言葉が見つからない2008/01/28 18:10:22

敬愛する友人の夫が亡くなった。

彼女にとってこの世で最愛の人であり、最も尊敬する人であった。また、夫にとっても妻は最愛にして最良の伴侶であった。つまり彼らは誰もがうらやむおしどり夫婦で、ひとり娘が成人し彼らのもとを巣立ってもなお、互いを高め合うよきパートナーであり続けた。

彼女とは仕事を通じて知り合った。シャープな仕事ぶりに、魅了された。何年かのちのある時期、同じオフィスで働いた。ある日。その日は彼女も私も出社日だったのだが、彼女は来ず、ボス宛てに辞意メールが送られてきた。そしてそれをBCCで読んだ私は驚いた。
何気なしに受けた健康診断で、夫の肺に癌が見つかり、余命半年と診断されたという内容だった。
翌日、何かの間違いじゃないのかと思いながら電話をした私に、彼女は悲痛な声で「間違いないの、もう確実なの」といった。

彼ら夫婦は私より一回りほど歳が上だ。華やかな顔立ちの彼女がいると座は花が咲いたように明るくなり、ダンディでオヤジくささのまったくない彼がいるとくだけた集まりも知的な雰囲気を帯びる。互いが互いを敬い誇りに思い愛しむ、そんなの夫婦の当たり前の姿だといわれればそれまでだが、そのうえに夫も妻もそれぞれが抜群にかっこいいなんて、そんな素敵な夫婦、現実にはそんなに、ない。

あの頃、彼女の絶望を思うと胸が張り裂けそうになり、また、私にとってもよきアドバイザーであった彼女の夫を襲った病魔が憎くてしかたがなかった。よりによってこの人たちにそんな不幸が訪れるなんて。私は、もとより信じていない神を、心の底から呪わずにいられなかった。

だがそれから数年。彼は苦しい治療に耐えて生き延びた。

お元気ですか、などと便りをするのは憚られるものの、彼の病状も彼女の看病疲れも気になった。便りをせずにはいられず、かといってどのような言葉を選んでよいかわからず、こうした事態に経験のない私は本当に困った。彼女は私の心を見透かしたように、日々の生活のありのままを告げるメールを、ときたま、くれた。
闘病生活に入ってから一度だけ、彼女と外で食事をした。いつだっただろうか。すがすがしい天気の日。彼女の着た若草色のトップスが眩しかった。その顔は晴れ晴れとしていて、とにかく全力を尽くすだけなのよ、という迷いのなさが見て取れた。夫と一秒でも長く一緒にいたい。その思いが他の一切を吹っ切れさせ、邪念なく一事に専念させていた。

昨春、彼女の家を訪れた。まったく私的な用事で訪問したのだが、たまたま在宅療養中だった夫、帰省していた娘もいて、家族の揃った穏やかな空間の中にほんのしばし身を置かせてもらい、幸せをわけてもらうとはこのことだなとしみじみ感じたものだった。事情を知らない者には、癌の闘病患者がいる家庭と思えないであろう。ずっと以前にホームパーティーに招ばれたときと同じ明るさと和みが家の中にはあったのだから。
彼は、少々むくみが顔に見えたが、元気な頃と変わらずユーモアを交えて話をしてくれた。ただ、彼女に言わせると「ああ見えて、ずいぶん苦しいのよ」。その苦しみ。もう、どんなにか長く、その苦しみの中を彼は生きてきたのか。それでもこの家族は、彼の生を望んでいる。もちろん、彼もだ。一緒にいられる幸せを思えば治療の痛苦も耐えられるのさ。彼の瞳の奥からそんな声を聴いた気がした。
もしかしたらこのあとも何年も何年も、苦痛とつきあいながら、こんなふうに過ごせるのかもしれない。そう思って私は彼女の家をあとにしたのだった。

訃報は、共通の友人を介して届いた。
詳しいことはわからない。
病気が判明してからも、夫の近況に軽く触れた年賀状は必ず来ていたが、今年は来なかった。だけど、そりゃ闘病中、看病中だもの大変さ、と気にもしなかった。暖かくなったらまた訪ねよう。そう思っていた。

彼女にかける言葉が見つからない。
訃報を聞いてからもう一週間以上経つ。手紙を書こうとしたけれど、何をどのように、言葉にしろというのだ。筆が続かずに破り捨てるばかりである。
知り合ったばかりの頃。何を語るにもさばさばした彼女が、夫を語るときはまるで恋する乙女のような甘い表情になる、それがとてもチャーミングで好感のもてたことを思い出す。

力になろうとか、支えてあげたいとか、そんな大それたことは考えていない。
どう振る舞えばいいのか。
彼女を前にして、私は。