Les boissons alcooliques qui symbolisent le pays2013/03/19 19:31:00

史上最強の雑談(3)



『人間の建設』
小林秀雄、岡潔 著
新潮文庫(2010年)


私の父は大酒飲みだったが、そう強くはなかった。飲むほどに酔い、最後は必ずへべれけになった。だんだん自分だけの世界に入っちゃって一人問答が始まるが、ろれつが回らなくなるので、何を言っているのか周囲にはわからない。そのうちむにゃむにゃ言いながら居眠り。毎日の晩酌がこの調子で、「お父さん、もう寝てんか」と母が促すまで、首をこくりこくりさせながらでも飲んでいた。
いつでもどこでも、そんな状態になるまで飲まなければ飲む値打ちがないとでも思っていたのか、たとえば外へ飲みに出かけても、「これ以上飲んだら明日に差し支えるし」「これ以上飲んだら家に帰り着けへんかもしれんし」「これ以上飲んだら寝てしまいそうやし」今日はここで飲むのを止める、ということのいっさいできない人であった。だからひとさまに言えない失敗談には事欠かない。私が知っているだけでもけっこう凄まじい(笑)。おまけに父は、前夜の酒の記憶が翌日に全然残らない人だったので、失敗による学習もいっさいなかったわけである。

いっぽう、父の兄と弟はシャレにならない大酒飲みである。シャレにならないと書いたのは、この二人は全然酔わないからである。本物の酒豪である。そりゃ、いい気分にはなってるようだし、舌の回りはよくなるし、愚痴や昔話ばかり出てくる日もあるけど、その程度。どれだけ飲んでも平気な顔をして、たいてい陽気ないい酒で、さらには翌日も前夜のことをよく覚えているのが常だった。伯父と叔父、この二人の飲みかたは、「酒に飲まれるのんべのダメ親父」を父にもつ私から見れば奇跡に近かった。

家業を継ぎ祖母と暮らしていたのは父だったので、正月には伯父一家と叔父一家が我が家へ集まりいつもたいへん賑やかだった。祖母も、もともと大酒飲みだがあまり強くないほうだったから(つまり父は自分の母親に正しく似たようだ)、正月の酒盛りサバイバルで生き残るのは伯父と叔父。泊まっていくこともあったがたいていは朝から来て夜までずっと飲み続け、「ほなごっつぁんでしたー」と、しゃんとした姿勢で家族を引き連れて帰っていった。あとには、酔いつぶれてトドのように横たわる祖母と父、そして箱膳や盆の上に徳利や猪口が転がっていた。そしてほぼ空になった一斗樽。

一斗樽をひとつ、一升瓶を2〜3本。いつもの晩酌用の酒の納品とは別に、出入りの酒屋が暮れに届けるのが慣わしだった。祖母と母は御節の準備に余念なく、私たち姉弟は手の届くところの拭き掃除をしたり、塗の椀や膳を拭いたり、玄関に屏風を置きお鏡さんを飾ったり、注連飾りの買い出しを言いつけられたりなど、今思うとたくさんたくさん手伝わされた。どの家もそうだった。暮れは家族がみんなで正月準備をした。で、私は、どの家にも日本酒が一斗樽で届くものだと思っていた。必ずしもそうではない、というか、一斗樽のほとんどを元日で空けてしまう家というのはかなり少数派だということを(笑)知ったのは、かなりのちのことである。

祖母が病に臥し、父たち三兄弟も年をとり、正月三が日を過ぎても一斗樽が空かなくなったので、ある時母が「樽で買うのはもう止めまひょか」と言ったが父は樽にこだわったらしい。父は銘柄などはどうでもいいほうで、酒屋のご主人の奨めを快く受け入れて持ってこさせていたと思う。正月に我が家に鎮座していた一斗樽の銘が何だったか、私には全然覚えがない。そんなふうだから、正月の酒は樽で買わなあかん、という父の言い分にしても、単にたくさん飲みたかっただけだろうと思っていたが、樽酒の旨さをそれなりに楽しんでいたのかもしれないな、と、本書の下記のくだりを読んで思った。


