Ça te va pas, Nicolas! ― 2012/05/02 00:00:39





Hollande, ce n'est pas le nom de Pays-Bas cette fois-ci. ― 2012/05/07 10:35:54


なんか、うらやましいね。
あたしも旗振って叫んでみたいよー。

(画像のコメントに「号外」と書いたけど日本で言う「号外」とは違いました。失礼しました。訂正します)
「NORMAL!」……タイトルは「ノーマル!」と読まずに「あったりまえじゃん!」くらいのノリで理解してくれ。
あったりまえじゃん。ほんまよ。
社会党政権になったが、日本の社民党(かつては社会党と名乗っておられた)と同列に考えてはいけない。政治の質とか政党としてのレベルの高低をいいたいのではなく、王制を流血で打倒し、その後王政が何度か復活した挙げ句共和政にたどり着いたという歴史をもつ国と、なんだかんだいいながら結局のところ万世一系の皇室を意地になって維持している(ダジャレってみた。えへ)国とでは、政治の役割についての考えかたも自然や社会というものの捉えかたも全然違う。地球上に社会党と名のつく政党は掃いて捨てるほどあると思うが、自由党や民主党や共和党や共産党や緑の党……という名の政党と同じく、その実体・事情は各国さまざまなんである。
だから何がいいたいのかというと、私は社会党支持派ではないということを念押ししときたかっただけやねん(選挙では共産党候補者に投票したりもするけど、共産党員でもないしな、絶対。笑)。もちろん、私の思考回路は中道左派である。でもでも、パキパキの左翼である社会党を、党首として11年率いたフランソワ・オランドが中道寄りであり、ゆえに現社会党が若干中道寄りであり、新政権の打ち出す政策がかな~り中道寄りになることが予想されるとしても、自分がかの地で生活していたら違和感を否めないに違いない。
留学生として長期滞在していた頃、フランソワ・ミッテラン政権は10年を経過していた。バブリーなお気楽国家から渡仏した私の眼にこの国は中央集権の強い社会主義国家に映った。公共施設で働く人々には労働を尊ぶ姿勢や来客への敬意がまったく見えず(それはもしかして今でもそうかな?)、都市には浮浪者、ホームレス、みみっちいスリ、無賃乗車や万引き常習犯があふれていた(たぶん今でもそうだろうな)。社会党政権下で人々は辟易し疲弊し苛立ちを隠そうとしていなかった。
右派政権が続いても同じように人々は疲れ果て、無能な国家元首に怒りの矛先を向ける。オランド政権が何期続くかはわからないけど、政権交代がまた訪れたそのときにまたフランス全土が熱狂するのであろう。
どうなんだろう?
いやその、ウチとこの国の場合よ。
自民党の亜流の民主党に政権が移ったことじたい、私はたいして大きなこととは見ていなかった。ただ自民党が少しは敗北を味わい与党でないことがどんなに「つまらない」ことかを思い知ったであろうことがザマアミロで気分がよかったのはたしかだ。そういう、「あースッキリした。それみたことか首根っこ洗って出直してきやがれ」的な気持ちで自民党をサイナラ~と「見送った」国民はかなりいるやん?
熱意を持って対抗馬の民主党を支持して政権奪取を実現させたというのとは、違うっていう人、きっと多いやん?
なんといっても自民党にいた面々が民主党の根幹を成しているし、自民党の正式名称が自由民主党でもともとは旧自由党と旧民主党の二つの政党の合併の末路、あ失礼、末裔であることに思いを馳せても現民主党は現自民党の親戚というか分家というか……だから政治的志向は似ているはず。そのことは承知の上、政党としても未熟もん、それでも、自民党には辟易していた、疲弊していた、愛想が尽き果てていたから、目先だけでも「違うもん」がほしかった。
というふうに、賢明な日本国民は最初から考えて、民主党をとりあえずは選んだと思っている。だから自民党時代にその総裁=時の内閣総理大臣=いちおう日本の政治リーダーがころころ変わるのに慣れっこだったとしたら、民主党になって同じことが続くのにも驚かない。相変わらず、「そんな狭いとこでハンカチ落としみたいな政治をされてもなあ」的な政権運営だけど、それ以上の、ハンカチ落としじゃなくてせめて「どろじゅん」くらいの政治(どんなんや)してほしいなと思わなくもないけど、ま、無理やろな。――的な心情。
というふうに考えていくと、結局は、現状に飽き飽きしたから「積極的に支持はしないけど、何か違うもんがほしいから」という理由で一票を投じるという意味ではどちらさんも事情は同じということなのね。
次の選挙で、ウチとこの国では何か起こるかな?
