5月。 ― 2008/05/10 14:07:11
4月のままになっていたのにさっき気がついて不憫に思えたので、休日返上の仕事中だが、イネ科の花粉のせいで相変わらず目が痛いかゆいゴロゴロする、とだけ記しておこう。
世の中、マスク顔のひとがぐっと少数派になる5月。
それでもごくたまに同志を見つけると嬉しくなる、5月。
筍が美味しい、5月。
野球少年 ― 2008/05/16 21:23:26
おい、そりゃ無理だぞ。俺は思わず口にしていた。少年の自転車は大人用だ、しかも極端にでかい。野球少年たちは大きく見積もっても小学三、四年生にしか見えないのに。
それでも当の少年は何とかこぐ態勢をととのえて、ペダルを踏み出した。前で待っていた二人がやれやれという表情で先に走り出す。
しかし、転倒少年は再びバランスを崩し、サドルから尻を外して足をついた。倒れこそしなかったが、後ろの籠に入れた大きなスポーツバッグが転がり落ちた。
薄情にも、前の二人は、今度は止まらずに行ってしまった。転倒少年、待ってくれよとはいわなかった。
俺は思わず駆け寄った。
「おい、もっとサドル下げられないのか……あ、ダメか、いちばん低いんだ、それで。これ、お前の自転車かよ?」
「いいえ、いつもは子ども用の自転車に乗っているんですけど、たまたま昨日パンクしちゃって、それがまだ修理から戻ってこないものですから、今日はしかたなくお母さんのに乗るしかなくて」
わざとぞんざいな声のかけ方をしたのに、予想を裏切る礼儀正しさと理路整然とした話しぶりに俺はたじろいだ。が、気を取り直す。ひるんでなるものか。
「危ねえよ、そんなの乗ってたら。どこまで帰るんだ? 送るから、押して歩いていこう」
「ありがとうございます。でも大丈夫です。ここまで乗れてきたんだし」
ぺこりと頭を下げられて、再びたじろぐ俺。いやしかしな、といっても少年は乗って帰ると言い張って譲らない。
「じゃ、押さえててやるから」
「ありがとうございます。ほんとに、ありがとうございます」
少年は、自分の胸の高さほどもあるサドルに、ようやく落ち着いて尻を載せ、ハンドルを水平に保てたところでペダルに置いた足に力を入れる。
「大丈夫か……よし、離すぞ」
少年がまっすぐ走り出す。
「あんまり急ぐなよ、気をつけろよ」
伴走したい衝動に駆られたが、俺は手をメガホンの形に作ってもう一度叫んだ。
「気をつけろよ!」
「ありがとうございます!」
少年はまっすぐ前を向いたまま、形を水平に保ったまま、大きな声で何度目かのありがとうを叫んだ。背番号「5」が見えなくなるまで、俺は少年の背中を見送った。
生きていこうな! ― 2008/05/28 20:50:17

講談社『本 読書人の雑誌』
April 2008
55ページ
「根源的な家」坂口恭平
我が家の近所でも「硫化水素」騒ぎがあった。建物の中ではなく、締め切ったワゴン車の中で発生させたらしい。路上駐車していていつまで経ってもどかないから「困るなあ、この車」と中を見たら男性が寝ていて、「ちょっとアンタ、邪魔だよ」と窓をコンコンしたけどまったく反応がない。なんか様子が変だと思って路駐をチクるのとは別の目的で警察に通報した。昨今の流行を踏まえて警察は近辺の居住者に避難勧告を出し、厳重にマスクをつけて車のドアをこじ開けた。同様にマスクをつけた救急隊員も控えていて、中の男性を運び出して救急車で搬送した。……というのが聞こえてきた話。「硫化水素」だったかどうか、話に尾ひれがついてきただけかもしれない。近所といっても通りを隔てたとたんによその国のごとく親近感は小さくなるこの町では、こうした噂話は毎日津波のようにある代わりにどこまで真実なのかはわからない。ワゴン車が停まっていて警察が来たことだけは事実のようだ。
硫化水素自殺がやたら起きている。新聞もやたら書きたてたので、ウチの娘も発生のさせ方を知っている。「ウチでもつくれる? 材料揃ってる?」「つくれるよ(苦笑)」
しかし、なぜ、「死のう」という気持ちになるのか、その心のメカニズムがわからないと娘はいう。何がどうしてどうなれば死にたい、死のうという発想になるのか。
「そんなに長くは生きられないのかも、とかは思うことあるよ」
「へえ、どういうとき?」
「喉がすごく痛いときとか、足に心当たりのない痛みが走るときとか」
「うーん、なるほど。原因不明の不治の病かもな」
「でも、自殺しようという話にはならないよ」
「うん、君は正常だ」
