「国際女性の日」ですって ― 2010/03/03 11:50:47
東京および近辺のかた、ご興味あればぜひ足を運んでください。
著名な女性作家さんも来られます。
※※下記の記事、こちらが詳しいです~↓ (追加しました)
http://femmes.exhn.jp/litterature.html
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フランス大使館、CulturesFrance(仏文化交流機関)と日本経済新聞社は、国連が制定した「国際女性の日」(3月8日)を中心に、2月27日[土]から4月3日[土]まで約1か月間にわたり、日経ホール Nikkei Hall にて「Femmes@Tokyo」(ファム@トウキョウ)を開催します。
【3月7日(日)】
<10:30-12:00>
『Amour et Mariage 愛すること、生きること』
シャンタル・トマ Chantal THOMAS
マリーアントワネットやサド侯爵など、歴史上の人物についての著 書を多く執筆。「放蕩」、「サディズム」やフランス王室での生活を テーマに、歴史的観点から様々な男女の関係を考察している。
荻野アンナ OGINO Anna
1956年生まれ。慶應義塾大学文学部フランス文学科教授。
1991年「背負い水」で第105回芥川賞を受賞。主な作品に「ホラ吹きアンリ の冒険」「蟹と彼と私」。近著は「殴る女」。
<13:30-15:00>
『Comme un Garcon 男と女の新しい関係』
クリスティーヌ・アンゴー Christine ANGOT
自身の人生を通して語る「私小説」を得意とする。多くの作品が男と女の関係を題材としており、常に両者の新しい関係を啓示している。特に女性キャラクターは典型的なそれとは違い、斬新なものが目立つ。
金原ひとみ KANEHARA Hitomi
1983年生まれ。2003年「蛇にピアス」で第27回すばる文学賞を受賞し、デビュー。同作品で2004年に第130回芥川賞を受賞。著書に「アッシュベイビー」「AMEBIC」など。近著は「TripTrap」。
<17:30-19:00>
『Femmes d'encre 創造する女たち』
マリー・ダリュセック Marie DARRIEUSSECQ
フランス文学博士課程終了時にデビュー作「めす豚ものがたり」がベストセラーとなり、その新しい感性が注目されている。他にも「あかちゃん ル・べべ」「亡霊たちの誕生」が、日本語にも翻訳されている。
小川洋子 OGAWA Yoko
1962年生まれ。91年「妊娠カレンダー」で第104回芥川賞受賞。
2004年「博士の愛した数式」が第55回読売文学賞、第1回本屋大賞 を受賞。近著は「カラーひよことコーヒー豆」。
【3月8日(月)】
<18:15-18:45>
国連との共同セッション「国際女性の日を記念して」
<19:00-20:30>
『Mission des femmes 女たちの使命』
ロール・アドレル Laure ADLER
フランスの評論家。博士課程では女性学の歴史に学び、同じ頃、ラジオ番組「France Culture」での活動も開始。93年フランスのテレビ業界に進出、99年に「France Culture」のディレクターとなる。
津島佑子 TSUSHIMA Yuko
1974年、東京都生まれ。白百合女子大学卒業。「草の臥所」で、第5回泉鏡花文学賞。「ナラ・レポート」で芸術選奨文部科学大臣賞。同作品で紫式部文学賞を受賞。近著に「あまりに野蛮な(上・下)」。
【3月9日(火) 】
<19:00-20:30 >
『Coeur a l'ouvrage 恋も仕事も』
リディ・サルヴェール Lydie SALVAYRE
トゥールーズで育つ。現代文学と精神医学を学んだ後、作家活動をはじめる。現代社会を舞台にした作品が多く、自身の体験を基に執筆する際も、鋭いユーモアに皮肉や嘲りも加えた作品を発表している。
江國 香織 EKUNI Kaori
1964年生まれ。童話作家としてデビューした後、1992年「きらきらひかる」で紫式部文学賞を受賞。2004年「号泣する準備はできていた」で直木賞受賞。詩や絵本、エッセイでも活躍。近著に「左岸」。
(japonais)
http://femmes.exhn.jp/
(francais)
http://www.ambafrance-jp.org/spip.php?article3825
しつこいようですがありがとうございます ― 2010/03/04 12:39:37
http://book.asahi.com/review/TKY201003020167.html
(リンクが効かないみたいなので、asahi.comから◎エンタメ⇒BOOK⇒書評と進んでくださいませ)
これで、掲載誌を購読しているしていないにかかわらず書評をお読みいただける。便利な世の中になったもんである。
ただ、同じ内容にもかかわらず、新聞紙上で読むほうが読みやすく、感動も大きく、評者の言わんとしていることがよくわかると思えるのはなぜだろう。今回の場合、私は当事者でもあるし、先に新聞のほうを読んだし、という事情がかなりモノをいっているのは事実であるが。でもやっぱり、新聞は新聞で読むほうが好きである。私は日本の新聞屋さんのサイトには全然行かない。
まあいいや。
気のせいか、アマゾンさんでのランキングも急上昇しているのである。
最近みんな簡単に本を買うし、読んだら売るし。売れてる本は中古市場もすごい。そんなんだと新品での売上の数字をどの程度評価していいのかわからなくなっちゃわないか?
まあいいや。一度でも手にとって目を通してくださったみなさまがたに心から御礼申し上げます。
ほんとうにありがとうございます。
発行元の担当者さんから、仲介者さんを経由して「購入した方の感想」なるものが送られてきた。
ダリの好きなかたって、けっこういる。 これこれこういう本を訳してんのよ、と話をすると、へえーいいな、私ダリ好きなんだーという答えが多くてびっくりした。
ダリを好きな皆さんはこれ、ご存じだろうか?
