C'est moins intéressant qu'avant.2011/10/03 22:08:17

『トゥルー・ビリーヴァー』
ヴァージニア・ユウワー・ウルフ著
こだまともこ訳
小学館(2009年)


『レモネードを作ろう』の続編。
ヒロインのラヴォーンは15歳になっている。
続編といっても、本書の物語は完結しているので、
『レモネードを作ろう』を読んでいなくてもこれはこれで楽しめる。
楽しめる、といったが、
『レモネードを作ろう』に比べるとかなりつまらない。
『レモネードを作ろう』が、けっこう、
米国に点在するスラム街に潜む、
相変わらず解決されていない問題をあぶりだすと同時に、
それでも解決しようと多くの人々や組織が、
積極的な動きを見せていることを、
物語のベースで語っている……という意味で
読み応えがあったといえるのに比べて、
本書『トゥルー・ビリーヴァー』は、
軸になっているのがヒロインの純粋な恋心だったりするので、
いくら米国社会の病巣をやはり描いている、といっても、
訴求力はかなり弱いといえばいいだろうか。
で、こんなふうに、前作同様、
文をブツ切って書かれているので、
やっぱ女子高生のつぶやきとゆーか、
ケータイブログ見ているみたいというか、
若干じれったくてイラつく挙げ句に
ヒロインの恋はなーんだありがち、な感じで終わる。
ヒロインの母の恋もなーんだありがち、な感じで終わる。
だから私などはつまらねえ、と思う。

いや、しかし。

それでも、日本のティーンエイジャーに読んでもらいたい!
と強く思う。
そのわけは、ヒロインのラヴォーンが、
将来、面接試験を受けたり、大学進学や就職をして、
社会へ出るときのために、
「正しい話し方」の授業を受けるシーンが
頻繁に出てくるからである。
原書では当然「正しい米語文法」を教師が教えているはずだが、
訳者はみごとに、現代の日本語の乱れをそれに呼応させ、
我が国の、めちゃくちゃな若者(ばかりではない)の言葉遣いに
間接的に警鐘を鳴らしている。
日本の中高生、必読。
たぶん君たちなら、面白く読めるんじゃないかな。
『レモネードを作ろう』は、
ちょっと日本の状況とはかけ離れていたけれど、
本書はもう少し自分に引き寄せて読めると思う。
でも、恋の行方はとってもアメリカ的だけどね。
両作とも、出版社はそれぞれ「感動の大作!」なんていってるけど、
それほどでもない。
どちらも、等身大の物語でありながら、日米の文化の違い、
社会の違いをこれでもかと知らされる内容だから、
ある人にはショッキング、ある人には「ついてけねえー」、
ある人には織り込み済み、または関心外だろう。
それでも両作とも読む価値はあるよ。

このヒロイン、ラヴォーンの物語は3部作らしい。
次の物語では、ラヴォーンはさらに成長しているだろう。
私としては、もうちょっと脱線してもらいたい。
この2作とも、ヒロインはいい子過ぎる。
周りがハチャメチャなので、
ヒロインの常識人ぶりが不必要に際立つ。
大人にぐっと近づく前に、ぐたぐたべこべこになった
ラヴォーンを書いてくれたらもう少し読む気が起こるかも。


さて、作家志望の諸君のために著者紹介。著者はあのヴァージニア・ウルフとは全然関係なくて(まだゆってる)、こんな人である。どっかのサイトの引き写しでごめん。作家としては遅咲きみたいよ。

ウルフ,ヴァージニア・ユウワー
Wolff, Virginia Euwer
オレゴン州ポートランド生まれ。大学を卒業してから結婚し2児をもうけた後、小学校、高校で英語を教える。後に離婚。50歳を過ぎてから執筆をはじめ、現在は教職をやめて作家活動に専念し、ヤングアダルト向けの作品を書き続けている。デビュー作品で国際読書協会賞ほかを受賞して以来、数々の賞を受賞している。邦訳は『レモネードを作ろう』(徳間書店)。

Merci pour tous !!!2011/10/04 20:12:31

知らなかったんだけど、ウエブカウンターを設置してから4年が過ぎた。ほいで、アクセス数が4万ちょい。1年に1万ヒットの割合? 1日に27強。
なかなかやるやん、あたし。といっても、そのうちの相当な割合が自分なんだろーなー(笑)

