みんなが感動することに同じように素直に感動するのもいいけれど、みんなが素晴しいと言うものを同じように素晴しいとは到底思えないという感性も必要であるの巻 ― 2009/06/04 19:19:29

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※今春の営業はこの週末でおしまいです。
『西の魔女が死んだ』
梨木香歩 著
新潮文庫(2001年)
「お母さん、みんなが『西の魔女が死んだ』はすごくいいっていうねん」
「ふうん」
「今度図書館行ったら借りてきて」
「止めとき。『オズの魔法使い』読むほうがええ。西の魔女、でてくるやん。最後死ぬやん」
「そやけど、違う話やん」
「あ、知ってた?」
「当たり前やろ」
「読んだ人から話聞いとき。わざわざ読まんでもいいって。ほかに読まなアカン本はいっぱいあるで」
「なんでぇ」
まさか『親指さがし』のほうがはまし、とまでは絶対いわないけれど(笑)、『西の魔女が死んだ』を読む時間があったらほかに読んでほしい物語はいっぱいある、というのは本音だ。私はずいぶん昔に『裏庭』を読んで以来申し訳ないけど梨木香歩の作品に先入観をもってしまって近寄れなかった。『西の魔女が死んだ』の評判は知っている。私の友人も、信頼できる筋も、読んだ人はたいていよかった、感動したという。だからたぶん私も、『裏庭』がどうあれ、それはそれとして、『西の魔女が死んだ』を読めば普通に感動するかもしれない。そう思うとなおさら読みたくない。……天邪鬼のようだが、こういうのがベストセラーやロングセラーに対する私の場合のごく普通の反応である。であるからして、ことさらに『西の魔女が死んだ』だけを毛嫌いしているわけではない。しかし、本書の場合はそういう私の性格に加えて、ネーミングや登場人物設定から『裏庭』と同じ、自分とは相容れないなんらかの匂いを感じて本能的に避けていたのである。
そうはいっていても、案の定、主人公と同じ年頃の中学生たちの間では、とくに女子生徒の間では絶大な人気があるらしい。本好きな子はすでに小学校時代に軽くクリアしている。中学1年生のとき、クラスメートのさくらちゃんから、さなぎは『西の魔女が死んだ』の単行本を借りてきた。イケズな母が図書館で借りてきてくれないから(笑)。
「読んだ?」
「うん、読んだ」
「どうやった?」
「さくらが、すっごぉくいいで、感動するで、絶対泣くで、てゆうてたけど」
「けど?」
「どこで泣くのかわからへん」
さすがは私の娘である(万歳三唱)。
以上の出来事は去年の夏頃だったと思う。
さくらちゃんは中学校に入ってから仲良くなった子で、四人きょうだいのいちばんお姉ちゃんであるせいか、ウチの子よりずっと小柄で丸い顔があどけないのに、とてもしっかり者で頼れる存在である。昨年度一年間はクラスのいろいろな活動でさくらと一緒に行動し、さなぎはずいぶん彼女の世話になり、また互いに信頼関係も築いたようである。2年生になってクラスが分かれたが、相変わらずよくくっついているみたいだ。
いつかも触れたが、娘はとても「昭和な」国語の先生を慕っているので、よく読書のアドバイスを受け、図書室で先生の言にしたがって本を借りてくる。先日も文庫を何冊か持って帰ってきた。そのなかにまたしても『西の魔女が死んだ』があった。
「あれ、また西の魔女」
「うん」
「読み直してみようという気になったのはなぜですか、お嬢さん」
「前は、さくらに早よ返さなあかんてゆうのもあったし、なんかさささっと読んで……何が面白いんかなー泣けるんかなーってわからへんかったし」
「じっくり読んだらまた違う感動を得るかもしれないというわけですか」
「映画になったって、聞いた」
「うん、西の魔女=おばあちゃん役した女優さん、きれいな人やで」
「え、観た?」
「ううん、雑誌のインタビューを読んだん」
