Bravo! No Nuke! ― 2014/05/21 15:28:24
なんて喜ばしい!
いやっほー!!!
**************************
大飯原発、再稼働差し止め=福島事故後初、住民側訴え認める―福井地裁
時事通信 5月21日(水)15時11分配信
関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の安全性が確保されていないとして、住民ら189人が関電を相手に再稼働の差し止めを求めた訴訟の判決が21日、福井地裁であった。樋口英明裁判長は住民側の訴えを認め、関電に差し止めを命じた。
原告弁護団によると、2011年の東京電力福島第1原発事故後、各地の住民が集団で提訴した原発運転差し止め訴訟で初の判決。原発の運転差し止め訴訟で住民側が勝訴したのは、金沢地裁が2006年、運転中だった北陸電力志賀原発2号機(石川県志賀町)の差し止めを命じて以来。
**************************
活断層の有る無しが問題じゃないのよ。
原発の存在自体が非人道的なの。
目指せ全原発廃炉!
★追記★2014.5.22
http://www.news-pj.net/diary/1001
(判決文掲載ページへのリンク)
Bon anniversaire ma chérie! ― 2014/02/13 22:10:07
産婦人科医院の院長は予定日を2月14日ですと言った。バレンタインデーですね、もし男の子なら、誕生日とバレンタインデーが同じというのはいいのかなよくないのかな、わっはっはなどとぬかしておった。その次の健診から院長の担当ではなくなって、週1の当番で来ている医師に代わったが、彼は、すくすく育てば予定日より早く出てきますよ、ま予定日なんてのは予定以外のなにものでもないのであってね、と言った。
サンヴァランタン(フランス語ではこう発音する)の日を待たずに陣痛が起き、娘は胎内でたいへんよく育ちすこぶる元気に産声を上げた。18年前の2月13日午後6時頃。
18歳を迎えるというとても意味のある記念すべき誕生日に、なんと娘は親から離れて異国にいる。初めて二人で過ごさない娘の誕生日。私の誕生日は、とくに近年は私の帰宅が夜中だったり、帰宅後疲労困憊してバタンキューで寝てしまったり、でまともに祝えたことはないのだけれど、娘の誕生日のほうはサンヴァランタンと準備することが微妙にかぶるので、外すことなくお菓子をつくり、そんなわけで私も贈り物の用意も怠りなく。
なのに今年の誕生日には娘がここにいないのである。
いない。
いないのだが、この大きな不在を、さして気にしていない自分がちょっと可笑しい。べつに人間の器ができているわけでもないし、親として分別臭く気取っているわけでもないし、ましてや娘のいないことが寂しくないはずがない。
けれど、なんつーか、ここに私が昨日やおとといと同じように生きているように、彼女も今日を昨日やおとといと同じように迎え、今日を無事迎えた喜びや充実感と同じ思いで明日もあさっても生きていくだろうと確信できるのである。
そのことが、娘の不在の生む空虚感や寂寥をいくぶんか和らげる。不在は不在に過ぎないのであって喪失ではないから、私はそのことを喜ばねばならない。
私の母にいたっては「今日は何の日?」の問いに「さあ?」とまるで思い出すふうでなかった。人に尋ねられれば孫がいなくて寂しいと答えるが、毎日自分の身体を動かすことだけでいっぱいいっぱいだから、はっきりいって、セントヴァレンタインズデーも孫のバースデーも、さしたる重要事項ではないのだ。だからといって孫に会いたくないはずはない。毎日無事を拝んでいるが、いくつもいくつも考えたり行動したりしていたうちの、今はほんの数パーセントしかできなくなっているような状態だから、孫の誕生日を忘れても仕方がないだろう。
だいいち先月の私の誕生日だって、見事にころりと忘れていたのだ(笑)。
身ごもった時から、どういうわけか私には確信めいたものがあったのだ。私の産む子は手段や方法はどうあれ、世界に何らか寄与する人間になる、と。そして私の産む子が、そのまた後続世代を育てることに大きな役割を果たすと。だから私は迷わずこの子を産むのだと。産むことにはっきりと反対した人も、間違っていると断言した人もいたけれど、18歳になった彼女を見ても同じことを言うだろうか。言わない。絶対。
私はこの先も、身ごもった時に覚えた確信を、たとえば彼女が20歳になった時、職業人として自立した時、伴侶を見つけた時、親になった時などに、都度都度、再確認して噛みしめるだろう。
そう願いたいし、そう在らねばならない。私の娘という稀有な存在を産み落とした親として。
誕生日おめでとう!
Merci! ― 2014/01/22 18:10:53



