言葉で遊ぶと詩になる2008/07/14 13:36:24


『あしたのあたしはあたらしいあたし』
石津ちひろ 詩
大橋歩 絵
理論社(2002年)


《あしたのあたしは
 あたらしいあたし
 あたしらしいあたし

 あたしのあしたは
 あたらしいあした
 あたしらしいあした》(6ページ「あした」より全引用)

谷川俊太郎さんの「かっぱかっぱらった」をもち出すまでもなく、詩の世界は言葉遊びの世界でもある。小学校の低学年では言葉遊びの延長で詩を学ぶ。「かっぱかっぱらった」は何人かで音読するのが楽しいようにできていて、輪唱したり(いや、歌うわけじゃないが)メロディと伴奏に分かれたり(けっして歌うわけじゃないが)すると面白い。

金子みすゞの「わたしと小鳥とすずと」の最後の2行は《すずと、ことりと、それからわたし、/みんな ちがって、みんな、いい》だが、学校の人権学習ではこの「みんなちがってみんないい」のフレーズがやたら使われて、金子みすゞが社会的弱者への優しい眼差しをもった国民的詩人のごとく奉られたりもしているが、娘にせがまれて買った金子の詩集を読むと、そんなたいそうなことじゃなく、彼女は童謡作詞家だったので子どもにもわかる優しい言葉で自分の目の高さに見えるもの、感じるものを書いたに過ぎない、ということがわかる。ただし、書いたに過ぎない、といってしまうには余りある深淵を彼女の瞳に感じるのも確かである。たとえば「ほしと たんぽぽ」には《みえぬけれども あるんだよ、/みえぬ ものでも あるんだよ。》という一節があるけど、この2行で彼女がいわんとする事どもの大きさ深さにぞくっとすると同時に、その簡潔さにうまいなあ、プロだなあと感心する。
でもそういうことにはあまり言及せず、単に言葉のリズムの心地よさを鑑賞して、娘と私の「金子みすゞブーム」はすっと終わった。

そのノリで買い求めたの本書だ。
『なぞなぞのたび』などで我が家ではおなじみの石津ちひろさん。
でもこの詩集にあるのは、金子みすゞの童謡詩でもないし、谷川さんの粋な遊びうたでもない。言葉遊びの名を借りた、大人の心にグサグサ突き刺さるメッセージ集である。少なくとも私にはそう思えた。もっと正確にいうと、笑えないダジャレに終始している詩と大人に説教垂れている詩の二つに分類でき、笑えないダジャレに終始しているほうは、ちっちゃな子どもに説明つきで読んでやると笑ってくれる詩で、大人に説教垂れているほうは、その行間に漂う切なさやわだかまりはとても子どもには言い表せないし、読み手の自分にさえなぜこんなに胸が詰まるのか説明できない。

《ころころ
 かわる こころ
 このごろ かわる こころ
 ところどころ かわる こころ
 このごろ ところどころ
 かわる こころ
 ころころ かわるから
 らくな こころ》(8ページ「かわる こころ」より)

《かぜがここちよかったから
 たましいをこころのおくから
 とりだして
 かぜにさらしました
 かぜになびきながら
 いたましいたましいは
 もうすこしで
 とんでいきそうになりました》(50ページ「たましい」より)

《かたつむり
 かためをつむり
 かたつむり
 わかったつもり
 かたつむり》(62ページ「かたつむり」より)

いちばん好きな詩は、最後に掲載されているこれである。ほか同様、部分だがご紹介して今日はおしまい。

《とどはどっと泣く
 うみにとどく
 とどの声
 うみにとどろく
 とどの声
 とどのかなしみ
 とどくかなしみ
 とどろくかなしみ》(76ページ「とどの声」より)

コメント

_ おさか ― 2008/07/14 15:07:00

おお、詩の教室ー♪
そうか、言葉遊びですね!
詩という形で表現するにふさわしい
なるほどなるほど

で、行間にこめる思い
察してね、てやつ
日本人に合ってるのか?実は

外国では短歌や俳句も「詩」の扱いなんですよね?
短い言葉で深淵を表現
文章より簡単そうで実はものすご難しい
あああ
やっぱり手が出せないわ、俳句も怖くて踏み込めないわたくしには
せめて愉しむすべを手に入れよう、すこしは
というわけで今後もよろしくです、蝶子教授♪

