チェチェンニュースから転載2007/11/02 09:38:38

【転送歓迎】チェチェンイベント情報 2007.11.01

今回のニュースは、次のURLから写真入りで見ることができます。
http://chechennews.org/chn/0719event.htm (HTML版) 発行部数:1668部
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■編集室より:
 すっかり秋らしい日が続くこの頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。今月はチェチェン関連のイベントが次々と企画されています。今回のイベント情報では、『踊れ、グローズヌイ!』上映会+講演会、「日本の報道写真家たち-世界の戦場から-」、「アンナ・ポリトコフスカヤ暗殺とチェチェン戦争」、「アレクサンドル・リトビネンコ追悼集会-ロシアの闇とチェチェンの平和を考える-」を中心に、各種イベントのお知らせをお届けします。
 クルド難民関連の朗報もあります。10月30日の参議院法務委員会で、民主党の今野東議員がクルド難民問題について大きく取り上げました。今野議員をサポートし、難民問題に対する市民の関心を国会に伝えるためにも、ぜひフィードバックをお願いします。(邦枝律/チェチェンニュース)

■『踊れ、グローズヌイ!』上映会+講演会
 まずは、『踊れ、グローズヌイ!』の上映会と講演会のお知らせから。11月4日(日)には茅ヶ崎市で、11月10日(土)には広島で、12月8日(土)には町田で、『踊れ、グローズヌイ!』の上映会が開催されます。今回は、このうち林克明さんの講演がある広島の上映会の詳細をお送りします(その他の上映会については、アムネスティの以下のサイトをご覧ください)。
 http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=1041

 林さんの近著『プーチン政権の闇 チェチェン戦争/独裁/要人暗殺』は、高文研のサイトよりお買い求め(立ち読みも)できます。
 http://www.koubunken.co.jp/0400/0390.html

●広島:チェチェン、そしてロシアを知る。
 映画『踊れ、グローズヌイ!』(2002年作品、75分)の上映/林克明氏(ジャーナリスト)のお話

 林克明(はやし・まさあき)氏のプロフィール:1960年長野生まれ。1995年以降、15回以上、チェチェンに入り取材を行なう。著書に『カフカスの小さな国 チェチェン独立運動始末』(第3回小学館ノンフィクション大賞優秀賞)、写真集『チェチェン 屈せざる人びと』(岩波書店)などがあり、この9月には『プーチン政権の闇 チェチェン戦争/独裁/要人暗殺』(高文研)が刊行された。

日時: 11月10日(土)午後1時30分から4時30分まで
場所: 広島カトリック会館 多目的ホール
(広島市中区幟町4-42 世界平和記念聖堂の隣の建物です)
資料代等: 1,000円(学生800円)
主催:(社)アムネスティ・インターナショナル日本ひろしまグループ
問い合わせ先:090-3177-7336(野間)
予約は不要です。また、カトリック会館への問い合わせはお控え下さい。

 2006年10月7日、ロシアの『ノーバヤ・ガゼータ』紙の記者、アンナ・ポリトコフスカヤさんが射殺されているのが発見されました。彼女は1999年から命がけでチェチェンを取材し、プーチン政権と現地のカディロフ首相を批判しつづけてきました。アムネスティや様々な人権団体がこの暗殺を非難し、真相の究明を訴えてきましたが、まだ解明はされていません。
 この度、上記の要領でイベントを開催します。上映する映画『踊れ、グローズヌイ!』はチェチェンの児童民族舞踊団「ダイモーク」(我が祖国、という意味)の活躍を描いたドキュメンタリー作品です。夏休みに1台のバスに全員が乗り込み、中西欧諸国への公演旅行に出かけます。彼らの目的の1つは「チェチェン人はテロリストではなく、普通の人間だ」ということを西側の人びとに知ってもらうためでもありました。子どもたちの美しく気高い舞踊を映し出したこの作品は2003年、第1回シカゴ国際ドキュメンタリー映画祭でグランプリを受賞しました。広島初公開のこの作品をお見逃しなく!
 また、この機会に林克明氏の話に耳を傾け、チェチェンのこと、そして今のロシアの情勢について学んでみませんか?

■日本の報道写真家たち-世界の戦場から-
 次は日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)主催のイベントの紹介です。11月4日(日)から12月15日(土)まで、埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」で、JVJAのフォト・ジャーナリストによる写真展とトークイベントが開催されます。11月11(日)には、林克明さんのトーク「チェチェンから見た日本とロシア」も。「小泉・安倍劇場とプーチン劇場。北朝鮮とチェチェン。メディアの堕落、軍(自衛隊)の権力拡大、言論表現の自由の制限。チェチェン戦争を切り口に、ロシアと日本のファシズム化」を語ります。
 その他もお勧めのトークイベントが満載です。ご都合のつく方はぜひご参加ください。

●11/4(日)「写真で世界を見る方法」(桃井和馬)
 写真は世界を見るための窓。しかし窓から光景はちゃんと見えていますか? 知識を想像力を駆使すると、きっとこれまでとまったく違う光景が見えてくるはずです。写真を10倍楽しみ、写真から世界の今を見る方法をお教えします。
●11/4(日)「私たちの見ている『世界』と日本」(豊田直巳)
 私たちが写真を撮っている「世界の戦場」の現場で感じてきたこと。そこに暮らす人々と接しながら考えたこと。それは私たちは何のために写真を撮っているのかにも通じることです。そして、その写真を発表する日本の現状は、その写真を見る私たちは……。
●11/10(土)「世界のヒバクシャ 核実験場周辺で何が起きているか?」(森住卓)
 広島、長崎に原爆が投下されて世界は核の時代へと突入した。この核の時代にヒバクシャは世界中で生み出されている。特に核戦争のための核兵器開発の舞台となった核実験場は安全性よりも機密保持と核開発が優先され、ヒバクシャは沈黙させられたが……。
●11/11(日)「チェチェンから見た日本とロシア」(林克明)
 小泉・安倍劇場とプーチン劇場。北朝鮮とチェチェン。メディアの堕落、軍(自衛隊)の権力拡大、言論表現の自由の制限。チェチェン戦争を切り口に、ロシアと日本のファシズム化を語る。
●11/17(土)「老いの風景から戦争の記憶へ」(山本宗補)
 8年前から日本各地で「老い」をテーマに撮影してきた。今はお年寄りの脳裏に刻まれ、忘れられようとしている「戦争の記憶」を聞き取り、写真と解説文での表現を試みはじめた。
●11/18(日)「ジャーナリストの死をめぐって」(綿井健陽)
 ミャンマー(ビルマ)でジャーナリストの長井健司さんが取材中に殺害された。しかし、イラク・アフガン・ロシア・フィリピンなど、世界各国でいま地元のジャーナリストたちを狙った誘拐・殺害・弾圧・拘束事件が相次いでいる。なぜいまジャーナリストたちは標的とされるのか。様々な映像から戦争取材の現場の実態を考える。
●11/23(金・祝)「ハンセン病問題は終わらない」(八重樫信之)
 96年のらい予防法廃止をきっかけに、現在までハンセン病問題の取材と支援活動を続けている。国賠裁判以降、この問題は終わったものと考えられがちだが、偏見と差別という人権侵害はいまだに続いており、残された課題は多い。
 詳しくは下記のサイトをご覧ください。
 http://www.aya.or.jp/%7Emarukimsn/kikaku/2007/jvja.htm

