猫を飼育する ― 2007/02/09 19:05:47
野澤延行 著
集英社新書(2004年)
猫が病気になって、ただただ心配しておろおろしていたが、医者がいるのをいいことに、自分では何も知ろうとしていなかったことに気がついた。猫という動物について。
金魚が来たときも、ザリガニが来たときも、クワガタが来たときも、タニシが生まれたときも、アマガエルが迷い込んだときも、私はいつだって、彼らについて書かれた飼育専門書を読み漁った。彼らは次々死んでいく。なぜだ、どうして。どうすれば生きていてくれるのか。金魚の専門店に行って薬を求めたり、小動物専門店へ行ってカエルの餌を求めて「なぜ自然に帰してやらないんですか」と叱られたり(だったらトカゲとか売るなよ、もう。怒)。彼らには名医も特効薬もないのだから、帰す自然も周囲にはないのだから、私は真剣に彼らに向かい、共存するために知恵を絞り手を尽くしてきた。
共存と書いたが、こちらが人間である以上、飼育である。
飼って、育てる。人間界に囲い込まれたら最後、彼らは飼われて育てられるのである。
猫も同じだ。
私は猫を「飼育」しなくてはいけなかった。
なのに、初めて我が家に来た哺乳類の小動物を、私はまるでちっちゃな人間のようにとらえていた。今はニャーとしかいわないけれどいずれ「すみませんが喉が渇いたので水をください」ときちんとお座りして訴える日が来るかのように。
猫は犬と違って人間の言いなりにはならない、とか、自立したプライドを持つ生き物だ、とか、猫さまのそうした美点はしっかり尊重して。
月齢2か月で我が家に来てから、母のもうひとりの内孫、娘の妹分、私の二人目の娘のように可愛がっては来たけれど、その体の仕組みや習性、性癖について、飼い主の責任について、金魚のときのように、タニシのときのように、アマガエルのときのように、執念深く調べることはしていなかった。雑誌を立ち読みしたりネット検索をする程度で、獣医やペットショップ店員の言葉を鵜呑みにして、済ませていた。
普通はそれで事足りるかも知れないが、うちの猫は病気になってしまった。
非常にショックだった。費用がかかったこと以上に、自分がいかに何も知らずに家へ猫を招き入れてしまったかを思い知らされ、私は反省した。
これは勉強しなくてはいけない。「飼い主、かく在るべき」という事どもについて。
事の顛末を書いたエントリーに温かく的確なコメントをいただいて、ますますその意を強くし、遅まきながら、道しるべになってくれそうな本を探した。図書館では思うように探せず見つからず、オンライン書店でだだだっと探してシャッと買った。便利な世の中だ。
本書『ネコと暮らせば』は、同時に買い求めた『ねこのお医者さん』(石田卓夫著)に比べて読み物の要素が強く、雑学もてんこ盛りで面白い(たとえばマタタビやカテキンの語源とか、モンゴルではどのように猫を飼っているかとか)。
『ねこのお医者さん』のほうは項目が整理されていて、飼い主の「こんなときどうしよう」にすぐ応えてくれる豆事典。手の届くところに置いとくと役に立ちそうな一冊だ。
いっぽう、読みながら、下町の野良猫や外飼いの猫たちが気ままに遊ぶ様子が浮かんでくるのが『ネコと暮らせば』。子どもと一緒にさんざん読んだ『ルドルフとイッパイアッテナ』(斉藤洋著)をつい思い出す。
猫は、猫という種族として誕生したときから、人間に限りなく近い場所で野生動物として暮らしてきたという。だから人間の生活にもなじんでくれる。だが、野生時代が長かったことによる遺伝子は連綿と受け継がれ、決して人間に隷属しない。
しかし、人の暮らしが自然から遠のき、無味乾燥になったところへ猫を引き込む以上は、猫に我々に同調してもらうための工夫が必要になる。
しっかりと「飼育」してやる気持ちがないといけない。知ってやらないといけない、猫の体と心を。
本書の後半には食事、健康についてのアドバイスが並ぶ。『猫のお医者さん』も併せて、重要だと思われるところに付箋をつけるのに余念のない初級飼い主なのであった。
コメント
_ mukamuka72002 ― 2007/02/10 07:34:01
_ きのめ ― 2007/02/10 18:48:03
子供のころイングリッシュセッターという中型犬を飼っていたけど、彼は思考回路は人間そのものだった。
そのころから動植物は人間の生まれ変わりだという説を信じている。でも、猫に生まれ変わるのは我慢できても、オジギソウは嫌だにゃ。
最近はカラスの行動を観察するのが日課になってしまったクァー。おそるべし、文章塾。次の観察対象は・・・
_ ファイト ― 2007/02/10 19:55:43
息子もよく拾ってきてたよ。
↓その写真
http://obayamafight.cocolog-nifty.com/
_ ちょーこ ― 2007/02/12 16:11:59
猫に限らず、異種と同居は難しいですね。人間でもね。
きのめさん
腰、大丈夫ですか?
ファイトさん
いらっしゃいませ、ようお越し。
そんなふうにふらっと来て、また旅に出る。猫はそういう生き方がふさわしいんでしょうね、ほんとうは。
_ おさか ― 2007/02/13 14:51:28
私が飼うと、すぐ死んじゃうんだって(というかそういう運命の猫しか縁がないそうな)そういわれてみれば思い当たること多数。なんだろう、ご先祖になんかあったのかね。
ただ触った猫がどうかなるというわけではないので、近所の猫は盛大に撫で撫でしてやっております。
ちなみに去年の夏祭りで子供がすくって来た八尾の金魚は、夏に暑さで五尾が昇天(しかも共食いした模様)、厳しい生存競争に生き残った三尾は巨大化しております・・・・水槽もう一サイズ大きいのに替えなきゃかも(泣)。
_ ちょーこ ― 2007/02/13 19:18:49
>八尾の金魚
は、8尾(はちび)の金魚って意味ね。私、最初「やおのきんぎょ」と読んでしまって、へ?八尾は金魚の名産地か?などと思考をめぐらしかけましたが、一瞬でした。すみません。大阪府八尾市かと思ったの。
金魚の飼育は奥が深いですよね。私の小さい頃、10年以上長生きした金魚がいた。鯉みたいにでかくなっていた。父が主に世話をしていましたが、生かした父もすごいし慣れて生きた金魚らもすごかった、としみじみ思いました。母親になってから11年、これまでウチに来て昇天した金魚は軽く100匹を超えます。もっとかもしれない。今、特大・大・中大・中・中小・小の計6尾が6種のサイズで健在です。
猫も違う種族だ、それをわかって人間側も合わせてやる。これは極端で、失礼な云い方かもしれないけれど、ペットと暮らすのはまったく違う文化背景を持った外国人と暮らすぐらいの覚悟がいるのかもしれない。だから、子どものいる家庭でペットを飼うのは、子どもにとって国際性を習慣的に身につける、良き学習となるのかもしれない。
自分とは異なる文化、性質を持った者として、尊重し理解する、そして学ぶ。ペットを飼う事の人間側のメリットなのかもしれませんね。もう一度、なーるほど、と考えさせられましたニャ。