O ma fille...2012/07/04 19:00:09

アシナガバチでは癒されないわよ。という方のために。
もうひとりのわがままおてんば娘、りーちゃんである。
爆睡中。
可愛い……。
その前足~~~
無警戒の極み(笑)。
尻尾をやたら振っていた。
あんたなんかどうでもええねん、あたしは。という寝顔である。

りーが膝に乗ってくるとき、りーが何かをねだって擦り寄るとき、りーが何かを訴えてにゃあすか啼くとき、りーの寝顔を見てるとき。私は間違いなく、実の娘をはじめとする多くの愛する者たちの存在を、たとえ一瞬にせよ完璧に忘れている。
世の中には、極端な愛犬家、愛猫家、動物愛護主義者がいる。何事も極端に振れるのは大変よろしくない、ともう一度鯨の刺身を食べたい私は切に思うのだが、こうしてウチの大事なりーちゃんを見るとき、そういう極端に振れちゃう人々の気持ちが少しだけわかる、というか、自分も一瞬「そっち」へ行く。行って我に返って、心中で苦笑する。紙一重さ、なんでも。

あーほんまに、かえらしわあ。(ああ、本当に、可愛らしい)

Quelques idées...2011/11/19 20:45:38

朝からどしゃ降りだった。
あ、牛乳がないでえと娘が言う。おばあちゃんが朝コーヒーに入れたらそんだけになってしもた、と母が申し訳なさそうに言う。とりあえず今は足りるしええで、と自分のココアに残った牛乳をすべて入れながら娘が言う。牛乳あらへんなあ、と確かめるように母が言う。ええやん、と娘が言う。どうしよう、とさも大変なことのように母が言う。ええやん、ともう一度娘が言う。ちょうちゃん今日買い物行かへんか、と母が言う。行かへんと私が即座に言う。牛乳あらへん、と母が言う。知ってるよと私が言う。あらへんし、とその次の語を継ぎたそうな声で母が言う。このどしゃ降りの中あたしに牛乳を買いにゆけとゆーんですかあーたは、私たちは人間です牛のおっぱいなんざ摂取しなくても生きてゆけるんですっ、と私が言う。そやな、と簡単に引き下がり、ほな明日にしよ、と母が言い、牛乳ストーリーは終結。
雨足はちっとも弱まらない。
今日、薬局に行って買いたいもんがあったのにねえ、サービスデーやし。ちょっと面倒な距離にあるからいつも自転車だが、歩いていってもたいした時間はかからない。だけどわざわざびしょ濡れになるために外に出ることもないやんなあ。しょうがないので部屋の片付けと掃除をする。いや、これは本来しょうがないからすることではなく、日々積極的にしなければならない重要な家事なのだよ、などと言いながら。
夕方、少し小降りになってきた。
行こうか。
どこ行くの、と母が訊く。薬局、と娘が答える。薬局に牛乳売ってるか、と母が訊く。売ってるけど買いませんっ、と私が横から叫ぶ。
傘をさして、娘と歩く。
あれこれと話をしながら歩く。
家事の合間に、私がパソコンとにらめっこしていたのを指摘して、何書いてんの、と娘が訊く。えっとね、原田芳雄のこと、と私が答える。え、それまだ終わってへんかったん、と娘が笑う。うん、でも、やっと終わりそうやで、と私も笑う。
薬局で、娘のダイエット食品と、私の二日酔い止めサプリを買う。お母さんもそんなん飲むようになったらもうアカンな、と娘が言う。こんなん飲んでまで飲まんでええのにな、と私が言う。大げさな飲み会や食事会だけでなく、ちょっと友達と立ち寄ってきただけでも、翌日ひどい頭痛と腹痛に襲われて何も手につかなくなることしばしばで、そんな母親の健康を心配するというよりは、朝ご飯とお弁当ちゃんとつくってくれんと困るしな、と目下超ダイエット中で食事の中身に小ウルサイ娘が横目で私を睨む。超ダンサー向け低カロリーかつ栄養満点必勝献立に文句は言わせませんよと私が唇の端だけで娘に笑う。
暗くなってから、レッスンに向かう娘の背中を見送る。
明日、勝負の日やねん。
な。
まず一勝、しなあかんしな。
ここんとこずっと維持しているベストコンディションをもう数日。
いい緊張キープしよう。
な。
いまここってときにベストを尽くすため、日頃手も気も抜いて生きてるんだし(笑)。
な。
雨が止んでよかった。明日は晴れそうやし。
あれこれ思いながらあくびをひとつしたら、いつものように猫が私の膝へ来て、数分間踏み踏みしたあと丸くなって、くうと寝た。