■アンナ・ポリトコフスカヤ暗殺とチェチェン戦争
 次も林克明さんの講演会のお知らせです。11月18日(日)に水戸で行われるイベントで、会場ではビルマ(ミャンマー)情勢の緊急アピールもあります。なお、ビルマ関連のイベントについては、BurmaInfoでチェックできます。
 http://www.burmainfo.org/events/200711.html

●講演会「アンナ・ポリトコフスカヤ暗殺とチェチェン戦争」
 射殺された女性ジャーナリストは、何を見たのか。
 ロシアで人権侵害の告発を続けてきた、女性ジャーナリストのアンナ・ポリトフスカヤさんが何者かに殺害されてから、早くも1年が過ぎました。チェチェンでの泥沼の戦闘が続く同国では、ジャーナリストや平和運動家の殺害が相次いでいます。
 アムネスティ・インターナショナル日本・水戸グループは11 月18 日、ポリトコフスカヤさんと直接の面識をもち、新刊の著書「プーチン政権の闇」(高文研)を出版した、ノンフィクション・ライターの林克明さんを水戸に招き、講演会を開きます。
 今一度、ポリトコフスカヤさん暗殺の背景を探り、戦争を遂行する体制の在り様、その悲惨な戦禍について、理解を深めたいと思います。
【概要】
講師 林克明さん(ノンフィクション・ライター)
11月18日(日)
開場 午後1時30分
開演 午後2時 (午後4時30分終了予定)
会場 あむねすみと2F ハングルアカデミー大教室 =水戸市桜川2丁目1-2
 (水戸駅南口から徒歩1分)
資料代 500円
主催 アムネスティ・インターナショナル日本・水戸グループ
問い合わせ/Tel.0299-48-2695(徐) Tel.029-231-8151(会場)
http://www.net1.jway.ne.jp/abeusr1/
チラシはこちら: http://chechennews.org/dl/20071118leaf.pdf

【ビルマ(ミャンマー)情勢緊迫緊急アピール】
 反政府デモ弾圧の中で日本人ジャーナリストも射殺されるなど、ビルマでは緊迫した情勢が続いています。国民民主連盟(NLD)マンダレー支部元幹部のティン・ウィンさん(群馬県太田市在住)に来場していただきます。

■アレクサンドル・リトビネンコ追悼集会 -ロシアの闇とチェチェンの平和を考える-
 最後は以前からお知らせしているリトビネンコ集会について。
 イベントのURLはこちら。
 http://chechennews.org/event/
 ダウンロードちらし(PDF 2.7MB)
 http://chechennews.org/dl/20071123leaf.pdf
 独裁化するロシア社会を象徴するような人物が、昨年死亡しました。元FSB(ロシア連邦保安庁)将校、アレクサンドル・リトビネンコ氏です。
 リトビネンコ氏は、99年にモスクワなど数箇所の都市で発生した謎の連続アパート爆破事件が、「ロシア治安機関による陰謀だ」と主張していました。なぜ、国を守るはずの治安機関が、数百人ものロシア国民を殺戮したのか?そこには、現代ロシア最大の問題といえる、チェチェン戦争がかかわっています。この連続爆破事件を「チェチェンのテロ」と断定することによって、プーチン首相(当時)は第2次チェチェン戦争に乗り出したのです。
 リトビネンコ氏は、この連続事件のひとつ、「リャザン事件」に注目します。これは、ロシアの都市リャザンで未遂に終わった爆破事件で、地元警察が発見した爆薬、起爆装置を、FSBがいち早く回収し、「爆薬ではなく、砂糖だった。テロではなく、演習だった」という不可解な発表をしていますが、これは事実を大きくねじまげたものでした。また、アパート連続爆破事件の犯人はいまも逮捕されていません。
 イギリスに亡命し、ロシア政府が隠す陰謀を暴きつづけたリトビネンコ氏は、2006年11月23日、何者かが投与した放射性物質、ポロニウム210によって暗殺されました。
 この集会では、6月に日本でも刊行されたリトビネンコ氏の著作「ロシア 闇の戦争」(光文社刊)の監訳を務められたロシア研究者の中澤孝之さんをお招きし、現代ロシアの実情に迫ります。

●特別上映:[追悼/アレクサンドル・リトビネンコ]
 [踊れ、グローズヌイ!]のヨス・デ・プッター監督によるドキュメンタリー作品を会場で上映します。(2007年制作 55分間)
【概要】
集会名: アレクサンドル・リトビネンコ追悼集会 
 -ロシアの闇とチェチェンの平和を考える-
日時 : 11月23日(金・祝)13時30分~16時30分(開場13時00分)
報告 : 中澤孝之(ロシア研究者) 岡田一男(司会 映像作家)
主催 : チェチェン連絡会議
会場 : 東京都・文京シビックセンター4F シルバーセンターホール
参加費 : 1000円
地図 : http://www.b-civichall.com/access/main.html
交通 : 東京メトロ丸の内線・南北線後楽園駅徒歩1分/都営地下鉄三田線大江戸線 春日駅徒歩1分/JR総武線水道橋駅徒歩8分