「ふうん……映画になるくらいやし、やっぱし感動的なんちゃうかなあ……」
そんなもん、ヴィジュアル化しようと思ったらなんだってできちゃうんだよ君、『親指さがし』だって映画になるんだよ(ってもういいってか)。
という発言は控えたが、何にしろ、「私の読みが浅かったのか」と疑問を持ち、再読する気になったことじたいは悪くない。娘は『西の魔女が死んだ』を通学リュックのポケットに入れて持参し、読書タイムだけでなく休み時間にも読んでいた。
「みんな、ようそんなん学校に持ってくるなあ、ってゆうねん」
「なんで? そんなヤバイ読み物か?」
「その本は、ベッドの横にタオルと一緒に置いといて、夜寝るときに泣きながら読む本やって。机に向かってクールぅに読む本と、ちゃうねんて」
「ぎょえー」
「ぎょえー、やろ、ほんまに」
「で、さなぎは? 昨日の晩は寝る前読んでたやん」
「うん。そやけど、タオル要らんし」
さすがは私の娘である(万歳三唱の三乗)。
『西の魔女が死んだ』は、想像力を働かせ、深く読み込まないと味わえない物語だと思う。中学になじめず不登校になる少女、田舎で独り暮らす英国人の祖母、大好きだったのにその祖母と喧嘩別れしたまま永遠に別れてしまうことになる……という設定は、小中学生をジーンとさせるには十分である。しかしながら著者の本意はもちろん別のところにも、あっちにもこっちにもあるのだろう。主人公の少女が関わる、魔女こと祖母や母はじめ幾人かの大人たちの描かれかたは、かなり思考をめぐらし想像しないと読者に響いてこないし、思わせぶりなエピソードの多くは解決(あるいは終結)を見ないままほったらかしにされる。あとは読者に委ねられるわけである。
けっこう読解力のある大人でないと、物語として面白いと思うかどうかも、作品としていいも悪いも語れないのではないか。子ども目線で描いているような体裁をとりながら、大人が見下ろしながら書いたわね、というのが率直な感想である。
また、英国暮らしを少しかじっていないとある意味隅々まで堪能できないと思われる。著者は英国文化体験者らしいので、『裏庭』もそうだが「イギリスの香りをちょっぴりお届けします」的な、「隠し味の押しつけ」を感じ、それを味わえないと楽しめないんですよお客さんといわれているように感じてしまうのである。いや、天邪鬼なんですわかってますよ。
ま、早い話が、私が大の英国嫌いなので好かんのだ、というだけである(でもけっして英文学嫌いではないんだぞ、最近のは読まないけど)。これが、もっと別の文化のエッセンスが振りかけてあったなら異なる感想を持ったであろう。たとえば憧れの島マダガスカルとか、サリフ・ケイタの国マリとか、死ぬまでに絶対訪れたいブータンやネパールとか……の匂いがぷんとする物語だったら、単純短絡な私は手放しで絶賛したかもしれないのである(というか、絶対絶賛する)。
もとい。さくらちゃんはじめ、娘の周囲の中学生たちがどこまで本書を読み込み、どこにどのように深く感動し、胸を震わせたのかはわからない。しかし、この年頃の少年少女は人の意見になびきやすい。長いものに巻かれやすい。情報に翻弄されやすい。みんながよいというものをよいと思い込みやすい。
それが絶対ダメだとはいわない。周囲に素直に同意できるのも重要な「能力」だが、違和感を感じ異を唱えることができる「心意気」も必須。大人になっていく過程でしっかり培い、両刃の剣の如く使いこなしてほしいのである。
ところで、このさくらちゃんは私が絶賛した『トリツカレ男』に大感動したというのである! さくら、君はワンダフル!
ウチの娘はというと、私があまりに勧めるので読んだものの「うーん、なんかイマイチ」とかなんとかいって面白いといわなかったのである。
……ということは、さなぎの天邪鬼ぶりはちと極端、ということになるのか? いやそれより、やっぱし単に「読めてない」だけなんかい……?