アメリカ製の、何年か前のショートフィルムの、これは予告編なんだけど。
訳出作業中はとにかくやたら調査しまくるので、こんなものもひっかかったのであったが。
鍵が皿に落ちるシーンがあるので、製作者(か、脚本家)は拙訳『ダリ・私の50の秘伝』の原書『DALI 50 secrets magiques』の英語版『50 secrets magic craftsmanship』を参照したことが窺える。
でもでも。
演じてる俳優、ダリじゃないよー(泣)
ちがう、ちがうよー
違いすぎるよーーー
いい舞台になりますように ― 2010/03/07 04:14:58

カルシウム&マグネシウム ― 2010/03/09 18:17:04
辰巳芳子監修 グラフマーケット編
PHP研究所(2008年)
3月7日(日)のバレエ教室発表会「白鳥の湖全幕」はおかげさまで大盛況で大成功に終わりました。ひそかに応援してくださっていた方々(笑)ありがとうございました。悪天候にもかかわらず足を運んでくださったみなさま、本当にありがとうございます。
ウチの姫は5歳の4月からバレエ教室に通っている。この3月で丸9年になるわけだ。わが娘ながら偉いなあ。我が身を振り返って、いったい人生において9年も続けたものがあるだろうか? ないよ。石の上にも三年、とか、桃栗三年柿八年とかいうけれども、それよか長いんだぞ。
私はお習字も小学校の6年間でやめたし、小学3年生から始めた算盤も中2でやめたから6年間だ。いちばん長く続いた職場でも8年だ。はあーーーほんとにわが娘は偉い。親バカ炸裂ですみませんけど。
秋以降、陸上部の練習がハードさを増して、それとともにバレエのレッスンも先生ったら容赦なくビシバシご指導くださったりして、12月は右足の甲がとても痛かった。それが収束して発表会まで秒読みという時期になって今度は左足の土踏まずが痛い。かかりつけ医で注射してもらって痛み止め飲んで凌いだけれども。
娘がとても尊敬している若手の先生が(バレエ教室の、です)、足が痛い~を繰り返す彼女に「カルシウム・マグネシウムのサプリを飲みなさい」といったそうである。なんでもその先生は公演前1~2か月間はそれを飲み続けるそうだ。
娘は盲目的にその先生を信頼しているので帰宅するやいなや「お母さん、ドラッグ○○で○○製薬のカルシウムマグネシウム、水色のパッケージの、買うてきて!」。なんとまあ的確だこと(笑)。はいはい。
カルシウムとマグネシウムについて少し調べると、日本人はどうもカルシウム偏重傾向にあるとどこかで指摘されていた。カルシウムも必要だけど、だからといって牛乳ばかりがぶがぶ飲んでる人、いないだろうか。牛乳から吸収できるのはごくわずかだ。小松菜のカルシウムはあぶらげと炊き合わせれば吸収がよくなるけど、それでも含有量は多くない。やはり焼き魚を味噌汁・ごはんとともに毎朝いただくのがいちばんいい。といって、そういう朝食を毎日続けるのはけっこうしんどいなあ、お母さんは。
私がおとどしの暮れに頭痛を診てもらった神経内科では、マグネシウムと鉄が不足しているはずだからひじきやほうれん草をたくさん摂りなさいといわれた。ほんとはレバーがいいけど、といわれたが、絶対食べられないと答えたので、ならばひじきとほうれん草です。と断言された。頭痛解消というよりは、女性はどうしてもマグネシウムと鉄が不足がちになるので、意識して摂ればいろいろな不具合も解消するはず、という話だった。
サプリメントも有効ですよとその医師は言ったが、私はサプリを飲むのは嫌だし、すぐ忘れるので(以前眼にいいからとブルーベリーのサプリを友達に勧められたが、買ったもののいつのまにか存在を忘れて2年くらい放置していたら瓶の中で固まってしまっていた)、やはり正しく食品から摂ろうと、朝食のスープや玉子焼きや炊き込みご飯にひじきを混ぜ、ほうれん草はたっぷり買ってたっぷり使うほかに冷凍モノも常備しといてパンに練りこんだりしている。が、それでもたぶん不十分だ。
ドラッグ○○で買った○○製薬のカルシウムマグネシウムは2か月分くらい入っている。中学生にサプリメントというのはちょっと違うと思うけど、ウチのお嬢さんの場合、なんでも正直に体にでるので、たとえば下痢気味便秘気味になったりしたらもう嫌だというに違いないからとりあえず実験することにする。
休みなく飲み続けても5月のGW前までの量である。4月にある二度の記録会(陸上)は痛まずに臨めるかな?
二、三年前だと思うが、耳鼻咽喉科の待合室で「らいふ」という健康系の雑誌を見た。そこには辰巳芳子さんという年配の料理研究家が考案したという「命を支える玄米スープ」が載っていた。あまり時間がなかったのでじっくりは読めなかったが、私はなぜかそれ以来、玄米スープを作らねばならないぞ私は、という台詞を心に反芻していたのであった。反芻していたけれど、どうしても玄米の値段を見ては予算という壁を越えられず、毎朝体のだるさと時計との戦いであるゆえ、体力と時間の壁も越えられない。
元来料理が苦手で好きでもない私の母は、もう何年も前だが、いっとき本当に「サプリ漬け」といっていいほどの状態になっていた。にんにくなんとかっていうサプリよりも、本物のにんにくを料理に使うほうがいいよ、という私と、にんにくの紫蘇漬けを勧めてくれた商店街の漬物屋さんの言葉を容れて、にんにくなんとかというサプリはやめてくれた。太陽の何とかのカルシウム、というサプリも、膝関節が本格的に悪くなって整形外科医からカルシウム剤を処方されるようになったので、やめた。母のピルケースは色とりどりで満杯だったが、いまはかかりつけの内科医と整形外科医が処方するわずかな量の薬だけである。
でも、娘に買ったカルシウムマグネシウムを見てサプリ好きの血が騒いだのか「私も飲もうかな」とか言い出した。
玄米はたしかに割高だし、普通に炊こうとするとなかなかうまくいかないみたいだが、辰巳さんの玄米スープはけっして難しそうでなく、何とか費用を捻出して毎朝気合で朝食準備に向かえば、なんとかなるのだ、ほんとうは。本気で母と娘の命を思えば、なんでもないはずなのである。
でもやはり、玄米のパッケージの前に立ってため息つく私がいる。
あかんたれだあ。
辰巳さんの言葉を、ライターが編集してできた本書は、辰巳さんが著者として出されている幾つかの著作に比べてかなり読みやすくなっている。辰巳さんの言葉は優しいが、同時に重い。読んでいるうちにごめんなさいといわなきゃならないような気にさせる。著者にそんな意図はないはずだけど、ものすごく重要なことに言及しているので真面目に読めばやはりあたしってなんてバカ、なんて気になってしまう。