 もっとくわしく読む
 http://chechennews.org/event

■国会でクルド難民問題が審議されました!
 10月30日の参議院法務委員会で、クルド難民問題が審議されました。質問者は、「クルド人難民二家族を支援する会」をサポートしてきた民主党の今野東議員。これに、「法相が絡まなくても、自動的に客観的に進むような方法を考えてはどうか」、「私の友人の友人はアルカイダ」発言で最近話題の鳩山法務大臣が答弁をしています。難民問題に対する市民の関心を国会に伝えるためにも、ぜひフィードバック(今野議員には激励を、鳩山大臣や遠山委員長には難民行政への改善要求など)をお願いします。
 今野議員と法務省と法務委員会に送るFAX(例)も用意しました。よろしければご利用ください。
 今野東議員(民主)へのFAXはこちら:
 http://chechennews.org/dl/20071031kurd_konno.pdf
 鳩山法務大臣(法務省)へのFAXはこちら:
 http://chechennews.org/dl/20071031kurd_mj.pdf
 参議院法務委員会 遠山委員長(公明)へのFAXはこちら:
 http://chechennews.org/dl/20071031kurd_lc.pdf
 「2006年の難民申請者は954人でした。このうちミャンマーから来た難民が7割で、トルコから来た難民が149人で2位になっています。ところが、日本政府はトルコから来ているクルド人は一人も難民として認定していません・・・」
 つづきを読む
 http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20071031/1193793940
 なぜ日本政府はトルコ国籍のクルド人を難民として認定しようとしないのかについては、以下の東京新聞の記事が参考になると思います。クルド難民サポーターから見た日本の入管行政については、『難民を追いつめる国』と『お隣のメルヴェちゃん』をご覧ください。
 [東京新聞 8/19]
 http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20071031/1193799656
 「難民を追いつめる国--クルド難民座り込みが訴えたもの」
 http://www.ryokufu.com/books/ISBN4-8461-0511-3.html
 「お隣のメルヴェちゃん クルド人難民家族との出会い」
 http://homepage3.nifty.com/kds/kds_046.htm


■イベント情報
 その他お勧めのイベント情報をまとめて。転送・転載も大歓迎です。
●11/4 茅ヶ崎:『踊れ、グローズヌイ!』上映会
 http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=1041
 チェチェン関連映画『踊れ、グローズヌイ!』
 ぼくたちは「テロリスト」じゃない。世界に伝えるため、子どもたちは踊る
●11/10 広島:『踊れ、グローズヌイ!』上映会
 講演あり:林克明(ジャーナリスト) 「チェチェンからみたロシア・日本・世界」
 http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=1041
●11/11 東松山:日本の報道写真家たち-世界の戦場から-
 悲惨を極める戦場でさえ、決して失われない人間の美しさを映し出す
 講演あり: 林克明(ジャーナリスト)「チェチェンから見た日本とロシア」
 http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kikaku/2007/jvja.htm
●11/18 水戸: 講演会「アンナ・ポリトコフスカヤ暗殺とチェチェン戦争」
 ポリトコフスカヤ暗殺とチェチェン戦争。ジャーナリストの林克明さんが語る
 http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20071014/11924460861
●11/23 アレクサンドル・リトビネンコ追悼集会
 -ロシアの闇とチェチェンの平和を考える-
 亡命先のロンドンで暗殺された元FSB将校、アレクサンドル・リトビネンコの著作と
 その死から、現代ロシアの実情に迫る
 http://chechennews.org/event/
●12/8 町田:『踊れ、グローズヌイ!』上映会
 講演あり:大富亮(チェチェンニュース発行人)
 「チェチェンで何が起こっているのか」
 http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=1041
●11/2 大田:李政美 養源寺コンサート-ありのままの私-
 日韓にファンを広げる在日コリアン二世の歌姫
 http://leejeongmi.com/11.2.jpg
●11/2,3 大阪,港:バングラデシュ、チッタゴン丘陵の女性たち
 非常事態下での連帯と取り組み -民族対立をこえて-
 人権侵害に声をあげ、自立を目指して戦う人々。ジュマの女性活動家シェファリカさんが語る
 http://daily.jummanet.org/?eid=555878
●11/16 千代田:政策提言「インドの躍進と日本の対応」報告会
 政策提言と、そのフォローアップ。主催:財団法人日本国際フォーラム
 http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20071029/1193668061
●11/16 世田谷:第10回 中東カフェ 私のなかの「ユダヤ人」
 -アイデンティティを見つめ直す-
 帰化申請の却下で自己のアイデンティティを考えた始めた、ルティ・ジョスコヴィッツさんのお話。中東専門家を交えた討論も
 http://www.japan-middleeast.jp/kako_chuto-cafe/10cafe.html
●11/26 横浜:やっぱり9条-神奈川から世界へ
 若者が歌う、語る、半藤一利さんと小森陽一さんの対談など
 http://homepage2.nifty.com/article9/
●12/1 文京:「終焉に向かう原子力」(第5回)
 浜岡原発と六ヶ所再処理工場の本格操業の停止を
 http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20071010/1191973811

■映画/写真展など
●10/5-11/4 川崎:しんゆり映画祭
 やっぱり映画! コミュニティの可能性が広がる元気な映画祭
 http://www.siff.jp/siff2007/
●10/20-11/6 世田谷:燐光群公演『ワールド・トレード・センター』
 知るのは、あなただけでいい。決して報道されなかった、あの日の出来事
 http://www.alles.or.jp/%7Erinkogun/wtc.html
●10/22-11/3 京都:地球の上に生きる2007 DAYS JAPAN フォトジャーナリズム写真展
 写真は、ありのままの姿を伝えるメディアにも、すぐれた表現作品にもなる。
 混迷を深める世界を知るために。
 http://www.daysjapan.net/event/event071012_02.html
●10/28-11/27 丸亀:Space of Time/時の間(ときのあわい) つかもと やすこ個展
 大阪とニューヨークを拠点に活動するアーティスト。認識する力、感覚と思考の繋がりを疑いながら。
 http://www5a.biglobe.ne.jp/~Arte2000/current.html
●11/3-2/3 文京:日本とドイツの美しい本2006
 日本とドイツのコンクールで選ばれた美しい本の展示
 http://www.printing-museum.org/exhibition/pp/071103/
●11/4-12/15 東松山:日本の報道写真家たち-世界の戦場から-
 悲惨な戦場でも、決して失われない人間の美しさを映し出す
 11/11 講演あり: 林克明(ジャーナリスト)「チェチェンから見た日本とロシア」
 http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kikaku/2007/jvja.htm
●12/14-16 新宿:ロシア・アニメーションフェスティバル2007
 帝政時代から続く高度なロシアアニメーション。マルシャーク「森は生きている」も
 http://www.cinematopics.com/cinema/news/output.php?news_seq=6542


