Hier, c'était WHITE DAY!!!2013/03/15 18:25:36

Merci! パリから愛のスパークリングよ♪ この次はとびきりのシャンパーニュ、飲みましょうね!
(↑ カーソル置いてね、ダーリン)


この世にはものすごく重要な日というのがあるだろうけれど、それらのどんなたいそうなお題目のついた日よりも、現在を生きる私たち日本人にとって、3月11日は重い日である。3月11日。ちゃんと、「さんがつじゅういちにち」と呼びたい。「にーにーきゅーじけん」とか、「きゅーてんいちいち」とか「ないんてぃーんえいてぃふぉー」とか、数字ゆえに記号化されちゃいがちな年号や日時だけれども、祈りを込めて3月11日をさんてんいちいちなんていわずに、「三月十一日」と、胸に刻みたい。

と、ことほどさように重要な日が3月の11日にある。こうなったからには、3月のほかのいろいろな日がかすんでしまうのは致し方ないのである。3月には上巳(じょうし)の節句(=ひなまつり)がまずあって(ウチらのまちでは4月3日ですけど。へえ、旧暦で祝うんどす)、オンナコドモが大はしゃぎするのだが、地域によって、学校によっては3月1日が卒業式だったりするし、早くも別れの涙でキャンパスが濡れるわけだ。ウチらのまちの公立校では、高校が3月1日、中学校が15日、小学校が20日か21日(春分の日に合わせたりずらしたり)に卒業式が行われる。それらに前後して「6年生を送る会」があったり、「先輩を送る会」が部活ごとにあったり。さらには入試の本番や合格発表があったりと、何かと「試練」が続くいっぽう、「宴会」づいてもいる小中高大学生たちである(笑)。

そんな、日本史に刻まれる墓標たるべき3月11日と、青春のビッグイベント群の合い間に、「ホワイトデー」という、商魂たくましい菓子業界が仕掛けた、ヴァレンタインデーになんかもろたらお返しせなあかんやろ、そやからお返しする日つくったで、的な、男子のための愛の儀式の日というのがある。

と、いうことをすっかり忘れていたのだった。

昨日、なぜか我が家には美味しそうなお菓子がぽろりぽろりと届き、私宛にメッセージカードが届き。何だろう、クリスマスも正月も、私も娘も誕生日済んだしなあ。と思いながら、最後に開いた友人からのメールには「ホワイトデーのご挨拶」とあって、「あ」と、やっとこさ気がついた。

私はここ数年ずっと、「お世話になっているあのかた」へのおちゃめなメッセージや、日頃不義理している友人へのご機嫌伺いや、賀状を出せなかったかたへの寒中見舞いをする日としてもっぱらヴァレンタインを使っている。こういう使いかたをするようになって、から、ああヴァレンタインデーってのも悪くはないもんだと思うようになった。

ところが、である。今思い出しても可笑しくて可笑しくてたまらないんだけど、毎年のように軽いノリのヴァレンタイングリーティングを送った相手のうちの一人が、真剣な怒りのメールを送ってきたのだ。イマふうに言うと「ガチギレ」(笑)

「あのさ、君のカード、あれ何? 受け取った人間の気持ちって考えないの?」 (言い訳するつもりはありませんけど、「悪いこと」は何も書かなかったのよ。笑)
「あのさ、バレンタインデーっていうのは愛の告白をする日なんだよ、いちおう日本では」 (……笑 完全説教モード。ぷぷぷ、いちおう日本では、だって)
「で、チョコレートがないなんて、けっこう傷ついたな、俺」

私はもう、どうすればコイツの機嫌が直るのかわからなくて、でもってべつに機嫌直したくもなかったから面倒になって適当にあしらって返信したのよねー。忙しくって目を回しているさなかに、相手してられないよ。
昔話のカテゴリに入るとはいえ、これ、もう40代になってからの話なのよ。あたしより一つ上なのよ、このオッサン。何が「愛の告白をする日なんだよ」なのよ、何が「傷ついたな、俺」だっつーの。

「ごめん、あたしね、単に季節の便りのつもりだったの」
「ごめん、あたしはね、日本の菓子業界の煽りに乗ってさ、2月14日にチョコレートを男に贈った経験はこれまでの人生皆無なの。そもそも、愛を告白する日だという認識はゼロでした」
「で、持病のために糖質制限してる君にチョコレートあげようなんて発想はますますゼロよ。傷つけちゃったんなら悪かったけど、あたしの贈ったチョコレートで持病悪化したらシャレにならないでしょ」(この人ね、お酒はいくら飲んでもいいんだけど糖質の高いものは食べてはいけない人なのよ)

そしたらさ、なんて返してきたと思う?

「ねえ、君……知らないの、糖質ゼロのチョコレートだって売ってるんだぜ」

知るか!
てめーでたらふく買って食え!

