A la recherche du nippon perdu2013/01/31 19:29:37




『美しき日本の残像』
アレックス・カー著
朝日文庫(2000年)
※単行本は1993年に新潮社より刊行、翌1994年第七回新潮学芸賞を受賞している。



毎朝、御苑の西側を走る。
全国都道府県対抗女子駅伝の、中学生区間になる道だ。
何年か前、とびきり速い中学生二人がこの区間を走り、ほかの区間を走った高校・大学生選手、実業団選手がピリッとしなかったにもかかわらず、京都が楽勝したことがあった。3区で走った子が先行ランナーを軽く抜き去り、6区で走った子は後続をぶっちぎった。当時はまだ使えていた我が家のアナログテレビで私はこの駅伝の実況を見ていた。高橋尚子か、増田明美か、誰か忘れたが解説をしていた元ランナー女史が、「あ、いまギアが入りましたね」と言った。その言葉どおり、まるでトップギアに入れたかのように中学生は速度をぐんぐん上げて前のランナーを捉えたかと思うと抜き去り大きく差を広げた。まったく、胸のすくような走りだった。痩せていて小柄で、素人目にもフォームはでたらめだ。しかしパワーに満ちていた。現在は大学生になったこれらとびきり速い元中学生たちの、あまり華やかな活躍は聞こえてこないが、つぶれることなくいつか本格的に開花してほしいと思う。ランナーとしてトップに君臨できる期間はとても短い。いきなり日本一、世界一になんてならなくていいから、無理なく成長し続けて、どこかで栄冠を手にできれば素晴らしいけどな。同世代の女子中学生陸上選手たちが、どれほど彼女たちに憧れ、その走りに励まされたことだろう。ウチの娘もその陸部仲間もみんな、彼女たちを見て「ウチらも頑張る」と、進む道は変わっても、心の糧にしたのだった。親として、彼女たちに感謝しないわけにはいかないのである。応援しないわけにはいかないのである。

……というようなことを、毎朝御苑の西側を走るほんの数分の間に考える。走るったって、あたしはチャリです。ええ、毎朝の通勤の話です。事務所が引っ越して御苑の東側まで行かなきゃいけないんだけどさ、ま、碁盤の目の京都、通勤路はどうでもとれるんだけど、西から東へ御苑内を突っ切って行きたいので、いちばん北の乾御門(いぬいごもん)まで西側の烏丸通の車道をぎゅいーんと走る。速度を上げるとき、先述の女子駅伝を思い出す。「あ、いまギアが入りましたね」。私も「キャー遅刻しそおおーー」と心中で叫びながらペダルをぐるぐるこぎまくる(笑)。

しかし、乾御門に到達する頃にはもう息が切れてて、御苑に入った途端、散歩モードに切り替わる。季節柄まだ木々の姿は寂しいが、それでもさまざまな鳥たちが、何をついばんでいるのか砂利道に覆いかぶさる枝の下に集まっている。ランニングする市民や学生の姿はいつもある。私のようにここを通学路、通勤路にしている人が徒歩や自転車で行き交う。ときどき猫も歩いている。カラスの群れで道が市松模様に見えることもある。右手に迎賓館の壁が続く。何にもないただの庭園のようで、実は厳戒警備エリアなのである。古びた東側の石薬師御門を抜けるとき、またつまらない憂鬱な一日の始まりを覚悟するとき、落ち葉を踏みしめながら、それでも私は日本人でよかったと実感する。なぜだか、わからない。市民が憩う庭園は、フランスはじめ異国でたくさん見たし、生活するうち、しぜんとその地に馴染んでいる自分を素直に受け容れることができたし、好きだったし、離れ難かったし、骨をうずめたいとも思ったし……。でも、けっきょくそうはせずに私は自分の生まれ故郷で子を育て、この地に根を下ろして生き抜こうとしている。面倒くさがっているだけかもしれないし、運命かもしれない。もしかしたらまた異国での暮らしを唐突に始めるかもしれない。でもきっと、またここに帰ってくるような、予感がある。御苑内をとぼとぼと散歩する老婆の姿に、簡単に自分を重ねることができる。年老いた私には、モンペリエではなく京都が似合うだろう。ともに古い歴史都市であり古い大学があって学生にあふれる街だけれど、すっかり腰と背中の曲がってしまった母が、30年後の私の姿だとしたら、やはり京都が似合うだろう。歩行器を押し歩く小さな老婆も、和服姿の凛とした粋な老婦人も、ともに偉そうに闊歩するのが京都である。

