誰が読むのだろう……高校生? 行間や文章の裏側を読み取れないとしんどいかもの巻2009/08/21 19:13:28

ある日大好物のアボガドを食べました。種を取っておいて、植えました。芽が出ました(でもよくわからんね)。これは7月下旬の写真です。


『学校がアホらしいキミへ』
日垣隆著
大和書房(2008年)


学校なんかあほらしくて行けるか、と、「真剣」に思っている小中高生は実際どれくらいいるのだろう。
「学校がつまらない」子は多いだろう。「学校に居辛い」子も多いだろう。そういう子のうちの何人かは一度のずる休みが引き金になってずるずると不登校に陥ってしまうのだろう。その一方で、学校は楽しいと感じている子も多いはずだ。娘の通う中学校の場合だが、娘の学年200人弱のうち、不登校になっちゃって全然学校来てないのは5~6人くらいらしい。この数字、多いのか、少ないのか?

そのうちの2人は娘と同じ小学校出身の男の子で、うち1人は娘によると「むっちゃカネモ」(=彼の家庭はたいへんなお金持ち)、もう1人は同「お母さんコワキモ」(=彼の母親は怖そうに見え、かつ気持ち悪くも見える)。「カネモ」のほうはゲーマー君らしくて、ゆえにウチの子やその周囲の子らとは縁がまるでなかったので私も全然知らない。「コワキモ」のほうは、娘がそういうのもわかるような(すみません←誰に謝ってるかというともちろんコワキモのお母さん)見た目ド迫力のお母さんで、しかも息子はひ弱そうで、したがってというべきか、傍目にもたいへんな母子密着ぶりが透けて見えて匂いがぷんぷんしていたように記憶している。小学校のときから、たとえば運動会などでは撮影に熱心な保護者はどこにもいるものだが、コワキモさんは競技中にもかかわらず校庭のど真ん中へ自分の息子だけを撮影しにドコドコのしのし歩いていく人だった。保護者のかたは保護者席で応援お願いしますーとか、危ないですからトラックの外へ出てくださーいとか、スピーカーががなりたてても聞いていないのである。しかも図体がでかいので、とりあえず邪魔なのである。駆け寄って注意する教員やPTAの委員とかがいるんだけど、そっちに顔は向けても視線はあさっての方角を向いてるような表情で、歪んだデビ夫人のような顔でにっと笑うだけで動かないのである。肯定的な表現をすればマイペースなおかたであったが、端的に言うとタチが悪いのである。
あの存在感からして、学校に来ていたら見かけないはずはない。でも、全然見ない。コワキモ君は、いつからかわからないけど中1の後半あたりからは確実に来ていないようである。
娘に言わせるとふたりとも、「勉強は全然できてなかった」らしい。

学校がアホらしい、と思うには「けっこう高い知性」が必要なんじゃないかと、私は思うのである。「はん、あほらしっ」そういい捨てて教室から退去するには、そこで行われていたことが、「つきあってらんねー」くらいに幼稚であったりレベルが低かったりしないといけない。生徒らに自分たちで話し合って結論を出せといいながらけっきょく全部教師が決めてしまっているとか、逆に教師が生徒に振り回されて収拾つかない(学級崩壊)とか。
こういう環境に対し、たいていの子は、やだなー、でもなんとかしなきゃ……と思っている。とはいえなんともできないので、やだなーいつもこうだよつまんないなー、となる。つまんないが度を超えると学校に来なくなるかもしれない。それは「アホらしい」と思うこととは、思考のベクトルが違う。

本書は、『学校がアホらしいキミへ』というタイトルだが、対象読者は、「ガッコつまんねー」と四六時中思いながら思い切った行動をとらないままうだうだいじいじしながら学校生活を送るティーンエイジャーである。著者が送るメッセージはたいへん正当である。学校が面白くないのはあたりまえだ、昔は学校がいちばん面白いところだったが今は娯楽がたくさんあるし、学校はコンテンツに乏しいんだ、コンテンツという言葉の意味がわからなかったら辞書を引け。先生はつまらない、彼らはただのレッスンプロ、毎年同じことをやっているのだから面白い人であるわけがない、研究者ともプロスポーツ選手とも違うんだから、先生に面白さを求めずに自分が面白い人間になろう。世の中には答えの決まっていない問題が山のようにあるから自分で考える必要がある、答えの決まっている学力試験を侮るな、答えの決まっている問題を解く努力をしないやつが、答えが幾通りもあるような問題に立ち向かえるはずがないのだ、云々、かんぬん。
(正確な引用ではありません)