その点、本書はイラスト豊富でさらさらっと読めてしまう。物足りないくらいだが、辰巳さんの食に対する信念とか問題意識に触れたことがあれば、この程度の本でも行間に辰巳さんの思いを読み取ることができる。
痛みをとるために藁をもつかむ思いでサプリを買ってと言った娘に応えたけれど、ドラッグストアからの帰り、まだ開いていた図書館に駆け込んで、しばらくぶりに本書を読んだのだった。ほいで、やっぱ玄米スープだとの意を強くしたんだけど、さて持続するだろうか。
ハイチ ――ちょっとそこの君、忘れてたでしょ。 ― 2010/03/11 00:45:15
いっときぬくぬくぬくと気持ち悪いくらい暖かくなって、ホラ来たぞって感じで花粉が飛び始めた。ら、目がしょぼしょぼしてったくもおおおお、何も飛ばなくても疲れ目だってのに、やめてよ。という日々が続いたが、ここ数日の寒波でさすがの杉も開花のタイミングが狂わされているのかそんなに花粉を飛ばしていないようである。一昨年あたりから私は花粉症の症状の出かたが劇的に変わっていて、とりあえず杉花粉に関しては、鼻から眼へと、まるで奴らが標的を変えたかのように、ダイナミックに移行している。檜のピークになるとまた事情は違うけど。
そんなわけで相変わらずしょぼしょぼしている目だけど、ちょっとかゆみや異物感や重みはましなのである。寒いせいである。寒さ万歳。
先日チリで地震があった。そのせいで津波が来る!というニュースが世界を駆け巡った。ちょうど例のダリ本の書評が新聞に載った日の前夜である。翌日の日曜、私は娘のバレエ教室のリハーサルを、夕方見に行った。ママフレンズたちと発表会当日の役割分担や段取りを話し合うためもあったので、リハが一段落したときに集まって立ち話をしつつメンバーが揃うのを待っていた。で、あ、そーだ朝日買わなくちゃと思い出し、近くのコンビニに走って朝日新聞を買いにいった。
教室に戻るとママフレンズのひとりが「津波、津波はどうなった?」と私の新聞を見て叫んだ。
へ? 津波?
そのとき時刻はもう5時か6時だったので、津波が予報された時刻はとっくに過ぎていたし、何のニュースも聞かなかったから、私はとっくに津波の危機は去ったと思っていた。が、そのママフレンドは「我が家の一大事」とでもいうように興奮して津波津波と繰り返す。
古来天災に悩まされた日本列島は、十数時間後に3メートルと予測された津波に対して打つ手がないほど、ナイーヴではないはずだ。30分後に10メートルといわれたらそりゃ慌てる。被害の大きかった過去の災害は予測不可能なほど突発的であったり、予想を遥かに超えて大規模だったりしたためにそのような事態を招いたが、この国では政治家も官僚もアホだが庶民は知恵者であるから備えは万全であっただろう、いくらなんでも。
と、思っていたので、また内陸住民の気楽さも手伝って、津波のことなんかすっかり頭から消えていた。親戚とか実家とか友人が沿岸部に住んでいたらまた意識のしかたも違ったであろう。例のママフレンドにもそんな事情があるのかもしれない。と思ったがスルーして、新聞の中面を開いてダリ書評をママフレンズに見せ、さんざん宣伝した私であった。

ヒラリー・クリントン&ルネ・ガルシア・プレヴァル
Le 16 janvier 2010 a Port-au-Prince. AFP/Nicholas Kamm
で、ちょっと、そこの君。忘れてたでしょう、ハイチを。
は、はい、先生。忘れてました。
実はチリ地震の前までは覚えていたのである。
購読しているあるメルマガからたいへん有意義な記事が配信されたということもあったし。
以前ハイチについてブログに書いたとき、さくららさんという方が、ハイチ情報を求めてたどり着いてくださった。あれ以降、さくららさんはハイチについて、私のぐだぐだくだまき文ではなく、まともで正しい情報を得られただろうか。ちょっと心配だった。
購読しているメルマガというのはル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子メール版というもので、もう10年くらい配信を受けている。ル・モンドとついているのでおわかりかな、と思うけれども、フランスの大新聞「Le Monde」(ルモンド)の外交ネタ版で月刊誌である。ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子メール版はその名のとおり、「Le Monde Diplomatique」から抜粋した記事を和訳して購読者に配信するものだ。非常に読み応えがあって、勉強にもアタマの体操にもなる。翻訳は有志による。訳文の完成度の高さはエヴェレスト。優れた仏日翻訳者を探すならここを覗けばよいのである。
それはともかく。
2月26日、配信された記事の中にあったのがこれ。
ハイチを的確に語ってあまりある。私が説明したかったのはこういうことなのである。こりゃあいいと思ってすぐブログで言及するつもりが、忘れてしまっていた。
(なぜ忘れちゃったかというと例の書評が嬉しかったり娘の発表会前でバタバタだったりしたからである)
ハイチを忘れてはいけないとあれほどいったじゃありませんか。
めっ
すっかり報道がなくなってしまったハイチ。ハイチを忘れないでください。
ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子メール版もどうぞよろしく。
子どもが携帯電話を持つことで起こる本当の弊害 ― 2010/03/12 10:31:23
親が多忙なため、十分に面倒を見てやれていないのですが、幸い娘は小学校のときから「学校大好きっ子」で、まさしく学校に心身を育てていただいております。
ほんとうにありがとうございます。
つい先ほども、持久走大会から帰宅して、明るい弾んだ声で自身の、また友達の健闘結果を報告してくれました。こうして何にでも全力投球できるのも、先生方の強い後押しがあってこそだと日々痛感しています。
中学校生活も折り返しを過ぎましたが、無事に卒業する日まで、なにとぞよろしくお願い申し上げます。
先日、アンケートが配布されました。その最後に、携帯電話に関する設問がありました。
相変わらず、「家庭内で携帯使用のルールを設けているか」「使い方を話し合っているか」といった設問が並んでいました。
先生方は、携帯電話の弊害は悪質なサイトや勧誘メールの存在にあるとだけ、お考えでしょうか?
知らないうちに通信料が膨大になっていたり、気づかぬまま利用料が発生していて後日法外な請求をされるかも、といった金銭的トラブル発生が懸念される、ということだけが問題だとお考えですか?