でさ、挙句の果てに

「君がそんなに常識のない人だとは思わなかったよ」
「これっきりにしてくれ」

で最後のメールを締めてくれたんだがや!
は? 目の前、てんてんてん。
あっけにとられて、あたし。
顧客と誌面デザインのことで侃侃諤諤、電話でやりあってる最中にね、何度も何度も長ーいタスキみたいなメールが来てさ。2/14にチョコじゃなくてただの季節の便りしかもらえなかった恨み節を、このときもう2週間後の3月に入ってたのよ、何なのよ今頃、でしょ、ねちねちねちと、つらつらつらと、連ねるのよ。ここに書き出したの、ほんの一部なの~~。

ブログを覗いてくださったかたには断じて勘違いしてほしくないんだけど、あたしこのオッサンとなんっっでもないんだよ。あたしだって独身女だからさ、おいしそうだからつきあう男もいれば、おいしくなさそうでも会う奴もいるし、友達以上恋人未満も、アッシー以上友達未満も、単なるパシリアッシーも、複数抱えて使い分けているわけさ(念のためゆっとくと、大事に誠実におつきあいしてる友人諸氏の殿方は別格だよもちろん)。で、このオッサンは、昔馴染みだけに邪険にしたら申し訳ないから未分類のまま外野席か場外に置いといたつもりだったのさ。ああそうね、中途半端はよくないって見本だったね今思えば。


このオッサンさ、あたしに見切りをつけて「ふった」気でいるのだよ。
2/14に季節の挨拶しかしない女なんかサイテーなわけよ(笑)。
ったく、面倒くさいやつがいるもんだあ。

ああ、やっと、この話を書くタイミングを得て嬉しい~ すっとしたあ
読んでくれてありがとう、みんな!

10代や20代でこんなこと経験してたらさ、私も「こっちに悪気がなくても人を傷つけることあるのね」って殊勝に反省したけど、人生半分以上過ぎた今となっては全然そんな気がないのよね(笑)。ああ、気持ち悪かった、お子ちゃまオトコ。勝手に去ってくれ。

たく、当時アタマに来てしょうがなかったんだけど、ほら、最初に言ったように、たとえ震災が起きていなくても、メモリアルやイベントの多い時期だからね、いろいろな、もっともっと大切なことに思いを馳せてたらさ、コヤツの話なんて融けたスライムより使い道ないから後回しになっちゃって。

 *

昨日、ホワイトデーだった。
メッセージやプレゼントをくださった殿方へ。
心から愛をこめて御礼申し上げます。
不束者ですけれども、とこしえによろしくお願い申し上げます。



そして今日は、さなぎの母校の中学校で、卒業式でした。
今年の卒業生は、何を歌ったのかな。
さなぎたちの時は、この歌でした。


桜ノ雨

absorb
作詞:森 晴義(halyosy)
作曲:森 晴義(halyosy)


それぞれの場所へ旅立っても
友達だ
聞くまでもないじゃん
十人十色に輝いた日々が
胸張れと背中押す

土埃上げ競った校庭
窮屈で着くずした制服
机の上に書いた落書き
どれもこれも僕らの証し

白紙の答辞には伝え切れない
思い出の数だけ涙が滲む
幼くて傷付けもした
僕らは少し位大人に成れたのかな

教室の窓から桜ノ雨
ふわりてのひら
心に寄せた
みんな集めて出来た花束を
空に放とう

忘れないで
今はまだ…
小さな花弁(はなびら)だとしても
僕らは一人じゃない

下駄箱で見つけた恋の実
廊下で零した不平不満
屋上で手繰り描いた未来図
どれもこれも僕らの証し

卒業証書には書いてないけど
人を信じ人を愛して学んだ
泣き
笑い
喜び
怒り
僕らみたいに青く青く晴れ渡る空

教室の窓から桜ノ虹
ゆめのひとひら
胸奮わせた
出逢いの為の別れと信じて
手を振り返そう

忘れないで
いつかまた…
大きな花弁を咲かせ
僕らはここで逢おう

幾千の学び舎の中で
僕らが巡り逢えた奇跡
幾つ歳をとっても変わらないで
その優しい笑顔

教室の窓から桜ノ雨
ふわりてのひら
心に寄せた
みんな集めて出来た花束を
空に放とう

忘れないで
今はまだ…
小さな花弁だとしても
僕らは一人じゃない

いつかまた…
大きな花弁を咲かせ
僕らはここで逢おう

いつかまた
大きな花弁を咲かせ
僕らはここで逢おう

No matter how hard it hurts me.
I'll never say good bye.
Your presence will always linger in my heart.
...wanna see your smile again.
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JASRAC作品コード 154-1919-3

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