九月の空、じゃなくて8月終わりの空なんだけど ― 2010/09/02 08:53:16
キンスキーも死にました ― 2010/09/07 18:34:07
……。……。
昨夜、夜中までまだ息がありましたが、今朝、息絶えておりました。
埋葬しながら、彼と歩んだ12年余を、ほんのわずかな時間でしたが思い起こしていました。
山あり谷ありだったね。
我が家でない、どこかほかでもっと幸せな暮らしがあったかもしれないのに、よくウチへ来てくれたよね。
長生きしてくれたよね。
キンスキーがいてくれて、みんな、幸せだったよ。
*
ご想像いただけると思いますが、今日は意気消沈甚だしく仕事になりませんでした。
明日もたぶん、なりません。
とうぶん、なりません。
ここ数日はずっと看護(って何もしてないけど)状態でしたので、覚悟はしていたんですけれど。
キンスキーとの日々は子育ての日々にほぼ重なります。
彼はいつも、私のドタバタを静かに水の中から見守ってくれていたのです。誰にもわかってもらえなくても、キンスキーは知ってくれている、そう思い込むことだけで私は歩んでこれました。
キンスキーは金魚です。
ただの金魚です。
でも、私の支えでした。
そんなわけですが、ご心配には及びませんからね。
後追い自殺なんか(笑)しませんから。
ニューアライヴァルの金魚さまたちがまだ4匹、美しく水槽を彩ってくれています。
おつかれさまです ― 2010/09/12 22:48:14
おまけに発表会前々日の金曜日まで期末考査でしたからいつになく学習モード(でもレッスンは休まないんですけど)になんかなっちゃってオソネハヤオキの生活を娘までがしてたもんで(なんだってテスト直前にしか勉強しないのよアンタは)、もう仕事抜きでも疲労困憊なのに、当然ながらお仕事は待ったなし状態ですからこりゃもう拷問と呼ぶ以外におまへんのどすわ。
ちょっと蝶子さん、障子の桟に埃がたまってるザマスわよ、なんていうお姑さんと同居してなくてつくづくよかったと思う今日この頃(笑)。
我が家がゴミ屋敷と名指しされてご近所から訴えられたり役所からなんとか状みたいなもん突きつけられたりするか、私がぶっ倒れるかどっちが早いか、って感じですけど、このままいくと確実にゴミ屋敷のほうが達成率高いな。だって、こんなにしんどいとかなんとかゆってますけど、アタシ、全然ぶっ倒れないでしょ。頑丈なんだなー悲しいくらいにさ。
さてさて、お嬢さんは今日無事に踊りきりまして、かなりの達成感あったようでございます。わたしもほっと胸なで下ろして。ま、応援のしがいもあったっつーもんです。
(もうちょっと大腿部の筋肉を落とさにゃならんなと思ったが)
おつかれさん、さなぎ。
おつかれさん、あたし。
「そこまでよ」といわれたら「あともう少し」と思うもの ― 2010/09/26 03:19:15

「はい、そこまで」と号令をかけられたら、「えーっ、お願いもう少し」なんて台詞がつい口に出る。永遠に存在を約束された対象には高ぶった愛情も、ありがたみも、いずれなくなりそこにそれがあることが当たり前になり不幸なときは邪魔にすら思うようになる。しかしいずれ手放さなくてはならないものには深い愛着がわき、いよいよ手放すというときには愛は最高潮となる。失ったものの大きさを失ってからしみじみと思い知り、失ったものをいかに愛していたかという思いに浸り、注いだ愛の大きさと美しさに酔いしれる。そして、そうは言っても、いずれ、その失ったもののことも忘れていく。人間の常だ。
吉本ばなな(この小説の発表当時は、まだ苗字が漢字だったみたいだ)は、人間という愚かしくも崇高な生き物がどういうときにどのような対象に満身で同類を愛するかを描いた。作家本人に似た経験があったのか、もしくは近しい人をモデルにしたのか、入念な取材によるものなのか、それはわからない。が、とにもかくにも、主人公の登場時年齢を中学3年生に設定し、その家庭を奇妙で胡散臭い宗教団体にし、祖母を霊能者に設定した。恋人にハチなどというふざけた名前を与え、インドの山奥で修行をするため日本を発つという設定にした。単にオウム真理教をヒントにしただけなのかもしれない。だが、まともで平凡な人物たちの物語にせず、読み手を小馬鹿にしたような(作家は大真面目かもしれないけど)都合のいい展開が、むしろ人間の本質を再認識するために有効に働くという効果を生んでいる。
「私」は絵を描いて生きていくらしい。なんとなく描き始めた絵がそこそこいけるもんであるらしい。素描を何百枚と描き、色彩学や絵画学の本とにらめっこして練習作品の山を築いて美大受験に挑んだ人間からするとこんな主人公にはシンプルにむかつく。それでも、「私」が「ハチ」に生命100%の愛を注ぎ、愛しぬき、失って、「ハチを忘れるだろう」と予感していることに、激しく共感する。
主人公の「私」は中学三年生で父親を知らず祖母の影響が大きい。今のさなぎそっくりだ。だがウチは幸か不幸か怪しい宗教団体ではないし、おそらくさなぎは夜中のミスドでクダを巻いたり、近づいたカップルについていったりはしないだろう。だからといって全身全霊で人を愛し無償の愛情を注ぐ経験ができないということではけっしてない。ないけれど、もしかしたらある種「けったいなひとびと」のほうが、やはり、かけがえのないものと出会い希少な恋愛体験をするのかも、とも思う。
そんなふうに大の大人をうろたえさせるのも、この作品の力の一部である。
早い話が、大して面白くなかったんだけど、なんか悔しい。そんな読後感であった。そんなもんを抱えて、出張先の顧客のもとへ参上した、罪なワタクシ。
本書とは関係なく、気分悪い一日であったのである。
やっぱ小説はこうでなきゃ ― 2010/09/28 22:59:34
