Ça te va pas, Nicolas!2012/05/02 00:00:39

5月1日、ニコラはトロカデロ広場で演説をしたらしい。

演台には「強いフランス」と書かれている。ラ・フランス・フォルト。それを揶揄して「ラ・フランス・フロテ」(la France frotté=摩耗するフランス)なんていう謳い文句のキャンペーンが張られたりもしている。なんにせよ、ダメなもんはダメである。思うにニコラ君は、こういう背景が全然似合わないというのがもう共和国大統領として致命的である。似合う似合わないで政治家の資質を云々すべきではないかもしれないが、いやどうして、かなり重要だぞ。見た目重視のワタクシとしてはだから最初からニコラ君はアカンっていうてたやんか。
20 minutes.fr


このほどさようにエッフェル塔が美しく見える広場で、なんとまあ。こうして下から撮ってもらわんと大きく見えないのが悲しい。いや、そんなことを悲しがられてしまうところがたいへん悲しい。
Libération


しゃーから、アカンもんはアカンってば。
Le Monde


でも、だからって、5年前に、もしセゴレーヌちゃんが勝っていたとして、セゴレーヌちゃんがこの背景に耐えたかというと,ノンだろうな。

だからってだからって、セゴレーヌちゃんの元夫のフランソワが似合うわけないのは、ほれ、このとおり。この人普通のおじさんにしか見えへんし。え、なんとか銀行の支店長さんちゃうの、つーかんじ。
20 minutes.fr
サルコジVSオランド、決選投票は5月6日である。


もしかしてこの人だったらサマになったかもしれないのになあ、とこっそり思っていたんだが、しょぼくれちゃって、だみだこりゃ。ご存じDSKざんす。
Libération


よそんちの選挙なんざあどうでもよいから、じぶんちの政治についてもっと憂えたらどう?なんて声が聞こえてきそうである(笑)。野田さんとか岡田さんとかが前に座ったはるあいだはなんぼ関心持ちとうても持てしまへん。ウチは小沢さんがもっとゴリゴリバキバキ動いてくれはらんとおもろないと思てます。けど、そんなん、もうおへんやろ。そやさかいもうよろしおす。となぜか京都弁モードに走ってしまったが、その理由は三軒隣に野田さんというおばちゃんが住んでいるからつい野田さんというと思考が町内会モードになる私なのである。

ちょうど第一回投票の頃に遊びに来ていたフランス人の友達は皆「投票なんかするわけねーだろ」とおよそフランス人らしからぬ発言をするし、ちゃんと投票に行ったというかの地の友人諸氏たちは「誰になったって状況は悪くなるのは確実なんだよ」と吐き捨てるように悲痛なメッセージをくれるしで、フランスででも閉塞感は日本に負けず劣らずなんだが、それでも、投票率が80%という数字には、それでも指揮官になる人になんとかしてほしいという気持ちの表れであるという点で、日本の選挙制度が首相を国民投票で決めることになったとしても、けっして追いつかないんじゃないの? そういう意味で、日本の数倍は見るべきもんがあるはずのフランス政治であるはずである。

ただし私はそのことを喜ばしいことだとは思わない。いつもいつもエキサイティングな政治なんて、国政だろうと地方行政だろうと、民はしんどいだけである。国民が政治について政権について右派について左派について侃々諤々の議論をするのが普通の国なんて、息苦しいったらありゃしない。たぶんそんな社会は、恒常的に問題が山積みで、つねに社会のゴミ扱いされる人がいて、つねに聖人君子みたく崇拝される人がいたりして、なのにどこかで汚い金が動いていたりして、けっきょく流血で国が変わるというような、誰もが緊張の糸の切れる寸前まで追い込まれながら生きていかなくてはならないのだ、大なり小なり。そんな社会では長生きもできん。政治なんてのはあるのかないのかわからんくらいが平和なのである。国民は皆のほほんと、そんなんお上がええ塩梅にしてくれはる、と考えることやめたかてどうもないねん。ええやん、これ。らくやん。ああ、ごくらくごくらく。

と、いうふうに国民総痴呆化へまっしぐら、ではある。

日本はまさにそういう意味では平和であった。そしてそれは国民総痴呆化へと帰結した。ニッポン滅びの道をゆく、である。
ムッシュ大統領、あんたトロカデロ広場が似合わないよなんて悪口叩かれる国であっても、民が危機感を持ち続ける国は滅びないであろう。
だとしても、どっちがいいかは……どう思う?