ここで私が書いてることって、真偽ごちゃ混ぜで針小棒大、嘘とか法螺とか作り話のてんこ盛り。

でもでも、読んでいない本を「読んだ」といっていい加減なことを書いたりはしないし、つまらないものはつまらないと書くし、面白いと思ったら手放しで称賛する。

本の話ばかりじゃなくて、日頃のぐだぐだも書く。日頃のぐだぐだは真偽ごちゃ混ぜで針小棒大、嘘とか法螺とか作り話のてんこ盛りなわけだけど、誠意あるコメントをくださる皆さんには本当に感謝している。的外れなコメントをくださる方にも、的外れなレスを返してお茶を濁す(笑)。濁しても、感謝している。

書いたものって、どうとでもとれる場合のほうが多い。「そんな」つもりじゃないのに「そんな」ふうに解釈されて、困ることも苛立つことも、逆に勘違いで嬉しいことも(笑)ある。
実は私は、そんな行き違いをあまり楽しめる性質(たち)ではない。
書いたものでの公開議論なんて、議論にならないと思っていたりする。日本語うまくないから余計に。
顔を見てきちんと議論するのは好きだけど。
あ、それと、ごくごく親しい人との私信のやり取りはまた、別ものだし。


だから、30年前くらいかなあ、ニ○ティサーブとかホニャララとかのフォーラムにフランスのニュースを投稿するという仕事をしていたのだけど、覗いてみると、なんだか近寄れない雰囲気があふれ出てて、不思議な世界だと思っていた。インターネットが普及し始めてからも、昔から掲示板への書き込みは長続きしなかった。まして、こうしたブログが発達しても、(かつて有志が集った文章塾のように目的のある投稿とコメントでなければ)コメント欄はともすれば匿名をいいことに中傷罵倒が先を争う「白いマットのジャングルに今日も嵐が吹き荒れる~♪ルール無用の悪党に~♪」みたいな場になってしまう。そんなの、無意味で無駄だもんね。

自分のブログが踏み荒らされたらさっさと閉じようと思っていたけど、幸い、読んで時たまコメントをくださる(くださらなくても)皆さんのおかげで、私にはよいオアシスor道楽orひまつぶしorストレス解消の道具になっている。

みんなありがとうね。
去年と同じペースで仕事が回るとすると、今月、いちばん忙しいんだ。
過労死しないことを祈っていてくれ。
生きてたらまた何かエントリするし。

空が澄み渡って美しい季節になった。
あっちでもこっちでも地球の裏側でも、空が等しく生きとし生けるものすべてに微笑みかけますように。

Est-ce que cela marchera?2011/10/05 20:17:30

昨日、空が澄み渡っていい季節だとかなんとかカンとか書いたってのに、今日は土砂降り。テンション下がるなー。
さなぎと前からランチの約束してたので店の前でヤツを待つ。ドア前のプレートに「水曜日レディースデイ!」だって! これはラッキー♪
さなぎは前期期末テスト中。午前中でその日の試験は終わるが、競技会を間近に控えた陸上部は午後練習があるのでずっと「お弁当を持っていかなあかんねん~」。が、今日はマネージャーは参加フリーのお達しが出たので「お母さん、ほら、前から目ぇつけてた、会社の近くのお店、連れてってえ」。
土砂降りだというのに傘を片手にチャリンコで来た娘。いっとき、危険だからと「片手傘乗り」を厳しく取り締まっていたけれど、やめたのかなあ? 傘差してチャリで走っているとぴぴぴっと笛鳴らされて、「傘を差すなら降りてください。でなければ傘を閉じてください」と拡声器で怒鳴られたり。人通りの多い交差点には四つ角それぞれに警官がいた。ああいうキャンペーンめいたことをするときって、暇なんだよね、きっと、警察。携帯電話で喋りながら走っている子も停められてたなあ。いっとき集中的に取締りをして、効果が現れたってことなんだろうか。でも、傘差して走ってる人なんていくらでもいるけどなあ。私も娘もやめてない、傘。私はケータイ操作もやめてない。というか、やっと、最近、片手で操作できるようになったのさ(笑)。

