Fukushima, l'autre Tchernobyl2011/04/24 01:45:19

武田先生が言っている。

《東電の社長が、国会で、
「津波の想定が甘かった。申し訳ない」
と発言しました。このことで多くの人は「東電はケシカラン!」言っていますが、私はまったく違います.
東電は私企業ですから、時に間違ったこと、悪いことをします。でも原子力は危険だからこそ、国に多くの役人がいて「監視」しているのです。
東電が「甘い津波予想」で原発の申請をしたとき、それをチェックするのは第一に保安院(経産省)、第二に安全委員会(内閣府)なのです。東電が甘いのは仕方が無いとしても、私たちの税金で監視している人は何もやっていないという事なのです。
そして、その人達(保安院)は謝りません。院長すら出てきません。チェックしなかったことを悪いとも思っていないのです》
http://takedanet.com/2011/04/57_00fe.html


村松さんが言っている。

《地震、津波という天災に、原発事故という人災が加わって僕らの気分は何をしていても重苦しい暗雲に蓋をされているみたいです。(……)
僕は今回の事態、とりわけ放射能が日本を中心とする大気と海洋を汚染するという危険極まりない、しかも底が見えない事態は、僕らの精神力を奪っていると考えています。(……)
もともと日本人はとても自分を責める民族なのです。凶悪事件がたくさん報道されていますが、じつは殺人の件数は増えていません。増えているのは、自殺です。(……)
原理的なことから言いますと、自分を責める性向というのは、言葉と結びついて発動するのです。
それも自分の内側から出た言葉ではなくて、外から来た言葉に結びついてしまうのです。
ここで、今の状況に対する言葉をここでは代表的な言葉を二つ例にとりましょう。
【日本人全員が責任を感じ、反省しなければいけない】
【自分は何もしていない 何もできない】
こう思っている人は多いでしょう。(……)
日本は危機にあり、僕たちは一つになって乗り越えるべきかもしれません。しかし、原発を推進してきて今も維持しようとしている勢力のかけ声で、彼らの望んでいるように一つになることはできません。彼らは放射能によって緩慢に殺人を犯しているのです。彼らに気持ち悪い猫なで声で、「頑張れ」「日本は一つだ」と言われたくありません。
僕らはまず一人一人に立ち返り、それから一つになれる場所を探し始めるのです。迂遠なようでも、本当にこの世の中をひっくり返す力が湧いてくるやり方はそれです。
事態を変えるのを難しいと思わないでください。
原発は「裸の王様」です。
現在、福島原発は非常に危険な状態にあります。
(ということは)
過去、地震以前も危険だったのです。
将来、他の原発も危険です。
過去、現在、未来に渡って危険なのです。(……)
日本人全員が「王様は裸だ」と目を覚ますまで、論点をずらしたり複雑化させてはいけません。
たとえば「今の放射能が安全か安全でないか」という議論があります。それも重要ですが、そこで論議を膠着させてはいけません。
必ず論議の相手と「原発は危険だ」という共通認識に至れるかどうか、僕たちはどのような論議をしても何度でもそこに帰ってくるのです。
さて、ここまで書けば、
【自分は何もしていない 何もできない】
という自責もまた無意味だということがある程度、おわかりだと思います。
僕たちはまず自衛しなければなりません。今の事態を受け入れ、消化し、正しく理解し、さらに今までの日常の義務も果たさなければなりません。
それで十分です。何もしていない人なんかいません。
今の事態に対応するということを誰もが自分の内側でしています。
感じる、考える、見る、読む、話す、心の中で想うことも含めて、それはすべて行為です。だから、動詞でしょう。
身体を使って人に何か物理的な影響を与えることだけが行為ではありません。僕らの心の中のアクションと具体的に目に見える行為は連続しています。
だから、自分は何もしていないなんて思う必要はありません。
僕たちはいやおうなく世界を内側に引き受け、事態を消化しようとしているのです。(……)》
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=216

中途半端に切り貼りして、お二方への失礼をお詫びいたします。

****************

乾電池、乳製品、トイレットペーパー、ガスボンベ、ミネラルウォーター……
いつものスーパーでしばらくまったく品薄だったこれらの製品が、数を取り戻しているみたいだ。
今日、久しぶりにこのスーパーでヨーグルトを買った。