 
《小林 ぼくは酒のみでして、若いころはずいぶん飲んだのですよ。もう、そう飲めませんが、晩酌は必ずやります。関西へ来ると、酒がうまいなと思います。
 岡 酒は悪くなりましたか。
 小林 全体から言えば、ひどく悪くなりました。ぼくは学生時代から飲んでいますが、いまの若い人たちは、日本酒というものを知らないのですね。
 岡 そうですか。
 小林 いまの酒を日本酒といっておりますけれども。
 岡 あんなのは日本酒ではありませんか。
 小林 日本そばと言うようなものなんです。昔の酒は、みな個性がありました。菊正なら菊正、白鷹なら白鷹、いろいろな銘柄がたくさんございましょう。
 岡 個性がございましたか。なるほどな。
 小林 店へいきますと、樽がずっと並んでいるのです。みな違うのですから、きょうはどれにしようか、そういう楽しみがあった。
 岡 小林さんは酒の個性がわかりますか。
 小林 それはわかります。
 岡 結構ですな。それは楽しみでしょうな。
 小林 文明国は、どこの国も自分の自慢の酒を持っているのですが、その自慢の酒をこれほど粗末にしている文明国は、日本以外にありませんよ。中共だって、もういい紹興酒が飲めるようになっていると思いますよ。
 岡 日本は個性を重んずることを忘れてしまった。
 小林 いい酒がつくれなくなった。
 岡 個性を重んずるということはどういうことか、知らないのですね。
 (略)
 アメリカという国は、個性を尊重するようでいて、じつは個性を大事にすることを知らない国なんです。それを真似ているんですから。食べ物にも個性がなくなっていきますね。(略)
 小林 (略)ぼくらが若いころにガブガブ飲んでいた酒とは、まるっきり違うのですよ。樽がなくなったでしょう。みんな瓶になりましたね。樽の香というものがありました。あれを復活しても、このごろの人は樽の香を知らない。なんだ、この酒は変な匂いがするといって売れないのです。それくらいの変動です。日本酒は世界の名酒の一つだが、世界中の名酒が今もって健全なのに、日本酒だけが大変動を受けたのです。
 (略)その代り、ウイスキーとか葡萄酒がよくなってきた。日本酒の進歩が止まって、洋酒のイミテーションが進んでいる。
 岡 日本酒を味わうのと小説を批評するのと、似ているわけですね。
 小林 似ていますね。
 岡 近ごろの小説は個性がありますか。
 小林 やはり絵と同じです。個性をきそって見せるのですね。絵と同じように、物がなくなっていますね。物がなくなっているのは、全体の傾向ですね。
 岡 世界の知力が低下しているという気がします。日本だけではなく、世界がそうじゃないかという……。小説でもそうお思いになりますか。
 小林 そうでしょうね。
 岡 物を生かすということを忘れて、自分がつくり出そうというほうだけをやりだしたのですね。
 よい批評家であるためには、詩人でなければならないというふうなことは言えますか。
 小林 そうだと思います。
 岡 本質は直観と情熱でしょう。
 小林 そうだと思いますね。
 岡 批評家というのは、詩人と関係がないように思われていますが、つきるところ作品の批評も、直感し情熱をもつということが本質になりますね。
 小林 勘が内容ですからね。
 岡 勘というから、どうでもよいと思うのです。勘は知力ですからね。それが働かないと、一切がはじまらぬ。それを表現なさるために苦労されるのでしょう。勘でさぐりあてたものを主観の中で書いていくうちに、内容が流れる。それだけが文章であるはずなんです。(略)》(「国を象徴する酒」19〜24ページ)



なぜ、「よい批評家であるためには、詩人でなければならない」のだろう? 手許の『コクトー詩集』(堀口大學訳/新潮文庫)の、堀口によるあとがきにこう書いてある。《コクトーには、彼が「評論による詩」Poésie Critique と呼ぶ一連の作品がある。『閑話休題』Le Rappel à l'Ordre『ジャック・マリタンへの手紙』Lettre à Jaques Maritain(略)などがそれだ。昔から優れた詩人は同時にまた優れた批評家でしばしばあったが、コクトーもまた極めて優れた批評家だ。(略)「一作をなすごとに、僕はわざとその作に背を向けて反対の方向に新たに歩き出した」とは、彼が自らの創作態度を語る言葉だが、まさにその通りを彼は実行した。》(「あとがき」235〜236ページ)

私には優れた詩人と優れていない詩人の見分けかたはわからない。詩を鑑賞するのは好きであるが、読んでもつまらない詩は好きでないし、世間で評価されていなくても好きな詩はある。だが、私の好み云々は横へ措くとして、人に強い印象を与えうる詩とそうでない詩はたぶん歴然としてある。人の心に強く迫る詩を、迫られた読み手が好むとは限らないが、迫る詩を書いた詩人はおそらく優れた詩人の範疇に入る。読み手が、読んだ詩の感想を「ふーん」「あ、そうですか」程度で片づける場合その詩は読み手の心を捉えてはいないが、心を捉えなければ詩の存在価値はない。つーっと読み流されては「詩」として受け容れられなかったに等しい。詩が詩であるためにはその一行一行ごとに読み手を立ち止まらせなければならない。先を読みたいけどこの一行に、この一語に心がひっかかって進めないのよどうしよう離してよああもう、てな感じで身悶えしながら、奥歯ですりつぶして嚥下するまでたっぷり時間のかかるのが、詩である。そんな詩を書けるのが、優れた詩人である。

つまり、批評も同じであろう。なにしろ批評である。賞賛にしろ罵倒にしろ、もってまわった言いかたや、まわりくどい表現や、遠回しな(まわってばかりだけど。笑)言葉遣いをしていては批評にならない。批評の対象、批評の対象を愛好する者、そして批評の読み手、誰もを立ち止まらせ、うーんと唸らせ、ああ心がひっかかる、と容赦なく身悶えさせなければ優れた批評文とは言えないだろう。
ということは、批評家と詩人の仕事は、言葉や文章の表現方法、あるいは単に操作技術といってもいいが、その点において同じであるのだ。こと表現するという行為において、何か、あるいは誰かに対する「気遣い」「気兼ね」「憚り」「手加減」「配慮」「遠慮」「忌憚」「斟酌」なんぞが垣間見えたとき、それは詩に非ず、また批評に非ず、である。

コピーライターというやくざな商売は詩や批評の対極にあるといっていい。私はいつも、スポンサーを称賛する文章を自分ではない別の誰かの口を借りて書いている。「別の誰か」は、スポンサー商品の愛用者またはその予備軍、あるいは広告代理店そのものを想定する。つまり顧客だ。お客様は神様である。お客様に対して「気遣い」「気兼ね」「憚り」「手加減」「配慮」「遠慮」「忌憚」「斟酌」なしに口を利くことなど、できるわけがないのである。というわけで、私は詩人にも批評家にもなれないのである。


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