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女はそれを我慢できない2007/11/05 19:19:09

我が家でやっと咲いた深紅のカーネーション。母の日向けには出回らない色である。


『惜春』
花村萬月 著
講談社(2003年)


「これは、mukaさんにお薦めですねえ」(あ、べつに意味はありません)

本書は、疲れたーもうやだーとぐだぐだいってたときに、マロさんが「軽いから気分転換にちょうどいい」と一読をすすめてくれた一冊である。

白状する。むっちゃ気分転換になった(ピース)。ありがとー、マロさん。

で、なぜか主人公に若き日のmukaさんを重ねてしまった。あ、いえ「若き日のmukaさん」って、私は存じ上げないのだが、いやその、だからけっして「こんなことやってたんじゃないのぉー?」なんて申し上げるつもりはない(主人公はキャッチバーでバイトをしていたが騙されてソープランドのボーイになる。爆)。
主人公の青年は常識的で知性もあるのに「そんなとこ」で働く自分を嘆き、耐えられないと運命を呪いながら、それでも同僚を敬いつつ哀れみ、搾り取られる女たちを尊びつつ畏れつつ恋慕の情を抱き、才を発揮して立ち回ってゆく。
そのしぶとさと純情さがmukaさんを、あるいは彼が書く人物を髣髴とさせる。とても面白い。

図書館には花村萬月の本がずらりと並んでいた。どれもあまり貸し出された形跡がない。つまり、どれもきれいである。手垢はついてないし、お茶や珈琲のこぼし跡もない。行間に傍線が引いてあったりそれを消した跡や消しゴムのかすがぺしゃんこになってページに張りついていたり、ということもない。それどころか、しおりひもの動かされた形跡すらない。人気がないのか? 昨今よく読まれている小説の傾向(そんなものは知らないが)とは路線が異なるのであろう。たしかに分厚い長編が多くてたじろぐが、本書はそれほどでもなく、初めての作家を試すのには適度な長さといえた。帰社した私は好奇心を押さえられず、同時に借りた資料用の書籍は脇に追いやり、つい本書を読み始め、つい仕事をサボって一気に読んでしまったのだった。

いま、同じ著者の同じぐらいの厚さの『虹列車・雛列車』(集英社)が手許にある。これもノリはmukaさんである。というとご本人はじめ異論のある方も多いと思うが、あくまで個人的な印象であるからして細かいことは仰せにならぬよう。


『惜春』では、ソープランド嬢たちが痛々しく、なまめかしく、硝子の破片のようにきらきらと魅力的である。男勝りな女王・吹雪。フレンドリーな綾乃。ファム・ファタル的に主人公の前に現れる美しい百合。刹那的な生き方を選んだように見える彼女たちだが、実はけっこうしたたか、計算高く、家庭的、などなどそれぞれの個性が主人公の目を通して見え隠れする。そう、誰もが女である。女が女というだけで、生きていくことが大変だった時代。

(と書いたが、世の中変われどいつまでたっても女は女というだけで大変だな、と今の自分を顧みて思う。しかし、たぶんそれは、男性の言い分も同じであろう。男は男というだけで大変だ。今も昔も。一生理解してあげられないけど。)

ソープランド嬢にピルを服用させ「ゴムなしサービス」を売りに「入浴料」を倍以上に設定するというとんでもないアイデアをオーナーが思いつき、主人公はソープ嬢たちの説得役を押しつけられる。女たちはさまざまな反応を見せるが、謙虚で生真面目、ときに話し相手にもなってくれる純情な主人公の仕事ぶりはすでに定評を得ていて、説得は上首尾。ただひとりナンバーワン嬢だった吹雪だけが店を去る。皮一枚、あるとないとじゃ大違いなんだよ、というようなことを口にして。ここで読者は吹雪に深い愛情を感じずにはいられない。
どんなに落ちぶれたって、「それ」は我慢できないよ。そういう吹雪に、程度の差はあれ生き方の違いはあれ、女は自分の人生を重ねることができる。
男はどうだろうか。風俗で働く女たち相手に遊んだ経験のある男は、欲望の吐け口に何の罪悪感もなく踏み潰してきたものの尊さを、少しは知ることができるのだろうか。

寄り添ってほおずりしたくなる君へ2007/11/06 17:43:44

深紅の次には純白が咲いた。わからない我が家のカーネーション。


『世界音痴』
穂村 弘著
小学館(2002年)


「仕事の合間の息抜きに、ぜひ読んでほしいんです、コマンタさん」(あ、あのー単なる思いつきなのでお嫌ならいいんです……)

私は短歌や俳句を詠む人の書く文章が(一部の例外を除いて)好きである。短歌にも俳句にも詳しくないし、どのようなかたがご活躍中なのかも知らない。俵万智さんという人が一世を風靡した頃はまるで興味がなかったが、素敵だなと思える文章を書く人がたまたま歌人だ俳人だということが重なって、その後新聞や雑誌のコラムの書き手を注意して見ていると、へえと思わせる書き手はたいてい歌人か俳人なのである。

(余談だが売れっ子作家さんの書くエッセイというのは面白かったためしがない。知らない作家さん――といっても知らないのは私だけで著作もたくさんあり知名度もじゅうぶんある方々なんだが――のほうが、コラムやエッセイは面白い。私の好みがひねくれているのか?)