Septembre, le typhon, la lune, le chat2011/09/03 01:37:32

暑いとか涼しいとかよく降るとか節電節電と大騒ぎした割には電気も足りてるやん、だいいちウチはとっくの昔から超節電状態やねんこれ以上どこで搾れっつーのよとかいろいろ、実りのない世迷い言だけがアタマの前のほうを駆け巡っているのを感じながら、ああ、もっと、アタマの後ろを深ーい思考で満たしたいよなあなどと無理な願いを見えない星にかけたりしているうちに9月になった。

9月の声を聞いたとたん台風である。
およそ、地球が地球であるがゆえに引き起こされる人間にとって手に負えない巨大な規模の自然現象のうちのほとんどが、日本には起こる。地震、津波,台風、豪雨、火山の噴火、洪水、土砂崩れ。よく北米大陸に起こる竜巻は、地形のせいか日本ではほとんど発生しないみたいだ。『オズの魔法使い』のように飛ばされた家の中から外の風景を見るなんてことに憧れた時代はあったが(笑)、風は、怖い。数年前のある日、台風が上陸して各地で警報が出されていたが、だからって経済活動を止めない日本人のひとりであるわたくしは、風にあおられてクチャクチャになった百均アンブレラを閉じ、雨に濡れながらとある交差点に差し掛かったところ、私の少し前を歩いていたご婦人が、横断歩道の真ん中あたりまで到達したとき、彼女が通り過ぎるのを待って動き始めた右折車が、彼女をはねたのである。
ご婦人は気丈にも傘をさしたまま歩いていた。その傘が風にあおられ、いきおいで、傘を離さなかった彼女の体は横断歩道を逆進して右折車の前にいきなり出てしまったのだ。

はねたと言っても車のスピードは落ちていたから、だいじにはいたらなかったようだが。

もろに目撃した私は、以来、風が怖い。

いまも、ひゅうーという恐ろしげな音と、我がぼろ家があちこちでみしみしカタカタ音を立て、明日までこの家保つだろうかと本気で心配になるほど、危なっかしい(笑)。

今日はとくに、猫の様子がおかしい。動物のもつ本能で、危険を予知しているかもしれない。にゃあにゃあとずっと啼いていて、うろうろとあちこち移動しては何が聞こえるのやら聞き耳を立ててじっとしたりする。かと思えば取り憑かれたように何かを追いかける。

私たちの住むまちは、大きな自然災害とは無縁である。影響を受けて、たとえば明日は暴風雨の予想だし、どこどこの神社のご神木が台風でなぎ倒されるとかそんな話は毎年ある。あるが、その程度である。北部ではゲリラ豪雨で川が氾濫して車が流されたとかそういう話は山のようにある。しかし、阪神淡路大震災のときも半端じゃないほど揺れたけど、揺れただけだった。

地球の自然現象は月との引っ張り合いで起こる(と思っている)。猫のひげやしっぽが、大きな自然災害の接近を予知する力があるとしたら、それは、つきつめれば月の引力をも感じるスグレモノのアンテナであるから、ということになるんだろう。悲しいかな、人間はその猫の察知したなにものかを解釈する能力は皆無なのである。

C'est pas vrai!!!2011/08/25 22:07:43

今日から高校が始まった。正確には昨日からだったが、陸上競技大会があったので娘を含む部員は公休扱いだった。で、今日から。クラスのみんなの顔を見るのは、久しぶりだな。楽しみでもあり、憂鬱でもある。憂鬱なのはもちろん、ベンキョーしてないからだ。休暇明けには提出物のチェックが済み次第テスト攻めに遭う。そんなことは休暇に入る前からわかっていたが、バレエ三昧日本晴れ時々雨でも陸上の練習はあるのよね、というような毎日で、予習復習はおろか、宿題すらこなしていなかったので、ここ数日は凄まじい分刻みのタイムスケジュールでプリントを捌いていた。母の私はヤツの読書感想文用に400字詰め原稿用紙を会社で出力してやったり(手書きで縦書きという指定。家のマックでテンプレートのダウンロードはできてもプリンタがない)、ヤツの800字小論文を会社で出力してやったり(ワープロ打ちでA4横書きという指定。我が家にマックは2台あるがプリンタは1台もない)、相変わらず使われている(笑)。子どものことで時間を費やすなんて今のうちよねなんて自分に言い聞かせてせっせとなんでも手助けしてやってきたが、背丈も態度も「上から目線」になり、「お母さん、やっぱ居酒屋チェーン○○のご飯が安うておいしかったで。お小遣いで足りるし来月また行くねん」などと居酒屋通い(笑)を始めた15歳のデカ娘に振り回されるのは、いいかげん止めんとこっちは身が持たんぜよ、という気になってはいるのである。いるのであるが、ぜんぜん止まんのである。「お母さん、それって正しいけど今はまだするべきでない、みたいなことってなんて言う?」「お母さん、こういうのって変、おかしいと感じた、みたいなとき、なんて言う?」「二次熟語とかでな、知的に聞こえる言い方が知りたいねん」……あのなあ、コピーライターの私を「意味から引く国語辞典」代わりに使うなっつーの。といいながら、お弁当の卵焼きを巻きながら、「時期尚早、とかかなあ」「違和感を覚えた、かなあ」「茶番だ、滑稽な、とかいろいろあるけど意味はちょっとずつ違うで」などと解説してしまうのである。「おおお、今日のお弁当はなかなかカラフルよん」といった自画自賛つぶやきと混ぜながら。

