同窓会プラン進行中2010/11/10 20:16:55

幼なじみのあっちゃんがメールしてきて、小学校時代の同級生AちゃんBちゃんCちゃんDちゃんたちの現在の連絡先を知らないか、知らなくても実家に聞きに行けないかな、というので、生まれた家に住んでいる私は小学校時代の友達で引っ越していった本人たちのことなんか知らないが、そのご両親、昔からの私を知ってくれているおっちゃんおばちゃんたちとは今でも当然仲良しだから、何でも調べてやるぜえと返信した。とはいっても、自分の自由時間といったら真夜中しかないワタクシ、明るいうちになんとか訪ねたいと思っても、おっちゃんおばちゃんたちだって用事で留守にしていたりするし、ま、早い話がなかなかご両親にお目にかかれないのである。ようやっと、こないだDちゃんのお母さんに会えて、彼女の自宅の電話番号を聞きだせた。「いやあ、ちょーちゃん、ほんまに懐かしいわねえ」に始まって、「あれやわねえ、これやわねえ」とついいろいろなことが口をついて出てくる。近所に住んでいるのだから顔を合わせそうなものだがそれがなかなか、そうは行かない毎日であるからして、こないだばったり商店街で会ったのはもう何年も何年も前、ということになりがちだ。Dちゃんちはお店をやっているのでおっちゃんもおばちゃんもたいへん朗らかにおしゃべりをする方々である。かくして、これはひとつ恐れていたことなのであったが、おばちゃんの話が長い(苦笑)。終わらん。いやそのーDちゃんの電話番号もらったしアタシは仕事に戻りたいねんけど……。でもそんなそぶりを微塵も見せたくない私はよせばいいのに「そうそう、そやねんよ、そういうたらこんなことあってん」とつい話を発展させてしまう(笑)。で、この日はけっきょく昼飯にありつけなかったので、これでは捗らへんやん、と思って、ごくごく近所で、かつウチの母も顔なじみの人々の家には、母に伝書鳩役を頼んだ。お留守でもこの手紙(あっちゃんの連絡先を記してある)入れといて、と。幸い在宅されてれば、母もおしゃべりに花を咲かせられるし。地元の利ってこれやんな。さらにそれを生かし、知ってる? 娘の同級生や先輩後輩の親が元同級生だったりそのきょうだいであったりするケースがもんのすごく多いのよ、ウチらの地域。だからあっちゃんの連絡先書いた紙をまたいくつか作って娘に「これ、あんたの後輩のみっちゃんに渡して」「4組のマサに渡して」「クラスのサエキにさ、あんたのいとこのマキちゃんに渡してって頼んで」なんつって、小さな手紙をいくつもこしらえた。もちろん、封筒に入れて「みっちゃんのお父様へ」とか「まさくんのお母様へ」とか書いておく。そのお父様やお母様のきょうだいが同級生だったりするのだ。遠いようだけど、住んでる場所は近かったりする。サエキのいとこってのは地元にいるけど私立へ行ってしまってウチの子らとは交流がまるでない。だがその親は同級生だとわかっている。わかっているが、音信を交わしたことがなかったり……。依頼人のあっちゃんの許可を得て電話番号を配ってるわけだけど、まあねえ、こっちはよくてもあっちはまるで興味ない場合もある。同窓会開催の企画趣旨、同窓会名簿2011年版を作成する趣旨を理解して、全員があっちゃんに自ら連絡するかどうかは「?」である。しかし、思うのだが、あたしたちもう50歳にあと数歩なのだ。近頃、何でも許せる気になっている自分に呆れることがあるあるんだけど、これって年の功ってやつだろうか。20代や30代のときは、同窓会なんて話を耳にするとはっきり言って鬱陶しかった。会ってどうすんのよ。私はつねに根拠もなくエラそうにして生きてきたから、20代の頃は同窓生なんかに会う時間ないわよもったいないわよあいつらに費やすなんて時間もお金もなんて思っていた。30代になると実際問題として時間の捻出が難しかった。子どもが小さくて精神的に余裕がなかったこともあった。が、本音を言えば美しいきらきらの宝石のようなわが娘を、ほらようくご覧よあんたんちのガキんちょとは違うでしょといわんばかりに見せびらかしたかったのに行けなくて悔しいわ、てな感じでもあった。強がって生きているのは生まれてからずっと同じだが、振り返れば30代の私はいちばん強がっていて、そのくせ、「この子の親である」ということ以外には何も確実なものを持っていなかった。前が見えなくて手探りだった。「この子の親である」ということ以外に何が必要なのよ、それだけで十分よと思えるようになるまでずいぶんかかったもんだ。あたしって、何者? そんな自問を繰り返す身には、社会的地位を得ていたり、小さい規模ながら成功を収めていたり、幸せな日々を過ごして満ち足りた表情をしている昔なじみに会うのは、辛い。気持ちの置き場所を見つけられないまま、同窓会のお知らせなんか受け取っても、そのために何が何でも時間やりくりして行くぞというふうには盛り上がれない。ああ、しかし、私は若かったのだな、けっきょく。そんな日々も今は昔。今は誰と会ってもどんな話になっても笑い飛ばせるし、なにも隠さず自身の物語も披露できると思う。20代のときよりも、30代のときよりも、今がいちばんお金も時間もないんだけど、もし同窓会が無事実現するなら万障繰り合わせて絶対行きたいな。去年の今頃、道でばったりタツヤに会った。「おちょーさん?」「え?」「おちょーさんでしょ」「はあ」「おれおれ。佐々木」「あーっタツヤ!」「この辺に住んでんの?」「うん、生まれた家にいる。タツヤ変わらへんなあ」「そのわりにわからんかったやん」「どこ行くの?」「パチンコ」「マジ?」「ああ」「不良中年」「ちゃうって。唯一の癒しやんけ」「かなしー」……タツヤは別に元カレだったとか片思いの君だったとかいうわけではなくて、中3のときに同じクラスになってよく話をした男子の一人だったが、小柄でちょこまかしていた彼はあまり男臭さがなくて気軽にオモロイ話のできる男子として女子に人気だった(本人にとってはびみょーだなあ)。今で言うと「天然」だろうか、ちょっとすっとぼけた反応が受けていた。といって誰も恋愛対象に選ばなかったところがタツヤの悲しさでありよさだった。去年会ったタツヤは、中3のときの面影を残したまま、無精ひげをあごに残したままついさっきまで畳の上でゴロゴロしてましたとわかるようないでたちで、交差点で信号待ちをしていた私の隣に立ったのだった。家族のことや仕事の話はしなかった。早くパチンコに行きたくてしょうがないねんと言いたげだったので、私も行き先があったし、引き止めずに横断歩道の終わりで別れた。タツヤは同窓会に来るだろうか。タツヤの現住所は、男子の名簿係をしているヒロアキやイチローは把握しているのだろうか。

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