ノートに漢字を書く私にゾランは「君、それは絵だよ」と言ったことを思い出したの巻 ― 2009/06/10 17:52:25

『ぶらんこ乗り』
いしいしんじ 著
新潮文庫(2004年)
お気づきの方もおいでかもしれないが、本日のわたくしはほとんど仕事になっていない(笑)。
明日しめきりの企画書と原稿が私の頭の中で形をなさないまま山になっている。最初の1行、とっかかりのひと言をつかめたらあとはすすすすすっと行くんだけど、それがつかまらなくて、外は雨だし、まったくもう、掃除してないドブみたいに溜まったまま吐き出せないんである。
気晴らしにちょこちょこよそ見をしにいってはなんのかんの書き散らしたりして、たちが悪いのである(笑)。
だからというわけではないが、やっぱ読まなきゃよかったよ、という感想をもった本について書き殴ることにする。
本書はいしいしんじのデビュー作だそうである。
私は前に、彼の『トリツカレ男』を大いに楽しんだ。ブログにも綴ったけど、この『ぶらんこ乗り』はずっとずっと前に一度図書館で借りて、読めないでいるうちに期限が来て返してしまったのであった。思えば、あのとき『ぶらんこ乗り』を読んでいれば、私は二度といしいしんじに近寄らなかったかもしれなかった。不思議なもんである、本との縁も、人との縁も。
先に結論からいってしまうと、『ぶらんこ乗り』は疲れる。押しつけがましいところがちっともないせいか、よけいに疲れる。いろいろ見せられて読まされて、「で、どこへいけってゆーんだよ」という気分にさせられるのである。
なぜそんなに疲れるのか。
複雑な話ではない。こみいった構成でもない。
語り手「私」には天才の弟がいるが、この弟が幼いくせにいっぱい「お話」を書くんである。それはいいとして、そのお話がことごとく平仮名ばっかりで紹介されているのである。弟が書いたままを表現しているということだろうが、たいへん読むのがしんどい文面なのである。
平仮名ばかりだと読むのに疲れるのか、というと必ずしもそうではない。ひらがなで、やまとことばばかりで、書いてあるのであればべつにどうってことはないはずである。谷川俊太郎の詩の例を引かなくても、子どもの絵本やお話の本はひらがなばかりである。それを大人が読んで読みにくいとは思わないであろう(モノにもよるけど)。
『ぶらんこ乗り』の作中物語として登場する天才の弟が書くお話には、かなり漢語が混じっていて、それを平仮名にしているもんだから読みにくいのである。
漢語の中には、幼少時から、つまり言葉を覚えたての最初から、慣れ親しむ熟語もある。ほかに言い換えのきかないような言葉がそうである。
んーと、たとえば……せんせい、かぞく、せかい、ないしょ、ひみつ……
《ぎょそんのみんなはふねをくいにしばり、やねをしゅうぜんし、とぐちやかべにいたをうちつけました。》(15ページ)
《「くうちゅうぶらんこのげんり」
(……)さいしょはたいしてへんかはでません。けれどそのうち、ふとしたひょうしにてあしがさかさにまがってる。(……)》(20~21ページ)
ひとつめの例は、引用箇所の前に「みなと」という言葉が出ているので、「ぎょそん」でなく「むら」でよいと思う。また、「しゅうぜんし」より「なおし」のほうがいいと思わない?
二つめの例では、「げんり」「さいしょ」「へんか」「ひょうし」。すべて和語で表現すればもっと見やすい。言葉を言い換えることで前後の表現は当然変わってくるが、物語の流れからしてその点はあまり重要ではないはずだ。「げんり」の和語はなんなのよといわれると困ってしまうが、「くうちゅうぶらんこのげんり」と題されたこのお話が「原理」について語っているとは思えないので「くうちゅうぶらんこのしくみ」とか「ひみつ」とかならもっと可愛いのに、と思ったのである。「はじめはあまりかわりません。けれどそのうち、ふとしたはずみに……」でもいっこうに問題ないと思われる。
また、弟のお話は言い回しや文章構造もいささか大人びているので、ひらがなを覚えたての幼児なんぞが本書の「弟のお話」の部分だけを読んでも絶対ちんぷんかんぷんのはずである。
弟の天才性を強調するために、漢語を多用したのかもしれない(だとしても納得しないけど)。もちろん、熟語が平仮名になっているからといってまったく意味がわからなくなることはないし、多少の読みにくさはクリアできるさという人には苦でもなんでもないだろう。
若干イラつきながら何とか読み終え、物語『ぶらんこ乗り』そのものはけっして悪くないのにもったいない、と思ったのだった。だけどそれでももう読みたくないし、読まなきゃよかったと正直思った(これじゃなくて他の本にすればよかった)。
思えば、前に読まずに返却してしまったのも、ぱらぱらと開いて「うっ」ときて閉じちゃったような、そんな気がしてきた。