Au revoir, ma fille! ― 2013/09/27 18:40:07
“Il était une fois, une catastrophe…” ― 2013/03/11 17:53:52

2年前、私は何を考えていたんだろうとふと思い、マイブログのアーカイヴから抜粋してみた。……2年前に考えていたことと、今と、突き詰めれば同じことを考えている。同じことを願っている。自分自身も、けっきょく変わっていない。だが、惨状のなか、歯を食いしばって前を見て歩けた人と、何もかも失くして絶望に打ちひしがれたまま時が止まってしまった人との、生活環境の差は開くばかりだ。
ずっとラジオをつけっぱなしにしている。いつもインターネットで聴いているRadio France Internationaleである。15分ごとにニュースが更新されるが、必ず日本の地震と津波の最新情報を伝えてくれる。
内陸に住む私たちは、紺碧の空と海への憧れは強いがその怖さを想像することができない。波は海底の震動によって巨大になりどんな遠方からでも勢いを保ったまま陸地へ到達し道も家も人も飲み込んでしまえる、そういうものであることに、思いが行かない。
1995年の地獄絵のような映像が瞬時にして甦る。
どうか早く鎮火して! などといくら願っても祈っても届かないのだ。
気になるが、金曜は一日出張先にいて、社内での仕事が山のように残っていたので、まずはよそ見をせずに黙々と原稿を捌いていった。
1995年のあの日の翌日も、遠方からたくさん電話をもらった。高い電話代をものともせずに皆かけてきてくれた。数時間もの間まったく電話がつながらなかったので、私も神戸の友人につながらなかったし、私にかけようとした人たちも何度も試みたようで、ようやく私の声を聞いたとたん電話の向こうで大泣きする人もいた。
あの時も、今回も、同じだ。
私や私の町を案じてくれるその気持ちは痛いほど嬉しい。
が、私たちには何も被害がない。
「大丈夫だよ」
とのこちらの声に
「ああ、よかった!」
と心底安堵してくれるその言葉に複雑な気持ちになる。なにも、よくなんかない。問題は「ここ」ではない。何も喜べない。
2011/03/16 01:46:47
昨日、卒業式だった。
こんなときだけれど、子どもたちには心の底からおめでとうを言ってやりたい。この日を無事に迎えることができたことを、素直に、心から、喜びたい。
また、卒業生を代表して元生徒会長が述べた答辞では、命の尊さを肝に銘じて……と、東日本の大地震に触れていた。
おめでとう。さなぎ。
2011/03/18 22:21:37
一日がすごく長い。
娘は何でもひとりでできるようになったが、とりあえずオカネのかかるヒトなので、もっと副収入が欲しいのだけれど、現状では家で一秒も空いた時間がない。これではスーパー闇仕事も請けられない。
2011/03/19 22:47:43
パリの猫屋さんブログを読むと、リベラシオン紙によると《フランスはアレヴァ・EDFなど原発企業が所有する130トンに及ぶ核対応特殊マテリアルを日本に送る予定》なのだそうだ。つまり原子力のプロたちが「これ使いな」と困ったときのお役立ちツールをくれるというのだけど、原発事故からこっち、嫌というほど感じたのは、日本ってほんとアマチュアなのね、ということだ。原発なんて、一介の電力会社がやることじゃないんだろう。発電には違いないけど、扱うものは核である。核兵器を長年研究して開発して実験して、なんてことを専門企業がやっているような国とは、その実力においてプロ野球と草野球、いや三角ベースほども差があるのだ。
日本では、「だからいわんこっちゃない」的な論調が目立つように思うがどうだろう。「世界唯一の被爆国が原発をもつなんておかしい」とか「地震国で津波の恐れもあるのに沿岸部に原発建てて」とか「そもそも東電の隠蔽体質がこの事態を招いた」とか。いちいち正論だが、けっきょくは犯人探しにすぎない。犯人なんかいないのに。要は私たちみんな身の程知らずの未熟者だったわけだからここは大人のいうことを聞きましょう、プロの助言を容れましょう、ということを、それなりの立場にある人にいってもらいたいし、そうした発言を広く国民に知らせてほしい。伝わってくるのはメディアサイドの揚げ足取り的な詰問に対する言い訳や、重箱の隅をつつくようなあら探しや失態のリストアップ的記事ばかりである。また現在懸命に実施している作業をレポートする記事の横に必ず「遅かった」だの「最初の判断ミスが招いた現状」だの、識者のコメントがくっついている。物事、多角的に見なくちゃいけないし、賛否両論ある時はその両論とも載せるのがメディアの仕事とはいえ、あまりにも、最前線で働いている人に失礼じゃないかい、と怒れるのである。
2011/03/23 01:16:53
ガイガーカウンター、送ってあげようか?
そんなことを言われたけど、要らないと言った。だって、そんなこといちいちしてるほど日常に余裕ないもん。だけど、いずれ、自分で携帯するほどではないにせよ、放射線計測器がぐっと身近なものになるのだろう。今火災報知器の取り付けが義務づけられているが(ウチはまだ付けてないけど)、そのうちガイガーカウンターの取り付けとか携帯とかが義務づけられるようになるんじゃないだろうか。なんてこった。
福島第一原発の周囲はこの先何十年も立ち入りできない、もはやそういう場所になってしまった。そういう場所を抱えて、日本という国は、この地球上で生きていくのである。
そのことを考えていかなくてはならないのだ。
(アーカイヴのコピペ ここまで)

