Pardon, je suis fatiguée...2011/07/06 20:16:57

ちょうどいま……、疲れがカラダのバケツに収まりきらなくなってバケツからあふれ出てるけど、長期間溜まりすぎて底のほうはヘドロのような沈殿物がのべええーとへばりついていて、うわずみ液、といっても澄んではいないさもちろん、うわずみ液ばかりが後からくる疲れに押されてあふれ、どろどろと流れ出る。まとわりつく粘液に足をとられて歩けない。どべっ。あ、コケた。……という感じで起き上がれない。もうアカン。こんなに地球の重力、強かったか? いや単にあたしが重いのか? 夕べは私の座布団を占領してすやすやと眠る猫の背中に顔くっつけて、ちょっと座布団の端っこ貸してよと横になって……そこからの記憶がない。明け方、猫が私のわき腹の上をのしのしとことこと肉球で踏みつけて歩いて越えていくまで気づかなかった。横たわると寝る。だから決して横たわってはいけない。そう思って決死の思いで(大げさ!)立っていたり座っていたりするんだけど、気が緩むと床にへたり込んでいる。床にへたり込んでかろうじて上体は起こしているけれども、寝ている(笑)。

そうでなく、眠くなくて意識がはっきりしているとき、体内に妖艶な大蛇を棲まわせているごとくの重さを感じていたとしても、ふと、いっさいの曇りや濁りがとれて眼球のうしろ側の脳内がすっきりクリアになるのを自覚できるとき、思いがけないことだが私は泣いている。えへんえへんううっううっと泣くのでもしくしくずずずと泣くのでもない、ただ涙があふれて止まらない。あふれるにまかせているといつまでもいつまでも流れ続ける。単に結膜炎の悪化やないのん?と思いたいところだが、ではない。

頭の中がクリアなとき、つまり仕事のことや家のことでいろいろと算段をせず、やり繰りも検討もせずにすんでいるとき、つまり何もないとき、脳内スクリーンに浮かぶもの。

ミドリ。キンスキー。ドーニャ。ギンコ。ノブナガ。ヒデヨシ。イエヤス。
(以上、お亡くなりになった我が家の魚類両生類爬虫類)

……なんやねん、そんな話かっ  といわないでくれ。


仕掛けた毒餌を食べて果てた鼠。轢かれた鳩。轢かれた野良猫。

殺処分された牛。殺処分された豚。殺処分された鶏。

隣のおばあちゃん。向かいのおばあちゃん。路地奥のおばあちゃん。

伯母の死に顔。父の骨。呼吸していた父。目を開いていた父。起きていた父。喋っていた父。食べていた父。飲んでいた父。笑っていた父。

倒れた阪神高速。燃える長田区。崩れた住友銀行。シェイクされてぺしゃんこになった加奈子の家。倒壊した隣家に押されて半壊した桃香の家。

モスクワの劇場で死んだ男女。ベスランの小学校で殺された子。四川の小学校で瓦礫に潰され死んだ子。エレベータの中で撃たれ死んだアンナ。

そそり立つ黒い津波。濁った飛沫をあげて這うように進む津波。舟を、港を、車を、家を、町を、ごくりと呑む津波。

瓦礫。焼け野原。へばりついた泥もひからびた写真。ふやけたまま乾いた雑誌。首の取れた人形。瓦礫。瓦礫。瓦礫。

見つからないまま埋もれている人。見つかる前に腐敗した人。誰にも見えないまま流された人。そこにいるのに見つけてもらえない人。ここまで来たのに息絶えた人。

父を待つ子。母を捜す子。子を捜す母。子の写真を抱く父。

失くしたものを思うときに、心に去来する何か。形にならない、色も匂いもないその何かを脳裏に映し私の眼から涙が流れる。

コメント

_ 儚い預言者 ― 2011/07/07 01:15:34

愛の慈しみは、例外が無い。無条件で無限だ。この世は制限があり、条件だけが意味があるから、愛は無意味で、生きるには、邪魔な代物だ。この本末転倒が世の常である。怖れるものは、防護して、余計に怖れを凝縮して顕在化する。愛はただ沈黙である。

私達は愛されている。そして永遠のいのちである。いままで一度も傷ついたことも、害されたこともない。夢である。夢であるから、傷ついたり、死ぬことが可能であるのだ。そうして、愛の学びを深め、愛に還るのである。

この世は、一期一会であるが、愛の夢では、どんな物事も、どんな命も、同じひとつの、親しい仲間であり、永遠の友である。

休みなさい。休みを自分に許しなさい。決して見捨てはしません。あなたの価値は誰も奪うことは出来ない、永遠のいのちです。

_ midi ― 2011/07/07 20:06:04

ありがと。峠越えももうちょいだから。いつもすみません。だいじょぶよ。

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