トウシューズはどうなったん? とご心配くださるかたもいらっしゃるのではと思うので後日談。
「あのー予約していたシューズのことですが……」
「入荷予定は10月下旬です」
「へ? はい? 10月?」
「お待たせして申し訳ないですけどー」
「来月初めには舞台なんですよぉ」
「あら、たいへん(ウチの購入履歴を調べている様子)前にお買い上げくださったのはもうダメなんですねえ」
「ぐにょぐにょにやわらかくなっちゃって」
「同じ型番ので、ソールがワンランク硬いのでしたら2足在庫がありますけど」
「え、さらにまた硬いやつ?」
「はい。あ、前回ひとつレベルを上げはったとこなんですね」
「足にきつくないかなあ」
「お嬢さんの足ならいけるかもですよ。ほかには、スーパーソフトしかないですからね、ツーレベル下の柔らかいやつです」
「ほかに手はないですね……それ、硬いほう、ウチのために取り置きお願いします」

「10月下旬入荷やて」
「最悪」
「今履いてるやつより硬いソールのしかないって」
「それならあんの?」
「2足」
「うーん」
「どうする? それ買うて慣らすしか、今回は他に道はないと思うで」
「そやな。わかった。買うといて」

トウシューズのソール(底板)は、皮をニスで固めたもので、力がかかるともちろん、しなる。皮の固め方によって硬さをレベル分けしている。メーカーによって呼称はさまざまだが、S・M・H(ソフト、ミディアム、ハード)の3種類にSS(スーパーソフト)やSH(スーパーハード)が上下について5種類くらいである。インソールの初期の硬度やしなやかさはたいへん重要だが、それだけがトウシューズ選びのポイントではない。柔らかいのを履くのが初心者で、硬いのはプロ、というわけでもない。ボックスの深さやプラットフォームの形、大きさなど要検討事項は政権与党ほどではないが山のようにあるのである。
娘は、インソールは柔らかいほうが好きで、長い間ソフトタイプを購入してきたが、今の店に替えたとき、同じソフトという表記だがずいぶん硬いタイプを買ったのだった。それが思いのほかしっくりきたので、以来、この店で買っている。2、3度他店他メーカーも試したが、やはり現在の店がいい。この夏に買ったときソールの硬さレベルを上げたのだったが、慣れるのに時間はかからなかった。で、これはよいぞと追加注文をしたのだったが。

取り置いてもらっていた2足を引き取った。
「硬いというより、分厚いだけって感じもする」
手にとってソールを叩いてみた娘の感想。
「明日、履く?」
「うん」
うん、といわれたので夜更けまでかかってリボンとゴムを縫いつけた。やれやれ。衣裳のサイズ調整も、シューズのリボンつけも、高校生になったら自分でするしな! と高らかにヤツは私に約束したはずだったが、すっかり忘れ去ったようである。慣らし始めたハードタイプのシューズは「うん、いい感じ」だそうだ。では、軽やかな猫のステップを楽しみにしているぞなもし。

Elle était juste une des petits rats...2011/08/19 16:17:40

9月初旬に、娘の通うバレエ教室の発表会がある。9月のアタマといえばまだまだ暑いが、いちおう毎年「秋のバレエコンサート」と銘打っている。まだ習い始めた小さい頃から欠かさず観にきてくださる友人(私の)がちらほらいるけれど、知らせると「ええ? 9月の初めなんて、早いのねえ今年は」とおっしゃる。かつてはいつも彼岸の頃に行われていたので、「秋の」の語がしっくりきていたが、ここ数年、教室サイドの思惑どおりに会場日程の予約ができなくなってきて、9月初旬開催が続いている。
それはともかく、もう本番まで2週間余。
「シューズがやばい」
「まじ?」
「まじ」
「困ったなあ」
「お店から電話ない?」
「ない。1足でも先にくれ、とゆーてあるから入荷したら即連絡もらえるはずなんやけど」
「入荷してへんってことやんな」
「やんな」