エッセイを読んでいて「がはははは」と爆笑することってあまりない。「くくく」ぐらいならけっこうある。しかし「がはははは」と笑わせてくれたのは私の数少ない経験では椎名誠とこの穂村弘の二人だけである。椎名誠は私の筆の師であり育児の師であり心の師であるのだが、穂村弘はどちらかというと気分的には「同期の桜」と呼んで肩を組みたい相手である。くじけそうになったときには互いに電話をかけて励ましあえる。失恋したときコイツの前でなら思う存分泣ける。忘れてたけど久しぶりに会ったら昔のままで、なんだか素直になれる話し相手……のような穂村弘と出会ったのは日経新聞紙上であった。「ほむらひろし」の名は絵本でときどき見た覚えがあったけれどコラムの書き手の肩書きは「歌人」となっていて絵本の「ほむらひろし」とは別人なんだと思っていた。で、あまりにそのコラムが抱腹絶倒、爆笑号泣の連続なのでいっぺんにファンになり調べてみたら同一人物だった。

その日経紙での連載をはじめとする2001年頃の彼のエッセイをまとめたのが本書である。私は彼の連載を欠かさず切り抜いて保管していたのだけれど、本が出たらやはり速攻で買ってしまった。当時よく一緒に遊んでいた美人の誉れ高い英日翻訳家の友人・喜代美(仮名)はいつもクールで「微笑」以上には笑わない女性だったが、「騙されたと思って読んでみな」と本書を押しつけたところ、「我慢できなくなってドトールでコーヒー吹いちゃったわよ」とうらみつらみのメールが来た(笑)。あの喜代美がコーヒー吹くなんて、と私にとっては二度「がはははは」と笑わせてもらったというおまけつき。

連載当時、彼は39歳、独身で、総務課長代理という肩書きを持つサラリーマンであったがそのかたわら歌を詠み、絵本を翻訳し、コラム執筆もこなしていた。じゅうぶんにスーパーな生活だと思うのだが、彼の書く彼の毎日は同世代人にとってあまりにリアルで自分の鏡のようでその情けなさに思わず落涙させられる。そしてその滑稽な穂村の道化ぶりを笑いながら、思わず走り寄ってその肩を抱き、ほおずりして慰めたくなる。うんうん、そうだよな。わかる、わかるよ。

同居の母親にあてがわれた菓子パンを食いながら寝てしまい、朝起きたらそのかじりかけのパンが枕元で(あるいは自分の身体の下でぺしゃんこになって)発見される。ああ、しまった、またやってしまったと思う。こんなんじゃ結婚できない、と思う。
食事どき、母親は必ず「味噌汁まだ熱いよ」という。おかずのひとつを指して「これもおいしいよ」という。僕はそのことをもう何十年もいわれて知っている、知っているのに母はいう。けれど、わかってるよっなどとはいえなくて、「んあ」なんて音とも声ともつかない返事をする。母親の前では僕はまだ5歳の子どもなのだ、と思う。
四十前のパラサイトシングル(彼はじゅうぶんに収入があるはずなのでパラサイトシングルの範疇には入らないが、たぶん精神的にパラサイト)の生活をけっして誇張することなく描き、読み手を憐みと賛同と嘲笑の坩堝に落とし込んで解放してくれない。昔の恋人の名前をネットで検索してみる。昼食代わりにサプリメントを青汁で流し込む。車の運転ができることを他人に驚かれて「なんだか傷つく」。私たちは彼を笑いながら、自分が隠し持っていた欠落感を暴かれて、彼に我が身を重ね、そして泣く。
たぶん、穂村弘が描いて見せる「穂村弘のような人間」はどこにでもいる。あるいは私たち全員がそうである。人は誰かに、あるいは何かに依存して生きている。依存は精神的寄生であるとしたら、誰もがパラサイトであるといっていい。
子育てしながら親の年金も食いつぶしているパラサイト進行形の私には、穂村の人生は本当に他人事でなく、何度抱きしめてほおずりしたい衝動にかられたか知れない。

冒頭でコマンタさんに呼びかけたのはわけがある。コマンタさんとの逢引きを終えて帰宅した10月18日の夜、目を通していなかった夕刊紙を広げて仰天した。その日は健康に関する連載コラムのある曜日だったが、「緑内障」と題されたその記事に患者として紹介されていたのが穂村弘であった。彼は『世界音痴』のヒットの後、自身の歌集も順調に売れていて、会社勤めを辞めて独立しようとした矢先に目の病が発覚したという。私には、幸せな気分で帰った夜にまるで旧い友人の訃報を聴いたようなショックだった。読み進めば、彼はめでたく結婚し(!)、失明という最悪の事態を何とか回避するため懸命な努力をしているという内容であった。ひとまず安堵したけど、もう奥さんいるけど、やっぱ駆け寄って「くじけるなよ」って抱きしめたくなったのだった。もちろんそれは叶わないので、代わりにもう一冊持っている彼の本『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』(小学館、2001年)を引っ張り出してその短歌の世界に耽った。穂村の短歌を反芻しながら、やはりコマンタさんとの短い逢瀬に思いを馳せていたのである。

穂村弘は子ども向けの短歌絵本シリーズなども出版、さまざまな雑誌にエッセイを寄稿したり著名人と対談したりして活躍中である。ぜひ、彼の世界に触れてほしい。入り口はどこでも構わない。そしてご本人には、健康に留意してこれからも活躍してほしい。今月は私の町で短歌のワークショップを開くという。短歌の詠み方ノウハウは要らないのでお顔を見にだけ行きたいが、そういうのはダメだろうなあ。

「母ちゃん、死ぬな!」2007/11/07 19:18:57

『カムバック』
高橋三千綱 著
新潮社(1985年)


「木の目さん、これ読んで!」(もう何年も前にきっとお読みですよね。いえ、ただ、中日勝ったんで、野球ネタでイヤミを言いたかっただけなんです)

野球狂少女だった頃、スポーツ紙や野球週刊誌月刊誌、あらゆる野球漫画に目を通し、野球というものがどのように表象されているかを知り尽くすことに余念がなかった。もちろん自分でもプレーした(というほどのことはなく、ただみようみまねでやってみただけだが)。いつか水原勇気のようになってみせるとまで誓ったが、現実には地区予選ベスト8止まりの卓球少女でバスケに転向してからは怪我に明け暮れ挫折した。だからよけいに野球への情熱はとどまるところを知らず膨張し、野球同人誌を作って野球への愛を書きまくり、会員たちと愛情比べをした。高校で部活をやめてからいきなり時間ができたので、地元の球場へはおこづかいの許す限り通った。アクセス可能な球場は幾つもある。いつも閑古鳥の泣いている球場でいい席を安く買い、遠くからもよく聞こえるおじさんたちの痛烈な野次に笑うのも楽しみだったし、超満員で隣にいる友達との会話も困難なくらいの大声援の中、応援の踊りを踊るのも好きだった。高校野球のシーズンはデッサン教室にまで携帯ラジオを持ち込んで一喜一憂した。愛した高校球児がプロに入ってダメになっても噂を追いかけた。追いかけたといえば、贔屓のチームの贔屓の選手に会いに宿舎やグランドまで行くなんてことぐらい、当たり前だった。

