C'est vraiment pas possible...!!!2011/09/29 22:19:05

私はグリーンピースとか実は大嫌いなんだけど、あ、豆の話じゃなくてNGOのほうですけど、嫌いな相手からも学ぶことは多々あるわけである。嫌いな相手が必ずしも自分にはない斬新なアイデアを持っているから学べるということばかりでなく、やっぱりスカポンタンなことしか言わないぜだから嫌いなんだよ、という場合でも考え方の一つとして学ぶところはあるのである。だからあっちの立場もこっちの立場も向こうの立場も自分の立場でさえも、何回も往復巡回して確かめる。そんなこと必要ないケースのほうが多いけど、そうしたほうがいい稀なケースにそういう手間を惜しんではいけないのである。

そんなわけで、グリーンピースさんのスタッフさんが日本縦断講演会をするそうなので、関心のあるかたは下記をクリックされるがよろし。

http://www.greenpeace.org/japan/ja/campaign/energy/etour/

私は自然エネルギーなんか「けっ」という立場なので、脱原発派だけど、自然(再生)エネ派ではないという意味で、このドイツ人さんが主張されるであろうことには「けっ」としか思わないであろうと想像されるが、それでも傾聴すべきなんだろなと思う。でも10/12(水)なんて絶対行けねーもんな。もしどなたか行かれたら感想を述べられたし。



これまでいろいろとあっちを読みこっちを読み、考えてきた(まだまだ考え足りないが)。
私は自分で自分のことを決して特異だとは思っていないし、といって決してほめられた常識人でもない、とも自覚しているんだけど、そんな私がどう考えても、真っ当に考えれば考えるほど、出てくる結論は「原発やめるしかないやん」なんだが。至って平静に、そう思えるのだが。
なのに、美味し国「うつくしまふくしま」をあんなにしてしまったのに、それでもやめないってへーきで言う人がかなりいるということに唖然とする。

『夕凪の街・桜の国』で、ヒロインが「死んでもいいって思われたんだ、私たち」とつぶやく場面があったように思うんだけど、震度6程度で壊れて放射性物質を漏らしちゃうかもしれない施設をつくって老朽化しても放置してたってことは、周辺の住民のことなんか「死んでもいい」と思ってたに等しい。都市部から離れた過疎地だし、何か起こって死傷者が出ても大した数にはならないし、と、要は見通しが甘かった。ええ、たしかに見通しは甘かった。でもさ、いわば見通しが甘かっただけじゃん。「だけ」じゃん。と、そう言っているのだ。これって、水俣でチッソがやらかしたことと同じで「僕らのせいじゃないよ、だってわざとじゃないもん、だってそんなことになるとは思ってなかったもん」という理屈である。ただただ、逃げるのである。悪質な轢き逃げとおんなじ。あれ、なんか撥ねちゃった? やばいかも? でも見えなかったんだもんしょうがないよな、しーらない、とりあえず逃げよ。

ある人間のことが憎くて憎くて仕方がない。
だから殺そうと決意した。
入念に準備をした。計画した。抜かりのないように手はずを整えて、殺した。

殺した人間はひどい奴である。なんでまたそんなに憎む羽目になったか、時間をかけて計画練って、そうしている間にもぴくりとも揺るがなかった殺意、そんなもの、人として到底容認はできない。人類史最大の悲劇といわれる、アドルフ・ヒトラーによるホロコーストは、こっちの類である。んなもん、許せるはずはない。
ないんだが。

軽い気持ちで酒を飲み、深夜だから車も人も少ないと思ってスピードをガンガン出し、よく前を見ないで走って挙げ句に人を撥ね、引き摺って、わざとじゃないもんねーとただひたすら逃げる。

私はこの後者のほうがさらにいっそう悪質だと考える。誰がなんと言おうと絶対に許すことはできない。
水俣病の発生も原発事故による放射能汚染も、こっちに似ている。
人間のすることだもん、過ちも手違いも見込み違いもあるよ、では済まされないことをしでかしているのに、その自覚がない。ぜんぜんない。……信じ難い。



べつに、こんな事態になったから脱原発だあ、とわめいているのでもない。そうでしょ? みんな昔から、心のどこかでは脱原発派だった。そうじゃなかった?

私は、日本人は全員、「しかたなく」原子力発電を受け入れていると思っていた。本当は一基だってつくってほしくはないけれど、火力発電や水力発電だけでは限界があるだろうから、そうだな全体の3割くらいまでなら、しょうがないだろ。広島や長崎、ビキニのようなことは起こるまいさ。だって核爆弾つくってんじゃないんだから。そう自分自身に、大なり小なり言い聞かせて。「しょうがないだろ」とは思うことのできない一握りの人たちが、活発に脱原発を唱えている。「しょうがないだろ」「しょうがないとは思うけど、やはりなんとかしてほしい」「しょうがないではダメだ!」というふうに温度差はずいぶんあるけれど、それでも、基本はみんな「反原発」だと思っていた。

チェルノブイリの事故のほんのひと月前までヨーロッパにいたので、私はあの事故には本当にぞっとした。社会人デビューしたとこだったから正直言ってこの件は「人任せ」にしていたけれど、この事故によって飛び出した放射性物質は日本にも到達したし、あの頃、けっこうな騒ぎになっていた。原発反対を唱える人の声は、たしかにあのとき一気に大きくなり、歳月を追って徐々にではあるけどやはり大きくなっている。拡大している。

だから今、脱原発の議論がことさらに高まっているとは思えず、みんなの意識の根底にあったことを、それぞれが、それぞれの表象のしかたで述べているんだと、そう思っていたんだけど。原発施設に従事している人、原子力や放射線の研究をしている人イコール推進派ではない。むしろ逆が多いもん。声高に脱原発を言えずにいた人たちが言うようになったとしたらそれはそれでいいことだし、つまり、私は基本的に、被爆国の日本人は、全員がそういう共通のメンタリティを持っていると思っていた。

でもそうじゃないのね。マジでガンガン増やしてガンガン稼動させんでどうすんのさと思っている人、いるのね。原発万歳! 原発なくして日本に未来はない! と考える人たちが相当数いるということが明らかになって、いささかビビっている。こわい。

今日、広々とした田んぼを見た。
その美しかったこと。
私たちにとって本当に大切なものってなんなのか。
もっともっと、考えたい。