「テストさ、けっこうできたで」
「ほんま? そらええニュース」
「うん。運がよければ50点ある」
「それは50点満点、100点満点?」
「100点満点。へへへ」
「どっち? 数学、世界史?」
「数学」
「そら上出来。世界史は?」
「無知の知ってゆーた昔の哲学者ってソクラテスやんな?」
「えっ……お母さん、知らん、そんなん」
「たぶん、合うてんねんけど、すぐに思い出せへんかって、アから順番に探してん」
「アからって……アルキメデスとか?(笑)」
「誰それ?」
「いや、忘れてくれ」
「ア、イ、ウ……って人の名前探してて、ソまで来てソクラテス思い出してん」
「それは素晴しい快挙や。でも問題、それだけとちゃうやろ?」
「うん」
「ほかの問題はできた?」
「びみょー」
「ソクラテスだけは確実に得点できたし、けっこうできたってことになんねんな」
「うん」


最近会った、いろいろな友達の話をした。私の友達だが、さなぎが見知っている人もいる。30年ぶりに会って盛り上がる同級生とか、ネット上の活動を通じていきなり親しくなる仲間とか、私の交友の在りかたのある面は、彼女には不思議に映るようである。とくに近頃、家ではMacにはりついて友達とメールしたり、ゆうちゅうぶで古いドラマ見たり、ほしいものを検索したりして、遅ればせながらネットサーフィンの日々を楽しむ娘である。高校生の恋愛相談掲示板みたいなやつも覗いている(笑)。以前、さなぎが開けっ放しにしていた画面を見ると、「先生のこと好きになっちゃった」女子高生が書き込んでいた(笑)。
ネタは何でもいいらしいが、ネット上でのコミュニティーに興味があるらしい。誰か不特定多数と意見交換してみたいみたいなことを言う。

福島第一原発が爆発した直後、あるとても若いタレントさんが「原発反対」を自身のブログで主張して、コメントが殺到して炎上した話をした。その14、5歳の少女タレントさんは、すごい売れっ子でもなかったけど、それで一瞬有名になった(でも私は名前忘れちゃったけど)。そんなこともあって、売名行為とも言われたし、現場の労働者の苦労も知らずに勝手なことを言う小娘と罵られてもいたが、大手電力会社の顔色を窺って何もいえない腰抜けの大人どもに比べて、純粋で素直でまっすぐな意見だ君はエライ、ウチの子にも君の主張を聞かせたい、といった賛辞もあったよ。
というような話をしたり、愛するウチダのブログもかつてはコメント投稿できたけど、ネチネチと難癖つけにしか来ない奴がいて、そいつを叩くために内田シンパがまた暴言を吐くから収拾つかなくなってコメントできなくなってしまったよ、という話もした。また、私が今でも所属している翻訳クラブは会員制の閉じた世界で、志を同じくする人の集まりだからいい加減な人間はいない、とか、またかつて盛んに活動した文章塾は開かれた場だったけど、紳士淑女の集まりだった、悪い人変な人ボケた人は全然いなかった、考えてみれば奇跡だったかも、という話もした。

インターネットの大海には、本当にいろいろなものが泳いでいるし、いろいろなものが浮いている。なにもかもが素晴しいものではない。ゴミもある。ただ、ある人にはゴミに見えるものが、ある人にはガラスの空き瓶に閉じ込められた宝の地図のごとく、有益なものに見えることもある。だから鑑識眼をもたないと、ネットとのつきあいはとても疲れる。
ということをいいたかったのだが、わかってくれただろうか。

学校では、探究という科目の中で情報リテラシーについて学んでいるらしい。しょっちゅう小論文を書かされているが、テーマを出され、インターネットでの事前調査を宿題にされている。キーワードをぽいっと提示されて、そのキーワードだけ追いかけていては堂々巡りだから、「その周辺の言葉を拾って情報範囲を広げていかないとあかん、その際の言葉の拾いかたできっと差がつくんやで」というと、「お母さんはそういう言葉の拾いかた、うまいやんな」とニッと笑う。前にも書いたかもしれないけどヤツは私を辞書代わりに使うばかりでなく検索ワード抽出機としても活用しておる(笑)。最近、鼻が利くようになったのかあまり「なあなあお母さん、○○は◇◇であるということについて調べるときはなにで検索したらいいと思う?」みたいな質問をしなくなった。小論文の採点結果はすこぶるいいらしい。「お母さんに見せたら赤ペンで真っ赤に添削したヤツ、あったやろ? あれ、面倒くさいから何も直さんと出したけど、満点やったもんねー」
呆れた論文指導教師がいたもんだっ(怒)(笑)

それでふと思ったが、中高生向けに小論文塾みたいな場を設けたら流行るだろうか?