野球を描いた小説が、この世にどれほどあるかは知らない。あらゆる野球漫画を読みつくした私だが、野球小説(そんなジャンルはないけれど)についてはあまり知らない(いえ、小説自体あまり知りません、いまさらですが)。
高橋三千綱の本は、この『カムバック』のほかに『さすらいの甲子園』をもっているだけだ。この作家について知っていることも少ない。でも、実をいうと探偵小説を除くと私の家にある「小説の本」の中では私にとってベストワンなのである。

30歳未満の若い人には、この本で描かれる野球界は古典的な印象を与えるだろう。本書ではまだ米国のメジャーリーグがまるで天上界のように描かれているし、移籍や引退、また男女関係の描写も前時代的だ。でもその「前時代」に熱狂していた者にとっては、胸熱くなる珠玉の短編集なのである。
だから木の目さんにもおすすめ。

主人公たちは、高校野球のスターだったり、貧しくて進学を諦めながらスカウトに見出されプロ入りする地味な選手だったり、挫折を経て第二の人生を歩もうとする中年選手だったり、プライドを捨てて次世代育成に専念する元一流選手だったり。

いわば野球選手の人生模様が描かれるのだが、プレー上の技術的なことはもちろん、閉鎖的な組織、名門校に見られる序列やしがらみなど入念な裏づけを取って書かれていることが窺えて、野球狂にも安心して読める内容である。
だが、現在の野球界はおそらくかなり状況が違うから、ダルビッシュ世代にはついて来れない内容かと思う。

同世代の友人知人にすすめたり貸したりすると「うんうん、いい話だねえ、良き時代だねえ」なんていう。ひとまわりほど若い人に読ませると「ふっるー。でも、おもしれえかもぉー」などという。30歳以上50歳未満限定かなあ(笑)。

『遊撃』で主人公が死んだ友の名を叫んでバッターボックスに入るとき。
表題作『カムバック』で幼い娘の言葉に父が耳傾けるとき。
読み手は涙する。
愛ゆえに白球を追う。友情に応えたいから身を引く。ここには野球を介して、ただ単純でまっすぐな人間の愛と情が描かれている。ただその一点だけに着目すれば、けっして古臭くはないのである。

本エントリーのタイトルにしているのは、本書の中の、とある短編の主人公が心の中で叫ぶ台詞。

空気の温度と湿度を感じる物語2007/11/08 19:49:51

『おわりの雪』
ユベール・マンガレリ 著 田久保麻理 訳
白水社(2004年)


冒頭を読み、鹿王院知子さんを思い浮かべた。そして彼女に読んでほしいと、強烈に思った。

 《トビを買いたいと思ったのは、雪がたくさんふった年のことだ。》(3ページ)

物語はこの一文で唐突に始まる。「ぼく」は、道端で古道具を売っている男に、前金を払うと言ってみるのだが、断られる。鳥かごに入ったトビに高い値段をつけて男は、あとでやっぱり要らないから前金返せといわれるのが嫌だから、そういう商いの仕方はしないという。しかたなく「ぼく」は、トビを買える金額が貯まるまで我慢しなくてはならない。「ぼく」には病に臥せった父がいて、話し相手になっている。トビとラジオならどっちがほしいと思う?と訊ねる「ぼく」に、父はラジオだと一度は答えながら、息子の話を聴くうちに印象的な口ぶりでこういう。
《「トビがいいか、ラジオがいいか、もうわからなくなっちまったなあ……」》(6ページ)

以来父は、息子のトビの話を好んで聴くようになる。息子は「トビ捕りに出会ってトビを捕まえたときの話を聞いた」という作り話をついしてしまうが、父は信じたのかどうか、「トビ捕りの話をしてくれ」と息子にいう。

父の病は重いようだ。母はときどき泣いている。しかし、病の重さは具体的には語られず、父の苦痛や母の悲しみも語られない。「ぼく」はトビを買うため、ある「仕事」を引き受ける。誰もしたくないような仕事だ。それをしてしまったことについての心の痛み、辛さ、引っかかり、なども直接には語られない。

《通りはいつまでたってもがらんとしていた。どうしてなのかはわからない。でも、通りに沿ってまっすぐのびる石壁のせいで、よけい、がらんと感じたのかもしれない。》(22ページ)
《「つらいのか?」
  ぼくは正直な気持ちをこたえた。
 「ううん、そうでもない。つらいのとはちょっとちがうんだ」》(25ページ)
《ぼくは声をたてずに泣いた。そんな泣き方をすっかり覚えてしまっていたから。》(118ページ)

何も説明されないのに、そこに横たわる空気が冷たく乾いているのかあるいは甘く湿っているのかが、行間の空白からにじみ出て伝わってくるような静謐な語り。
「ぼく」は裕福ではない。だが物語は少年の貧しさを嘆くものではない。「ぼく」は父と母を愛している。しかしことさらに親子愛の美しさを強調してもいない。「ぼく」はただその居場所を受け入れ、同様におのれの運命と居場所を受け入れている人々とふれあい、できごとを受けとめていく。音のない旋律が融け残りの雪を描く。




ここ数か月、同じ書き手の書いたものを集中して読んでいた。その書き手の名は鹿王院知子さんである。彼女はまだプロの作家ではない。私は偉そうに「わかりにくいよ」「説明が足りないよ」などと評しながら、しかし、ではどうすればいいのか、範を示せずにいるのだが、『おわりの雪』は、彼女にとってひとつのサンプルになりはしないだろうか、と考えた。唐突な始まり方をし、こと細かに説明しすぎないで描き、さわやかな読後感を読み手に与える、鹿王院さんの書くものはそういう印象だ。だが何かが足りなくて、どこかしらが弱い、その理由はなんだろう、と思わせる頼りなさが解消できない。
『おわりの雪』は、こうした小説が好みでない人にはまったく面白くもなんともないジャンルには違いないが、少なくとも私は一行ごとに胸がきりりと締めつけられ、「ぼく」のみならずすべての登場人物の心に棲む塊のようなものをどっしりと預けられてしまったような読後感がある。それでいて、冬景色の中で垣間見る澄んだ青空や、あるいは雪に映る陽だまりのような透明感をともなっている。
おそらく、そういった何かを行間からより滲み出せることができたとき、鹿王院さんは文壇を駆け上っていくだろう。