「やばい」というのは、「つぶれそう」という意味である。もうそろそろ履きつぶす頃なのだ。
ウチのい草ゴザになんと不似合いなサテンのトウシューズたち……といいたいところだが実はトウシューズなんつうもんは綺麗でもなければ可愛くも美しくもないのだ。数回履くと先はボロボロになる。ここに写っているのは4月以降に費やしたシューズたち。後ろのピングーの袋にも数足突っ込んであるが、いずれにせよ多くはない。ワンレッスンで履きつぶすのがプロのダンサーは当たり前とよく聞くが、もちろんわれわれはプロではないので、ワンレッスンで1足なんてことはありえないけど、バレエ教室の生徒の中にはハイペースでシューズを消化する先輩も珍しくない。ある先輩の母親が、「部屋中シューズだらけ、シューズで山ができるくらいなんよ。アンタこれ、嫁入りに持っていきなさいよって言うてんのよ」なんて嘆いていたけれど、おおげさでもなんでもない。娘の履きつぶしたシューズは一足も捨てていない。段ボール箱に突っ込んでクローゼットにほりこんであるが、その体積はけっこうなもんである。単にウチがボンビーなので、また娘もそれをよくわきまえているので、もうこれ以上どうやっても使えませんよっとくたくたボロボロになるまでシューズを使うので、消化がローペースなだけである。
手前の数足には乾燥剤が突っ込んである。
いま使用中のトウシューズ2足とソフトシューズ1足。
写真は8月初めに撮ったものなので、数回履いただけの時点だが、このように爪先はボロッ。

レッスンは年齢を重ねるほどに厳しく激しくなってきた。
シューズの傷みの加速度も倍加した。
これまで一度に買うのは多くても2、3足程度だったが、5、6足注文しておこうかといつもの専門店へ行くと、
「工場が1か月休暇をとってましてね。8月に入らんと動き始めんのです。そこからの受注生産ですから……」
なんて店主が言ったのが7月だった。なにー? 由々しき事態である。
とりあえずそのとき店に在庫品があったのでそれを買ったが、7月下旬から履き始めたシューズはとても本番では使えない。まずい……。
まずいがとにかく5足注文して、1足でも早く入荷したらすぐに連絡くれと頼んでおいたのである。

他にもトウシューズ売ってる店はあるでしょうに、といわれるかもしれないが、私たち母娘がとりあえず動ける範囲で買いに行けるあらゆる店でフィッティングを繰り返し、稽古で試しては替え、試しては替えて、いま注文している店はようやくたどり着いた、ジャストフィットのシューズをつくっている店なのである。しかもこの店のオリジナル製造品なので他店にはないのだ。
グリシコやカペジオといった海外メーカーの既製品なら、どんな店でも年に2回は叩き売りバーゲンをするし、インターネットなら年中安く手に入る。だいたい4,000~5,000円台が主流だ。そうした既製品に足が合えば苦労はないが、残念ながら超成長期(笑)の娘の足はフィッティングごとにサイズが微妙に違ったし、早くから土踏まず矯正治療を続けていることもあって、足を(トウシューズに限らずどんな靴であれ)入れるたびに感覚が異なるというし、陸上で酷使して傷害もでていたし、などなど複合的多層的理由のもと、「あ、これ24.5cmね、足幅も足回りも合いそうだわ、これまとめて買っちゃえ」というふうには一度として買えなかったし今後も買えそうにないのである。

夏場の購入は気をつけないとなあ、というのが今回の教訓だが、なんにせよ店から連絡がないのは困ったもんである。5足分の予算35,000円は使い込まないように別にとってあるんだけど(笑)。


パリ・オペラ座バレエ学校の幼い生徒たちのことをles petits ratsという。レ・プチ・ラと発音する。最後の「ラ」は限りなく「ハ」に近い発音である。小さなネズミたちという意味である。バレエ学校の廊下やスタジオをちょこまかうろうろする様子を表現したものだ。わが娘も、いまの教室で最初に経験した全幕バレエでは、主人公の少女の夢に出てくる小さなネズミの役をもらった。それから十年が過ぎ、ネズミというにはあまりにもでかくなりすぎた娘は、飼い猫にも教わった(笑)ステップ pas de chat(パ・ドゥ・シャ。saut de chat ソ・ドゥ・シャともいう。「パ」はステップ、「ソ」はジャンプ)を少しは華麗に踏めるようになった。毎回「元気な」演目だったが、9月の発表会ではかなり「エレガントな」演目を踊る。チャレンジの巻、である。

シューズ来い来い、早く来い~~~

Tien, ma petite chérie, tu aimes beaucoup du poisson comme ça?2011/02/04 00:18:54

