Donc, on n'a pas du tout fait des progrès, depuis.2011/04/12 21:54:02


『この国のかたち 一』
司馬遼太郎著
文春文庫(1993年、2003年25刷)


「あとがき」にある数行を抜粋する。
著者は敗戦の頃を思い出して書いている。

《(前略)
 当時の彼我の戦争の構造は、対戦というものではなく、敵による一方的な打撃だけで、もし敵の日本本土上陸作戦がはじまると、私の部隊は最初の戦闘の一時間以内に全滅することはたしかだった。死はまことに無差別で、死に良否も賢愚も美醜もないというのは、戦争の状況がそれを教えてもいた。
(中略)
 私は毎日のように町を歩いた。(中略)
 軒下などで遊んでいるこどももまことに子柄がよく、自分がこの子らの将来のために死ぬなら多少の意味があると思ったりした。
 が、ある日、そのおろかしさに気づいた。このあたりが戦場になれば、まず死ぬのは、兵士よりもこの子らなのである。
 終戦の放送をきいたあと、なんとおろかな国にうまれたことかとおもった。
(むかしは、そうではなかったのではないか)
 と、おもったりした。むかしというのは、鎌倉のころやら、室町、戦国のころのことである。
 やがて、ごくあたらしい江戸期や明治時代のことなども考えた。いくら考えても、昭和の軍人たちのように、国家そのものを賭けものにして賭場にほうりこむようなことをやったひとびとがいたようにはおもえなかった。
(後略)》

結果論でものを言ってはいけないのかもしれないが、けっきょく、原発推進なんて「国家そのものを賭けものにして賭場にほうりこむようなこと」だったんじゃないのか。
「このあたりが戦場になれば、まず死ぬのは、兵士よりもこの子らなのである。」
原発が壊れて放射能漏れが起きたら、まず死ぬのは子どもたちなのである。

「死はまことに無差別で、死に良否も賢愚も美醜もないというのは、戦争の状況がそれを教えてもいた。」
地震と津波も、それを教えている。

良否も賢愚も美醜もない。
たしかにそうだ。だが私たちは戦時下にいるのではない。平和ボケと揶揄されるほど、豊かさと安寧を享受し、死にかたや弔われかたを遺言にしたためるなど、その最期の演出すら、可能な時代を生きているはずだった。

しかし私たちの社会は、けっきょく、「一方的な打撃だけで」へなへなと崩れ折れ、応急処置も遅れ対策は後手に回り、組織は雨後の筍のごとく顔を出して誰かが引っ張ってくれるのを待っているだけ。

敗走、また敗走である。
ただ子どもたちの無邪気さと、何でも遊びに変えるパワーとエネルギーが救いである。

「このあたりが戦場になれば、まず死ぬのは、兵士よりもこの子らなのである。」

大人の勝手な理屈で押し通してつくった怪物の、犠牲になるのはこの子らなのである。

本当に私たちって、何も学んでこなかった。
あやまちは繰り返しませんからって、誰の何に対する言葉だったというのだろう。
海と大地と、生きとし生けるものたちと、国の将来を担うはずだった子どもたちに、ごめんなさい。

コメント

_ 儚い預言者 ― 2011/04/13 16:26:55

日本は根の国で、世界の雛形であるとしたら、これからの激動がどれ程のものか予想出来る。
自然、命、全ては波だ。定常的な物事は虚である。
文明は、一方的に発展、進歩を促すが、これこそ自然を見下す横柄な態度に繋がる。
社会が肥大し、システムが複雑になればなるほど、その衰退は時を早める。

アニミズムには戻れないにしても、その主体的意識を拡げなければ、世界は終末を待つばかりかもしれない。

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