原題は『La derniere neige』という。これを最後の雪、などとせず、日本語としてなんとなく据わりの悪い「おわりの」雪、としたことに、訳者もしくは編集者の力量を称えたい。訳者あとがきによれば、この作家は「父と子」あるいは「大人と少年」を好んでモチーフにしているそうである。父とあまり話をせず、また男の子ではなかった私には、どこまでいっても想像の世界だ。読み手は、だから女性のほうがよいかもしれない。
マンガレリは同じ訳者でもう一冊邦訳が出ている。それも読みたい。児童文学作家としてもう幾つも出版し文学賞も受賞しているそうだ。原書でこの静謐さに触れたいとも思わせた。

《そう、それで、父さんはぼくにこういった。
「むかし父さんも、あることを経験した。ふつうならつらいと感じるようなことだったが、おれはそうは感じなかった。だがそのかわり、自分は独りだと、これ以上ないほど独りきりだと感じたんだ……」ぼくはランプの下で手をゆらしつづけながら、父さんのいったことを考えていた。》(26ページ)

柚子の香りに包まれて2007/11/12 20:03:42


 「柚子の里」として知られるある集落へ柚子狩りに出かけた。電車を降りると自治体のバスが迎えに来てくれていて、それに乗り込み山中のくねくね曲がる舗装道路を約10分ほど走る。やがて車窓の向こうに黄色い実をたわわにつけた木がやたらと見え始める。乗客の一人が「柚子だ」といった。やがて、眼前に広がるのはただ鈴なりの柚子だらけ、という状態になリ、私たちはバスを降りた。
 柚子は、斜面にこしらえた段々畑に植えられたものばかりではなく、そこかしこに自生もしている。古来柚子栽培が盛んな場所であったらしい。
 柚子は太く長く鋭い棘をもつ。柚子の収穫には、したがって分厚い皮の手袋が必要だ。私たちはめいめい皮手袋と鋏をあてがわれ、高い梯子を上って(柚子の木は高いのだ)、時に上着を棘に引っ掛けてわーとかきゃーとかいいながら、ぱちんぱちんと柚子の実を狩っていく。高いところで両手を離して作業をするため、かなり緊張する。いつも使わない筋肉を使うせいか、梯子を降りたとたん、なんだかどっと疲れた。
 この里はもはや臨界集落らしい。案内くださる方々は、壮年期の頼もしいおじさん、おにいさん方だが、彼らをして残り少ない「若手」であると聞いた。臨界集落とは、この先十年、二十年と待たぬうちに住む人のなくなることが予想される過疎地域のことである。こんなに豊かに柚子のなる村が、と私たちは言葉を失うが、おじさんたちは気丈に「臨界集落返上作戦」敢行ですわ、と笑う。
 集落には小さな社(やしろ)や旧い遺跡もあると聞き、いい気分で柚子の下を散策に歩いていたら、湿った苔に足をとられて滑り、あ、と思った瞬間見事に捻った。抱えていたカメラをかばって膝や手を下手につき、右足の捻挫、右手指の突き指、左手指と左膝をひどく擦りむいて、柚子の棘に引っ掛けてもいないのにジーパンを破いてしまった。
 ひいひい言いながら、お土産の柚子を抱えどうにかこうにか帰宅、その日の夕食にさっそく柚子ドレッシング等々をいただいたまではよかったが、夜半から翌日にかけて痛みがぐんぐん増した。さらに翌々日。つまり今日だが、痛みは増すばかりである。おまけに柚子を狩った両の二の腕が強烈な筋肉痛。とほほ。
 というわけで、すべてにおいて効率ダウンしているためしばらくブログをお休みします。

チェチェンニュースから抜粋2007/11/22 18:40:04

東京方面の方がた、事情が許すなら明日、リトビネンコ氏の追悼集会へお運びください。(by midi)

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チェチェンニュース Vol.07 No.27 2007.11.21
http://chechennews.org/chn/0727.htm (HTML版) 発行部数:1669部
チェチェン紛争の情報+αを発信するメルマガです。購読は無料です。
■編集室より:
 みなさんこんばんは。チェチェンニュースです。明後日の23日(金)は、ロンドンで暗殺された元FSB将校、アレクサンドル・リトビネンコ氏の一周忌です。東京では、チェチェン連絡会議主催の「追悼集会」が開かれます。ぜひご参加ください。
 グッドニュースは、ロシア政府が、またチェチェン人への虐待で訴えられ、欧州人権裁判所で敗訴しました。こういうことの積み重ねが、チェチェンでの事態を押しとどめる力になると思います。
 さて、チェチェンニュースでは、チェチェンの難民問題を入り口に、他地域の難民や、日本に来ている外国人への差別問題にも関心を持っています。(中略)日本に入国する外国人のほぼ全てが、強制的に指紋を押捺させられるという、入国管理制度が20日に始まりました。外国人であるというだけで、犯罪者や、テロリストの予備軍扱いしているといっていいと思います。
 私個人の問題意識としては、まず、ロシアによる「対テロ戦争」であるチェチェン戦争に疑問があります。そして、アメリカ・イギリス・日本が実行しているところのイラク戦争・占領もまた、まったく対テロの戦いではないと思うのです。しかしそれを続けるためには、とりわけ日本政府にとっては、どこかに「テロリスト」がいなくてはならない。ではどこに?
 「外国人」にそれを求めれば当面、いいわけです。そこに、治安関係の設備を売り込みたい日米の業者が利益を求めて、政府と業界の利益が一致しています。外国人への障壁をできるだけ高くして権限を確保したい法務省が推進役というところでしょうか。いずれにしても、日本国籍を持っている人のほとんどは、あなたもわたしも、「外国人」がどんなに屈辱的な目に遭っても、あまり関心はありません。
 しかし、今、動き出してしまったこの制度に反対の声を上げて、政治を動かさなければ、管理社会の次のステップは、私たちをターゲットにします。その時では遅いでしょう。
 生体情報をチップに埋め込んだパスポートも使われ始めており、「海外で取られた生体情報が相互に流用される一大国際監視ネットワークが構築」されようとしています。本当は、もっと早く反対の声を上げるべきだったのですが、今からでも、中止をうったえましょう。イベント情報があり次第、お知らせします。
 入国外国人 きょうから指紋採取(東京新聞)
 http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20071121/1195609372
 (大富亮/チェチェンニュース)