こうしたツールの発達でコミュニケーションの形と質も変容しており、そのことへの対処方法にも苦慮されていることと存じます。
生徒とのコミュニケーションをうまくとれない先生方がいらっしゃるのも、ある意味無理からぬことでしょう。
ではなぜ、コミニュケーションの形と質が変容してしまうのでしょう。たかが携帯電話の普及くらいで。
携帯電話を使用することの最大の弊害は「他人の家庭へ電話をかけなくなった」「家に電話がかからなくなり、応答することが少なくなった」ことだと思うのです。
私は普通の会社勤務ですので、普段から取引先と電話で話しますが、先方の若い社員さんなどに、どうも「電話で話ができない」人が急増しているのです。「○○社の●●と申します」「▲▲さんはご在席ですか」など、基本的な話法がまるでできない人が、信じられないけど多いんです。「あのーすみません、えっとー▲▲さんお願いします、あ、あたし●●ですけど、○○社の」というふうに、述べる事柄の順番が逆だったり、敬語を使えなかったりというケースはごく普通にあります。
大きな企業では一通りの新人研修がなされているようで、そういう会社との電話では非常にマニュアルじみた応答がなされます。それは完璧ですが、ちょっとイレギュラーな会話をするととたんに電話の向こうで「え」とか「あ」とか声を発したあと「沈黙」されます。どう返答していいかわからないのでしょう。機転を利かせて「確認しますのでしばらくお待ちください」または「折り返しお電話さしあげます」とその場をしのぐことができないのです。
最初のやりとりだけでなく、具体的な交渉や打ち合わせをしていても、会話中に説明ができない、理由や検討事項をこちらに伝える術を知らない人は実に多いのです。「んーと、それは、結論は◇◇なので、とにかくそうしてくれればいいんです」とか、「えっとですね、それはですね、えっと、あとでメールします」など。前者の例は「つべこべいうな、こっちの言うことさえ聞いてりゃいいんだ」といっているに等しく、後者の例だと、たいてい後から来たメールの内容は支離滅裂です。
娘には携帯電話を持たせていませんが、娘の友達には持っている子もいますので、その子たちには私の番号とアドレスを与えています。すると、やたらと娘宛の連絡メールが届きます。そのことじたいは構わないのですが、よく考えると、この子たちはこうして携帯を持っている友達には携帯メールでしか連絡しないのです。友達の家に電話し、受話器をとった先方の親きょうだい、あるいはおじいちゃんやおばあちゃんに対して「もしもし、こんにちは。林田中学校の○○です」と名乗ったり、「■■ちゃん、いらっしゃいますか」と尋ねたり、不在であれば「では▽▽▽▽とお伝えくださいますか」と依頼したり、ということをいっさい、下手すると高校・大学でも、就職活動においても(今はエントリーシートなどといってPCサイトから応募できますから)、経験せずに、大人になってしまうのです。
若い優秀な社会人が育たない大きな理由の一つが、そこにあると思います。
頭の回転がよくアイデア豊富な若い方もおられますが、口を開くとまともな日本語が喋れない、などの欠点が顕著であったりするのです(ついでにいうと、報告書などの文書、メールの書きかたも知らない人が多いです)。そんな基本的なことが原因で、優秀な要素をもっているにもかかわらず、上司や顧客に誤解されて社会で挫折せざるをえない、というケースを生んでいるのではないかと思います。
学校に携帯電話は持ってくるな、とはいえても、使うな、とはいえませんよね。
しかし、難しいとは思いますが、何らかの形で啓蒙されるべきではないでしょうか?
中2で実施されている職業体験学習「チャレンジ体験」などで、体験先の職場に電話をかけさせたりするのはたいへんよいことだと思います。要は、そういう経験をもっと積むべきなんですよね。家庭で積めないとしたらどうすればよいのでしょう。
とりあえずは、そうした問題があるという認識を、学校も各家庭も持ってほしいと思います。一度考える機会を、まずは先生方において、そして生徒たちと共有の場でもっていただけたらと思いまして、このような書面にいたしました。
ご関心がなければどうぞお見捨てください。
2009年●月●日
2年6組18番 十座海沙凪 母 十座海蝶子
西都林田中学校 教員のみなさまへ
あと五日間 ― 2010/03/15 18:30:47
小学校6年のとき。女子児童はおしなべて男子よりおませで背伸びした行動をとる。が、ウチの娘のように普段から男子が遊び相手で、他の女の子の何倍もガキっぽいと、そのようにおませさんになっていく友達についていけない。5年生まではキャイキャイゆって一緒に遊んでいた子らが、6年生になると話題が変わってしまって一緒にいても楽しくないのだ。いつのまにかクラスには「○○子派」と「△△ちゃん派」とかができて、対立甚だしく、裏切っただのチクッただの不穏ワードも出始めて、ウチの子には「さっぱりわけわかりましぇーん」状態になっていった。そういう話を聞くたびに、「で、さなぎはどっち派なん?」と水を向けるが、「どっちの中にいてもつまらんし、寄ってへん。キョーカは○○子組で、真理奈は△△ちゃん組やし、いろいろ聞くけど、それがどうしたん、てゆー感じ」。キョーカとは一緒に駅伝大会を目指して放課後練習に参加していたし、真理奈はバレエで一緒だ。この子たちと仲良くするために派閥に入る必要があるとは全然思わないからどっちにも寄らずにいると、世の中うまくできたもので、おませな女子についていけない男子がウチの子とは遊んでくれていた。問題はなかったけれども、派閥の長である○○子と△△ちゃんのことは、やはり非常に嫌っていた。○○子と△△ちゃんさえいなければクラスはもっと平和なのだ。まったくもってこの二人はトラブルの種をまき続けたらしい。娘は、中学一年生のクラスにもし○○子か△△ちゃんがいたら、その一年間は死んだも同然、もう中学校生活なんて楽しまない、どうでもいい。などとかなり本気でいっていた。
しかし中一のクラスに○○子と△△ちゃんはいなかった。ラッキー! この事実は、おおげさなようだが娘の中学校ライフの滑り出しを非常によくしてくれた。担任の先生は面白くて素敵、クラスメートのなかには変なやつもいるけど、同じ陸上部に入る子が何人もいて、その内のひとり、さくらという親友もできた。