こうして日常が戻っていき、少しの違いには私たちの感覚が麻痺していく。

東電はたしかにスカポンタンでノータリンかもしれないが、要はあまりにもアマチュアだっただけであり、そのアマチュアを見張るはずの委員会や保安院がぐーすか寝ていたわけである。
想定外だのなんだの、想定できたはずだろなんだのって、そんなの、あの日のあの時間にあんな地震があるなんて誰ひとり予想しなかったでしょうに。
地震の予知とか予報とか、できもしないことに巨額の金をつぎ込んで「研究」させてきた。
私たちの税金で、したり顔で「研究」してきた学者どももぐーすか寝ていたってわけである。

私たちに何もできなくったって、あたりまえ。
ただ、そういって開き直るのではなく、感覚を麻痺させるのでも忘れるのでもなく、いたずらに頑張るとか希望をとか口走るのでもなく、粛々と日常を過ごす中でしっかりと災いの爪痕を見つめて、いずれ語り継げる時がくるまで胸に刻みつけておこう。

Contrairement au tsunami, qui représente encore à nos yeux un modèle de catastrophe, au point que ce terme, qui se dit "shoah" en hébreu, fut choisi pour désigner la plus grande catastrophe morale de l'histoire humaine, il n'y aura pas d'après-Fukushima, ou il n'y aura qu'un après-Fukushima, ce qui revient au même. (Frédérick Lemarchand, sociologue / Article paru dans l'édition du 19.04.11)

コメント

_ よっぱ ― 2011/04/24 07:56:55

松村さん、良いことおっしゃる。なんだか心が少し楽になりますね。
あ、midiさんも常にとっても良いことおっしゃる♫
飲み込んで噛み砕いてわかりやすい形で出す ということが「さすが!」な領域で感服致しまする

_ 儚い預言者 ― 2011/04/24 20:47:05

時間を、時の本来の性質を、戻すこと。
姫の時間は、社会に規定されている。活動するには、姫の本来の能力を発揮するには、生物的時間と、自然、特に月の時間と、協調しなければいけない。この社会では、不可能かもしれない。でもこの社会の大きな欠点が露わになって、子供達にいい未来を贈るには、社会の成り立ちの基礎を変えていかなければいけない。

心が本当は問題なのですが、見える問題のほうが、対処しやすい。

本当の時間を創るには、裁く心を納めて、自分の本来の喜びに密着すること。そうすれば、問題の解決方法が、勝手に湧き出るような感覚になってくるでしょう。

現代人に最も悲しいのは、自分の能力の社会的搾取です。

あなたが一番知っている事をわざわざ書きました。すみません。

愛はあなたです。光を自由に使えるのです。どうかあなたが幸せであることを感じ、周りを幸せに感化できますように。

_ ヴァッキーノ ― 2011/04/24 22:32:05

多分、ボクらはこんなことでも起こらないと何が危険で何が危険じゃないかなんて、ちっともわからないし、知ろうともしてこなかったんじゃないでしょうか。
だって、ブログや、ツイッターなんかでも、
こうしてなんか重大な危険が起こってからじゃないと専門的に騒がないですもんね。
放射能とかの数値なんか、それが身体に大丈夫なのかどうかすら、よくわからない。
で、専門的になって政治やなんかが悪いって口を揃えるわけです。
多分、世界にはもっともっと危険なものが沢山あって(隣の席に座った人かもしれない)、だけど誰も注目してないか、あるいはインパクトがないから、認識してないだけかもしれませんね。
世界だろうと日本だろうと
どいつもこいつもみんな、
同じく興味のないオモチャには、見向きもしないっていうことなだけで、
今回は、たまたま原発っていうオモチャを買ってもらったという話しなんでしょうね。
きっと。

_ midi ― 2011/04/25 02:20:04

こんばんはー
皆さんご来訪ありがとう。

よっぱさん
村松さんのメルマガ「[プロ編集者による] 文章上達<秘伝>スクール」、とても面白いです。でも今は開店休業状態だけど(笑)

預言者さま
仕事山積みなのに今日は遊んでしまいました。楽しかったよ。一杯飲んだよー

ヴァッキーノさん
久しぶりですね! ヴァッキーノさんの無事もおさかさんが教えてくれたよ。
ホントによかった。
危険なおもちゃをもてあそぶ、危険極まりないお遊戯は当分、たぶん何十年も続くのでしょうね。お遊戯が退屈になっても私たちはもてあそび続けなくてはならないと思います。