次の選挙っていつだっけ?(笑)
Normal! ― 2012/05/08 00:17:04
http://blog.tatsuru.com/2012/05/07_1159.php
動かそうと思えば動かせるもんがたまたま今止まっているだけなんだから、私は他の反原発派さんたちのようにバンザーイとは喜べない。まず全ての原発の廃炉を決め、その段取りを道筋つけ、廃炉へのアクションが実際に起こってからしか、喜べない。
それに、考えることはいっぱいあるんだよね。
↓ いちばん下まで読んでね。
http://shinosoryushi.blog121.fc2.com/blog-entry-388.html
そういや小出さんが「原発というのはいわば巨大な『海温め機』なんですよ」ってゆうたはったなー。
本当に、罪な物体なんだよね。
Ils sont fragile en tout cas. ― 2012/05/13 03:54:43
美容院というところは客を女王様気分にしてくれるところなので、それでなくても普段から〈地球はわたくしを中心に回っているのよ頭が高い控え居ろう〉思考の私にとってはいつにもまして快適満開な場所なのである。毎日美容院でふんぞりかえって生活できたらどんなにかスバラシイであろうか。しかし毎日いても髪の伸びるのが追いつかないので、してもらうことと言ったらシャンプーくらい? それでは滞在時間が短過ぎるなあ(笑)。
美容院で過ごす楽しみの中で欠かせないのが女性週刊誌を読むことである。その内容の濃さと言ったら! そのへんの大新聞なんかよりずっと読み応えがあるのである。侮っちゃいけません。
といって、私が読むのは普段まったく接することのない芸能ネタである。
私は、真面目にこの国のていたらくを憂うひとりであると自認している。子どもたちの未来は心配だし、国土の荒廃に歯止めがかからないのも歯がゆい思いである。微力だが、どんな経路でも何を媒介にしてもかまわないからなんとかさまざまなことがいいほうへ向かうように、自分なりの手は尽くしているのである。
しかしそんな私でも、問題山積みのこの国、この社会をよそに、まったく、よくもまあそんなことで騒いでいられるわねと開いた口も耳も鼻の穴もふさがらないぜっていうようなことで賑やかなのが芸能界である。ジイサンみたいな熟年タレントがムスメみたいな若い女性と結婚するとか長年の事実婚の事実をしらばっくれるベテラン俳優とか二股かけた挙げ句に泣いて詫びる若手俳優とか、こういっちゃなんだが「そのていどのことで」電波や紙やインクを使うなよといちいちドナリコミタイくらいである。当事者はともかく、追っかけている記者さんたち、えらいね。
という、いかにもな内容の記事を平和な気分でたっぷり読めるところ、それが美容院なのだ。
もうひとつ、女性向けの月刊誌……ちょっと判の大きい、あのタイプね。こっちはメイン記事などは面白かったためしがないが、投稿欄とか、連載などときどき見入ってしまう。
今日たまたま見たのは、タイトルと筆者は忘れたが、別れを経験した時により落ち込むのは男か女か、という話だった。結論から先に言うと、筆者の見方では女は男の数百倍も強い、男は平静を装うが実は深く長く傷つき、そのプライドはずたずたにされておるのである、女も深く長く傷つくが気分転換が上手なのである、男は下手なのでいつまで経っても自分を振った相手を恨み続けるのである……そうすることで自分で自分をまた傷つけ、ぼろぼろになってなかなか新しい出会いをつかめないってことがありがちなのが、男なんだそうだ。
この記事をじっくり読ませていただいたところ、「うわ何これあたしのこと?」「げっこれあいつやん」みたいなくだりが山のようにあり(笑)、この書き手はもしや本当に「あいつ」に取材したんちゃうん? と思うほど、面白おかしく数分間を過ごしたのであった。やっぱもっと頻繁に行きたい美容院。
ったく、ずるくってみみっちくってよわっちい動物なんだね。
