうもんがわからない奴は「いかにもフランス的『エスプリ』」なんて一生わからんと決めつけられたに決まってるから、仏文系の人々はこういうもんこそ面白いという顔をしていたに決まっている。ややこしい書きかたをしたが、つまり一般受けはしなかったでしょ、といいたいのである。
いまアレーを世に出すなら、現代的な言い回しを取り入れ若干脚色する必要があるだろう。それは「エスプリのテロリズム」への冒涜になるだろうか。いや、ちっとも「悪戯」じゃないし「愉し」くもない退屈な短編集、で時とともに葬り去られるよりは、世紀末色は薄れても時代が喜ぶ表現方法で著したほうが、アレーとフランス文学の価値を再提示できると思うのだが。
ま、別に再提示しなくてもいいんだろうけど。
いつか書いたが、山田稔の本はどれも涙するほどに文章が美しい。美文、名文、どう形容しても山田稔の文章の実際にはかなわない。本書も、日本語が退廃し、その懐、歩幅や遊びしろを急速に縮めている今のような時代でなければ、私たちはきっと鷹揚に愉しめたであろう。ブラックユーモアなのに誠実さにあふれているなんて、昨今ちょっとお目にかかれない。文章の書きかたを学ぶにはちょうどよい手本かもしれない。
山田先生に会いたいな。
街路樹が色づく季節になると、無性に想いが募るのである。