お母さん税金って何? 年貢。 ― 2009/11/18 11:18:37

今年はまだ暖房をつけていない我が家。
「中学生税についての作文」というコンクールイベントがある。全国納税貯蓄組合連合会と国税庁が主催しているそうである。そんなのぜんぜん知らなくて、夏休みの宿題のひとつだと思っていた。
月曜日。
「ウチの中学校から5人入選したんやって。ほいでその中のひとりに入ってん」「へーえ。そらおめでとさん」。
昨日。
「あんな、さなぎだけ何とかかんとか優秀賞で、みんなよりちょっとだけ格が上やねんて」「いーー?うっそ。なに書いたん」「ぜんぜん覚えてへんかったけど、今日原稿用紙が戻ってきてて」「なんで?」「題名書くの忘れてた。題名入れてくださいって」「題名ないのに入選したん」「うん」「それ、抽選に当たっただけちゃうん」「当選とちごて、入選!」「ほんでなに書いたん」「税金は人の生活の糧の一部をとっていくけど、それは人の生活に役立つようにまた還ってくる、みたいな」「税金にゴマすったんやな」「まあ、そんなとこ」。
夏休みの宿題のうち、どっさりある数学や漢字のプリントは見てやるけど、作文とか自由研究とか工作とかそういう余興の部分はほったらかしている。小学生の、とくに低学年の頃は手伝いもしたし、アイデアも出したし、一緒に考えたりもしたけど、それはただただ本人の好奇心をあおるためだったし、学校から出された宿題はこなしてナンボじゃということを叩き込むためだった。いまは、それが功を奏したかどうかはわからないが、ほうっておいても、好きなテーマを見つけて何のかのと資料を探して体裁整えるところまで自分でやっている。出来映えはたいしたことはないし、だいいち母親をアシスタントのように使う実態はあまり変わってないともいえるのだが(たとえば去年は氷の解け方をレポートするからと会社のカメラ借りてきて、というので自分で撮るのかと思ったら撮影係もさせられた)、抜け目なくすべての宿題を提出している。
ただ、別に興味もないのに人権だの税金だのを主題に作文を書かされるのには、親としてもやめてよという気分だった。人権とはという問いを立てると話は一日で終わらない。教育現場は人権の定義を誤っているし、世の中は人権というワードを拡大解釈している。といってそんなことを考えても先生のほしがる作文は書けない。だからって「弱い人をいじめるのはよくないと思います」なんてもん、たとえその場しのぎでも書かせたくないし。とつい、母はあれこれ持論をぶってしまうので、子どもも、もうえーわ、状態になってしまう。
で、税金って何と問われて年貢じゃと答えた記憶はあるが、もちろん答えはそれだけでは終わらない。お母さんの給料はいくらで、そこからいくら引かれてて、買い物をしたら消費税を払って、お酒に酒税、煙草にタバコ税……。「税のしくみ」という絵本(!)借りてきて、いっぱい種類あるよーと途中で悲鳴あげていたが、たぶんな税金ってこんなにたくさん種類があるんですよチャンチャンという作文じゃ先生アカンっていうやろな、というアドバイスはしておいた。
けっきょく何をどう書いたのか知らないけど、今度、題名ついたヴァージョンの作文が戻ってきたら読ませてもらおう。来週、表彰式があるそうだ。会社の一眼レフデジカメ持っていこっ。