私は、ひらがなが好きである。ひらがなで意味が通るところはひらがなで書くのを好む。けれど故事成語や維新後に渡来した西欧語からの翻訳語、たとえば法律とか、議会とか、鉄道とかの類だけど、そういうのは幼児向け絵本でも1年生の教科書でも「漢字表記でルビを振る」方針でいくべきだと考えるほうである。
ひらがなは文字で、漢字は絵として認識するのが、日本の子どもたちの正しいはじめの一歩だもんね。
初めてヨーロッパを旅したとき、日本のことを全然知らない欧州人ばかりに会ってたいへん愉快だった。ブラチスラヴァで会ったゾランとスコピエで再会した。私が旅ノートを取り出してメモしているとおそるおそる「……それ、字?」と訊いた。字でなかったらなんだと思うんだよ(怒。笑)という私に絵じゃないのかなってさ、と彼は真顔で言った。ハウスはどう書くのと聞かれて家と書いたらすごく感動された(笑)。いうまでもなく私は心の中で野蛮人めと舌打ちしたのである。若かった。
チェチェンニュースからの転載 ― 2009/06/12 20:47:33
(以下は抜粋です、あしからず)
チェチェンニュース No.295
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●蕨市での排外主義的デモ
この4月、「在日特権を許さない市民の会」という団体が、埼玉の蕨市でデモをした。ご存知の方も多いと思うのだが、内容は、両親がフィリピンに強制的に帰国させられ、日本でひとり生活することになったカルデロン・ノリコさんの通う中学校や自宅付近を、「一家を追放せよ」などというスローガンを叫びながら歩き回ったのだった。
そして彼らは明日13日、今度は京都で外国人の参政権に反対するデモをするのだという。確かにカルデロンさん一家が日本に入国したいきさつには法的に問題があったようではある。しかし不法入国のケースであっても、一家が求めたような特別在留許可が出たことは過去にもある。
そういう事情はおいても、このデモはひどすぎる内容だった。「国民大行進」という不気味な名のもとに、中学生の子どもを大人たちが恫喝し、「帰れ」と叫んだのだ。彼女が生まれたのは、この日本だというのに。
「在特会」はこういう活動を「人道のために」しているのだという。つまり、彼らのような不法入国者に正式なビザを与えると、同じような人々があとにつづいて日本にやってくる。そうすると、ノリコさんのような可哀想な子どもが何千人も生まれてしまうというのだ。
おもしろいことを言う人たちだと思う。世界全体の経済が、第三世界から「先進国」に人々を追い込んでいるのを無視して、入ってきた人々は恫喝して追い出そうとする。その理由が、当の追い出される人々のための「人道」だというのだから。
「私は排外主義者です」と言う人はまずいない。むしろ「人道主義の見地から」こんなひどいことをするのが人間なんだということを、学ばせてもらったような気さえする。
明日は京都で「在特会」などがデモをする。しかし、その場に立ち会い、排外主義に反対し、意思表示をしようとする人たちもいる。本当に勇気のある、心の熱い人たちだと思う。できることならその場に行きたい!
6/13 京都:外国人排斥を許さない6・13緊急行動
http://613action.blog85.fc2.com/blog-entry-6.html
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キャー!! ― 2009/06/15 09:59:11
お相手にはウチの娘の必殺冗談じゃなくて上段回し蹴りをお見舞いしたいところだけれど(笑)とにもかくにも、内田樹さま、おめでとうございます(といいつつ、くっやしーい!!! 笑)。
最近の「結婚」についての論の展開ぶりになにやら怪しげな気配を察知していたのは私だけではないと思うのだけど……そーか、そうきたかー。むむむむむぐるぐるぐる……(←なんのうなり声だよ)
こんにゃろーよおっしあたしもがんばっちゃうぞーじんせいこれからだーーーい!!!
くやしーーい!!!
……取り乱してしまいました。失礼……
あらためて。内田さん、おめでとうございます。
ダイアナ ― 2009/06/18 19:55:15
ま、いいや。
今日のダイアナのお話は……。
次の発表会で、さなぎがダイアナを踊ることになったんだよーん♪というテレプシコーラな報告。
小学5年生になると、一人でヴァリアシオンを踊らせてもらえるようになるんだけど、無知な母はそのころから娘に「ダイアナのヴァリアシオン」を踊ってもらいたくて、この時期になると「ねえねえ、先生にダイアナ踊りたいっていいなよ」とさなぎをあおったもんだったのだが、ことバレエに関しては私の百倍も千倍も聡明で己の実力をよく知る娘の答えはいつも
「ムリ」
または
「むぼー」
であった。
のだが、中2になってようやく、先生のほうから「踊りなさい」と指示が出たというではないか!
