ほぼ日刊豆ご飯2010/11/09 23:59:06

先月、いや先々月だ。圧力鍋をオークションで買った。よく新聞折り込み広告の入る「アサなんとか軽金属」のなんとか鍋っていう圧力鍋が前から欲しかったんだけど、安く手に入れるにはべつに欲しくない鍋まで一緒にまとめ買いしなくちゃならない。で、その鍋がオークションでたたき売られてないかなあと探していたら、圧力鍋というのはけっこうオークションを賑わしている製品なのだということを知った。だからブランドで選んでも容量で選んでも値段で選んでもよりどりみどり、ひとつが落ちてもまた雨後のタケノコみたいにぼこぼこ出品される。自分には予算っつーもんがあるから、いつもけっきょく、自分の上限まで行っては高値をつけられて競り負ける……ということを繰り返して、飽きてしばらく諦めて、ということを何年も繰り返していた。もともと圧力鍋が欲しかった理由というのは、モンペリエの語学講座で私のクラスの教師であったジョルジェットが日本の私立大学に臨時教員として来たときに、手料理を振る舞ってくれたことがあったが、滞在先の家の台所で使った圧力鍋がトレビアーンに見えたからだった。その圧力鍋はジョルジェットのものではなくて滞在先の太田家の奥さんのものだったんだけど、ジョルジェットが圧力鍋でつくった鶏肉のトマト煮がまたトレビアーンなお味で、柔らかくて味がよくしみて、なんと圧力鍋というのはこんなにおいしい料理を短時間で作ってしまうものなのかっ……と大感動したことが始まりである。そうはいっても私が台所に立ち料理をするようになるのはそれから何年も何年も後のことになるのだが、太田家の圧力鍋は容量の大きなでかいバケツのような形をしていて、ステンレスが妖しく光って、美しかったという事実が脳裏に焼きついており、私は圧力鍋をけっして忘れることはなかったのである。しかし、昨今流行し、今ではすっかり定着した感のある炊飯器クッキングをマスターしてしまったので、圧力鍋の必要性をそうそう感じなくなっていたのも事実だ。とにかく炊飯器は凄いのである。とくに根菜の調理には威力を発揮する。もちろん葉ものと肉類を一緒に炊き合わせるのもトレビアーンである。モロッコ料理のタジン鍋がやたら流行っているけれど、あれを使うならあんたクスクス食べなさいよといいたくなるよね。炊飯器があればタジン鍋が売りにしている蒸し料理なんか朝飯前じゃん。というわけで、タジン鍋欲しいけど予算も収納場所もないから負け惜しみを言っているだけなのであった。それはともかく、最初はケーキづくりから始まった炊飯器利用だが、家族三人の朝食分ならおかずづくりにも過不足はないので、というより、五合炊きの炊飯器だと、汁物はあまり大量につくれない。それとやはりコンピュータ機器なので、壊れたら困る。なのであまりムチャをできない。未知への挑戦とかできないのだ。炊飯器壊れたらちょっと困る。しゅっと買えないし。と、そんなことを思っていて、豆料理が大好きな私は、娘が豆料理を好きでないことを理由にあまり豆を使っていない年月が続いていることに気がついたのだった。娘は枝豆フリークで、節分には豆を撒くより食べるほうに夢中だし、赤飯だって大好きだが、豆に関しては以上、なのだ。つまり今挙げた以外の豆は食べないのだ、たとえばポークビーンズという料理ではポークしか食べないし、ビーンズシチューとかだと汁しか飲まないし、ミネストローネに豆が入ってたらよけるというし、ひじき豆はひじきしかつつかないというし、煮豆があると他のおかずと交換するというし……あ、これらは給食での話であるが。しかし、豆は人間の健康的な食生活に必須の食品である。とくに彼女はいま減量中なので低カロリーで栄養価の高いものを食さねばならないのだ。なんとか工夫してヤツに豆を食べさせなければ。というわけで、自分で豆料理をなんとかするべえ、豆を効率的に料理するには、あんた、圧力鍋がトレビアーンなはずである。と、再び圧力鍋ゲット大作戦敢行! で3000円でルミナスとか言う全然知らない名前の圧力鍋、でかいのでなく、3.5リットルの片手鍋だが、ウチにはじゅうぶん。さてさて到着早々、取扱説明書と付属レシピとにらめっこすること数日間、シンプルに野菜を蒸すことから始めて、ちょっとずつ、ご飯炊いたり、シチューつくったりして、圧力鍋の扱いに慣れてきましたよーん。ようやっとちゃっちゃと段取りよく他の鍋での煮炊きと組み合わせながら使えるようになったわさ。てことで、これまたちょびっとずつ豆をシンプルに煮ていただくことを繰り返してとうとう先日インターネットの豆屋さんで何キロもいろんな種類の豆を買っちゃったーんんんえへへへへっ。今日は青大豆明日は白インゲンおとといはひよこ豆だったわね、というふうに、ほぼ毎朝違う色の豆ご飯をいただくヘルシーな日々である。娘が文句を言うどころかおいしいおいしいと苦手なはずの豆ご飯をぱくぱくお代わりするのがたいへん清々しいのである。ほくほくに煮てミキサーで潰してスープにしたり、それをペーストにしてドレッシングやソースに使ったりといろいろ手はあるし、やってもみたが、豆は豆の形をしているものでいただくのがきっといちばんおいしいよな。なんせ豆を煮るのに圧力鍋だとホント短時間ですむのが嬉しいことよのう。というわけでほぼ日刊豆ご飯新聞のコラムでしたー。おやすみ!

コメント

_ 儚い預言者 ― 2010/11/10 10:36:58

 生きる夢の旅に、巡る日々。淡い漣に似て、いつも愛しい。感じる喜びは、悲しみになるけれど、儚さの時間では、愛の喜びが慎ましく微笑んでいる。
 記憶の夢と今という新しき時間が渦を巻きながら、未来が美しい装いで待っている。永遠の愛には時間がないのに、生活することの息が必要なのだ。
 愛を知ったとき、多分人は泣くだろう。何も無いと思っていたことでさえ、愛の真っ只中であったことを知って。

 美しいとは、美醜ではなく、感じることの選択だ。そしてこの世の全てへの愛の慈しみである。

 あなたは愛であり、全てであるから、何も不足も制限もなく、あなたの全てを表現できるのだ。

_ midi ― 2010/11/10 21:33:56

預言者さま
ちょっとご無沙汰でしたね。ご来訪ありがとうございます。
なんとか生きておりますよん。
急に冷えるようになったから、朝晩暖かくしてくださいね。

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