というわけでたいへん幸福な一年間を過ごして迎えた二年目。
新しいクラスには△△ちゃんがいた。……暗転!(笑)
「天敵と一緒やん(笑)えらいこっちゃ」
「うん、でも、知らん顔しとく(大真面目)それより陸部誰もいいひんの、最悪!」
なんとなくぱっとしない気持ちで迎えた新学期だったのだが、のちに出てくるけれども、クラスには△△ちゃんなど問題にならないほどの強敵が揃っていた。そのことの深刻さを、娘は間もなく思い知ることになる。
担任は、他の中学から異動してきた西原先生。娘のひと言:「冴えへんオッサン」
これ、先生のことをそんなふうにいうもんじゃありません! といってはみたが、春の家庭訪問のときの第一印象は、右に同じ:「冴えへんオッサン」(笑)
しかし、新学期になってまだひと月にも満たないというのに、つまり西原先生にとって初めて見る子どもたちとまだわずかな時間しか共有していないのに、先生はウチの子のことをちゃんと把握していたのだった。あ、とりあえずまともな先生だ、と私は安心した。
「負けず嫌いで、正義感が強そうですね」
「几帳面で、なんでもきっちりしないと気が済まないんですね」
「教室内での動きもきびきびしています」
「陸上部でも人一倍頑張っていますね」
しかし、たったこれだけのことを、すらすらといえたわけではなかった。たいへん口下手で、最近よくいる保護者に対し愛想をふりまき調子よくまくしたてる教師とは違うという印象を持った。会話も弾まないし、こちらの問いかけにはジャストフィットの回答がないし、これでは、近頃よくいるイラチですぐキレる母親たちからは相手にされないだろうと、早くも勝手に気の毒に思ってしまった。しかし、信頼はできる。そう思ったからそのとおり娘にも伝えた。
娘は私の言を容れて、担任を信頼しようと気持ちを前向きにして臨んだ。△△ちゃんはいたけれど、中1の一年間をたいへん充実して過ごしたことによる自信のようなものがあったのか、このクラスでうまくやっていくぞ、という気持ちになっていたのである。
しかし。
※中学2年生ライフも残すところあと一週間になりました。今日からカウントダウンを兼ねて一年間を私のやり方で振り返ります。
あと四日間 ― 2010/03/16 21:01:34
しかし、2、3日経って娘はこんなことを言った。
「ポニー君とさ、仲良うしてんねん」
「へえ」
「ようしゃべってるねん」
「話し相手になるんや、ポニー君」
「うん、なる。面白いこと、言うねん」
「まともなことも、言う?」
「うん、わりと」
「そうかあ。よかったな、ほんとはどんな子かわかって。最後に間に合うたやん」
「うん」
娘は嬉しそうであった。
ポニー君は新学期早々飛び降り騒ぎを起こした男子生徒である。
今の用語で言うと「すぐキレる」タイプで、「ムカツク」と大声を出して騒ぎ、授業中だろうとなんだろうと教室を走り回ったり飛び出したりする。教師が注意するとますますエキサイトして床に転げまわってうるさい俺に触るなと手足をバタバタさせる……。
といった素行は小学校時代からあったらしいので、中学入学時から問題児として学校は注意を払っていたようだ。今はどこもそうだろうけれど、イマドキの子どもたちは教師一人の手には(いろいろな意味で)負えないので、娘の中学でも担任と副担任が居り、教科別の授業も必ずサブティーチャーが1人以上つく。名目は教材の配布、学習中の個別アドバイス、質問に答えるのが仕事だが、本当は授業を荒らす生徒の抑止である。しかし、教師が一人や二人多めにいるだけでおとなしくなるようなら最初から問題児にはならないだろう。というわけでポニー君は誰がいようと騒いだし、誰に叱られたって意に介さずわめき、暴れ続ける。そういう子であったそうである。
その子がGW明けの頃だったと思うが、学年初めのある日の休み時間に、ベランダから身を乗り出して「飛び降りてやるー」とわめき散らした。
娘は、進級初日から小うるさいポニー君を目障りに感じていたという。最悪やねん、沢村。南小出身の子らはみんなポニーって呼んでる。どうしてかは知らんけど。ポニーって可愛すぎるやん、沢村にはもったいない。
その子がベランダに足をかけてわーわー言い出したときは、いくら嫌な奴だと思っていても、さすがに娘は青くなった。ねえ、危ないんちゃう?と周りを見渡したが、驚くほどみな無関心だった。男子数人が「いけいけー」と囃していたにすぎない。あとからよく聞くと、クラスメートたちは南小出身者が多数派だったが、みなポニー君の性癖をよく知っていて、「また始まった」くらいにしか思わなかったという。
ポニー君が敬愛して止まない友達が一人いる。三崎君である。どんなに騒いでも、三崎君が声をかければポニー君はおとなしくなる。理由はわからない。三崎君は「可もなく不可もなく、ふつう」(by娘)の男子生徒だ。ポニー君は三崎君にくっつきたがるが、三崎君はべつに嫌がらないとはいえ、進んでポニー君に話しかけたりすることはない。三崎家と沢村家にも交流はないそうだ。ポニー君の親愛の情はどこから湧くのだろう。しかし、とにもかくにも、三崎君の「おい、やめろよ」のひと言で事態は一気に収束するのが常であり、南小の子らはそれをよく知っていたのだ。また、中学サイドもそのことを把握した上で、2年次でも彼らを同じクラスにしたのだろう(これは私の推測だが)。
ところがその情報を持っていない人間が一人いた。他校から異動してきた西原先生だ。
西原先生は、自分のクラスの生徒がベランダに足をかけて飛び降りそうになっているとの報を受けて教室に飛んできた。そして、他の生徒が鬱陶しそうな顔で傍観している風景を目の当たりにした。「おまえたち、ぼーっと見てる場合かっ」
ポニー君は、西原先生の姿を見てますます騒ぎ立てた。そこを西原先生が力ずくで引きずりおろした格好になったそうだが、その際のポニー君の暴れようは、平和で穏やかな北小育ちのウチの子には信じられない光景だったらしい。
騒ぎまくった割りには、やはりみんなが承知だったように、ポニー君は「ちょっとわめいてみたかっただけ」みたいなことをあとで述べたらしい。娘はこのときからポニー君をランキング最下位のさらにその下へ突き落とした(笑)。「人間のクズ」(by娘)