_ つとむュー ― 2011/04/26 22:12:29

文章塾の皆さんがおそろいなので、僕も顔を出させていただきます。
地震予知、できませんでした。規模も本当に想定外でした。今は無力感しかありません。
今回の原発災害で、個人的にショックなことがありました。
僕は第7回文章塾で、「浜岡原発で事故が起こったら家を捨てて逃げる」という内容の作品を書きました。しかし、実際に放射性物質が降って来る事態になったら……、何もできませんでした。
ショックです。作品を書いた時には、本当に逃げようと思っていたのに。
人間、いざという時は何にもできないんだなあ、と痛感しました。

最後に原発について、midiさんに調べてほしいなあ、と思っていることがあります(原発は専門じゃないので。あっ、ここはたまに見に来てますよ)。
一つ目。
全国にある各原発は、福島と同じことが起こったらという想定を始めているのでしょうかね。特にもんじゅでの想定が知りたいです。
二つ目。
電力会社は毎年、原発のある県に多額の税金を支払っていると聞いています。それは、今回のような原発災害の対策に用いられるべきと思うのですが、実際は何に使われているのかが知りたいです。

_ midi ― 2011/04/27 21:20:26

つとむューさん、お久しぶりです!
来てくださってありがとう。
技術者で研究者のつとむューさんのようなかたが、いちばん辛いんじゃないでしょうか。私みたいな、素人のくせにあーだこーだ書き散らす人間がいるからね。心中お察しします。
つとむューさんがお仕事の話をされていたときの、キラキラした瞳が忘れられません。好きで、やり甲斐も生き甲斐も感じて仕事に没頭してらっしゃると、とても好感を持ちました。
つとむューさんたちの仕事のおかげで、活断層の場所や、それらが動いた場合にどの程度の地震となるのか、群発の可能性の有無、津波の恐れの有無、そういったことがある程度推測できるようになっているんですよね。そして今回の地震にしろ、東海、南海地震にしろ、近々に発生の恐れありとは早くからいわれていた(誰が言ってたのかは知らないけど、言われてたんならもっともっと騒いでおいてほしかったと思うけど)。だけど、「○月○日にマグニチュード●の地震が発生する」という、「地震予報」は出せない。天気予報じゃないんですもん、命に関わるし、安易な予報は出せない。何より、地下の話だから見えないし。
でも、予報が出せないということは、予知=あらかじめ知る、ことができていないということ。それじゃあ住民もあらかじめ知っておく、ことなんて決してできない。あらかじめ知っておけないなら災害を防止しようがない。大きな地震はある日前触れもなく突然やってきて、建物を壊し、地割れを起こさせ、津波を誘発し、人の命を飲み込む。列島の住人は、そういうものだと覚悟して、生きるよりほかない。

福島第一は、東電の手抜きとか隠蔽とかいろいろ言われていますが、たぶん全国どこの原発も同じことでしょうね。東電よりも入念で、東電よりもその原発製造技術に優れ、東電よりも安全尊重意識が高い電力会社なんてある? ないよ。同じ穴の狢。

私は原発に詳しくないです、ぜんぜん。詳しい人の開設しているサイトやブログを見ているだけ。ただ、仕事で、オール電化を売りまくっている関電の営業マンとはよく関わりましたから、オール電化推進が原子力発電の増強を前提に掲げられていることは知っていました。それから、発電で使った核燃料のゴミは、海底の深い深い場所に決して漏れない(なんて保証はないのに)ように密閉されて埋められていることも、何かで読みました。クリーンどころか、確実に地球を蝕んでいる、それが原発だということは、漠然と頭の中にありました。

各電力会社は、同規模あるいはそれ以上の地震や津波が起こったときを想定して、施設に瑕疵がないか点検はしたみたいですよ。最近の報道では、非常時に働く安全装置みたいなもんがフル稼働してもほとんど役に立たないことが判明した、と書かれていました。さあ、これからどうするんでしょうね。

原発建設は、雇用に乏しい地方で推進されてきましたよね。原発を誘致する側の心は、これによる雇用創出と多額の助成金を当てにしています。自治体は、原発によってインフラが整うなど、潤うのです。そして当然そのお金はその町のいろいろなことに使われているんでしょう。医療費助成とか各種手当とか役人の給与とか。でも、電力会社から税金以外の何かを直接自治体に支払っているのかどうか、それはよくわかりません。