ある夜レッスンから帰宅して、
「曲、決まった」
「え、なになになに」
「お母さん、喜ぶと思う」
「え。とすると○○?△△?◇◇?」
「一つ忘れてる」
「……ダイアナ!」
「ぴんぽーん」
「ひゃっほーいいいいよっしゃあ♪」
と母は見苦しいほどガッツポーズをしたのであった(笑)。
ダイアナのヴァリアシオンってどんな踊り?という方のために。↓
http://www.youtube.com/watch?v=y6dN0yIPelM
踊っている方の所属などは全然わかりませんのであしからず。
細かいことをいうと、さなぎに振り付けられたのはちょっと違うそうです。
でもま、これ。
楽しみだな~るんるんるん。
そういえばエスパー魔美は14歳で超能力が開花したんだっけ、とマンガは読んでないけど娘のために何度も録画したTVドラマをちょっと思い出したの巻 ― 2009/06/25 20:02:47

『14歳の本棚 部活学園編―青春小説傑作選』
北上次郎編
新潮文庫(2007年)
ついこないだウチの娘が13歳になったばかりだというのに、娘の周辺では次々に友達が14歳になっていく。偶然に過ぎないのだけど、6月から8月に集中してやたら友達の誕生日がある。去年はこの時期100円ショップに駆け込んでストラップや髪留めをみつくろっていたウチのさなぎは、今年はさすがに百均商品1点オンリーで済ませるのは気が咎めるらしく(笑)チマチマためた小遣いを全部はたく勢いで友達のプレゼントを物色している。
(しかし小遣いといっても、彼女には小学生時代には「お小遣い」を与えていなかった。おつかいにやった時に持ち帰ったお釣りの38円とか14円とかをそのまま与える程度だった。中学生になって月に100円、二年生になって200円にアップした。アップといっていいかは疑問だが。皆さんお間違えのないように、去年1000円今年2000円ではない。だからどうやっても次々来る友達の誕生日をクリアできるとは思えないのだけど。笑)
こないだちょっと触れた仲良しのさくらちゃん。彼女も7月が誕生日だ。がんばる中学生の鏡・さくらには、いしいしんじの『トリツカレ男』を私からプレゼントすると約束してある。さくらちゃん家にはたびたびさなぎがお邪魔していろいろともてなしていただいていることもある。
『トリツカレ男』に加えてもう一冊どれにしようかなと物色していて、14歳をターゲットにした本(13歳のとき同様の結果しか、期待はしていなかったが)ってどんなんかいなと、14歳をキーワードに探してみた。
14歳(検索トップは千原ジュニアだった……誰か読んだ人がいたら中身教えてほしい)
14歳からの世界金融危機(そそらないタイトルだ……)
14歳からの社会学(アバウト)
14歳からの哲学(故池田晶子さんの本)
これでいいのだ14歳(バカボンのパパに聞く……とか何とか副題がついてた。面白いかも。笑)
14歳からのお金の話(お小遣いはいくらか、という話ではなさそうである)
14歳からの商い(流行ってるんやねえ、こーゆーの)
14歳からの仕事道(「希望学」の玄田さんの本である。「よりみちパン!セ」シリーズ)
14歳の子を持つ親たちへ(愛するウチダと名越医師との対談。持ってるが、実はイマイチ)
14歳からの世界恐慌入門(だから、そそらないって。意味わからんって)
14歳からの政治(薦めたかないがウチの子は好きかもしれん。泣)
14歳からの日本の選挙(同上)
14歳からの戦争学(だから、それってどーよ)
14歳の危機―自立を先送りする子どもたち―(自立できん30代が多いのは中学生時代に原因があるって話なのだろうか?)
ヴィーナスは14歳(ぷちぴちプルプル写真集。これっ。お母さんはそんな子に育てた覚えは……!)