……。
……。
WHITE BIRTHDAY ― 2013/01/18 18:35:44


通勤途上、御苑を通りますが、ほれ、うっすらと。

冷え込む日もしばれる日も、針のように冷たく刺さる雨が降った日も、埃が舞う程度に雪のちらつく日も、あったけれど、こうして目に見えて風景が白くなったのは今冬初めて。
奇しくも今日は……

平日の我が家は朝食しか全員揃わないので、娘は朝から私のバースデイプチパーティーを企てたのだ。やるやんけ、さなぎー♪

それにしても、君はほんとうに高校生か?(笑)
ひらがなしかないやん、手書きのバースデイカード(笑)
ぐっすり寝たおかげか、昨夜のワインが極上のフランス産だったせいか(笑)、非常にすっきりと目覚めて、娘の用意したスクランブルエッグとトースト、そしてタルトショコラをいただいた! やーん、おいしいやんーおいしすぎるー Y(^0^)Y
やーん、嬉しいやんー嬉しすぎるーーー~~~\(^0^)/ワーイ
Hier, c'était l'anniversaire de mon chat. ― 2012/12/02 01:43:32

「というようなことでもいいんですかね」
「かまいませんよ、大きくずれてなければ、別に」
「猫もらったので健康診断してください」と獣医に連れていき、登録して診察券をつくってもらった際のドクターとの会話。
猫が我が家にきたのが2月初めだったので、生まれて2か月くらい。とってもとっても小さかったのだが、昨日で7歳になった。7歳というのは、健康に配慮の必要になる区切りの年である。餌などの区分も「0〜1歳」「1〜6歳」「7歳以上向け」が多い。でも近頃飼い猫はご長寿で、行きつけの獣医院には20歳、22歳、25歳なんて猫がざらにきている。化け猫である、文字どおり。だからきっと市販フードももっと様変わりするであろう。勤務先のごく近所にペットショップがあるが、すでに餌のラインナップはすごい。健康志向、ナチュラル志向がすごい。いつかドラッグストアで離乳食のラインナップに驚いたことがあるが、そんな私の記憶を(当たり前だが)はるかに凌駕する多彩さだ。
ウチでは毎年、首輪をプレゼントしている。最初につけた首輪が赤かったせいか、赤の似合う印象のある愛猫。したがっておのずと赤系のヴァリエーションが続いていたが、近年、異なる色にもチャレンジしようということで去年の誕生日には、手づくり市で見つけた浅葱色の古い帯地でリメイクされた和風な矢絣柄の首輪をプレゼント。それを一年間つけていたが、ぼろぼろになった(笑)。今年は、どれにしようかとさんざん悩んだ挙げ句、ひとつに絞りきれないで、黄色いのと、やはり王道に戻って赤いのと二つ、ペット用品のPEPPYでショッピング。
今日は、それぞれの首輪を身につけて記念写真を撮りたかったのに。そんなのどーでもいい彼女は首輪を取り替えさせてはくれたけど、あとは丸まって知らん顔。
しかたないねえ、寒いしね。テーブル下で、ホットカーペットに寝そべってばかりいるウインターシーズンの我が愛猫。
首輪が変わったというのに「見て見て素敵でしょ」と披露するでもなし、筋金入りの不愛想は年々筋金が太くなっているようだ。飼い主に似たのか?
愛猫の誕生日だというのに、私は仕事だったのだが、さらに悪いことには取材相手にドタキャンされ無駄足を踏んだ。
得意先の担当者(背が高い!)に連れられて、集合場所に到着すると先方のつなぎ役が申し訳ないですホントに、を何回も繰り返して担当者を見上げて「朝イチに御社に電話したんですけどどなたもいらっしゃらなくて……」
まあな。今日は土曜日だからな、休日だからな。って、休日なんだからケータイ教えとけよ担当者!
「ああ僕ケータイの番号渡していなかったんですか……」
って今気づいてどーすんだっ 縮こまってんじゃねーよっ
チョーマジムカツク、とひと昔前のコギャル用語をアタマの中で反芻しながら、担当者の横から私は満面のスマイルでつなぎ役女史に向かい:
「ご事情があってのことでしょうから、どうか気に病まれないようにお伝えください。それより、やはりどうしても紙面構成上必要ですのでお話をうかがいたいです。なんとかお時間つくっていただけないでしょうか。ワタクシ、いつでもどのような場所にでも参上いたしますので。そうお伝えいただいて、ご調整くださると本当に嬉しいのですけれども」