いったいいつから巻き寿司の丸かじりだかかぶりつきだか、何て言うのが正しいのかしらないけど、そんなのが全国区の風習になったんだろう? 恵方を向いて数え年の数だけ豆をいただく、それは小さな頃からしていたけれど、喉の奥まで見えそうなほど大口開けて太巻きにかぶりつくなんて、そんなはしたないこと、しなかった。コンビニもスーパーもデパ地下も寿司チェーンも恵方巻き一色だ。誰かこの風習の発祥地がどこか、教えておくれ。
節分にはいつもイワシをいただく。シンプルに焼き魚で。その仕度のときからウチの愛猫はにおいを嗅ぎつけ、母の側から離れなかったらしい。私も娘も帰宅が10時頃なので、イワシはその時刻になってやっと食卓に上ったが、待ってましたとばかりに猫さまもワンジャンプでテーブルにスタンバイ。定刻に与えられるドライフード以外の食べ物にはけっしてありつけないのに、おいしそうな匂いがするや果敢に追跡するウチの猫さま。しょっちゅう焼き魚が食卓に並ぶ我が家、そのたびに、鯖にしろ鮭にしろ、鼻をひくつかせて寄ってきて離れないのは同じだが、今日は執拗さが違った(笑)。なぜだろう、猫さまにとってイワシは格別の御馳走なのか? もともと猫の始祖は砂漠の生き物だったというが、ほんとうなのかな。砂漠の生き物に魚を好むDNAが受け継がれるだろうか。それに、ウチの猫さまに与えているダイエットフードも療法食もチキン味である。両方とも大好きで、いつも食餌はぺろりと平らげるが、焼き魚の日はもううろうろにゃーにゃーと台所から立ち去らず人にまとわりつきっぱなしで落ち着かない。どこの猫もこんなに魚が好きなのかな? いつも、ちょっかい出すと嫌がって離れるくせに、今日は私の皿の横に座って私の手と箸と口元に鼻をすり寄せて「アンタ何食べてんのよ、アタシにもよこしなさいよ」といわんばかりである。ダメよアンタにはドクターストップかかってんだからね。だけど甘い甘い飼い主の私は、愛猫の可愛さに負けて、焼けてカリカリのイワシのしっぽをちぎってそのかけらを与えてしまった。嬉しそうにひくひく言いながら顔じゅう動かして食べる猫さま。ああ、なんて可愛いのだろう。こんな時、ふと、ああこの世にこの子以上に可愛い存在があるだろうか、などと自分の立場と娘の存在を忘れて本気でつぶやく(心の中で)。
そうはゆーてても、例の恵方巻きを食べ終え、食卓からイワシも消え、台所もきれいに片付くと、もう私たちにも何にも用のない猫さまは、ひとしきり食後のエクササイズで走り回ったのち、戸棚の上の寝床に就かれるのである。Ma petite chérie、おやすみ。