「自殺する人は異常?」
「うーん、異常というのはいけないかもね。きっと、若い人の場合はね、どこかでボタンを掛け違えたんだ。そのことを誰も教えてあげられなかった」
「オジサンの場合は?」
「本人が異常なんじゃなくて、異常事態に追い込まれたってことだろうね」
ボタンの掛け違いの例や、異常事態の例を挙げて説明するが、娘はポツリと、
「ホームレスだって、生きているのに」
といった。よく走る川辺の、橋の下に並ぶ大小さまざまなダンボールハウスや、壊れかけのカートに荷物をくくりつけてあちこちの公園を移動する人々を思い浮かべて。
「そうだね」
肯定しながら、わたしは、ホームレスが不幸のどん底で這いつくばって「生」を拾いながら必死で生き永らえているわけでもないことを、どう説明したらいいのかな、と思った。わたしはホームレスの人々を「好きでやってるんでしょ」と突き放して考えたことはない。まったくその逆で庇護を必要としている人たちだと昔は思っていた。
あるとき、もう思い出せないけど、ホームレスの生き様を何かで見た。ヴィジュアルをともなった記憶なので、テレビのルポルタージュか、あるいはグラビア写真付きの雑誌かなんかの特集で読んだのか、わからないけど、その無駄のない生活ぶり、たたんでまとめることのできる「家」「家具」以外に「背負う」ものを持たない気楽さ、究極の自由と「エコ」がそこにあってわたしは呆気にとられた。なんと。羨ましくさえ思えた。
もちろん、真似をするつもりはないけれど(笑)、ホームレスのことを「支援の対象」ではなく「学びの対象」として意識するようになったのは事実だ。可哀想だと思うのを止めて、彼らの生活の工夫から学べることがあれば学びたいと。
そうはいっても、橋の下の平和そうな人々に積極的に話しかける勇気はわたしにはなくて、通りがかったときにその立派な家をしげしげと眺めるのが関の山であった。
坂口恭平は建築家で、路上生活者を追ってその驚くべき工夫満載の暮らしぶりを一冊にまとめた『TOKYO 0円ハウス 0円生活』を今年1月に出版したそうだ。エッセイ「根源的な家」の中でその内容を紹介しているのを読み、さっそくその本を図書館に予約した。ほんの十数人待ちだったのに、まだ順番がまわってこなくてちょっとじりじりしている。
図書館では『ホームレス中学生』に1200人超の予約が入っていて、相変わらず人気ナンバーワンである。娘は担任の先生から借りて、朝読書の時間に読んでいる。「けっこう面白い。思っていたほど悲惨な話じゃない。まだ真ん中あたりまでしか読んでいないけど」。ウチの子に読めるのだからかなり平易な内容と推察されるのだが、いずれにしても、彼女が『ホームレス中学生』を読み終えその余韻をまだ保っているうちに、早く坂口の本を手にとって、娘と一緒に読みたいのである。
死にたくなる、死のうとする心理と、ホームレスという生き方は、紙一重であるかもしれないけれど、次元も異なる。自殺の理由はさまざまで、そこにたどり着くみちすじのありさまや、たどり着いてしまったときの精神状態なんて、ただ惰性で生きているだけの人間にさえ、理解できるものではない。ましてや、なんであれ生きようとしているホームレスとの間には、大きな乖離が存在する。そのことを話してみたいからだ。
*
ところで、蛇足だが、同じ雑誌の中に「本屋大賞、欲しいです」と題する山崎ナオコーラのエッセイも所収されている。何書いてんの?と言いたくなるような文章である。今をときめく人気作家だというのに、初めてわたしが出会ったのがコレとは、つまり山崎さんとわたしはご縁がなかったということね、と思うことにした。
闘う相手を持たないわたし ― 2008/05/29 20:44:11

講談社『本 読書人の雑誌』
April 2008
40ページ
「二つの神話」剣持久木
以前、だいぶ前だけど、まだ首相をやっていた小泉純一郎が、どこかの戦没者記念施設で特攻隊員の残した手紙や結果的に遺筆、遺品となったさまざまな展示物を見て号泣したという報道記事を読んだ。姑息なことをするよなあ、という感想をもった覚えがある。感動して号泣するのは勝手だが、公人の立場ではしてほしくないと思った。戦争の記憶は、重い。誰であれ、それを軽んじたり適当にあしらったりすることはできない。戦争を持ち出されると、体験者は悲痛になり、非体験者は沈痛になる。戦没者を悼むという行動は類稀なことでもなんでもない。なのにことさらそのような行動に出てやたらと痛惜の念をふりまいて見せ、普通の人の心の痛みにつけこむなんて、政治家として卑怯だ、とも思った。
