世界はハイチを忘れてはいけない2010/02/08 19:51:09

阪急コミュニケーションズ『ニューズウイーク日本版』
(2010年2月3日号)30ページ所収
Cover Story「史上最悪の人道危機 ハイチの悲劇」
(写真:チャールズ・オマニー)


ニューズウイークなんて、初めて手にしたよ。行きつけの図書館で雑誌「オレンジページ」を探していた(ホントです)のだが、どうやら置いていないみたいだ。銀行での待ち時間、備え付けの雑誌をめくって「おおおっこれはおいしそう」なんてレシピに出会ったと思ったとたん番号を呼ばれる。数知れずそんな目に遭うのだが、もう一度その雑誌を見ようと思っても別の人がしっかり読んでしまっていたり、手続きが済んだらとっとと雑誌のことを忘却してしまったりするので、ある日ふと台所であ、豚肉のおいしそうなレシピ、こないだどこで見たんだっけ? なんて脳内ヴィジュアル保管庫にライトを当てまくるのだが見つからない。そんなことを2秒間ほどやって我に返る。ないものを探してもしかたないから、諦めて手持ちの料理本や切り抜きを探したり、あるいは少ないレパートリーからついこないだやったのと同じ料理をま、いーかと繰り返す。思い出せないそれは、たいていオレンジページのいつかの号で、次に銀行にいった時にはとっくに店から撤去されている。銀行の斜め向かいに本屋があるので、いつぞやはその足で発売中のオレンジページを買ったこともあるが、そんな快挙は二回ほどだ。そもそもその手の雑誌に縁がないので、本屋に入った瞬間、別の本に気を取られ、当のオレンジページを忘却の彼方へ葬り去ったりする。そんなわけで、この時も私は万策尽きてなけなしの積み立てを解約して引き出す手続きをし、待つ間に読んだオレンジページを、今度は逃すまいと、奇跡のように持っていたペンと紙切れで号数をメモして、銀行を後にした。だがバッグに突っ込んだその紙切れの存在を思い出した頃にはその号はかなり古い号と化していたので本屋に行っても時すでに遅しで、図書館でバックナンバーを借りようと思いついたのだった。と、前置きが長くなったがオレンジページはまったく関係なく、雑誌の書架をぶらついていて目についたのが「ハイチ」の文字だった。書架から取り出すと、ニューズウイーク日本版だった。うわっ初めて触ったこんな雑誌。あたりまえだけど、縦書きのなのに、ものすごく英語臭い(笑)雑誌だ。

世界はハイチを忘れてはいけない。特集記事に写真を提供しているカメラマンがそう呟いている。今、先進諸国がわれ先に人道支援にいちばん熱心なのは自分たちだといわんばかりにハイチ合戦を繰り広げているけれど、そんなのを見ているとむしろ、たいへん乗り遅れた感のある日本の援助隊がとても謙虚かつ賢明に見えてくるので不思議なんだが(だいいちあんなところに一番乗りしたってクレオール語もフランス語もわからなきゃ被災民の声に耳を貸したって何もできやしないよね。体制整えて出発するがよろし)、それはともかく、とにかく、ずううっとこの国に対し知らん顔してきたくせに、いま世界は躍起になってこの国を救う振りをしている。振りであれなんであれ、実際に人命を救助しているのだから文句はつけまい。しかし、だ。しかし、現地で活動する人たちはとてもそれどころじゃないよっていうかもしれないけど、国家の再建という展望に立ったとき、本気でこの国の「再建」を力を貸そうという国が、人々が、どれほどあるだろうか? 瓦礫を取り除き、家を建て直し、道を作り直し、水道や電気を整備して、また暮らせるようにしてやればそれでいいと思っていないか?