5 years2010/12/02 22:18:09

もう昨日のことになってしまったけれど、12月1日はウチのねこさまの誕生日である。
5歳におなりになった。
光陰矢の如し。
月日は百代の過客にしてなんとやら。
年明けて2月には父の七回忌をとりおこなうので、そりゃ5年経つのも至極当然なのである。
めっきり少なくなったが、我が家にはネズミさんたちが棲みついており、調子に乗って居間やダイドコまで出てくること頻繁であった。天井裏を駆け回るくらいはご愛嬌だが、籠に盛った果物や、三角コーナーに捨てたままになっていた生ゴミを食べ散らかされるのは困る。いつぞやは娘がつくったハロウィンかぼちゃが無惨な姿で発見された。「ネズミがいたずらしてるとこ見てみたいなー」なんて、いわむらかずおの「14ひきシリーズ」の世界を思い描いて余裕のあるところを見せていた娘も、ぼろぼろになったミニかぼちゃを見てさすがに青ざめた。
「ネズミ、許さへん」(わなわな)
私は笑いをこらえるのに苦労したが、この出来事は猫を飼う大きなきっかけの一つであった。
もう一つは、やはり喪失感である。欠乏感である。父が2月に亡くなって悲しみに浸る間もなく、葬儀や七夜であっという間に月日が過ぎ、父の不在に慣れたようでいながら、ふと狭い家の中にできた空隙の思わぬ大きさに唖然とする。それでも、毎日捌ききれないほどの私用公用雑事茶飯事を抱えてばたばたしている私や娘はそもそもなにがしかの思いにふける時間がなかった。が、母はやはりぼうっとしていることが極端に多くなった。ぼうっとして何もせず座っているだけの父を見てはしょっちゅう話しかけたりおやつを差し出したりちょっとした手遊びをしてみたりと何かと構っていたが、相手がいなくなり今度は自分がぼうっとするばかりになった。無趣味な人なので時間つぶしの方法を知らない。ぼうっとしているからといって四六時中そばで話しかけてやるわけにはいかない。母がどれだけ空虚感を自覚していたかは知らないが、このままではこの人は遠からずぼけてしまうであろう。その危機感から私はそれ以前にもまして彼女に家事を頼むようにした。世話を焼く相手がひとりいなくなったので、おのずと孫がターゲットになり、以前にもましてさなぎにかまうようになったのだが、さなぎはさなぎで日々成長する小学生女子だったので、だんだんとばあちゃんの干渉を鬱陶しがるようになっていた。
「さなぎのことはいいから、自分の部屋とかダイドコの掃除とかさ、乾いたタオルきれいに畳んで仕舞うとかしてくれへん?」
実は母は料理も掃除も得意ではない。衣類等を畳んで引き出しなどに片付けるのも不得手である。彼女が畳んだものは私に言わせれば丸めて突っ込んだに等しい。寝室はいろいろなものが山積みになって、とても当人以外にはものを探し出せない(それは、ま、アタシも同じだが)。なのにさなぎには宿題はあるのか、宿題しなさい、宿題すんだのか、時間割したのか、忘れ物ないか点検しなさい、と彼女が家にいる間に各10回くらい言うのである。
要は、自分のことは棚に上げて人の世話を焼きたい、構いたいタイプなのである。
父は、母がかまって何もかもするので、自分の服や下着、靴下がどこにしまわれているのか何も知らなかった。
度が過ぎた世話焼きは迷惑である。
「ばあちゃん、今日一日はさなぎに宿題したか、って言わないこと。ゆうたらおやつのおまんじゅうはなし」
とかそんなことで釣って、あなたの世話焼きは人をダメにするのよということを伝えようと何度も試みたが、現在に至るまでまったく矯正はされていない(笑)
ともあれ、世話を焼く対象がさなぎひとりでは危険だと考えたことが、猫を飼うことのさらに大きなきっかけとなった。
母は動物嫌いである。
しかも猫だけはこの世に存在することが許せないというほど嫌っていた。さなぎが赤子の頃、よく公園に連れていってくれたが、公園の野良猫がどうしたこうしたと、帰宅した私に憎々しげに語ったものだ。ほっといたらええやん。手出ししいひんかったら何もしいひんやろ、猫なんか。しかし母は、視界に入ってくるだけで悪寒を感じるらしい。一方、犬に対しては、自分が嫁にきた頃から近隣に飼っている家庭が多かったせいもあってか、まったく抵抗感がない。だから犬を飼うという発想をしないでもなかったが、犬は散歩に連れて出なければならない。犬好きの父がまだ健在だった時から、我が家では、犬は飼いたいと思えども散歩の担い手がいなかった。誰もが三日坊主に終わると確信していたのである。
そんなわけで、ほとんどムリヤリ猫に決定した。
猫を飼おう!
わーいわーい。
ええええっ。嫌や嫌や絶対嫌や。
ある日、地域紙の三行広告「あげます」欄に「猫もらってください。アメショーMIX6匹います」という告知を見つけた。これだ。
速攻で電話する。あからさまに嫌な顔をする母に、これ、もらいに行くからねと宣言。土曜の朝だった。広告主によれば、すでにもう何人かから引き合いがあるとのこと。「今日の午後、いきますから」と念を押して当時まだ持っていた軽を駆り、午前中の用事を済ますやいなや広告主の住む団地へすっ飛んでいった。
子猫はもう2匹になっていた。
「雄と雌、一匹ずつです」
籠に入った小さな猫は、互いに寄り添いくっつき合って、にゃーにゃー啼いている。少し毛の色が違う。私も娘も直感で、よりブラウンがかった毛色の雌を選んだ。雄よりおとなしそうに見えた。あとから思えば雄のほうがアメリカンショートヘアっぽい毛並みをしていたのだったが、猫の種類などにはとんと興味も知識もなかったので、この子が好き♪と感じたほうにしたのだった。
持参した籠に入れてもらって、まず、いったん帰った。
「おばあちゃん、おばあちゃん、見て見てーねこちゃんー」
あまりに嬉しそうな孫娘の様子に、見てやらんわけにはイカンと思ってかどうか知らないが、籠から出した猫をまじまじと見た母。
「ひゃあ、可愛らしいなあ!」(※「かえらしい」、と読みます)
さなぎが子猫をばあちゃんの膝に乗せる。ちっちゃいわあ。よう来たなあ。
よっしゃクリアしたぞ。瞬時に確信し、さ、ペットショップ行くぞと娘と養女(笑)を連れてトイレとトイレ砂と当面の餌を買いに行った。5年前の2月4日。

「この子、生まれてどのくらいなんですか?」
「いやあ、それが正確には……11月の終わりか12月の初めかなあ。いつの間にか生まれてたし、ちょっと僕も記憶がはっきりしなくて」

わからないものをいくら考え巡らしても結論は出ない。
したがって、12月1日という、ウチのねこさまの誕生日は、実は私たちが当人(当猫?)の意思も希望も事実も脇へ置いて決めた記念日であった。

