Loin de paname...2012/05/25 03:50:24

がーごいる

一週間ほどパリにいた。

パリというまちに最初からさほど関心と愛着のない私にとっては、各美術館で好きな作家の、長年観ることのできなかった作品を観ることができた、というくらいしか「収穫」のない旅ではあった。というとなんだいそりゃ、と思われるであろうが、人に会うのが目的だったので、「どこで」会うかはどうでもよかったのである。しかしまあ、ほぼ12年ぶりのパリであった。
記憶をたどって当時との違いをさがすと、道に落ちている犬の糞がかなり減っていることと、舗道にゴミ箱が設置されているせいか、道に落ちているゴミも減っていた。
煙草の吸い殻はあいかわらずだったが。

大統領選挙直後だったが、まちは、もうそのほとぼりはとっくに冷めているように見えた。私の友人には左派しかいないので、みな一様に今回の結果を喜んでいるのだが、友人のひとりが「フランス人の約半分近くが、国をこんなにズタズタにされてもサルコジに投票するなんて、オレ、人間不信になっちまうよ」といったように、それでもニコラを支持した人はいたわけで、道ゆく地元の人々とすれ違うたび、アンタの頭はどっちなの?なんて心の中で問いかけてみたりしていたのであった。

が、観光スポットばかり行ってたせいもあるけど、外国人観光客で埋め尽くされているようにしか見えなかった。本当にすごい人だった〜。
たしかにトップシーズンではある。いちばんいい季節だ。
世界中から人が来る、いちばん観光的に魅力的なまちなのだ。

初めてパリに降り立ったのは22歳のときだから、まったく月日はなんとやら。
到着したその日のうちにミュンヘンに移動したので、半日観光しただけだった。
その半日のあいだに、たしか結婚したばかりの従妹へのプレゼントを買い、お店で梱包してもらってその足で郵便局に直行し日本へ郵送し、次にノートルダム大聖堂へ昇って、ガーゴイルの写真を撮ったのを覚えている。
飛行機で乗り合わせた京都大学の女子学生さんと半日一緒に行動していて、彼女が「旅行仏会話」みたいな豆本を頼りに郵便局などへも付き合ってくれたので、おぼえているのだ。
ウ・エ・ビューロー・ド・ポウスト?
豆本を開いて、そのページを「読む」ように、通りがかりのムッシューに道を尋ねてくれたが、そのムッシューが流暢な英語でタラタラタララと返事をしてくれると彼女もまたタラタラタラリラリと流暢に返して会話が成立し、私たちはすんなりと郵便局へたどり着けた。さすが京大生だなあ普通に英語しゃべるんだあと感心した。

ノートルダム大聖堂からパリのまちを見下ろした。
たしかにあの時の、パリの屋根の美しさには息を呑んだ。
真冬で、不機嫌そうな顔をした人々の服装にも色がない。小さな煙突の並んだアパルトマンの上に、どんよりとした曇り空が広がって、およそ光だの花だのの都という形容とはほど遠い。なのに、美しかった。

だれだったか、死ぬならパリで死にたいといっていたのを読んだおぼえがある。初めてパリを見た日は、その気持ち、わかるかもと思ったものだった。
このまちでなら、ゆきだおれて路上で息絶えても本望、みたいな気にさせる魅力がたしかにパリにはある(あった)。

しかし、人にも風景にも、慣れてしまうというのは残念なことだ。初めて訪れたときの、えも言われぬときめきは、その後新しい発見を幾度か繰り返しても、うすれてゆくばかりだ。

今度の旅で、けっこう自分自身に愕然としたのは、ほんまに感動しいひんようになった、ということだ(笑)。パリが見慣れた場所だからではない。ものごと達観しているわけじゃなく悟りも開いていない。ただ、これ、「歳とったんだよね」ってことなのだ。意外とこんなことに自分で傷ついていて、そんな自分にまた驚く(笑)。
そしてつまりは、エエ歳して、まだ迷っている自分に呆れているのである。