《過去1世紀の間に、天災で同じように首都が壊滅的な打撃を受けたのは、東京だけだ。1923年の関東大震災は、人々がかまどで昼食を用意している時間に起きた。現在の東京都区部の大部分と横浜のほぼ全域が猛火にのみ込まれた。
 その結果、10万人以上が死亡し、200万人が家を失った。(中略)歴史学者のジョン・ウィジントンによれば、「数日もすると、被災を免れた会社や店が商売を再開した」。
 ハイチは違う。(中略)地震の前からハイチは破綻国家だったが、今は国家ですらない。
 (中略)地震が起きるずっと前から、世界はハイチを諦めていた。》(32~33ページ)

本誌編集部執筆による記事は、だからハイチが本当に機能する国家として立ち直れるかどうか、ハイチが独立以来真の意味でもったことのない「首都」をもてるかもしれない、そのチャンスが到来しているのだと締めくくる。

たしかにそうかもしれない。一度シャッフルして配り直して最初から。トランプの七並べみたいに、一枚ずつ、ていねいに、並べ直してきれいにする。それさえ手伝ってやれば、後はカードの一枚一枚が自分の裁量で動き、考慮し判断して新たに道を切り開いていくのなら、それでいいのだ。

でも、ハイチにそれは望めないのである。世界中が無視していた、といったけれど、国家は無視していても人道支援機関はそれなりの活動を継続してきていた。もちろん今回多くの職員を失った国連も長期にわたってミッションを継続中だった。貧困に喘ぎ、衛生状態が悪く、医療もままならない国だからMSF(国境なき医師団)はじめ各国のNGOが詰めていた。だが当のハイチ人たちに「この国を何とかしよう」という気がまったくない。ハイチの公務員の半数は幽霊職員であり、賄賂なしで商売や就職が成り立つ例はない。いつかも書いたけど、上層部は無教養で金の亡者。稀に運良く教育を受けたハイチ人もいるけど国外在住。地震直後、フランスのニュース番組でハイチ出身のジャーナリストが悲痛な面持ちで「私もまったく家族と連絡が取れません」と、その時点でわかるだけの惨状をレポートしていた。とこのように、働けるハイチ人はみんな国の外なのだ。

おまけに、大量の孤児や、養育が不可能な親元を離れた子どもが、先進国に大量に養子縁組で引き取られていく。つい先頃も不法に子どもを連れ出そうとした米国人たちが捕まっていたが、合法か不法か、善意か悪意か、よりも(もちろんその点は大いに問題にすべきなんだけど根本的に)、ハイチの子どもたちをハイチから連れ出してよその国で何不自由なく生活させることが最良の方法なのか? 彼らは先進国で高等教育を受け、マナーと教養を身につけ、高い知性と明晰な頭脳で、あるいは芸術的才能で、あるいは身体能力で、で、どうするのだ? 成人を迎えたとき、たとえばフランスではフランス国籍取得の道が開けると予想される。この子たちはけっきょく、養子縁組で引き取られた国の国民として生きるのか、誇り高き共和国の一市民として? あるいは貧しき故国へ帰ってその再建と発展に力を尽くすのか? 後者の場合、そのような意識を持たせるにはそのように教育しなければならない。あなたは私たちの子どもとして暮らしているけれど、ほんとうは、故郷はハイチなのよ。地震で壊滅したハイチ、地震が起きる前から破綻していたハイチ。カリブ海のあの島が、あなたの生まれた国なのよ。

10歳以上の子どもなら、言わなくてもそうした意志をもちうるかもしれない。けれど、引き取られた子どもたちの多くは6歳未満だ。

私はとてもこれ以上子ども育てる力はないけれど、もしも万が一にもそんなふうにして子どもを引き取ったとしたら、その子の肌が黒かろうと赤かろうと、アナタは日本人なのよ、ほら、お箸とお椀のもちかたはこうよ、とかなんとか躍起になっちゃいそうである。荒城の月と浜辺の歌を懸命に教えそうである(笑)。親心とはそういうもんだ。でも、ハイチの子どもたちを引き取った皆さんはどうお考えなのだろうか。

ハイチを忘れないために例の歌をもう一回。
(ちょっと聞き飽きたけどね。笑)

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