ところで、今日は百恵ちゃんがさよならコンサートを武道館で開いた日だったって。夕刊紙の「今日は何の日」欄に書いてあった。夕刊を読むのは久しぶりだった。なぜ久しぶりに読んだかというと、弟のコラムが載る日だったからである。で、今日のはつまらなかった。というか、やっぱしヤツの文章はイマイチ独りよがりだ。学生のときからそう言ってやってるんだが、まああの頃よりはずいぶんコマシになったが、さなぎの小論文じゃないけど、アタシが事前に読んだら真っ赤にするところだ(笑)。ま、学者の書くもんなんてみんなよがってるけどな。まだヤツはひよっ子だから許されるんかも。

やっぱ小論文塾、やろか?

Un reportage qui raconte une caractère nationale très japonaise...2011/10/11 03:13:51


選択的地デジ難民なのでテレビを全然視ていないのだが、インターネットのおかげで便利になった。NHKでこのような番組が放送されたそうだ。辛いけれど視てほしいと思ったので貼っておく。


巨大津波「その時ひとはどう動いたか」 投稿者 torrentru


大きな被害に遭い、家族を亡くしたにもかかわらず、取材者に冷静に答える人たちの表情が、自分のような被害とも復興とも無縁の人間にはたいへんこたえる。言葉がない。

Lui aussi, a vrai dire, mon hero!2011/10/14 21:17:44


『日本改造計画』
小沢一郎著
1993年(講談社)

フランスを少しばかり知るということは、政治を少しばかり知るということである。私は、高校時代に確か大平首相が亡くなったが、彼が政治家として辣腕だったのか誠実だったのか、何も知らなかったけれど、その前任、前々任……は妖怪陳列棚さながらだったので、お年は召していたが上品なお爺さまだからよいではないかなどと思っていた。したがって、訃報にはいささかショックであった。しかしその後も妖怪陳列棚は続いた。日本の政治の現場には何もそそられるものがなかった。筑紫哲也や吉本隆明を読めというゼミの先生たちの勧めに逆らうつもりもなく読みはしたが、だからといって、政治に関心をもつなんて、ダサイ以外のなにものでもなかった。が、私は、ふとフランス留学を思いつく。好きな映画の舞台になった街を見たいと思う。面白い小説を原書で読みたいと思う。バカ高いシャトーのワインでなく、地元の小さな酒屋やスーパーで売ってる地ワインを二束三文で買って飲み「うまい」といいたいと思う。いろいろな希望が折り重なって渡仏してみると、かの国は、ティーンエイジャーが政治ネタでジョークを飛ばして会話する政治意識先進国なのだった。知り合った地元の若者たちと、マンガや禅やセレモニデュテやトリュフやフォアグラやムール貝の話に花を咲かせながら、彼らの言葉の端々に、尾ひれ背びれのように時の首相や大統領の物真似や、過去の政治家語録をもじった言い回しなどが出てくるたび、私は正直に戸惑って見せた。彼女にはそんなこと言ってもわかんないだろ、いやしばらくここに居ればさ、誰の真似してるかなんてすぐにわかるようになるさ、夜7時のXXXって番組で閣僚ネタの小噺やってるよ……。今でもフランスの若者が政治をよく知っているのかどうか知らない。知らないが、少なくとも20年前って、政治への関心の度合いにしろ有権者の投票率にしろ、日本とフランスあるいは日本と欧州って天と地ほども差があった。
フランスのメディアは政治を面白く書き立てることに長けていた。私は向こうでそんなに新聞を読めなかったけど、とにかく、各紙違うことを1面で言っている、同じことを言っていても表現がぜんぜん違う、ということは、よくわかった。だからって、意識をいきなり高めたわけでもないけれど、私は帰国してから購読紙の政治面をよく読むようになった。読むようになったからといって日本の政治が面白く感じられたわけでもなかったが、遅ればせながらこのままじゃいかんよねこの国、くらいの意識はもつようになっていた。ウチは、私の祖母がたいへんなやり手婦人だったらしく、あっちの代議士こっちの市会議員の応援演説に立ったらしくて、嫁に来たばかりの頃、そういうお客さんが頻繁に来ては深夜まで飲んでいかはったわと後年母は憎々しげに語ったものだ。いずれも所属政党は自●民●党だったし、昔はこのボケナス党以外の政党を支持するなんてただの変わり者か馬鹿だったから、みな長いものに巻かれてなびいていろいろばら撒いてももらってめでたしめでたしだったのである。
私自身はそこに批判的な目を向けるでももちろんなかったし、胡散臭い親父が何人来ようと関心外だった。祖母の葬式にはなんであんたが来るのよ、みたいなエライセンセイたちがいっぱい来たらしい。我が家はその後金回りが悪くなって、父は借金をやたらしていた。
なんとなく、祖母の晩年から死後の数年間を、ウチの家そして地元のまちを生きてきて、ものすごく嫌な空気の存在を感じ続けていて、あるとき我慢ならなくなった。けったいな議員と酒飲みに行くのやめてよ、あいつらウチになにもしてくれへんやん。泥酔して帰った父に私は一度だけそう怒鳴ったことがある。