■アレクサンドル・リトビネンコ追悼集会
 ―ロシアの闇とチェチェンの平和を考える―
 ダウンロードちらし(PDF 2.7MB)
 http://chechennews.org/dl/20071123leaf.pdf
 独裁化するロシア社会を象徴するような人物が、昨年死亡しました。元FSB(ロシア連邦保安庁)将校、アレクサンドル・リトビネンコ氏です。
 リトビネンコ氏は、99年にモスクワなど数箇所の都市で発生した謎の連続アパート爆破事件が、「ロシア治安機関による陰謀だ」と主張していました。なぜ、国を守るはずの治安機関が、数百人ものロシア国民を殺戮したのか? そこには、現代ロシア最大の問題といえる、チェチェン戦争がかかわっています。この連続爆破事件を「チェチェンのテロ」と断定することによって、プーチン首相(当時)は第2次チェチェン戦争に乗り出したのです。
 リトビネンコ氏は、この連続事件のひとつ、「リャザン事件」に注目します。これは、ロシアの都市リャザンで未遂に終わった爆破事件で、地元警察が発見した爆薬、起爆装置を、FSBがいち早く回収し、「爆薬ではなく、砂糖だった。テロではなく、演習だった」という不可解な発表をしていますが、これは事実を大きくねじまげたものでした。また、アパート連続爆破事件の犯人はいまも逮捕されていません。
 イギリスに亡命し、ロシア政府が隠す陰謀を暴きつづけたリトビネンコ氏は、2006年11月23日、何者かが投与した放射性物質、ポロニウム210によって暗殺されました。
 この集会では、6月に日本でも刊行されたリトビネンコ氏の著作「ロシア 闇の戦争」(光文社刊)の監訳を務められたロシア研究者の中澤孝之さんをお招きし、現代ロシアの実情に迫ります。
■特別上映:[追悼/アレクサンドル・リトビネンコ]
[踊れ、グローズヌイ!]のヨス・デ・プッター監督によるドキュメンタリー作品を会場で上映します。(2007年制作 55分間)

日時 : 11月23日(金・祝)13時30分~16時30分(開場13時00分)
報告 : 中澤孝之(ロシア研究者) 岡田一男(司会 映像作家)
主催 : チェチェン連絡会議
会場 : 東京都・文京シビックセンター4F シルバーセンターホール
参加費 : 1000円
地図 : http://www.b-civichall.com/access/main.html
交通 : 東京メトロ丸の内線・南北線後楽園駅徒歩1分/都営地下鉄三田線大江戸線春日駅徒歩1分/JR総武線水道橋駅徒歩8分

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地雷で足を失くした人の苦しみに比べれば、捻挫なんかっ(by midi)

わからないフォーエヴァー♪(1)2007/11/30 18:48:26

我が家のイチゴの紅葉。キレイよ♪


『「わからない」という方法』
橋本治 著
集英社(2001年)


ゆるい感じがお好きな戸川リュウジさんへ。
世の中わかんないことだらけだよっと日々嘆いている方へ。
○○についてわからないんだけどわかりたいなあ、でもなあとシンキングがネガポジを行ったり来たりしている方へ。

そのほか:
好かん上司からいわれのないイジメに遭っている人へ
「お前、変なやつだな」としょっちゅういわれる人へ。
変なやつとはいわれないけど、おれってあたしって「変な人間なんだよね」と根拠もなく自覚している人へ。
人にものを教える立場にいて、行き詰まっている人へ。
人からものを教わる立場にいて、ちっとも習得できずに悩んでいる人へ。
古典とか歴史とか嫌いやねんというすべての中高生へ。
母親の呪縛から逃れたいと思っているすべての女性へ。
脳と身体のメタボ化を防止したいすべての人へ。
将来作家になりたいなどという妄想を抱くすべての人へ。

本書はこういう方々に有効である。
しかし、最初に申し上げておくが、この本を読んでも、「何かがわかる」ということにはたどり着けない。
この本はただただ、橋本治が「私はわからないからやってみるのである」と繰り返すのにつき合わされるのみである。
それなのに最後まで読んでしまうのである。

例えば(以下、私が読んだ場合だが)、穂村弘なら「うんそうだよね、そうなんだ、うんうん」と涙ぐむ。岸本葉子なら「ぷっほんと、あるある」と頷く。最愛の内田樹なら「おおおっそのとおりだっ」と感動の嵐のうちにぽんと膝打つ。
しかし、本書にはそういう起伏や盛り上がりがない。

「ふんふん」「へ?」「それで」「だから?」「っていわれてもなあ」「あ、そうかな」「ふーん」「うーん」「でも」「それで?」「そうなん?」「ふんふん」「へ?」

という感じで最後まで読んでしまうのである。
「わからない」を方法にするというものだから、読者は自分のアタマを柔軟にしてネジを緩めてなんでも吸収してやるぞと読み進むのだが、なにも「わからない」まま、緩めたネジをきゅっと締める機会をもてないまま、最後のページまでつき合わされる。

頭が緩みっぱなしのまま読んでしまうという意味で、戸川リュウジさんはじめゆるい感じのお好きな方には一読をおすすめできる。(できないか?)

いろんな人に読む意味があると書いたけど、それでも対象は「わからない」ことを恐れない方々だけである。

最初から最後まで、橋本治はたたみかけるように「わからない」を繰り返す。呪文だと思ってはいけない。誌面の「わからない」を追いながら、読み手は自分の中にあるはずの「わからない」を追求しなくてはならない。いかに人間は何でも「わかっている」気でいることだろうか……しかしそういう自己分析をする間もなく話は次々に飛んでいく。飛んでいくのにつきあい読み進み、何もわからず何も発見できず何も反省できないで読み終える、本書はそういう本である。

以上、前振り終わり。続きはまた次回。