困惑・懇願・奉仕のスマイルをローテーションさせて澱みなくセリフを吐き、相手から快諾を得る。
あたしって、愛想いいよね?
営業用やん、それ。ってみなさんのお声が矢のように飛んでくる(笑)
そうね、ウチの愛猫も、ご飯ねだるときだけチョー愛想よしでチャーミング。やはり飼い主に似たのね。
よかよか。そうでなくてなんで生きていけますでしょうか。
7歳おめでとう、リーちゃん♪
Vous savez, il y a pas mal de gens qui pensent beaucoup aux Japonais en cette période de commémoration. ― 2012/03/11 23:59:59
洗濯物を干しに、何度も階上へ上がって、降りて、止めていた映像をまた再生して、コーヒー入れてマグに注いで、みたいなことを繰り返す。昼過ぎまでは天気がよかった。乾き具合がもうひとつだった昨日の洗濯物を取り込み、今日の分をまた干していく。今日は8時30分に京都マラソンの号砲が鳴ったはず。私の友人諸氏も無事スタートを切ったはず。今頃どのへん走ってるんだろう、天気よくてよかったな。ゆるい陽射しに少し気分をよくしながら、久しぶりに洗ったぬいぐるみも干していく。
好きだからという理由で同じ映画を、くりかえし見る。かつてはビデオテープ、そしてDVD、今は動画配信なんつうもんが発達したおかげで、映画は衰退したと言われて久しいが、よい映画はそうした方法で生き残り、いつまでもわれわれのような映画大好き人間を楽しませてくれる。
昔むかし観た映画も、感動するシーンは昔とは微妙にずれてきて、若い時には何とも思わなかったシーンが、今観ると妙に切なくこころにしみたり。
『ニュー・シネマ・パラダイス』のラストシーンは有名だからもうここには書かないでおこう。
アルフレードの残してくれたフィルムを観るサルヴァトーレの何ともいえない感激した表情は、最初に観た時は単に亡きアルフレードとの約束や思い出が甦ってきての表情だと思ったけれど、私も青かったな、てことだな。中年になったサルヴァトーレの胸に去来するものはシチリア時代だけではなく、故郷を後にしてからの30年間でもあっただろう。いまだに初恋の人を忘れられずにいるサルヴァトーレだけど、長いローマ生活の間におびただしい数の恋愛を経たはずで、そのひとつひとつは、女の名前は思い出せないけど唇の感触は忘れていないとか、あるいはその逆というふうに、何らかの記憶を刻んでいたことだろう。
アルフレードの形見は、古傷もいいも悪いも思い出は何もかも、過ぎてしまえば走馬燈に描かれた絵に過ぎないということを、突きつけているようだ。
生きているうちは、生き抜くしかないのである。
生きて、生きて、命ある限りは、命あることを祝福する。私たちの道はそれしかないのである。
いつまで経っても、心のうしろのほうが疼く。
居合わせた以上はこの疼きから逃れて生を終えることはできない。
たくさんの人々が私たちのために祈ってくれている。
だから私たちも、世界のために祈ろう。
Bon anniversaire ma chère!!! ― 2012/02/13 23:53:08


Politkovskaïa : le tueur présumé arrêté, pas le commanditaire ― 2011/06/03 21:24:30
(リンク、効いてないけど)
http://www.rue89.com/retro-ina/2011/05/31/politkovskaia-assassin-presume-arrete-pas-le-commanditaire-207146
ここに貼られていたいくつかの映像を、こっそりもらってきた。
暗殺を伝えるニュース。↓
こちらは在りし日のアンナ。
フランスの討論番組に招聘され、モスクワにおける劇場占拠事件ならびに、チェチェンについて熱く語った。
って、せっかく貼ったけど、ここでは再生できないのね(苦笑)。オリジナルサイトへという表示が出るので、ご興味のある向きは飛んでください。
アンナ・ポリトコフスカヤ。ジャーナリスト。
2006年10月7日、自宅のあるアパルトマンのエレベータ内で何者かに銃殺。享年48。
以上、覚書。