_ おさか ― 2011/04/28 11:36:59

原発の是非の話ではないですが、ひとつ紹介。
一番納得がいきました。
よかったらhを加えて見てみてください。

放射線は「甘く見過ぎず、怖がりすぎず」八代嘉美
ttp://synodos.livedoor.biz/archives/1710889.html

つとむューさんが逃げられなかった、というのはよくわかります。人間、やっぱり自分の家や生活を全部放り捨てて逃げるってことはなかなか出来ないです。津波で跡形もなくなった町でも、離れたくない、またここに住みたいとおっしゃる方は大勢います。人間として当然の気持ちなのでは?恥じることは全くないと思います。

_ midi ― 2011/04/30 00:10:28

こんばんは。
やっと、まともな休日を過ごしました。
仕事を何も持ち帰らないで、一日まるまる自分と家族のことだけに使える休日。年末年始だってこたつで仕事してたし、いったい何か月ぶりだろう連休がほんとうに連休だなんて!
というわけで今日と明日とあさって、休みなのよー♪ みんな祝ってちょー☆ ほぼ徹連続3週間に耐えた甲斐があったわー(感涙)さー掃除するぞー(笑)布団干すぞー冬物洗うぞー
さっそく今日は、蛙のミドリの水槽を洗ってやった。心なしか気持ち良さそう。空き家になってから放置されていた金魚水槽Bも洗って片づけた。嬉しいのでドーナツ買いに行った◎ ウチでみんなで食べたが、ちと甘すぎるぞあのドーナツ屋。

おさかさん、有用なリンクありがとうございます。
私もほんのときたまですがsynodos行ってます。忙しくてじっくり読む暇がない日々ばかりで、synodosに限らず、たいてい見出しと最初の数行だけ、でも報道記事はそれで足りても、論文はなかなか読了まで辿りつけない(睡眠確保のほうが大事という名目で寝る。笑)
せっかくの休日だが、明日は娘が早朝から弁当持ちで出るので超早起きせないかん。実は今朝もこっそりそうだったのだが寝坊してしまい逆に娘に起こされた。ごめんよーでも午前1時まで取引先にいたんだよー

なんてゆーてると明日も寝坊する。ではおやすみなさい。

_ つとむュー ― 2011/05/13 22:10:51

midiさん、おさかさん、ありがとうございます。
専門家はいろいろとシガラミがあるので、その発言は注意して聞かないといけません。僕も今の仕事を失いたくないので、変なことは言えず、役には立ちません。こんな時は、midiさん達の方が客観性のある情報を発信できると思うので、とても期待しています。情報収集については、僕より専門のはずですから。

武田先生の、『原発の運営は、戦艦大和のようでなくちゃいけない』という言葉が記憶に残っています。命を賭けてこの原発を守ろう、という人達が少なかったことが、今回の件の根底にあると個人的には思っています。そういう意識があれば、原発にいた保安員の人も地震直後に逃げずに現場で頑張っていたことでしょう。

_ midi ― 2011/05/14 09:19:38

おはようございます。つとむュ—さん、再訪ありがとう!
原発に限らず、何に対しても愛情が足りないんじゃないだろうか日本人て、と思うことがありますね。うーん、語弊があるかなあ。あえてあまり愛着を持たないように心がける習性。作品とか制作物とか研究対象とか、ともすれば自分の子のように愛おしいもんでしょう? 私はチラシ一枚にも自分の愛情を注ぎますが、上司や経営者はそんな姿勢はプロじゃないみたいなことを言いますしね。つくったもんはつくったもん、として執着しない。そうでなければいけないって。でも、ある種のもんにはそれでよくてもある種のもんにはイカンでしょうね。

愛するウチダさまが少し前に「原発供養」のことを書いていたけど凄く共感したんです。現場の作業員さんたちからすると何ノンキなこと言ってんだ、てな感じかもしれないけど、私たち逆立ちしたって現場の作業員にはなれないんです。遠くからハラハラして見るだけ(しかも映像ででしか見ないの)で。長年働いて、耐久年数超えてこき使われて、あげく不慮の大災害でぼろぼろになって、不本意にも毒まき散らして、世界中から敵視されるなんて。どうか安らかに眠ってね、お願いよ、と線香あげて祈るくらいしか、できないの。

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