ねこさまはすくすくとお育ちになり、膀胱炎になったりもしたが、ここ2年ほどはその症状もすっかり影をひそめて、すっかり健康で元気である。猫嫌いだった母は、いまでは愛猫なしでは一日も生きていけないくらい、麗しのねこさまと一心同体化している。5歳といえばいったいいくつなんだろう。けっこうエエ歳のはずである。相変わらず猫に赤ちゃん言葉を使う私たちだが、あんまり悪さをして、叱ってもいうこときかずにいたずらを繰り返す時など私はつい、
「こらっオバハン! ええかげんにせーよっ」
などという(笑)。
「にゃー!」
あんたにオバハンていわれとないわっ。とゆっているように聞こえる(笑)。
今年の誕生日プレゼントは和柄の首輪。ちりめん風プリント地でつくったカラーに梅の花をかたどった鈴がついている。
「品が良うて、よろしおす。よう似合うたはりますえ」
などといってみる(笑)。
「にゃにゃんにゃー」(へえ、おおきに。うれしおす)
というふうに聞こえて喜ぶのは飼い主ばかりである。

ハッピーバースデー。
Bon anniversaire!
5歳の誕生日おめでとう、りーちゃん。

最近の休日2010/05/16 11:32:54

2月・3月とほとんどノンストップワーキングだった可哀想なアタクシですが、おかげさまで、4月以降、まともに休日を取れております。体調もちょっと回復した感じ。

昨日、葵祭でした。久しぶりにひとりで街をぶらついたんですが、ものすごい観光客の数でした。げんなり。これは昨日の夕刊。

まともな休日を過ごせるということはまともに家事ができるということでして、休みのたびにおやつをつくる日々が戻ってきて嬉しいのです。

チョコレートとくるみ
ココアケーキ。向こうに見えるジャムも手づくりですのよ♪


リンゴとシナモン
このリンゴケーキ、おすすめです♪ もう何回つくったことやら(笑)

バナナとロマラン
炊飯器で焼くそば粉のケーキ。練り込んだバナナの他に、今回は釜の底に輪切りのバナナを並べました。

もちろんホームベーカリーも絶好調で♪
ショウガパンの香りが気になる猫さま。
猫さまは、いつか足を怪我したみたいなことをブログに書きましたが、レントゲン撮っても異常なし。獣医師によると、「後ろ右足付け根の関節部分の軟骨が少ないように見える」「治療のしようがない」「今落下の弾みで痛がってるのはそのうち治まるはず」とのことだったので様子を見ていたら、一週間ぐらいでびっこはひかなくなりました。4月にワクチン接種に行った際、その話をすると「お年寄りになったときに(また症状が)出てくるかもしれません」ですって。骨粗鬆症のウチの母みたいなもんかな。

そんなわけで、今は元気いっぱいに階段やハシゴの昇り降りを楽しんでます。
ここは、娘のロフトベッドの上。今のお気に入りの場所。


つつじが花を開き、苺が実をつけると、夏が近いことを感じますね。


とゆーわけで、最近の休日でした。


「エディタで写真をいっぱい貼りつけてランクアップ!」という、アサブロ管理画面を開けるたびに目に入る台詞があまりに鬱陶しいので、これでもかと写真を貼ってみた。

どうだ、文句あっか(笑)

明日って11月20日やん(原稿締切日!という話ではない。締め切りには違いないんだけど)2009/11/19 19:26:05

ちょっと見づらいけど、開いた辞書の上で愛猫が寝てます。


昨夜帰宅すると、仮面ライダー電王の主題歌CD(クライマックスジャンプがえんえんと入ってるやつ)ががんがん鳴っていた。
「なんでそんな懐メロ」
「だって眠たい……」
私の帰宅はけっして早くはなかったが、でもまだ21時を少し過ぎたところ。でもまあ、たしかに朝早く起きてたもんね。
「電王は眠気覚ましになるの?」
「ほかに思いつかへんかった……」(←というか、他にはマツケンサンバくらいしかない娘のCD)
娘の手許には数学のプリント。数学に向かうとたいてい睡魔が襲う。小学校のときも算数は眠たいといっていたので、そもそも数字や記号を受け容れない脳ミソなのであろう(笑)。数学教諭は担任だが、四六時中うるさい他の生徒に気を取られがちで娘がこっそり居眠りしているのに気づかないそうだ。気づいてないわけないでしょーが、と私は思っていたけど個人懇談のときも何も言われなかったので、やはり気づいていないようである。

いーじゃん♪いーじゃんすごいじゃん♪と鳴り続ける音を背景に、猫はあっちへうろうろ、こっちへのしのし。おもむろに、過去の問題を調べるために娘が開いたプリントの束の上によっこいしょと座る。
「こーらーあ」