今週月曜夜、図書館からの帰り道。8時頃かな。月がすごく綺麗だったので思わず。ガラケーの写真はダメだな。


何年も前の話だが、東京から帰省した知人が、実に20年ぶりなんです帰ってくるの、京都ってこんなに夜が夜らしいまちでしたっけ、と言ったことがある。私たちはとあるビルの中庭に面したレストランで食事をしていたが、そのビルは繁華街のど真ん中にあり、私はつねづね、この煌々とした明るすぎる街灯、看板の照明、道を埋め尽くす自動車の上向いたヘッドライトに辟易し、星の見えない夜空にうんざりしていたので彼女の言葉に驚いた。東京は隅から隅まで不夜城のようです、どの店も24時間照明は消さないし、というか、営業しているし。そう、京都はずいぶんましなのね、私はそう言ったけど、もちろんだからって納得はしていない。歓楽街のけばけばしいネオンというのはそれじたいある種の文化かもしれないので、そういうもんには寛容な私であるが、普通の道、普通の住宅街に、不要な光が多すぎる。事故や不審者出没を防ぐためにもある程度の光は必要だが、それにしても灯りの明るすぎる道の多いこと。光源が明るすぎると、かえって陰影に潜むものが見えないこともあるしさ、危ないんだよ。
……その点、たしかに御苑内は、夜は真っ暗である。漆黒の闇である。さすがに、嬉しがって通る気になれない。厳重警戒エリアだから、安心して通れるはずなんだけど、恐怖が先に立つ(笑)。

アレックスは日本の美しさと醜さを率直に綴っている。最初の執筆がもう1990年のことだというから、当時のことを書き記したといってももうかなり古い話だ。バブルの絶頂で、そろそろ危なくなって下り坂にさしかかった頃の日本。カネにもの言わせた派手な醜い箱が全国に、いくつも建った。歴史を湛える有形無形の文化遺産を潰して「更地」にした。したところでちょうど泡がはじけてなくなって、ゴルフ場のバンカーのように、悩める思春期の子の円形脱毛のように、えぐられたままの地面が裸体のまま各地に残った。けっきょく、引き続き醜悪なものが建つか、コインパーキングになるか、そのまま裸をさらすか、している。

途上国を訪問したある人に、以前と今と状況はどうですかと尋ねたら、事態はますます悪化しているようですと顔を曇らせた。このケースは深刻だ。人命と国の行く末にかかわるからな、もちろん。


日曜日には、上賀茂手づくり市へ行った。とてもニッポンな風景。

こちらもニッポンな園部(そのべ)の風景。取材しに行ったはいいけど、えらい雪に遭った。12月の初めだったかな。



アレックスに、京都は、日本は以前と比べてどうですかと尋ねてもきっと、やっぱり「事態はますます悪化していますね」と言うだろう。この「悪化」には緊急性もなければ人の生死とのかかわりもない。ないけど、ある豊かな文化がちりちりと、剃刀で削り取るように、彫刻刀で切り抜くように失われてゆくというのは、確実に、安心して大きく深呼吸したり、大の字になって寝転んだり、日がな一日読書に耽ったりという、暮らしの「無駄」な「遊び」の部分を奪ってゆく。のほほんと、警戒心なく、環境に身を委ねることをいつのまにか不可能にしてしまう。いずれ、ここは、人の住める場所ではなくなってしまう。そのことは、生存率も識字率も低く当たり前の生活も保障されない途上国と比べても、かなり深刻である。いっとくが、今、放射性物質による汚染は考慮していない。


あけぼの。電線もべつに、嫌いじゃない。


電線を地中に埋めるのはたいへんな工事だ。ないと空はすっきりするだろうけど、代わりに醜悪な看板や外壁が目についたのでは元も子もない。見上げた時に電線しか見えないなら、まだましだ。めっきり減ったが、スズメもとまるし。それよりも、守るものが星の数ほどある。もちろん、改めるもの、除くものも、山のようにある、電線より先に。

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