たいへんまっとうな議論が続く。一人称が「俺」なので、語り口は近所のオヤジが悪ガキに話しかけている格好だ。あえてそうしているのだろうし、それはそれでいいのだが、なんとなく、ときどき議論が飛躍するように感じるくだりがあって、これじゃ子どもにはわからないぞと思うことたびたび。
飛躍するというより、言わなくてもわかるだろといわんばかりに説明をはしょっているといったほうがいいのか。
文体は簡潔で歯切れがいいので(言葉は悪いが)騙されそうになるけれど、え、どういう意味? と冒頭に戻って読み返したりする必要を強いられることしばしば。そんな文章は、たとえフレンドリーでも親切とはいえない。
私が読解力なさ過ぎなのかな?
普段、くどいくらいに(ある意味)丁寧親切なウチダの文章に慣れ親しんでいるので、そっけなく感じるだけなのか?
ま、いいけど。
単にお勉強ができるだけの頭のよさではなくて、他人のいうことを鵜呑みにしないとか、勘繰ってみるとか、言葉の裏を読むとか、テーマの社会的背景に思いを馳せるとか、けっこう高度な思考行動をともなう読書になる。

高校生にだって無理じゃないかい?
学校を「アホらしい」と見下せるくらいの知性のあるティーンエイジャーなら、本書に書かれていることは軽々クリアじゃん、という気もするし。知性のあるティーンエイジャーが不登校であってもそれはアホらしいから行かないのであって、なのに本書は「アホらしい場所にだって行かねばならない」理由は書いていない(と私には読める)。

ただ、巻末付録に、自殺してしまった著者の長男の友人君へのメッセージがあるのだが、この友人君がどうやら「学校がアホらしい」から学校に行くのを拒絶した、天才肌の少年だったようである。その少年に、著者は「アホらしい場所かもしれないけど、一度行ってみないとわからないだろ」と、大学進学を勧めていたらしい。
でも彼はセンター試験の日に会場へ向かわず、命を絶った。

というわけで、この本はどっちを向いているのかちょっとわからなくなったりしたのであった。娘がもし関心を示したら読ませることにしよう。でも感想を述べる彼女の顔が目に見えるようだ。「いみがわからへん」

コメント

_ おさか ― 2009/08/21 19:46:37

登校拒否ですか
うちの近所にもいたけど、その理由って
「部活でシカトされたから」
だったみたいだなあ
親もあんまり強くは言わなかったみたいで、三年生になったらちゃんと学校行けっていうくらい
無事入試も乗り越えて今は高校生ですけどね

その子とよくすれ違ったけど
どう見ても「学校に行きたくても行けないほど悩んでいる」ような顔ではなかった
ちなみに「頭が良すぎてアホらしい」という感じでもなかった
きわめて普通にのほほん、としてましたね

学校は「楽しいから行くところ」ではなく
「体が悪くない限り当然行くべきところ」なのだと
そういうのを体にしみこませるのは小学生の低学年のうちだけ
そこをずるずるやっちゃうとたぶん後をひく
社会人になって「思っていたのと違う」「自分のやるべき仕事じゃない」とかなんとかいって入社直後に辞めちゃう輩はこの種類かと

深刻ないじめを受けているとか
天才肌で本当に馴染めない、どうしても合わせられないとか
ケアされるべき子どもが
「なんちゃって登校拒否」の輩の陰に隠れてしまうことが
ないといいんですけどねー
瀬尾まいこさんみたいな先生ばっかりじゃないと思うし

理想を語るのはいいけれど
語るべき理想があるということは
世界の大方はそれに反したことばかりだと
子どもにもわかるように、誰かが教えてやれれば
だいぶ違う気がするんだけどなあ