_ 儚い預言者 ― 2008/07/14 18:42:04

 あわわ わわ ゆめのよう
 あわわ わわ まぼろしきれい
 あわわ わわ ひとはだの
 あわわ わわ せかいがおどり
 あわわ わわ ふっとふかれて

 あわわ ふふ こそばゆい
 あわわ ふふ わたしはきれい
 あわわ ふふ どうなるの
 あわわ ふふ ふたりのすがた
 あわわ ふふ ひとつのすがた

 あわわ んん こどもには
 あわわ んん こまらせられる
 あわわ んん かえれない
 あわわ んん もうすこしのいき
 あわわ んん あなたがんばって

 あわわ わわ わたしたち
 あわわ わわ ひとよにきえて
 あわわ わわ ひとよきて
 あわわ わわ いきよせはだの
 あわわ わわ こころよせあい

 あわわ わわ あわわあわ
 あわわ わわ わわわあわあわ
 あわわ わわ あわあわわ
 あわわ わわ あわあわあわわ
 あわわ わわ わわあわあわわ

_ コマンタ ― 2008/07/14 20:49:12

詩を書く人は、性格的にどこか弱いところがあると思うんです。びしっと文章のかたちに完結させられない、繊細と通じるみたいな弱さ。主部があって述部があるような主張をしたくない、というか。フィクションの完結した世界だったら大胆な言葉遣いができる人でも、相手のいる文章(コメントのやりとりみたいな)だと文の言い終わりに神経を使ったりします。これはぜったいこうやろ! と思うような自信のある話題においても、「……と思う。」というふうにぼくの場合婉曲に表現する習慣です。確信があるから断言したくないというか、相手のために(自由にできる)スペースを残しておきたいというか。論争したくない。闘わずして、まいった! と相手にいわせたい。だから相手をやっつけない。しかし、そういう戦略的な意識までもイヤになるので、なにかわけのわからない詩になってしまう……という人がいると思うんです。そういう人が詩に流れるんではないかなあとゆうがた愚考しました。みすゞさんはなんで死んだんでしたっけ?

_ midi ― 2008/07/14 21:28:15

レギュラーメンバーのみなさん、こんばんは。

おさかさん
詩を書く人はかなり難しく考えちゃうと思うけど、詩を読むほうは考えなくていいと思います。
西洋の詩は韻を踏むけど、日本語では踏韻が難しいので五七調とかでリズムをつけるんですよね。リズム感にあふれた詩は、何いいたいんだかわからなくても楽しめます。
今はすっかり「ミッフィー」としてお馴染みの「うさこちゃん」絵本、原典は踏韻の見事な詩の形態になっているそうで、「うさこちゃん」の訳者はそれを五七調にして原典のもつ可愛い躍動感を損なわないように工夫したと聞きました。

預言者さま
あわわわわ あわじのあわが あわおどり
あわわわわ あわせたあわび あわてんぼ

コマンタさん
なるほど、そういう人が詩に流れるんですか。しかし、世の詩人は、あるいは歌人も俳人も、けっこうしっかり文章も書きますよね。きっかけはどうであれ、継続することでそのひとの言葉は研ぎ澄まされていくのではないかしらん。
金子さんは夫婦間のもつれから自害なさったんではなかったですかね。そういうとこがむちゃ人間的。

_ コマンタ ― 2008/07/14 21:52:38

たしかに、言われてみると散文も書きますね、みなさん。きっと頼まれたんでしょう。ホントのことは本業の方で書けばいいので、生活のためにエッセーなども依頼があれば書く、という感じでしょうか。あるいは、そんな強固な信念でもなくて、生活(費)のどさくさにまぎれて、文句いいながらも(だれかさんみたいに?)意に沿わぬ文章も書くのを許す……。
>継続することでそのひとの言葉は研ぎ澄まされていくのではないかしらん。
言葉を研ぎすますのは、伝えるために書く人については言える気がします。ジャーナリストとか教師とか科学者とか哲学者とか。詩人は言葉を研ぎすますかなあ。鈍らせるといってもいい気がします、ある意味。伝統とつながりながら現代詩がどこかわからない印象を与えるのもそのためではないでしょうか。ぼくの予感ですけど。こんな予感、ほかのひとには言えませんネ。

_ 儚い預言者 ― 2008/07/14 23:24:09

 うるるんるんるん
 ときをまち
 ひゅるひゅるひゅるるる
 まちにくれ
 ひたひたひた
 くれにしおさい
 ざわざわざわ
 しおさいはすな
 しゅーーーーー
 すなはほし
 どっくんどきどき
 ほしにひとみ
 さわさわさわ
 ひとみにくちびる
 ういういうい
 くちびるにくちびる
 ぶちゅぺちゅぺちゅぴちゅ
 くちびるにこえ
 すきだすきだおまえがすきだ
 うんはーはーはー
 あいはとわ
 うそよほんとはなに
 おれはおまえをあいす
 うそよだれ
 おまえだ、せかいでいちばんうつくしいおまえだ
 なぜ
 このよにおまえがいなかったらおれはしぬ
 ほんとに
 しんじつはおまえをあいすることだけだ
 いいわでももっと
 ぜったいということばはおれがおまえをあいすることだ
 あっはー
 なぜならおれにはせかいでおまえしかいないからだ
 うーーー
 さあいこううちゅうのかんきに
 あーーー
 おれはおまえにあたえるのはちからだ
 なんの
 おまえはおれにあいをしらせたからだ
 そうなの
 おまえがおまえでいることそれがおれにはいちばんなのだ
 あっふーー
 おれのあいぶはうちゅうのほのおだ
 もえているのね
 おまえのあいにつつまれているからだ
 ふあーーー
 さあいくぞ うちゅうのしんおうへ
 あっひーー

_ midi ― 2008/07/15 17:51:14

コマンタさん
鈍らせる、というのは鋭い指摘です。
そうかもしれませんね。詩人の言葉そのものは鈍色(にびいろ)なのかも。読み手にどう響くかで色彩や光沢を放つ。それは読み手次第だと。つまり定まった評価を得にくいと。

預言者さま
なんか漢字テストみたいです。次のひらがなを漢字に直しなさい。
うちゅうのほのおだ
うちゅうのしんおうへ
難しいかも(笑)

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