とはいえ、大人になった私は家も親も先祖もどうでもよくなっていたので勝手に人生の歩み方を決め、フランスで若い男の子たちに政治の味を教えてもらって帰ってきた。帰国後しばらくして、出版されたのが本書だ。私はこの本を、このうえなく愛した。むさぼるように舐め尽くすように、読んだ。読後しばらく私の口からはこの本の受け売りしか出なかった。

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小沢元代表 初公判の全発言
(NHKニュース 10/06 14:00)
【小沢元代表の発言のすべてです】
今、指定弁護士が話されたような事実はありません。
裁判長のお許しをいただき、ただいまの指定弁護士の主張に対し、私の主張を申し上げます。
指定弁護士の主張は、検察の不当・違法な捜査で得られた供述調書を唯一の根拠にした検察審査会の誤った判断に基づくに過ぎず、この裁判は直ちに打ち切るべきです。百歩譲って裁判を続けるにしても私が罪に問われる理由はまったくありません。なぜなら、本件では間違った記載をした事実はなく、政治資金規正法の言う虚偽記載には当たりませんし、ましてや私が虚偽記載について共謀したことは断じてないからです。
また本件の捜査段階における検察の対応は、主権者である国民から何の負託も受けていない一捜査機関が、特定の意図により国家権力を乱用し、議会制民主主義を踏みにじったという意味において、日本憲政史上の一大汚点として後世に残るものであります。以下にその理由を申し上げます。
そもそも政治資金規正法は、収支報告書に間違いがあったり、不適切な記載があった場合、みずから発見したものであれ、マスコミ、他党など第三者から指摘されたものであれ、その政治団体の会計責任者が総務省あるいは都道府県選管に自主申告して収支報告書を訂正することが大原則であります。贈収賄、脱税、横領など実質的犯罪を伴わないものについて、検察や警察が報告の間違いや不適切な記載を理由に捜査すると、議会制民主主義を担保する自由な政治活動を阻害する可能性があり、ひいては国民の主権を侵害するおそれがある。
だからこそ政治資金規正法が制定されて以来、何百件、何千件と数え切れないほどの報告間違いや不適切な記載があっても実質的犯罪を伴わないものは検察の言う単純な虚偽記載も含めて例外なく、すべて収支報告書を訂正することで処理されてきました。陸山会の事件が立件されたあとも、今もそのような処理で済まされています。それにも関わらず唯一私と私の資金管理団体、政治団体、政党支部だけがおととし3月以来1年余りにわたり、実質的犯罪を犯したという証拠は何もないのに東京地検特捜部によって強制捜査を受けたのであります。もちろん、私は収賄、脱税、背任、横領などの実質的犯罪はまったく行っていません。
なぜ私のケースだけが単純な虚偽記載の疑いで何の説明もなく、突然現行法の精神と原則を無視して強制捜査を受けなければならないのか。これではとうてい公正で厳正な法の執行とは言えません。したがってこの事例においては、少なくとも実質的犯罪はないと判明した時点で捜査を終結すべきだったと思います。それなのに、おととし春の西松事件による強制捜査、昨年初めの陸山会事件による強制捜査など、延々と捜査を続けたのは、明らかに常軌を逸しています。
この捜査はまさに検察という国家権力機関が政治家・小沢一郎個人を標的に行ったものとしか考えようがありません。私を政治的・社会的に抹殺するのが目的だったと推認できますが、明確な犯罪事実、その根拠が何もないにもかかわらず、特定の政治家を対象に強制捜査を行ったことは、明白な国家権力の乱用であり、民主主義国家、法治国家では到底許されない暴力行為であります。
オランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、近著「誰が小沢一郎を殺すのか?」で「小沢一郎に対する強力かつ長期的なキャラクター・アサシネーション、『人物破壊』は、政治的に類を見ない」と言っています。「人物破壊」とは、その人物の評価を徹底的に破壊することで、表舞台から永久に抹殺する社会的暗殺であり、生命を奪う殺人以上に残虐な暴力だと思います。
それ以上に、本件で特に許せないのは、国民から何も負託されていない検察・法務官僚が土足で議会制民主主義を踏みにじり、それを破壊し、公然と国民の主権を冒とく、侵害したことであります。
おととしの総選挙の直前に、証拠もないのに検察当局は捜査・逮捕権という国家権力を乱用して、私を狙って強制捜査を開始したのであります。衆議院総選挙は、国民がみずから主権を行使して、直接、政権を選択することのできる唯一の機会にほかなりません。とりわけ、2年前の総選挙は、各種世論調査でも戦後半世紀ぶりの本格的な政権交代が十分に予想された特別なものでありました。そのようなときに、総選挙の行方を左右しかねない権力の行使が許されるとするならば、日本はもはや民主主義国家とは言えません。
議会制民主主義とは、主権者である国民に選ばれた代表者たる政治家が自由な意思により、その良心と良識に基づいて、国民の負託に応え、国民に奉仕する政治であります。国家権力介入を恐れて、常に官憲の鼻息をうかがわなければならない政治は、もはや民主主義ではありません。
日本は戦前、行政官僚、軍部官僚検察・警察官僚が結託し、財界、マスコミを巻き込んで、国家権力を乱用し、政党政治を破壊しました。その結果は、無謀な戦争への突入と悲惨な敗戦という悲劇でした。昭和史の教訓を忘れて今のような権力の乱用を許すならば、日本は必ず同様の過ちを繰り返すに違いありません。
東日本大震災からの復興はいまだに本格化できず、東京電力福島第一原子力発電所の事故は安全な収束への目途すら立たず、加えて欧米の金融・財政危機による世界恐慌の恐れが目前に迫ってきている時に、これ以上政治の混迷が深まれば、国民の不安と不満が遠からず爆発して偏狭なナショナリズムやテロリズムが台頭し、社会の混乱は一層深まり、日本の将来は暗たんたるものになってしまいます。
そうした悲劇を回避するためには、まず国家権力の乱用を止め、政党政治への国民の信頼を取り戻し、真の民主主義、議会制民主主義を確立する以外に方法はありません。まだ間に合う、私はそう思います。
裁判長はじめ裁判官の皆様の見識あるご判断をお願い申し上げ私の陳述を終えます。ありがとうございました。
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(リンクのリンクのリンクを辿って見つけたけど、引用元、忘れちゃった。ごめんなさい)