猫は紙の上に座るのが好きである。ウチの猫に限ったことではないらしい。くれびさんちの猫さんも紙の上に好んで座るそうだ。
しかも「今現在」使っている紙もん、テーブルに広げている新聞や雑誌の類いの上を狙って座る。いまそこ読んでんのに!というところを足で、お尻でふさぐのである(笑)。
机の上でノートPCを開け、本を開き、左側に辞書を開く。そうして人が仕事にいそしんでいるとニャーと寄ってくる。膝に跳び乗って、断りもなく机に乗っかる。でも、猫はけっしてノートのキーボードの上を歩いたりはしない(なぜだろう?)。ノートの後ろ側の狭いところを上手に通って、傾けた私の頭のすぐそばへ来て、私の視線が落ちる原書の数行の上に前足を置き、おもむろに座る(笑)か、または、ご丁寧に今読んでいる箇所の上を上手に四本足で押さえていったあとさらに進んで辞書へ到達し、その場で座り心地を確かめ、場合によっては方向転換などして、辞書の厚みに体を預けて、寝る。
机の上には用なしになったメモや書付、見終わった資料が積んであるのに、また足許にはそれこそ古い紙の束がやたらと山をなしているのに、そういうのには目もくれないのが猫である。
ウチの猫は、来たばかりの頃、こたつで宿題をする娘の邪魔ばかりしていた。私の記憶だととくに漢字練習帳が好きだったような気がする。あるいは書写の硬筆練習帳か。大きなマス目に大きく字を書こうとすると、ぴょんとこたつに跳び乗って、そのマス目に前足を差し出し、そのまま座るのだ。四六時中知らん顔をしているのに、宿題を広げたら必ず寄ってくる。最初はノートに乗っかられるたびに相手をしていた娘も、いいかげん嫌になって「お母さあああん(涙声)」(笑)

教科書やノートを家で開くことのほとんどない娘が、居間も食卓も教材やノートをいっぱいに広げるのがテスト前の7日間である。ほんとに7日間以外は――そりゃまあ日々宿題はあるんだけど要領がいいのか短時間で済ませているので――そんなものが散らかっていることはない(散らかっていないという意味ではない)。しかし、早朝夕方深夜と部屋中が教科書副読本ノートファイルプリントetc.だらけなるのはこの7日間だけ。猫は妙にはしゃいで紙から紙へと渡り歩く。お気に入りの紙の上で座る。寝る。それはたいてい「使用中」のものたちである。なぜ気に入るのだろう。体温の痕跡を感じるのかな?

というわけで、娘はいま定期テスト前の勉強モードデイズ真っ盛り。朝は5時半に起き(だから朝練はお休み中)、放課後は各教科の補習に出て(部活も停止中)帰宅。夕食を済ませてバレエ教室へ(テスト前でもほとんど休まない)、そして帰って夕食第2ラウンド⇒入浴⇒勉強⇒就寝。
しかし昨夜のようにバレエを休んでまで勉強モードを続けると、動く食べる寝る、で成り立っている娘の体のバランスが崩れるのであろう、睡魔が襲うばかりで効率が悪いようである。加えて、数学や理科、技術家庭なんぞは睡魔製造機である。

早いものでもう11月下旬だ。このあともきっとあっという間に過ぎていくんだな。持久走大会が終わって、クリスマスが過ぎて、正月が過ぎ、節分も過ぎ、最後の定期テストも済んでバレエの発表会も済んで中学3年生になるんだな……。

知る人ぞ知るあの本も、隠れた超プチ大作のあの箱も、ただ食って寝るだけのウチの猫も、昔の名前で出ています。2009/05/24 00:26:59

休校措置なんぞがとられてしまってすっかり生活ペースを乱されているあたしたち。

……なんてことは実は全然なく、私は休みも休みでないのでただ粛々と仕事に邁進(ここ数か月ずっとこの状態)、老母はぶつぶついいながら私が全然しない家事をカバーし(ここ数か月ずっとこの状態)、さなぎはさなぎで登校しないわ外出もできないわ、じゃあ勉強かお手伝いしかすることないだろってゆーだけ無駄!を絵に描いたような、一日中腹筋背筋の筋トレと老母の寝室の手すりでバーレッスンと食事とおやつと昼寝に明け暮れる(ここ数年たいていこの状態)。

手づくり絵本教室に通っていたときの先生が声をかけてくださって、グループ展に参加している。これまでに作った本を、他の熱心で優秀な生徒さんたちの素晴しい作品群に紛れ込ませてもらっている。私は展示のお手伝いも会場当番も何もできなくて、先生には不義理ばかりである。

グループ展のお知らせは先生のHPで。↓
http://www.geocities.jp/studio23roko/News.html

ギャラリーはここ。 ↓
http://www.k4.dion.ne.jp/~myogei/

私とは違ってお店番もしておられる生徒さんのブログ。 ↓
http://hohaba.exblog.jp/


作りたい本は次から次に浮かぶ。私の「作りたい本フォルダ」にはおびただしい数のテキストデータがあるが、ひとつとして自分のテキストはない(笑)。人の文章を読んで、あ、これいい、と思うとさっさとキープして、眺めたり朗読したりして、絵や装幀を思い浮かべる。
で、そこで止まる。
実際に手を動かす時間がないのである。テキストの山さん、ごめんなさい。いつかきっと、私が本にしてあげるからね。