やはりろくなものがなかった中で(ほとんど読んでないのでそげなこつ言う資格はないが)、一冊だけ光っていたのは本書、『14歳の本棚 部活学園編』であった。実はこの本は図書館の文庫書架の前にボーっと立っていて偶然目に留まったものだった。ちょうど私の目の高さに並んでいたのである。なんとなく引っ張り出して、表紙を見て内心をををををを!!!と叫んでいた。そこには森鴎外、井上靖、大岡昇平の名前が並んでいたのである。
これは中学生を主人公にした短篇もしくは長編の抜粋が編まれたものである。
ラインナップをばらしちゃう。ついでに独断評価を著者名の横に♪
「空のクロール」角田光代 ○
「ブラス!ブラス!!ブラス!!!」中沢けい ×
「ヰタ・セクスアリス」(抄) 森鴎外 ⇒読んでない
「夏草冬濤」(抄) 井上 靖 ◎
「クララ白書」(抄) 氷室冴子 ⇒読んでない
「決戦は金曜日」川西 蘭 ◎
「F列十二番」松村雄策 ◎
「青山学院」大岡昇平 ◎
角田さんのは、えっ終わり?と思うような終わりかたがごく微妙に物足りなかったが、大変面白い一編である。実は角田さんの本を一冊も読んでいなかったのだが、受賞作や評判を呼んでいる長編にいずれ手を伸ばそうかという気になった。
川西蘭とか松村雄策とか、まるで知らない名前だったのだが、それぞれすごく味のある作品だ。そんな中学生いるか?と、思うようなくだりもあるけど、昔は中学生は骨太だったからなあ。この二作品は、石につまずいて転んでよく石を見たら宝石だった、というたとえが適切かどうかは別にしてそう形容したくなるほど私には発見であった。
井上靖の『しろばんば』をこよなく愛する私は、主人公・洪作のその後が気になったまま、続編を読まなかった。なんとなく青春時代に忘れ物をしたようだった。本書の中で、中学生になった洪作と会った。ううう、やはり洪作は可愛いのである。感涙。
大岡昇平は内容に関わらず大岡昇平であるというだけで二重丸。
このシリーズにはあと二つあって、『14歳の本棚 初恋友情編』『(同)家族兄弟編』がある。興味のあるかたはそちらも検索されてどんな本か覗いてみてください。私の場合、『部活』以外はまったく関心を惹かなかった。図書館にはどちらもあったけど、いずれも、表紙の最初に書かれている作家名でアウトであった(笑)。
「14歳」をキーワードに検索したら、当然このシリーズもひっかかった。けれど、ほかの実用書まがいのろくでもない本に隠れて目立たなかった。たまたま「14歳」だから書名検索でひっかかったけど、例えば中学生に読ませたい古今の小説が集められた本を探すとき、どんなキーワードが有効なんだろう? 前も書いたけど、お話の主人公になるにも読者になるにも、かなり中途半端な年代、それが中学生だ。中学生に読ませたい本の主人公はもちろん中学生とは限らないが、主人公が同世代だと感情移入しやすいのは確かだ。
(さなぎは私の嫌いなイシダイラのフォーティーンとか何とかいう本を読んで、たいして面白くなかったけど登場人物が同じ年頃だったから気持ちがよくわかった、などといっていた)
ということで、さくらには本書を『トリツカレ男』にプラスしてプレゼントすることに決めたのである。
14歳は飛躍の年齢かもしれない。さくらは今、心身が充実しているのか「むっちゃテンション高い」(さなぎ談)。先月誕生日だったしのぶには彼氏ができたし。
だけど挫折の年齢かもしれない。陸上部きっての俊足ユウカは、誕生日を前に剥離骨折した。
さてウチの子の14歳はどんなふうに訪れるのだろう。
永遠の名作 ― 2009/06/26 15:17:46
http://www.youtube.com/watch?v=-9DEkFWt3ig&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=jhWenfOe8uA&feature=related
あの頃、キャンパスは擬似マイケルだらけだった(笑)。
講義室移動もムーンウォークで行ったりとか(笑)。
スズキのバイク、ラヴ(だったっけ?)のコマーシャルが可愛くて大好きだったので、垢抜けてどんどんスーパースターになってくマイケルを見るのはちょっと悲しかった(と、ここでも天邪鬼な私)。
でも、スリラーのLPは買いました。まだもってます。
ほんとに死んじゃったのかなあ(懐疑的)
マチガイでした、人違いでしてん、そっくりさんで、とか明日あたりロス市警が記者会見しそう。んなこたーないか。