ところが、状況をいつまでたっても把握できない人が一人いた。西原先生だ。
西原先生は「救出した」ポニー君に、えんえんと、「何があったんだ」「どんな些細なことでもいいから先生に話してみろ」「一人で抱え込むのはよくないぞ」といった調子で「相談相手になろうとした」のだった。的外れであった。また、逆効果でもあった。ポニー君はどうやらこれをきっかけに担任を徹底的に「ウザイ奴」と認識してしまったのだ。
的外れと逆効果はこれで終わらなかった。西原先生は、「非常事態にあったポニー君」のことを「誰ひとりとして助けようとしなかった」ことを遺憾であるとしてクラス全員に長い説教を垂れてしまったのである。「友達は、かけがえのないものだ」「君たちはいったい、クラスメートを、学校生活をどう捉えているのか」「互いに思いやりを忘れてはいかん」というノリで。
説教の内容はいちいち正しく、真っ当であったが、今回のケースではあまりにも外していて、当然ながら生徒たちは聞く耳をもてなかったばかりか、担任に対して「こいつはウザイ」という不信感を持ってしまったのである(かなりねちねちと説教したらしい)。
新着任の教師にポニー君(with 三崎君)のクラスを持たせるなら、それなりの基本情報を与えておくべきだったのではないか、と私は思ったが、たぶん、妙な先入観を持たずに取り組むほうに学校側は期待したのだろう。残念ながらそれは外れた。
これ以降、西原先生の担当の数学、道徳の授業、ホームルームは荒れるのが常態となった。西原先生の姿を認めるとポニー君は後ろを向いたり机に突っ伏したりする。注意されると「わあああああーーーー」と大声を出して席を立ち走り回る。そうした様子を見て他の生徒は面白がって騒ぐ。ポニー君が平穏なとき(または欠席のとき)は、これまた私語の多いツッキーという女生徒がいて、西原先生に指されると「なんか用ですか」「今あんたと喋りたくない系でーす」などといって横や後ろに向かって喋り続ける(誰も相手にしないのだが)。ツッキーの場合、教師が注意しても大声でわめくことはないそうだ。「はあ?」「うぜえ」「黙れよ」と悪態ついてあとは無視する。ツッキーも娘にいわせると「最悪」だが、もっとよくないのはポニー君やツッキーの振る舞いに悪乗りして同じようなことをしたり言ったりするほかのクラスメートたちだ。歯止めの効かない集団を前にして、自分ひとりが何をどう思っても何ひとつ改善できない、その無力感にも苛まれたのだろう、ある夜娘は、泣きそうな顔で(でもけっして泣かずに)、ポツリと言った。
「教室では誰とも口きかへん。部活のためだけに学校行く」
6月の初めのことだった。二年生に進級して、わずか2か月あまり。
6月の第3日曜に行われた休日授業参観。娘のクラスは美術で、担当教師は私にとっては馴染みのない人だった。実技科目だったこともあるだろうが授業は終始和やかで生徒たちはみな楽しそうだった。この日を見る限り、クラスにはたいした問題などなさそうだった。北小時代からよく遊んだナカジ、リョータ、ダイスケらの顔もある。今でも私に愛想よく声をかけてくれる子どもたちだ。例の「天敵」△△ちゃんも、児童バスケットクラブ時代の仲間ミチルもいる。もちろん、このクラスになって初めて知り合って仲良しになった子もいる。そうした子らの母親たちとも会って挨拶し、話もした。母親たちの口から現在のクラスの問題など何も話題に上らなかった。もしかして、母親たちは知らないのではないか、クラスの様子を。
「今日の授業、みんな楽しそうやったやん」
「うん」
「どれが問題児なんかわからんかったよ」
「問題児が問題児になんのは西原先生のときだけやもん」
「そうなん?」
「ま、ツッキーはいつもうるさいし誰にでも同じ態度やけど、ポニー君は普段はおとなしいし。クラスはいつもざわついてるけど、ポニー君が静かやったらたいしたことはない」
そうかあ……そりゃ、辛いなあ西原先生……前途多難かも。
と思っていたら、まったく文字どおり、多難となったのであった。
あと三日間 ― 2010/03/18 12:40:05
合唱コンクールでは、事前の練習でもちっとも声が出てなくて、やっぱり心がバラバラなクラスはダメだと諦め顔だったが、本番では、娘のクラスは素晴しく上手かった。本当である。スナオちゃんのピアノの上手さにも感動したし、指揮の△△ちゃんも、どこのオーケストラの方ですかと思うほど立派な指揮ぶりだ。
ところが残念ながら入賞ならず。みんな、声もよく出て、やっとクラスがまとまったという達成感に満ちていた。西原先生も、「あれだけよく歌ったというのに、なんで優勝じゃないんでしょう。まったく腹立たしいですねっ」などといって、クラスを笑わせた。学級対抗バレーボール大会では優勝。ジャンルはなんであれ、こうした行事でいい成績をあげると皆の気持ちは自ずと一つになる方へ向かう。単純だけど、それが子どものいいところだ。と私は思ってあまり心配はしていなかった。娘の話を聞いていても、クラスのムードはよくなっているように思えた。なんのかのいっても西原先生はベテラン教師だった。それなりに対処して乗り切っていってくれる。はず。だった。
前期終了前か後期開始直後かどっちか忘れたが、個別面談が行われた。生徒と保護者と担任の三者で行うもので、年に一度(しかない。私はこれを二回くらいやってほしいんだけどーー)、学習状況、生活態度などを互いに報告しあって話し合う。中二の秋となれば、進学のことも話題になるだろうな、なんて答えようかな、志望校なし、進学希望別になし、就職希望というわけでもなし、したがって進路未定、なんていっていいのかなーと、娘と笑っていたんだけど。
西原先生の様子は、家庭訪問に来たときとそう変わっていなかった。私はさぞかしやつれてるんじゃないかと思ったが、あるいは苛ついているかと思ったが、相変わらず口下手で、なかなかすっと言葉が出ない、言い換えれば朴訥な話し方は、たぶん、「ちょっと先生、何おっしゃってるのかまったくわかりませんわっ」とキレる保護者続出!という状況をつくるのは間違いないと思われた。