そんなわけで、いまごろ小沢シンパであることをここに暴露するのである(爆)

ふたごみたいな今朝のお弁当。

手前がさなぎ用、奥が私用。
ご飯の間には鶏そぼろがサンドしてあります。
私たちは幸せであることを認めなくてはいけないが、この幸せがなにものにも侵されないために考え続けなくてはいけないことが、山積している。

Marron, le fruit du marronnier2011/10/31 18:09:30

取材のために歩いた山間の遊歩道で見つけた栗。

山の中を歩いても、私にはどの木が何の木かなんて、てんでわからない。こうして実が落ちていると、あれと見上げる。見上げた先に、同じような実が生っていて、初めてその木がそれとわかる。わかるが、わかるのはそのときだけだ。その山や森を離れたらもう忘れる。通勤路に見事な石榴を実らせるお宅がある。立派な枝が道にせり出し、暑い夏にいよいよ葉を茂らせて陰をつくる。だんだんとついた実が大きくなり色づいていくはずなのだが、毎日通るくせに気づかない。やがて急にキュンと肌寒くなったある朝、真っ赤な石榴がはじけてその果肉を恥じらいもなく露わにして初めて、あ、これ、石榴だったんだそういえば、と思い出すのである。

ぜんぜん更新しないブログに足を運んでくださる紳士淑女に深く感謝申し上げる。チョー忙しいの、あと2週間くらいで終わるしチョイ待っててたもれ。