剣持のこのエッセイによると、ニコラ・サルコジ仏大統領はやたらと「レジスタンスの闘士」の遺書を演説に引用するらしい。どの国の元首も、感動的なエピソードを政治利用する。たまのことなら話に抑揚をつけるためだろうと許してもやれるが、あまりあからさまで頻繁だと腹が立つ。どこの国民だって同じだろう。
ドイツ侵攻下にあったとき抵抗したレジスタンス活動についてはフランスでは神話化され、その神話は日本で特攻隊員を語るのに似ていなくもなく、神の業の域に昇華されて感動的に語られることしばしばだ。
もう一つ、フランスには神話がある。そっちはおもてだって感動的に語られることのない、「ファシズム神話」である。フランスは反ファシズムの国だが、反ファシズムであるためには敵としてのファシズムがなくてはならない。したがって国内に仮想的としてのファシズムに仕立て上げられた一団があったというのだ。剣持は、汚名を着せられた人々の遺族らに直接取材をして「ファシズム神話」に迫り、その成果を一冊の本にまとめたそうである。それは「記憶との闘い」であった長い歳月を聞き出して、いかにして神話が成立せられたかを追求する仕事だった。
さて。
目的をもって検索しお目当ての内容の図書を借り出す、ということをせず、いきあたりばったりに、タイトルが刺激的とか表紙絵が素敵とかたまたま目についたとかそういう理由で借りるということも、わたしの場合かなり多いのであるが、そういうふうに借りたものが大変面白いという確率が高いのである。
そして、ここ二、三年、そんな借り方をした本は、決まって第二次世界大戦がからんでいた。評伝であれ、小説であれ、批評であれ。わりと最近の人物伝を読んでも、その祖父母や曾祖父母の戦時の記憶を本人がきちっと受け継いでいる、とか。現代を舞台にした小説であっても家族に戦争の記憶が残っていてそのことに皆が苛まれる、とか。ある種の論文や学者の著作を追うと必ずあの大戦に行き当たり、それなしではこの研究は成り立たない、とか。
そうしたものを読むたび、あの戦争がもたらしたものは今もこの地球上に長々と横たわり、寝返りをあっちにうったりこっちにうったりして、下敷きにされている者たちを解放しないのだということを思い知らされる。そして、その度合いはヨーロッパのほうが、アジアよりも大きいように思う。
いや、それは間違いであろう。わたしが大陸もしくは東南アジアの一市民であれば、おそらく天上から連綿と続く侵略の記憶の鎖から逃れることはできなかっただろうし、自分の子どももその鎖につないだであろう。
横たわったまま立ち去らない記憶の重さと大きさはヨーロッパのほうがアジアを凌ぐ、と思うのはわたしが日本人だからで、日本では国を挙げて記憶をリセット(初期化)することに注力してきたからだと思う。
もうひとつは、幸いにも身内に戦没者がいないということがある。わたしたちの町が戦火を逃れただけでなく、世代的にエアポケットにあったのか、親族は誰も兵隊にとられなかった。父たちは極貧を味わい、母も疎開をしたが、致命傷はなかった。わたしに戦争が語られることはなかったし、私も語るべきものが何もない。
だから、記録や書物から事実を知るより方法がなかったので、そうした場合に陥りやすいが、好んであるイデオロギーよりの書物をつい選んでしまい、その結果視界や思考を水平に保てなくなる。若い頃、わたしはよくそういう状態になり、尖った角をやたら出したが、出す方向もやたら変わったものだ。
学生時代、日本の台湾支配の遺産として彼の地に残る日本語の語句の在りさまについて研究していた友人がいた。調べるほどに、胸をえぐられるといっていた。泣きながらキーを叩いた、とも。そして、「それでも私は泣けば済むんだよね、この修論書き上げればね」と自嘲した。私はフランスの植民地支配後の振る舞いについて論文を書いていたが、自分は楽なほうに逃げてるよなあという思いはいつも持っていた。自国の侵略行為に向き合う覚悟は、とてももてない。いまだに、そうだ。
行き当たりばったりに読んだ本に、ナチスだとか、アウシュヴィッツだとか、ノルマンディー上陸だとか、ヴィシーだとか、そうした語が出てくるたびに、これは誰かがわたしに日本人として日本のやってきたことに向き合いなさいといっているのだと、思えてならないのだけど、なんというか、まだ全然、わたしは成熟していないのである。