娘については、バレエの練習が佳境に入ると帰宅が夜11時くらいになることや、そうした時期が結構定期考査と重なって勉強どころじゃないこと、普段から部活命で勉強どころじゃないこと、だから成績には多くを望んでいませんが、苦手な教科や単元は二年次のうちになんとか解消させてやりたい、ということを私から話して先生の反応を待ったが、西原先生の言ったことを要約というか圧縮すると、「さなぎさんはしっかりやってますよ。睡眠をしっかりとって陸上の練習頑張ってください」
……うーむ。うちの子がしっかりやってるのは知ってるさっ。
「進路のこととか、何も決めてないんですよ」
「ああ、ああ。まだ早いですよ」
あ、そう。
誰に対しても、あんな調子かなあ。
「あんな調子みたいやったよ、他の子に聞いても」
ふーん。
「他のクラスは進路のことが話題になった子もいたって」
ふーん。
話題になったらなったで私もさなぎも困るからウチはあれでよかったんだけど……。
私の拙い文章では西原先生の何が問題なのか読まれる方には精確に伝わっていないと思うが、厳つい顔をしている割には、のれんに腕押し、みたいな会話しか成り立たないので、なかなか、ウンこの人信頼できる!とは思えないのが人情だと思う。せっかちな親はすぐに「ダメ教師」のレッテルを貼ってしまうだろうと思われてそれが気がかりなのである。私も正直、西原先生に多くを期待していない。しかし、どの教師についてであろうとあの先生はダメ、とかキモイとか、嫌いとか、最悪サイテーとか家では絶対に口にしない。それが子どもに余計な主観を持たせてしまい、学校や教師への不信に拍車をかけてしまうからである。だが今は、親が家庭で教師のことをこき下ろして噂するのも珍しくないだろう。実際、こないだ会ったしのぶの母親は西原先生のことを「数学は“あの西原”やから伸びるもんも伸びんわ」と吐き捨てていたし、家庭訪問直後に道で会ったリョータの母親は「家庭訪問すんだ?何あれ、あのキモイ親父! サイテーやん今年!」と人目はばからず大声で叫んだ。たぶん家でも同じノリでそういう会話をしているのだろう。
親が馬鹿にする教師のいうことは、子どもは聞かなくなる。当たり前だ。
新学期初めはふつうに穏やかだったクラスが、GW明け(家庭訪問が終わった頃)から荒れ始めた。たぶん各家庭で「あんな先生、アカンわ」といった厳しい評価が下されたのだ。
夏休みを挟んでそれでも盛り上がり始めたクラスの雰囲気は、個人面談を経過して再び荒れ模様となった。おそらく多くの家庭で、ますます「西原先生じゃ話にならない」という最低評価が下されたのだ。文化的行事も済んで、あと大きなイベントは定期考査以外には持久走大会、年明けのグループ別百人一首大会くらいである。クラスで結束する必要もない。ホームルームと数学、道徳の授業における2年6組は、あくまで娘の話から想像するに、盛り上がりを過ぎ、へべれけになる者、くだ巻く者、寝る者、勝手に帰る者……と出席者の行動がばらつき始めた宴会場のような状態であった。
2年6組には関東方面から転校してきた女生徒が二人いた。二人とも今年の転入ではなく、1年次から入ってきていたんだけど、ウチの子とは接触がなく、私もまったく知らない子どもたちだった。ひとりは娘が「みどりさん」と呼んでいるちょっぴり変わったお姉さまふうで、娘によれば「みどりさん名言集」なるものがあるらしい。休み時間に会話していても「さなぎさん、そんなこと言ってはいけないわ」みたいなノリで喋るのが面白可笑しい。いつだったかイシダイラの短編集を私がクソミソに言ったのを、娘がみどりさんに言ったところ、みどりさんは「じゃ、お母さまはどんな本をお読みになるの? 興味があるわ」(発言どおり。笑)と仰せになったという(笑)。娘と二人でいつまでもネタにして笑った。
ところが、もうひとりは「ミカ」といって、なかなかのつわものなのだった。夏休み過ぎるまでは娘の口には上らなかった子だが、秋以降、頻繁に登場するようになった。
「今日ミカがさー、廊下で西原先生にわめいてた」
「へえ、どんなふうに」
「ざけんじゃねーてめー何様と思ってる、みたいな」
「なかなか言うなあ」
「ドラマみたいやった」
「なるほど」
ずるずるの関西キッズにとっては、みどりさんやミカの喋り方は穏やかでも十分インパクトがあるのだが、ミカのようなスケバン(死語?)まがいの振る舞いはとにかく目立つ。ミカには3年生に姉がいて、そちらもミカを上回る勢いで教師に逆らっているらしい。
それでも最初は、「口は悪いけど、根っこは悪い子じゃない」(by娘)だったのだが。
あと二日間 ― 2010/03/18 21:15:20
さなぎはツッキーが嫌いでも、ツッキーはさなぎを嫌いではないらしい。だからすごく話しかけてくる、それが鬱陶しいとぼやいていたことがある。だが、何の会話をしていたときのことか忘れたが、ツッキーがぽつっとさなぎに言ったそうだ。
「ええやん、西原はさなぎのこと気に入ってるし」
娘は西原先生に気に入られているという自覚はなかったが、問題はそこにはなく、要するにツッキーは居心地が悪いのだ、学校で。
「ツッキーはたぶん、どの先生であれ、目をかけてほしいんやな」
「そうなんかなあ」
「暴れたり、暴言を吐いたりしてへんということは、先生の側から見たら今押さえこまなアカン生徒でもないし、無視してたらそのうち黙るし、って感じやろ」
「うん」
「かまってほしいんや。ツッキー、寂しいんちゃう?」
「ウチはかまいたくないけどなぁ~」
といいながらも娘は、少しだがツッキーと会話するようになったようである。
年が明けて、グループ対抗百人一首大会が行われた。上級の部にエントリーした例のみどりさんのチームが総合優勝! みどりさんは前の学校にいたときに百人一首をオール暗記したといい、取った札の数でもダントツで個人優勝もさらった。
中級の部ではさなぎのチームが優勝。さなぎは百人一首を全然覚えていないが、目力(メヂカラ)と手力(テヂカラ)に勝るので札を見つけて叩くのは早いのである。