Loin de paname... ― 2012/05/25 03:50:24

一週間ほどパリにいた。
パリというまちに最初からさほど関心と愛着のない私にとっては、各美術館で好きな作家の、長年観ることのできなかった作品を観ることができた、というくらいしか「収穫」のない旅ではあった。というとなんだいそりゃ、と思われるであろうが、人に会うのが目的だったので、「どこで」会うかはどうでもよかったのである。しかしまあ、ほぼ12年ぶりのパリであった。
記憶をたどって当時との違いをさがすと、道に落ちている犬の糞がかなり減っていることと、舗道にゴミ箱が設置されているせいか、道に落ちているゴミも減っていた。
煙草の吸い殻はあいかわらずだったが。
大統領選挙直後だったが、まちは、もうそのほとぼりはとっくに冷めているように見えた。私の友人には左派しかいないので、みな一様に今回の結果を喜んでいるのだが、友人のひとりが「フランス人の約半分近くが、国をこんなにズタズタにされてもサルコジに投票するなんて、オレ、人間不信になっちまうよ」といったように、それでもニコラを支持した人はいたわけで、道ゆく地元の人々とすれ違うたび、アンタの頭はどっちなの?なんて心の中で問いかけてみたりしていたのであった。
が、観光スポットばかり行ってたせいもあるけど、外国人観光客で埋め尽くされているようにしか見えなかった。本当にすごい人だった〜。
たしかにトップシーズンではある。いちばんいい季節だ。
世界中から人が来る、いちばん観光的に魅力的なまちなのだ。
初めてパリに降り立ったのは22歳のときだから、まったく月日はなんとやら。
到着したその日のうちにミュンヘンに移動したので、半日観光しただけだった。
その半日のあいだに、たしか結婚したばかりの従妹へのプレゼントを買い、お店で梱包してもらってその足で郵便局に直行し日本へ郵送し、次にノートルダム大聖堂へ昇って、ガーゴイルの写真を撮ったのを覚えている。
飛行機で乗り合わせた京都大学の女子学生さんと半日一緒に行動していて、彼女が「旅行仏会話」みたいな豆本を頼りに郵便局などへも付き合ってくれたので、おぼえているのだ。
ウ・エ・ビューロー・ド・ポウスト?
豆本を開いて、そのページを「読む」ように、通りがかりのムッシューに道を尋ねてくれたが、そのムッシューが流暢な英語でタラタラタララと返事をしてくれると彼女もまたタラタラタラリラリと流暢に返して会話が成立し、私たちはすんなりと郵便局へたどり着けた。さすが京大生だなあ普通に英語しゃべるんだあと感心した。
ノートルダム大聖堂からパリのまちを見下ろした。
たしかにあの時の、パリの屋根の美しさには息を呑んだ。
真冬で、不機嫌そうな顔をした人々の服装にも色がない。小さな煙突の並んだアパルトマンの上に、どんよりとした曇り空が広がって、およそ光だの花だのの都という形容とはほど遠い。なのに、美しかった。
だれだったか、死ぬならパリで死にたいといっていたのを読んだおぼえがある。初めてパリを見た日は、その気持ち、わかるかもと思ったものだった。
このまちでなら、ゆきだおれて路上で息絶えても本望、みたいな気にさせる魅力がたしかにパリにはある(あった)。
しかし、人にも風景にも、慣れてしまうというのは残念なことだ。初めて訪れたときの、えも言われぬときめきは、その後新しい発見を幾度か繰り返しても、うすれてゆくばかりだ。
今度の旅で、けっこう自分自身に愕然としたのは、ほんまに感動しいひんようになった、ということだ(笑)。パリが見慣れた場所だからではない。ものごと達観しているわけじゃなく悟りも開いていない。ただ、これ、「歳とったんだよね」ってことなのだ。意外とこんなことに自分で傷ついていて、そんな自分にまた驚く(笑)。
そしてつまりは、エエ歳して、まだ迷っている自分に呆れているのである。
Le garçon aux yeux gris ― 2012/05/30 02:14:06

