Je me demande si tu m'aimes toujours et si je peux faire quelque chose pour toi, et, et s'il vaux mieux qu'on se voit plus... ― 2011/09/26 20:43:20
もしかしたらもう二度と会うことはないかもしれないのだ。もう二度と、電話やメールを交わすことはないかもしれないのだ。じゃ、おやすみ。それが最後の言葉になるかもしれないのだ。
いちいちそんなことを考えて日々暮らしてはいない。けれど、あれがあいつとかわした最後の言葉になってしまった、の「あれ」を、覚えているか君は? 二度と会えなくなってしまった人との、最後の交信を、覚えている?
私は、見事に覚えていない。私より先に逝った人たちとの話ばかりしているのではない。意図的に会わなくなった人も、いるだろう? その人と、最後に何を話したか。私が相手に投げて捨てた言葉はなんだったのか。もう覚えていない。そのくせ、忘れられない言葉がいつまでもいつまでも皮膚の奥に入り込んでしまった「そげ」のように、引っ掛かって残って、疼く。
「かつて君と関係があったからこんな話を持ってきたんじゃないんだ。一仕事人として、一仕事人に頼んでるんだよ」
あるとき慎吾が私に言った言葉だ。あれほどまでに長い間私たちは恋人であったのに、それを清算したのはそれなりの理由があったのだからしょうがないんだけれど、あんなにべたべたしてたのに、私が慎吾から聞いた台詞で真っ先に思い出すのがこれだ。味気ないにもほどがある。私たちは、コーヒーだけで、毒にも棘にも薬にもならない会話をいくつかやり取りして、仕事の話は不成立に終え、かつての余韻に浸ってみたいよな、もう少しつき合えよ、ウォッカを飲みたいね……なんつう会話はひと言もせず、その喫茶店をあとにして別の方向に歩いた。最後に私は慎吾になんと言ったのだろう。慎吾は私になんと言ったのか。全然覚えていない。先述したイケてない台詞だけが耳にこびりついている。慎吾は今何をしているのだろう、とふと思い出すことがあって、そんなときに思い出すのがこの台詞だ。声まで覚えている。色気がないにもほどがある。
「君の活躍を世界の片隅で祈っています」
川瀬君がよこした手紙の最後の一文だ。川瀬君はバリ島で出会ったナイスガイで、ジャカルタで働いていたが休暇でバリに来ていたのだった。実は大失恋を引きずっていて、どうにも立ち直れなくてダメなんだーみたいなことも言っていた。私はそんな川瀬君に何を言っただろうか。私も川瀬君も若かった。私は披露するような恋バナのネタがなかった(つまみ食いばかりしてたから)。だけど川瀬君は全身全霊で愛したその年上の女性を思い切ることができたらやっと二本足で立って歩けるような気がするんだといっていた。若いのに、私の何倍も濃縮した人生を生きている、そんな気がして、一緒にいるのがチョイこっ恥ずかしかった。帰ってしばらくしてから、彼から手紙が来た。ジャカルタでの契約が終わって九州の実家に帰って仕事を探していると書いてあった。日本で働くのは性に合わないとも。そして私のことを持ち上げ誉めそやして、上の一文で手紙を締めくくっていた。なんなんだよお前は。たしかそんなふうな感想をもった。失恋からは立ち直ったのか? で、あたしのことはそれでいいのか別れ際はあんなに辛そうだったじゃんかよ? 川瀬君ともバリでの一週間だけという短期間だったけどあんなにべたべたしたのに、覚えているのはその最後の手紙の一文だけなのだ。何が世界の片隅だよ。たしかに、今どこにいるのかわからない。南アジアが似合っていたけど、意外と大阪の消費者金融にいたりするかも知れん。ただ、なんにせよ私は彼が放ったひと言を覚えているけれど、彼は私の言葉を覚えているだろうか? 私も覚えていない言葉を、相手は覚えていてくれたりするもんだろうか? ああ、あんな女いたっけな、あいつ今どこで何してんだか……そんなふうに思い出すことがあるんだろうか? そのとき、どんな台詞をともなって、私は脳裏に浮かび上がるのだろう?
「おまえ、やっぱり桜井はあかんのけ?」
雅彦とはくだらない話や面白い話をいっぱいしたのに、桜井君の告白幇助の際のこの台詞ばかりが思い出されて泣けてくる。桜井君はあのとき、私がごめんなさいを言った後、受話器の向こうで泣き出したみたいだった。「あ、おまえ、桜井泣かしたなー責任とってつきあったれよ」「あほなこといわんといてえさ」「桜井、ええやつやぞぉ」「知ってるよ。でもそれとこれとはちがうやん、もう。切るよ」「あっおい、おいってば」
雅彦は帰らぬ人になってしまい、桜井君はテレビ番組のテロップに名前が出るほどの凄腕ギョーカイ人となってしまい、これまた遠い人なのであった。桜井君とは電話口でごめんなさいを言ってから卒業までひと言も話せなかったので、同窓会で会わなければ、唯一自分が最後に放った言葉を覚えている相手になるところだったのだが、同窓会でくだらない話をいっぱいしたので、東京へ帰る彼に最後になんと声をかけたか忘れてしまった。ただ私は、中学生のときの面影を色濃く残す桜井君と喋りながら、雅彦のことばかり思い出されて、でも、あの電話での告白のことを話題に出したら泣いてしまいそうで、だから、桜井君アンタあたしにコクったやんなあ、なんて笑い話はできなかった。ほかの同級生がカラオケで懐メロを歌っているとき、桜井君は私に訊いた。
「フランス人って、そんなにいいの?」
吹き出した。いや、べつに、そんなことないけど。日本の男とは傷が深くなりすぎるんだよ、どんなに皮膚が再生しても痕が残ってまた掻きむしってしまうしね、たいした傷じゃないのに、いつまでも消えない。そういいかけたけど、言わなかった。そんなふうに、真面目には話せなかった。いや、べつに、なんでかなあ、あはは。でも、桜井君の台詞としての最後の記憶が上の台詞っていうんはちとサビシイから、今度京都に帰ってきてくれたらもう少しマシな会話をしようと思ったりする。
これが最後、にしたくない相手がいる。どうか消えてしまわないでほしいと切に願う人がいる。私はこんなにも、寂しがり屋だから、誰ひとり、もう失いたくない。でも失わないために何をすればいいのか、それが全然わからない。会いたい。