そんなわけで、二つの優勝をかっさらった2年6組は再びムードがよくなったんじゃないかと思っていたが、その後すぐに学年末定期考査週間に突入。勉強の捗りかた次第で子どもたちの精神状態も浮沈が激しい。妙にテンションの高いポニー君の影響で、HRは無法状態となっていた。毎日交代で校長、教頭、副教頭、学年主任、他学年の担当教員までが、2年6組を見張りに来るようになる。だがいつかも書いたように、まったく抑止力は働かないのだった。
西原先生がカウンセリングを受けているとか、精神科へ通っているとかの噂が生徒の間をかけめぐった。本当だとしても、無理もない。
いつものようにざわついたホームルーム。西原先生が何かを説明しているときにミカが大きな声で「くっだらねえ」といった。「くだらないとは失礼じゃないか。静かに聞きなさい」といった西原先生に対し、ミカは逆上して椅子をガタつかせて立ち上がり、
「うっぜえんだよ、てめえっ精神科の患者のくせに偉そうに口利くんじゃねーよっ」
さすがに、空気が凍りついたらしい。
「ミカは最低や」と私。「うん、あれはまずかった」とさなぎ。
「でも、西原先生ミカに何て言うたと思う?」
「さあ?」
「森口君、そんな人を傷つけるようなことをいうもんじゃありませんって」
「冷静に?」
「冷静に」
「なんだと、こらっ、とか言わずに?」
「言わずに」
「偉いなあ西原先生。というべきか、もしかしてかなり心にキテしまっているかも」
「あ、そういう感想ですか、お母さんは」
「さなぎの感想はどうなんよ」
「ミカもひどいけど、西原先生は相変わらず外してんなあ、と」
私は翌日、学校長に電話した。
西原先生、ずいぶん具合がお悪いんじゃありませんか。娘の話だと心療内科か精神科での治療をなさっているとか――2年6組はひどい暴言を吐く生徒が多いと聞いてますので、先生も心労が重なったんではないかと思うんですけど、学校ではどのように見てらっしゃるんですか。私も娘も、西原先生は口下手だけど真面目で誠実な先生だと思ってきたので、この話が本当ならお気の毒というか申し訳ないと思いまして……。
いえいえ、西原は精神科での治療を受けたりはしていませんよ。ただまあ、お母さんもご承知のとおり、クラスの雰囲気はずっとよくないので、やはり担任の力不足によるものが大きいので、早くから学年担任団でのミーティングや、私との面接などを繰り返してですね、改善を図るようにしているんですが、なかなかうまくいきません。おっしゃるように口下手でね、授業の進め方にも問題があってですね、彼の授業は、あれでは今の子どもは理解できないんですよ。学力レベルの問題ではなく、小学校での教え方が様変わりしてますのでね、解きほぐすように説明してやってということをもっとしないとね。前任校では問題にされなかったかもしれませんが、ここでは保護者の皆さんの関心も高いしね……。
では心の病とかの心配はないのですね。数学の授業の進めかたの良し悪しは私はわかりませんが、前とはまったくムードの違う学校へ着任されて、慣れる間もなく問題児が次々登場してひっきりなしに問題起こして、対処法を練る間もなく萎縮されてしまったということはないのでしょうか。娘から聞いた限りでは、とくに沢村君や森口ミカちゃんのふるまいはひどいを通り越していますよ。
あの子たちも、1年生のときはたいして問題にならなかったんですよ。言葉遣いの悪い子はほかにもいますし。今年度だって、他の教員に対してはけっしてあんな態度や言葉遣いをしないんですよ。
校長先生は、あくまで問題は西原先生のほうにあるとお考えなんですか? 真偽のはっきりしないことを振りかざして「精神科の患者のくせに」なんて、どう考えても一方的に発言したほうが悪いでしょ? 精神科の治療を受ける人たちに対する蔑視が根底にあるから口に出たとは思われませんか? たまたまつねづね嫌いな西原先生に対して出たけれど、もしかしたらクラスメートに対してだってミカちゃんは暴言を吐いたかもしれないでしょ? ミカちゃんのほうは不問なんですか? 私ならいったいどんな育ち方をしたんだ、親の顔が見たいと思いますけど、それでも非は西原先生にあるというのが学校のご判断なんですか?
いえいえ、森口ミカはたしかに、なかなか凄まじいところがあります。まったく問題にしてこなかったわけではありませんが、西原に対する言動は極端でしてね、これは、つまり西原に対してだけ極端に態度が悪いというのは、他の生徒にも大なり小なり見られる傾向でして……。
呆れた。
このへんまで会話したときに、電話の向こうでけたたましい着信音の鳴るのが聞こえた。とにかく先生のお体が心配です、もう少しで学年も終わりなのでちゃんと見てあげてください、といって私は電話を切った。
西原先生をそんなに心配しているわけではない。娘が言うように、ちょっとポイントを外しているのが幸いして、たぶん、生徒たちの攻撃は的を射ずに、西原流にのらくらとかわされているのだろう。意に介さず、というのでもなく、なんでこのクラスの子はこんなにトゲトゲしてるんだ?くらいにしか思っていないに違いない。若い女性教員なら休職騒ぎになっていただろう。
しかし、いくらとぼけた西原先生でも、何が弾みで体調を崩すようなことにならないとは限らないし、生徒どうしの間に西原先生のキャパを超えるような重大なトラブルが発生したとき、疲労で寝込んだり、最悪、勢いで自殺でもされたらそれこそ子どもたちへのダメージは計り知れない。
やな担任で、やなクラスだった。それでも全うできれば、その記憶は経験として将来の肥やしになる。
校長と電話で話してから、娘にクラスの様子をそれとなく訊ねると、ミカは、黙っているわけではないがおとなしいようだ。そして、見張りの教員が増えた(笑)。また、中3になったらすぐに修学旅行にいくのだが、「お前ら、西原先生への態度を改めないと、お前らだけ旅行ナシやぞ」と、体育科のカン爺先生に脅されたのが、少しは効いているようである。
「先生に優しくしなさいよ」
「ウチは最初からイケズしてへんで」
「わかってるけどさ、もう少しなんやし、最後まで優しくな。友達にもそう言い」
「はいはい」
3月になり、卒業生を送るお別れイベントの取り組みが本格的になる。クラス全員が、もう少しでこのクラスともお別れだという気分を満喫しているのか、大きな問題もなく日々は過ぎる。ゲンキンなもんである。お別れイベントは感動のうちに終わり、卒業式も滞りなく済んだ。
明日、いよいよ修了式。