_ midi ― 2009/08/21 20:41:26

おさかさん、おひさです。ようおこし。
部活でシカトされたの、辛かったんだねえ、うんうん。

たぶん、今ある不登校の半分くらいは親が手伝ってると思うなー。
行きたくないもんを無理強いする親の図って、すごく批判の対象になったことあったでしょ。んだから理解あるふりして「あなたが行きたくないなら好きなように」とかさ。
教師もそう。無理に来なくていいですよ(だって俺、相手すんのめんどいもんね)、ご両親も見守ってあげてくださいねとかなんとか。

大人が軽く見てるんよね、学校を。
軽く見られる学校も学校なんだけど。

日垣さんはジャーナリストで、いろいろな現場を見ているので普通に論じた文章はそれなりに説得力あるんです(たぶん。HP見た限りでは。ただしあまり好きな文章じゃない)。本書のように少年少女を対象としたときに、ちと難があるというところでしょうか。

_ おっちー ― 2009/08/21 22:03:14

 うーんこの文章とおさかさんのコメントを読んで、やっぱり「子供をもち、育てる事」は人生の上であんまり欠かしてはならないことなのかなあ、経験なのかなあ、と考え込んでしまいました。
 早く相手見付けんと。
 それはいいんですが、僕はそういうわけで子供がいないので自分の経験を言うと、
 僕には「学校は行かなくてはいけない所」でした。
 病気しない限り、友達関係とかで立場悪くなっても、そこは自分の力で乗り切らなきゃいけない場所。だから、「行かなきゃいけない場所」。それが、当たり前の場所。
 たぶん親からの空気が大いにあったと思うんです、そういった。
 僕も基本的に真面目だったんで、何があっても、学力高一まで学年トップレベルで何故か高二から、ほとんど最下位くらいまで落ちるなんて「辱しめ」みたいなのを受けても(しかも中高一貫でメンツはずっと一緒)、学校は休みませんでした。
 その頃は部活の執行部だったので、そっちが頭の主にあったのかもしれません。あまり詳しくは憶えていないのですが。
 若いながらも色々ありますよねえー。学生時代って。
 もういっぺん戻りたいなあ(そこに話は落ち着く)。
 ドリカムの吉田美和さんみたいな華やかあーな学生生活を一度でいいから味わってみたかったものです。
 その分 今楽しめてるかなあ、なんて思ってみたりもします。
 楽しめるようにしよう。
 明日の種を~♪蒔くのは今日なんだ~♪
 なんて。
 ではでは。
 また来ます。

_ midi ― 2009/08/22 07:07:38

おっちーさん、おいでやす。

>早く相手見付けんと。
そうそう(笑)

中高一貫校って6年間担任が持ち上がりっていうところ多いですね。中一から高一までの子どもの成長って小学生みたいに幼いのからおっさん臭くなるまでですから、凄まじいでしょうね。教師は楽しいだろうなと思います。仕事でよく私学の先生方に取材をしましたが、どなたも担当クラスの子どもが可愛くてしょうがないといったふうでしたよ。

ひとつ間違うと、そういう環境って人間関係が固定してしまいそうだし、問題も生じやすいように、外から見てる者には思えるのですが。

おっちーさんが「行かなきゃいけないところ」と感じながら学校を全うできたということは、素晴しいことですね。

ところで、子育ては経験しないにこしたことはありません。子どもを持ってみて初めてわかることってすごくたくさんあります。なんてもう経験済みみたいな書きっぷりですけど、いったん子を持ったら一生その子の親ですからね、学ぶものが多いなんて当たり前です。子どもに親が注がなければならないエネルギーはあまりに膨大ですからそんだけやっといて何も得るもんなかったらなんやねん、って感じですもん。逆に、それだけの潜在エネルギーを人間は誰もが持っているということで、子育ての機会がなかったら別の対象にエネルギーを費やせばいいのです。私の学生時代の友人には独身とDINKS(ふるー。死語だね)が圧倒的に多いんですけど、みなそれなりにすんごい生産性あふれる人生を送っています。私には真似できないような。

でもきっと何年か先に、おっちーさんのブログで「結婚しました」報告を読めるの、楽しみにしています。

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